【mixiより転記】「蓮の花」

【mixiより転記 8月19日】
えー。
つづき、です。
観音さまに「ほんとにともこさんはエジプトで私の妹やったんですか?」と質問してイメージが湧いてきた……わけですが、その1時間後に、実はマイミクのNORIKOさんの「青き女神のエナジーイベント」があったんですね。
実はこの青き女神さんのエネルギーを年末年始に送ってもらい、私は封印解除をしてもらったんです。
私は10年以上前にレイキのセカンドまでアチューンメントしてもらってるんですが、さっぱり感じないんです。
こーゆーエネルギーってものを感じるセンサーがニブったままなんですね。
それでもやっぱり封印解除のエネルギーはしっかり届いて、解除してもらっちゃったんです。
おかげで観音さまと脳内妄想会話をするようになり、ミカエルさまともお話するようになり、天使の絵を描くようになり、阿弥陀さまともつながるようになり……と、今年になってからあれよあれよと言う感じで変容が続いておるわけです。
この封印解除ワークを受けていなかったら、なにみえ遠足にも行かなかったと思うし。
というわけで、今回のイベントでも残ってる封印を解くキッカケになるかもしれないなー、と思いまして、参加させてもらいました。
その時間になり、横になっていたら、頭の上で青い光がぐるぐると螺旋を描いて昇っていくようなイメージが浮かんできました。
「おおおおおおお。これはもしかして青き女神さまのエナジー?」とドキドキしました。
そして、翌日の朝です。
NORIKOさんのブログにこんなことが書かれていました。
http://ameblo.jp/christinarosejp/entry-10128547111.html
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今回イベントに参加された方のエナジーをスキャンしたところ、慈悲の女神、観音が今回のイベントの世話役となってくれました。きっと、観音様とご縁のある方が多かったのでしょうね(*^^*)
観音からのメッセージですが、今回のエナジーイベントにより、観音のアチューンメントが同時に完了したとのこと。シンボルはロータス(蓮の花)をイメージするだけで良いとのことです。
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蓮の花!
シンクロニシティ……ですね。これって。
そうか。やっぱり蓮の花なんですね。
てことで。
今、何気にちらりと調べてみたら、なんとエジプトのイシス神殿には蓮の花の柱があるそうです……。
なんでも、蓮の花は復活の象徴らしいです。
やっぱり蓮の花なんだなぁ。ともこさんの絵のあの花は。
さて。
そんな朝の出来事があり、夜は夜でなにみえ遠足の延長でした。
P.マッシロートニーさんというプロのヒプノセラピストさんが「上」でヒプノ・ショー(?)をしてくださったんです。
私も参加させてもらいました。
私は「自分のリミッターを外す」という課題コースでした。
今までもいろんな企画(?)があったんですが、私はほとんど参加してませんでした。
でも、今回は何故か参加しなくちゃ、と思ったんです。
常磐ちゃんにお願いして「上」に連れてってもらいまして、またまた紙芝居のようにイメージが浮かんできました。
初めは一緒にヒプノを受ける人たちと少しお話をしてたような感じなんですが、いきなりイメージが変わりました。
私の頭から紫の光が天に向かって伸びまして、そのうちそれが黄金の光になりました。
(白光ではないんですよ。私はいつも黄金の光なんですね。)
三次元の私は、「あー、ハイヤーセルフとつながってんだなぁ。で、上の私はどうなってんだ?」と思いました。
すると、寝ている私の姿がイメージに浮かんできました。
「あ。寝てる…というか、催眠状態なんだな。」と思いました。
そして、その催眠状態の私から伸びている黄金の光の中に、女性がいました。
この女性の姿が見えてきた時に、目の前をさ~~っとピンクの花びらが舞っていきました。
……もう、これって、かさねさんが見たビジョンそのままやない?
と、三次元の私は驚きました。
それから、もう一つの光の柱が現れ、そちらの人と、その女性が何か話していました。
もう一つの光の人は、きっとP.マッシロートニーさんのハイヤーセルフさんなんだと思いました。
2人で何を話しているんだろう?と三次元の私は一生懸命聞き取ろうとしましたが、ぼわ~~~んとして聞き取れません。
波動が精妙過ぎるんだなぁ…と思いました。
でも、そのうち微かに声が聞こえてきました。
「……今、この子の中で外すべきリミッターは無い。封印解除のエナジーを受け取ったばかりだから。リミッターを外すなら調整が必要だ。」
なるほど、と思いました。
でも、そしたら何のために今夜私は参加したんだろう?と思いました。
すると、「上」の私と会話しているのか、三次元の私に話し掛けているのかは定かではないのですが、ハイヤーセルフさんが言いました。
「私に会うためですよ。」
ちょっとビックリしました。そんな理由だったんですか…。
そして、ビックリついでに1つ質問をしました。
「五井先生のおっしゃる『直霊』と、スピ系の人たちが言う『ハイヤーセルフ』というのは、同じですか?」
「違うものです。『直霊』はもっと波動が精妙です。けれど、すべては一つなので、あまり細かくこだわる必要はありません。」
厳密にはいろんな階層があって、いろんな振動数の波動域みたいなものがあって、いろんな形態・性質・特徴があるんでしょうね。高次の方々にも。
でも、今のところはとにかく守護霊さま守護神さま、そして縁をいただいた観音さまや阿弥陀さま、天使さんたちに感謝の気持ちを顕していけばいいよな、と思いました。
と、こんなふうに、いろんなことがつながってるなぁ、と感じさせられた2日間でした。
あ。そうそう。
ちょっと話はズレるんですが、なにみえ遠足でパートナーとなってくれているドラゴンの常磐ちゃんですが、なんと一生のパートナーとして守護してくれることになりました。
ありがたいことです。

