似てない兄妹…のハズなんだけど。

確かに、兄妹で輪郭は似ている気がする。おじいちゃん譲りの顎、ってことで。
つむじも同じところにあるし。
でも、アキオの場合、顔の上半分は私に似てるし、その上ダウン症ってことで、つり目のはなぺちゃになってる。
で、口元はお父ちゃん似なのだ。
そしてユリコは、顔の上半分がお父ちゃん似で、口元が私似なのだ。
てことは、2人は似てない兄妹……のハズなんだけど、最近「兄妹でよく似てきたねー。」と言われる。
なんでだろ??
そうなのよ。
2人でいると、全然違う顔なのに、なんだか似てるっぽい感じがするのね。
オーラが似てる……のかなぁ?

早過ぎる寝返り

お父ちゃんについてって田んぼの苗床の様子を見に行ったら、なんとねこにゃん迎撃隊が!
できれば毎日見回りをお願いします。ねこにゃん。
お礼はカリカリがいいですかねぇ?
それとも奮発してお高い猫缶くらいじゃないと失礼ですかねぇ?
さて、ところで。
生後3カ月を過ぎた娘ちゃん。
3カ月突入ちょっと前からシッカリと首が座りまして、さすがダウン症児の兄とは発達のペースが違うなぁ、と関心しておりましたら、なんとなんと、一昨日には寝返りをしてしまいました。
さすがにそれは早すぎるって。娘。
だいたい5~6カ月くらいから寝返りをするもんらしいぞ。娘。
で、昨日は息子の保育園で『赤ちゃん講座』があり、出席したんですが、やはり言われてしまいました。
早過ぎるって……。
でも、勢いをつけて寝返るんじゃなくて、ちゃんと足を上手に使って寝返りをしてたので、それは褒められました。
それでもやっぱ早過ぎることには違いないのよね……。
それぞれの発達段階が短いと、あとあとの発達にも影響するんだそうです。
ハイハイをほとんどせずに立っちゃう子は、大人になってもよく転ぶとかね。
ハイハイで十分に腕を鍛えると、口腔内の環境も良くなるとかね。
いろいろあるんだそうです。
なので、できるだけじっくりと発達してもらいたいのです。
お兄ちゃんはイヤでもじーーーっくりと発達してってるので、ハイハイの期間なんてめっちゃ長かったんですよね。
焦りこそしなかったけど、娘の場合はその逆を心配せんとあかんのか、とちょっと妙な感じです。
とりあえず、保育園で『ゆるゆると揺すって、身体をゆるめてあげる』ことで、じっくりペースになるように手助けしてあげましょう、と教えてもらったので、昨日から娘をゆるゆるしてます。
大人だって『ゆる体操』が良いんだから、そりゃ赤ちゃんにも良いよなーー、と単純に思ったお母ちゃんでありました。

小さい子が2人いる生活

ユリコの首がほぼ座りまして、縦抱きができるようになりました。
楽だねぇ。
でも、それと同時に『ねんね』ばかりの赤ちゃんじゃなくなったわけで、ちょっと寝かせると「抱っこしてー。」とばかりに泣く泣く。
夜は生後1カ月の頃からまとめて寝てくれる親孝行な娘だけど、ここんとこ昼間はまとめて寝てくれなくなり、お母ちゃんは娘を抱っこしている時間がぐ~~んと増えました。
自分で動くことが楽しくなる頃(寝返りができる頃)まで、これが続くのであります。
アキオもそうだったよなぁ~~。
そんな「だっこしてくんないと泣くぞ。」という赤ちゃんが1人だけならまだしも、ユリコだけじゃなくアキオもダウン症児だからどうしても普通の3歳児よりずっと手がかかるし、家事を手抜きしていても、それでもどうしてもお母ちゃんはてんやわんやなのであります。
「あー。もーいや。」
と、言いたくなることもあるんですけどね。
でもね、そこで一呼吸おいて、
「あー。お母ちゃんはアキオとユリコが『お母ちゃんお母ちゃんお母ちゃんお母ちゃん。』と言ってくれるから幸せだわー。2人ともお母ちゃんが大好きなのね~~。お母ちゃんもあんたたちが大好きよーー。」
と、言うんです。
そうすると、大変なのは変わらないけれど、いやんなっちゃうわ、という気持ちが言葉に引っ張られて幸せだわ、という気持ちになるもんなんですよね。
お母ちゃんがそういう気持ちになると、私自身だけでなく子供たちにとっても良いに決まってますもんね。
けど、やっぱり精神的な疲れが溜まってますなぁ。
子供たちの様子に常に気を配りながら家事をこなしていく、というのは、体力的というより精神的な疲れの方が溜まりやすいなぁ、ということをしみじみ感じる38歳のお母ちゃんであります。