【mixiより転記】ファンタジーだと思ってくれ。

【mixiより転記 8月18日】
ちょっと前に、「上」でお茶しよーよーー、という私の誘いに乗ってくれた方々と楽しい時間を「上」の広場で過ごした、と書きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=895911245&owner_id=10671347
この日記のコメントに、かさねさんが、『お互いのハイヤーさんを見る練習』をしたよ、と書いてくれました。
私に対してはピンクの花びら、ともこさんに対しては三日月みたいな船が見えたそうです。
で、昨日。
ともこさんが携帯にある写真を添付して送ってきてくれました。
ともこさんは「道具」となって絵を描く、いわゆる「霊媒」さんだなぁ、と私は思っています。
天使さんたちの道具として絵を描かせてもらうようになった私からすると、年下さんだけれど大先輩です。
そのともこさんが、どうやらともこさん自身に関係してると感じる絵が描けた、と送ってきてくれたんです。
それが、三日月ではないけれど、少し太った三日月みたいな月と黒髪の女の子と蓮の花みたいなピンクのお花の絵でした。
パッと見て、「あ。これ、イシスや。」と思いました。
そして、じーーっと見つめていると、この女の子はともこさん自身でもあるなぁ、と感じました。
そして、不思議なのは、何故か私にも関係している絵だと強く感じたのです。
ともこさんも、かさねさんがコメントしていた「花びら」を思い出し、私にも関係がある絵じゃないか、と思ったんだそうです。
そして、突然ぱぁ~っと閃いたんです。
ともこさん、私の妹やったんやわ。
この時は、エジプトにいた姉妹か?と閃きの後に続けて思ったんですが、その後、観音様に「本当にともこさんは私の妹やったんかな?」と聞いてみたら、すぐにこれまたぱぁ~っとイメージが湧いてきました。
私、男やん。
姉妹やない。兄妹や。
妹は……イシスの神殿の巫女みたい。
お暇をもらって時々家に帰ってきて、その時に妹から神様のことや霊的知識を聞かせてもらってるのに、私はあまり理解してなかったみたい。
というか、妹が神に仕えてて普通に結婚もしないのがイヤだったみたい。
へぇー、と思いました。
早速、ともこさんにメールしました。
もちろん、本当かどうかなんて確かめようが無いので、これはファンタジーと思って読んでね、と前置きを付けておきました。
でも本当だったら面白いですなぁ~~。
それからまた、寝る前に少しそのお兄さんのことを考えていたら、またまたイメージが浮かんできました。
どうも、お父さんが早くに亡くなったみたいで、そんなこともあって、妹は神殿に結構小さい頃から仕えるようになったみたい。
自分の力不足せいだ、と内心自分を責めるお兄さん。
妹は神様に仕えるのを喜んでいたんだけど、お兄さんは自分を責める気持ちが邪魔して、妹が教えてくれる神様のことや霊的知識のことも素直に聞けなかったみたい。
罪悪感や劣等感、自分を責める気持ちって、アカンですね。
こうやって邪魔するんですなぁ。
せっかく大切なことを教えてもらっても、このお兄さんのように素直に聞けなくなっちゃうんですもんね。
あ~~、これって大きな落とし穴だよなーーー、としみじみ感じました。(布団の中で。)
今世でもよ~~~くやってたよ。同じことしてたよ~~。
これが本当の話じゃなかったとしても、私にとったらこれは大きな気づきなので、十分アリですわ。アリアリ。
で。
さらにイメージが続きまして、どうやら妹は若くして死んじゃったようです。
お兄さんは結婚して、娘も授かったようです。
この時の嫁さんと娘も、誰か知ってる人のような気がしましたが、それは分かりませんでした。
妹が若くして死んでしまったことで、神様を恨む…とまでは言わないけれど、やはり神様から心が離れていったみたいです。お兄さん。
別に不幸な人生ではなかったみたいだけど、やはり霊的な知識をちゃんと自分のものにしていないと、なんてーのかなーー……、出汁がちゃんときいてないお味噌汁みたいな人生になっちゃうんやなぁ、と思いました。
お出汁はちゃんときいてないと!
そして、今朝。
「(ピンクの)蓮の花」という文字が目に飛び込んできました。
つづく。

【mixiより転記】まだ過渡期なので。

【mixiより転記 7月14日】
私がもし、常に阿弥陀さまと「三次元の私の意識」においてもツーツーにつながっていられるとしたら、きっとご先祖さまに阿弥陀さまの光を自在に届けることができると思うんですが、今のところその域まで達していないので、先日のような出来事は稀なことだと思ってます。
で、先日書いたように、基本的には「もう、子孫に頼って成仏させてもらうっていう時代じゃないのよ。」だよな、と思ってるんです。
幽界でうろうろしていたとしても、子孫が「我即神也。人類即神也。」「私は光の存在。」「みんなつながっている。」…(表現はお好きなのをどうぞ)…を理解していく道程にあれば、きっとご先祖さまも自ずから気づきを得るはずだと思うからです。
でもね。
そうは言っても過渡期なわけで、やはりお墓は吉相墓にするとか、ちゃんと『届く』供養をするとかってので、迷いの中にあるご先祖さまのサポートをさせていただく、というのもまだまだ必要だよな、とも感じるのです。
なので、お父ちゃんの叔母さんのために吉相墓にしよう、とお父ちゃんがお義母さんに話をしてから、なんだか思ってたより早く実現できそうな感じなので、私も有り難いことだなーー、としみじみしております。

【mixiより転記】お父ちゃんの肺炎の原因と天使の絵の飾り方

【mixiから転記 7月9日】
ずっとお世話になっている霊能師の先生のところに半年以上ぶりに行ってきました。
オカンが
「やっぱり一回、先生んとこに行ったほうがええって。お父ちゃんの肺炎、絶対おかしいって。疲れとかそーゆーのとは違うって。」
と言うので、オカンも一緒に家族みんなで行ってきました。
で、ビンゴでした。
オカン、おそるべし。
お父ちゃんのおばさんにあたる人が、4歳の頃に亡くなってるんですが、その子が「なんとかしてよー。」と言ってきてたせいでした。
実は、以前にもその子が浮かばれてないね、ということで、供養をさせてもらったんですが、当時の先生のやり方では、それで浮かばれる人もいれば、一時的に良くなるだけという人もいたんだそうです。
その子も一時的には良くなったそうなんですが、またしんどい想念の中に落ちてきたらしく、その想いがお父ちゃんに影響してきて肺炎という形で報せてきたたんだそうです。
でも、先生も年々パワーアップされておりまして、今回はこうしたらいいよ、というお話を伺うことができました。
いえね、前々から変だよなーー、って思ってたんですわ。
子供が死んだら、小さいお地蔵さんをお墓の横に建てて供養するのが普通だと思ってたのに、お父ちゃんの死んだおじいちゃんと一緒に、その子もお墓に入ってるんですわ。
変だよなー、おかしいよなーー、って、ずーーーっと感じてたんですが、やはりそれをちゃんとすることで、浮かばれる道筋ができるそうなのです。
もちろん、自力で浮かばれる人は、最初っから浮かばれるもんだから、お墓がどんなふうであろうと関係ないんだろうな、と思うんですが、先生も
「不思議なんだけどねー、浮かばれる人は浮かばれるんだけど、浮かばれない人は、そのままじゃ何年経っても浮かばれないんだよねぇ。これがお墓をちゃんとすることで浮かばれるようなるんだから、不思議なんだよーー。」
とおっしゃってました。
で。
今91歳のおばあちゃんが亡くなったら、広い場所にお墓を移して、五輪塔を建てる場所なども確保しようと考えてたんですが、この際、もう手をつけた方がいいよね、とお父ちゃんも考えたようです。
そうなると、すぐになんとかできるという話ではないので、お地蔵さまを建てさせてもらうまでの間、私がイメージするその子の絵を描いて、それを依代にするように、と言われました。