神様降臨

一昨日、お父ちゃんについていって、保育園に息子を迎えに行きました。
そしたら、保母さん2人が『今日のアキオ』ってな感じで大笑いしながらその日の笑えるエピソードを3本話してくれました。
そりゃウチではアキオの言動ってすんごーい面白いんだけど、保母さんたちも大笑いながら話してくれるくらい保育園でもアキオの面白さ炸裂みたいで、母ちょっと嬉しいわ。
で、その次の日(昨日)の朝でございますよ。
お父ちゃんがアキオを連れて登園したら、子供たちがやってきて、
「笑いの神様、来た~~!」
と、言ってたんだそうです。
笑いの神様……。
すごいなぁ。アキオ。
3歳にして神様だって。それも笑いの。
母、一生息子についていきます。

娘の名前が決まりました。

天赦日の昨日、娘の出生届をお父ちゃんが出してきました。
夕里子(ユリコ)と名付けました。
今回もお父ちゃんがい~~~っぱい名前を持って、例の先生に観てもらいました。
以前、女の子の名前を全部イヤがられて、男の子の名前で素晴らしいのがあったとココに書きましたが、やっぱり『理屈の世界に降りてこない』ってのは、現実には使えないってことだったんですねぇ。
その名前は『亨朗(ユキオ)』っていうんですが、『夕里子』の特徴を聞いていると、亨朗とオーバーラップする部分がとても多かったです。
賢くて、天からの恵みである『喜び』が常にある…んだそうで、総画の良さが『どことなく品のある子』にしてくれるんだそうです。
お母ちゃんも娘を見習いたいと思います。
あ、それから。
女の子だけど、跡継ぎ(お墓を継ぐってことですね。)の性質があるそうで、それも男の子かねぇ、という話の流れになっていった要因の1つでもあったみたいです。
そんなユリコちゃんですが、オッパイをたくさん飲んでウンチもたくさんしています。
さっき、人生初のオッパイゲロしてました。
飲み過ぎやっちゅーの。
それでもね、ユリコはいいんですよ。
問題はアキオです。
すげー荒れてます……。
例の先生に観てもらったところ、アキオからするとユリコは相性最悪なんですって。
だからものすごい荒れてしまうのだそうです。
しかしこれはアキオの修行のためなんだそうです。
どうしてもね、知的障害のある子にとっては、成長するにしたがって人づきあいが難しくなってくるんですよね。
けれど、身近に常に気に食わん奴がいるという状況で、それを受け入れて認めていくという修行を物心つくかつかないかのうちからすることで、アキオが社会に出る時にそれが大いに役に立つんだそうです。
ちなみに、ユリコからするとアキオは大好きなお兄ちゃんになるんですって。
ううう。健気な娘ぢゃの。
てことで、名前が決まったという報告でありました。