そして、その絵にお線香を立てて、お菓子とかをお供えすると良い、と教えてもらいました。
なので、今夜描きますわ。
他にもいろいろ先生から教えていただきました。
天使の絵のこともいろいろアドバイスをいただきました。うひー。
飾り方で全然違うんだよ、ということも教えていただきました。
ただの額縁に入れるんじゃなくて、「マット」で囲うのが良いんだそうで、それがあると更に絵がパワーを発揮するそうなのです。
(マットについては、コチラ参照)
私も自分用の天使さまのために安いのでいいから、マット付きの額縁を買おうと思ってます。

なにみえ遠足後。

遠足の翌日、ちょっと頭が重いとかそんな感じだったけど、なーんだ。大丈夫じゃーん。と喜んだ私。
いや、翌日(月曜日)の夜に、ソフトバレーの練習があったんですわ。
今まで地域の寄り合いやらスポーツイベントやらお葬式やらは、お父ちゃん任せだったんですけど、どうにも人数が足りないということで、出ることになったんです。女子ソフトバレーに。
球技、苦手なのにーーーー。
で、練習30分でバテました…。
翌日から筋肉痛でした。
で、その後からどうも浄化じゃないか?と思われる腹痛があったわけなんですが、遠足後すぐじゃなかったのは、ソフトバレーの練習があったからか????と、さっき気がついたお母ちゃんであります。
ま、そんなこんなで。
なにみえ遠足後、遠足参加者さんのレポやコメントをいろいろ読んでいましたら、あの私の「阿弥陀さまの黄金の光」を一緒に経験していたと思われる人が2名いたことが分かりました。
たとえば、です。
大本の神様が12次元の存在としましょう。
そこから7つの光が分かれて11次元の世界に降下したとしましょう。
そして、そこからまた分かれて降下し…と、どんどん枝分かれするように降下していき、8次元の世界では阿弥陀さまやお薬師さまなどがいらっしゃる、としましょう。
私の魂はそこにいる阿弥陀さまから更に分岐および降下を続け、今ここにいる3次元の私が存在している、としましょう。
すると、実は私と同じ阿弥陀さまが「高次の自分自身」だよ、という人はたーくさんいるわけですね。
なので、同じ光の体験をしたお2人は、少なくとも8次元においては私自身でもあるわけで、同時に彼女たちからすれば、彼女自身と私が同一であるわけです。
それって、耳タコくらいよく聞く話ではありますが、「経験」を通して識るのと、ただ聞いて知ってるのとでは雲泥の差なんですね。
えっと。
秋葉原の通り魔殺人事件のことをニュースで最初に見た時は、とても気持ち悪かったんです。
画面から流れてくる波動がぐちゃぐちゃって感じで。
でも、2日後だったかな、ふと思ったんです。
「あの犯人も、同じ光の次元から降下してるんだよなぁ…。」って。
3次元の犯人の想念みたいなものじゃなく、もっと上の次元に目を向けると、気持ち悪くないんです。
自分の中から発する阿弥陀さまの黄金の光なんて、遠足に行った人の中で、誰も見てないだろうし、分かってもらえんだろうなー。
なんて思ってたんですが、違ってました。
嬉しい誤算です。
そして、その誤算のおかげで、日常でも少し高い次元にフォーカスできるんじゃないか、って思えるようになりました。
そして世界平和のお祈りをする、ということは、そういうことなんだな、ってことにも気がつきました。
きっとね、世界人類が平和になるってことは、みんながいつも高い次元の自分にフォーカスしながら生きているってことなんだなぁ、って、そういう世界が完全平和な世界なんだなぁ、って、気がついたんです。
遠足に行けて、本当に良かったです。

【mixiより転記】またもや、強化合宿でありました。

【mixiより転記 5月15日】
えー、実は今回も守護霊さまの強化合宿だったようで、今回の合宿は4日間でありました。
3日かけて「個我」というものを教えられたわけですが、この「個我」が『個の始まり』というわけで、これがミソだったわけですな。
あーー、いろいろありすぎて、詳細まで書くと長くなるので、病み上がりにはキツいため省きますが。
昨日の午後のことなんですがね。
子供たちがやっとお昼寝してくれて、私も熱が少しあってダルいってんで横になったんですよ。
で、横になりながら、このミソ…じゃないや、「個我」をですね、『ど真ん中』に持ってくるイメージをしたんですよ。
「何のど真ん中?」と思われるでしょうが、これを説明すると長くなるので、省いたんですけど、とにかくイメージした…というか、そうなんだと思い込んだ…というか、上手に表現できんのですが、まぁそんな感じにイメージしたわけです。
そうすることで、阿弥陀如来が現象界の「私」にすーっとつながる…みたいな感じになる、と強化合宿で教えてもらったものですから。
そしたら、その通り阿弥陀さま(のほんの一部?)が現れたような感覚になったのです。
以前、羽が生えてきたと思わざるをえない感覚になった、と書いた、あれと同じで、そうだとしか思えないという感覚です。
別に、肉体の目には何も映ってないんですよ。
でも、そうだと感じるんです。
それで、ここで印を組むべきだ、と思った……んですが、いかんせん熱でダルダルでしんどいので、起き上がりたくないのですよ。業想念集積体の「私」は。
そこで、これまたイメージで、ここに現れている阿弥陀さまが印を組んでいると思ったんですね。
そしたらそしたら、ぶわーーーーーっと光が放たれた……としか感じられない感覚になったんですよ。
ですから、別に肉体の目には何も見えてませんってば。
でも、そうとしか感じられんわけです。
でね、不思議なんですけどね、その阿弥陀さま(のおそらくほんの一部)も「私」だし、「個我」も「私」だし、ダルダルで起き上がりたくねーよー、って思ってる業想念集積体も「私」でして、同時に3種類の「私」が存在してたんですよ。
「おー。こういうことだったのかー。」
と、妙に冷静にこれらの感覚を感じておりました。
嬉しいとか、そーゆー感情ナシで。
で、はたと業想念集積体の「私」が、観音さまに「こんなんでよろしい?」と聞いたんですね。
そしたら、観音さまの方が喜ばれてて、それもまた妙な感じではありましたが、観音さまが喜ばれているのが嬉しくなり、そしたら、もう業想念集積体の「私」だけに戻っちゃいました。
以前、「私は阿弥陀如来である。」と思い込んで印を組んだら、そうなんだと心から思えてきて、体中の細胞が震えるような感覚になった、と書いたと思うんですが、アレよりもっと奥深い体験でありました。
というわけで、「これからお祈りをする時や印を組む時は、こうやってやりなさいね。」ということを教えてもらった強化合宿だったようです。
守護霊さま、ありがとうございます。
この後、業想念集積体の「私」が相変わらず大きな顔してるんですけどね、でも今まで「これが私」だと認識していたその「私」を、「あー、これが業想念集積体の私なんだなぁ。」と心のどこかでハッキリ理解した、みたいな感じになってます。
いや、だからと言ってね、業想念集積体の「私」が前面にどかーんと出てるから、今までの「私」と何も変わってないんだけどね。

【mixiより転記】エゴと自我

【mixiより転記 5月13日】
マイミクのNORIKOさんが天使さんに、エゴと自我を混同しないように、ちゃんと理解しましょう、とメッセージをもらったそうです。
天使さんによると、「自我の解放は、アイデンティティーの崩壊なくしてありえない」と教えられたとか。
それに関して、お父ちゃんが指摘してくれました。
この日記に書いたように、私の中では、私の魂って、いろんな魂のカケラの寄せ集め、というイメージがあるんですね。
で、一昨日・昨日と書いた『私』って何よ?っていう問題でも触れましたが、『私』だと思い込んでるのは『業想念の集積体』であって、それを天使さんたちが言う「エゴ」だと思うんです。
そして、私がやっと辿り着いた『個我』が、天使さんたちの言う「自我」ではないか、と。
おー。
となるとね、その『個我(自我)』は、もしかしたら『霊・魂・魄』の「魂」かもしれないなぁ、と思ってる私としては、いろんなカケラの寄せ集めである「魂」を解放したら、そりゃアイデンティティー(個)が崩壊しちゃうよーーー。
業想念(エゴ)の『私』は、霊的本体の私でもないし、個我の私でもない、ということを知ることって、とても大切なことなんでしょうね。
きっと。

【mixiより転記】『私』という『自己意識』

【mixiより転記 5月12日】
昨日の日記に、マイミクのピタゴラスさんがコメントをつけてくださり、それについて長いお返事を書いていたら、キーボードの操作ミスで消えてしまいました。
というわけで、コメントじゃなく、日記に書いておこうと思いました。
ピタゴラスさんの5月6日の記事より一部抜粋です。
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自己意識軸上を移動する『自分』はあなたの意識の座(座標)に現われてくる意識を自分とみなしていた。その『自分』は無批判に現われてくるものを概ね100%の確率で自分と思ってしまう。いかに惨めで、恐怖と怒りに満ち、不調和であろうと、失敗した姿であろうと、現われたものを自分と思ってしまっていた。
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そして、コメントより一部抜粋です。
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 この『自分』は我即神也の我でもなく、業想念の我でもない。
 この『自分』は意識にある想念すべてを自分と見なしてしまう。
 この『自分』は我即神也の我を自分と認め、業想念の我を自分ではないと認識する訓練途上にある。
 個我と言っていいのでしょうか。
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これだけ読んでも意味が分からん人も多いと思いますが、それまでに記事をたくさん読ませてもらってる私にとっては「おおおお。そうか。」と納得できるものです。
五感だけで世界を把握している私達に、それ以上の世界を説明するとなると、どうしても『全てが方便』になってしまうと思っています。
だから、イエスさまだって例え話が多いですよね。
五井先生でもそうだと思うんです。
凡夫に分かりやすく説明して、救済の方法を示すとなると、ものすごく単純化されて法話をされてるはずなんです。
それで、ピタゴラスさんに啓示されている守護神さまの言葉も例えになっているのも当然なことだと思います。
という前提で、理解を深めていくわけなんですが、それでももともと立体を頭で想像するのが苦手な私は、さらに簡易化してx軸とy軸の平面で考えます。
そのx軸とy軸で構成される平面は、『自己意識』が発現する場である、と。
その平面上を、『私』という『個我』が点として任意に移動しています。
…もしかしたら、その『任意』ってのは違うかもしれんけど。
そこはまた後から考えます。
さて。
移動し続けている『私』には、その座標その座標で特有の『自己意識』が発現されます。
「意識」「想念」というやつが現れてくるわけです。
で、なんと、個我の『私』は、その現れてきた『自己意識』を、何のふるいにもかけず、そのまま丸ごと「これが私である。」と認識し続けているので。
瞬間瞬間、現れくる「意識」「想念」を全て自分だと認識し続けることで、この3次元世界の肉体に在る「私を私と認識している私」を作り上げている、ということなのです。
で、ですよ。
ここで、瞬間瞬間、新たな座標上に沸き上がってくる『自己意識』が、霊的本体からのものであれば、問題ないわけですよ。
しかし、我々のところに現れてくる『自己意識』のほとんどが、『業想念』であって、それをエゴと呼ぶこともあると思いますが、そーゆーやつなわけですよ。
(なんで「業想念」なんてものが発生したのか、は、五井先生の「神と人間」を読んでくださいまし。)
ということで、我々が「自分自身」だと思い込んでる『私という意識』は、霊的本体ではなく、業想念の集積体だったわけです。
んじゃ、そこから、霊的本体から現れる『自己意識』だけになるにはどうしたらいいか、というのは、そりゃいろいろ方法は示されてると思いますが、私の場合は五井先生のお祈りと昌美先生の印なわけです。
お祈りを続けることで、移動可能なy軸上の上限がアップした、みたいな感じですかね。
あ、さっき、任意と書いたけど、もしかしたら、y=1/xかもしれん。
それはさておいて。
で、で、で。
ここで、ハタと思ったわけです。
『私を私だと認識している私』が何なのか、は分かった。
でも、我即神也の我でもなく、業想念の我でもない、平面上を移動する点である「個我」の『私』って、何だ???
多分ね、私は、ようやくこの「個我」の『私』にまで辿り着いたんですよ。ピタゴラスさんのおかげで。
もしかしたら、この「個我」が、『霊・魂・魄』の「魂」かも。

【mixiより転記】「私」を「私」だと認識している「私」

【mixiより転記 5月11日】
人は誰でも、肉体という物質のみの存在ではなく、本体は霊的な存在である……というのは、もう小さい頃から知っていました。
言葉で表現できないだけで。
そして、誰もが忘れてしまっただけで、小さい頃は知っていたんだと思います。
ですから、中学の理科の時間は、本当に不思議な感覚になりっぱなしでした。
体は細胞からできている。
うん。それはいい。
細胞の中には核というものがあって、そこには遺伝子が内包されている。
うん。それもいい。
そのデオキリボ核酸には、4つの塩基があり、その組み合わせにより、生成されていくタンパク質が決まっていく。
そうか。
そうやって体は構成されていくんだな。
………と、「生物」の範囲で体をどんどん細かく見ていきますよね。
それが、次の単元で「化学」になると、途端に分子や原子、陽子に電子という話になってきて、延々と化学的な視野での話を聞くことになります。
待て。
核酸まではいい。
そこに何か「個」という感覚が伴うから、生物の授業では「私」は「私」でいられるんだけど、陽子と電子となると、そこには「個」が存在してないぞ。
けれど、確かにどんどん私を細かく分解していけば、陽子と電子だけになる……。
では、私の体を全て陽子と電子に分解し、それを再構成した場合、そこに「私」という意識は存在するのか?スタートレックみたいに!
「私」という認識・意識は、何処から来るものなのか?
確かに、脳の機能として、「私」という意識を生み出しているという側面はあるだろう。
でも、きっとそれだけじゃない。
なぜなら、私の本体は肉体じゃないから。
と、理科の授業を聞きながら、ノートをとりつつも、そんなことを頭の半分で考え続けていました。
答えなんて出ないんですけど。
さて。
大人になり、また違った角度からのアプローチも加わり、やはり時々思い出したかのように、あの不思議な感覚が蘇ることがあります。
陽子と電子の間はものすごい「隙間」がある。
てことは、「原子」というものはそもそも「すかすか」のもので、そんな原子の集合体である「この世」なんて、自分も含めてすっげー「すかすか」やん。
中性子星やブラックホールならまだしも、太陽の中心だって「すかすか」なわけで、いかんせん私の体なんてすっかすか。
なのに、この世が「すかすか」に見えないというところで、そもそも「何か」を見落としている。
そして、そのすかすかな肉体に在る「私」が「私」と認識しているものは、エゴまたは業想念の集積みたいなものなんだろう。
決して霊的本体そのものでは、ないと思う。
そう考えると、なにやら非常に不可思議な世界の不可思議な存在なんじゃねーのか?「私」って。
だからと言って、「私」は「私」が決して不必要な存在でも邪魔な存在でもないと感じてます。
本体を顕すためには四六時中騒がしい「私」を黙らせる必要はあるけれど、だからと言って不要な存在とは思えないのです。
必要な存在なんだけれど、たとえて言うなら『躾けがなっとらん』のですな。
まぁ、その『躾け』の方法はそれぞれのご縁で教えていただくとして(私はもちろん五井先生のお祈りだけど)、やっぱり最初の疑問に戻るのでした。
「私」って何?
本体とは違うであろう、「私」を「私」だと認識している「私」って何?
エゴの私。業想念の現れである私。
それは分かってるんだけど、そういう認識を知れば知るほど、更に疑問は深いところから発せられいることが分かってくるのです。
どんどん深くなる~~~~~……。
答えはまだまだ遠いような気がします。(当たり前か。)

【mixiより転記】お父ちゃんのライトワーク

【mixiより転記 4月4日】
お父ちゃんのお百姓仕事というのは、自然農を基本にしています。
借りた田畑で3年間お百姓仕事をしてみて、自然農の川口先生みたいにすべてを自分の手でするのではなく、多少は機械も使うことにしたようです。
とは言っても、とても小さいサイズの機械で最低限のことをするだけですから、周りの農家さんのようなお百姓仕事とはやはり全然違います。
私はと言えば、妊娠中にお手伝いをしていましたが、今はほとんど野良仕事はしていません。
自分たちが食べる分の収穫を時々している程度です。
それでも、野良仕事の気持ち良さ、田畑にただ居るだけでも何か浄化されるような心地よさ、という経験は、少しずつ私を変えていくのに十分でした。
2週間前に、お義母さんから茄子とミニトマトをもらいました。
近くの農家さんからのいただきものだそうです。
「なんで3月なのに、夏野菜があるの?」
ありがたくいただきましたが、妙な気分でした。
ハウスの中でガンガン灯油を焚いて育てられた茄子やトマト。
夏になれば路地でいっぱいできるのに、わざわざ灯油を焚いて作るのって、やっぱりオカシイよ。
ほとんど季節の野菜ばかり食べている生活が続いたおかげです。
街に住んでいた頃には無かった感覚です。
しかし、話はそれだけでは終わりませんでした。
それ以来、どうにも「気持ち悪さ、居心地の悪さ」がつきまとうようになりました。
おかげさまで、知り合いの人たちから、ウチのお野菜を売って欲しいとぽつぽつ言われるようになりました。
自然農の場合、土が良い状態になるのに時間がかかります。
何年というオーダーです。
動物性の完熟堆肥とかも入れませんから、時間がかかるのです。
それでもようやく、お父ちゃんも今年からはもっとたくさんお野菜を作れそうな気がする、と言い始めました。
でも、私は気持ち悪かったのです。
自分のため、子供のために、自然なところで育った良い野菜を食べたい……。
それを、お金で買う。
それが気持ち悪く感じたのです。
なぜって、それはエゴだからです。
自分は街の中にいたままで、自然農の野菜が食べたいなんて、エゴです。
欲しかったら自分も自然の中に入るべきです。
でもね。
そういうエゴは、私もいっぱい持ってるんですよね。
だから気持ち悪かったのです。自分自身の中にも在るから気持ち悪くて仕方がなかったのです。
もともと、お父ちゃんが農作物を販売することで生計を立てるというのは、自然農を続けるうえでは難しいと思っていました。
どうしても妥協が多くなると思うからです。(ちなみにウチは今まで貯金を崩して生活してました。)
でも、それとは次元の違うところででも疑問に感じるようになってしまったのですから、なんだか日々悶々としてしまいました。
お父ちゃんも、その居心地悪さはずっと感じていたそうですが、今年になって抜けたようです。
でも、今度は私が陥ってしまったわけです。
さて。
ゆうべのことです。
そんな悶々とした私が寝入る前にエネルギーワークをしていたら、なんだか自分自身が「エネルギーが通る筒」みたいに感じられてきました。
どんどんエネルギーが通っていくような感じです。
なんだか肉体の輪郭もボヤけてきました。
その中で、観音様なのかミカエルさまなのか定かではないけれど、高次の存在が教えてくれました。
お父ちゃんの作るお野菜は、素晴らしい自然農という想いの中で育っていくのだから、それだけでも波動が高いのです。
それに加えて、お父ちゃんが世界平和の祈りをこめて、人類の目覚めへの祈りをこめてお仕事をすれば、そのお野菜の中にそんな繊細で精妙な高い波動が写されます。
そんなお野菜は、人々の魂の目覚めへの糧となるのです。
涙が出そうになりました。
そうか。そうなのか。
だったら、野菜を売ってもいいんだ。
エゴの居心地悪さや気持ち悪さを感じる必要はないんだ。
これがお父ちゃんのライトワークなんだ。
(お父ちゃんもミカエルに「Remember Who You Are」と言われたからね。うへへへへ。)
ここ2週間ばかりの悶々とした居心地悪さも、これを識るためにあったんだなぁ、と納得しました。
実は、寝る前に、「お父ちゃんにアドバイスを~。」と大天使カードをひいていました。
「Sensitivity」と「Peace」でした。
なるほどなるほど、と後からよ~~~~く分かりました。