人間はすぐに囚われてしまうものなんだけど。

去年の11月から息子が保育園に通うようになったわけですが、それからというもの、お父ちゃんと私の間では保育園のことがとてもよく話題になります。
もちろん、基本的には良い保育園だと思ってます。
おかげさまで、息子も以前より喜んでたくさんお野菜を食べるようになりましたし、テレビをほとんどつけない生活にもなり、テレビっ子だった私までなんだか『時間』というものへの感覚が変わってきたし、なにより息子がいろんな面で刺激を受けてるねぇ~、という感じの成長っぷりを見せてくれてますし。
それでもですね。
やっぱりいろいろ「ん?」と思うことはあるんですね。
特に感じるのが『発達』に対しての考え方の違いです。
確かに、子供の発達において、なるべく良い環境で良い刺激を与え、好ましくないものは遠ざける……というのは大切なことだと思いますし、特に障害児については『できることがたくさん増える』というのは、その子自身にとっても『生き易さ』につながるであろう、ということは明白なことだと思います。
思うんです、が。
そこに囚われてしまうと、今ここにいるこの子が、ここにいるだけで『完全』であることを忘れちゃうと思うんです。
違う意味での早期教育になっちゃってるんじゃない?と感じることが多々ある、というわけです。
そんな時、五井先生の言葉を思い出します。
光りに住して、光りに囚われず。
真理だなぁ、と思いますね。

マメジロウの名前、大決定。

アキオん時も名前を決めるのに、例の先生のところに相談に行きました。(ココ参照。)
あの時は結果的に生まれる10日前に決まったんですが、今回は予定日より早く生まれるだろうと思いまして、実は年末に1度先生のところに相談に行ってきました。
そして、アキオん時と決定的に違うのは、性別がハッキリしていないことです。
なので、年末の相談の時には男の名前と女の名前の両方の候補をたくさん持って行ったのですが、
「んーー。女の子の名前だと、みーんな同じような反応するなぁ。違うって。…多分、男の子だなぁ。」と言われました。
そいでもってなんとなんと、本人(の魂)から「総画41画でよろしく。」と言われちゃいました。
その意味はいろいろあるのですが、お父ちゃんはパスしていた画数だったので、またまた一回では決められなかった、というわけでした。
で、本日再び先生に新しい候補を観てもらったのですが、またまたありました!
飛び抜けた、『次元を超えた』名前が1つだけありました。
簡潔に言うと、天真爛漫で賢く、人生を楽しみながらチャレンジし続ける……という名前だそうです。
漢字二文字の名前なんですが、そのうちの『亨』という字がとても不思議な働きをしてくれるそうで、先生曰く「理屈の世界に降りてこなくて、まるで1文字の名前みたいになるんだよー。」とのこと。
理屈の世界というのは、おそらく言語化できる『この世的』な姿を映す部分のことだと思うんですが、そこに降りてこなくて、上の次元に留まったまま……っていうイメージみたいなのです。
ですから、まさに『次元を超えた名前』でして、良い意味で先生にも把握しきれないんだそうです。
(ただし、当然のことですが『亨』という漢字を誰がつけても同じような働きをする、というわけではないです。)
また『賢い』というのは、ちっちゃな自分の想いに囚われた『考え』なんぞに固執せず、本当のことを見抜く目を持っている、ということなんだそうです。(羨ましい……。)
年末の時に教えてもらってたのですが、お腹の子は自分の天命をハッキリ自覚して生きていく魂なんだそうで、その魂の邪魔にならんような、魂にピッタリくる名前をつけてあげたいねぇ、と話していたんですが、こんな良い名前が見つかるとは、本当にありがたいことです。
で、ですよ。
お父ちゃんが、子供の名前を一生懸命考えているうちに、自分の名前がどーにもひっかかったんだそうです。
それで、子供の名前もすぐに決まったので、最後に自分たちの名前を観てもらいました。
お父ちゃんの場合、本人が感じたとおり『あつ・き』の『き』の漢字がイマイチでした。
欲張りになっちゃって、やりたいことがいっぱいありすぎ~~っていう状態になるんだそうです。
で、私の場合ですが……。
想像以上にダメダメでした~~。
「これは可哀相だなぁ。」と先生に何度も言われました。
うえーーーん。
『よし・み』って名前、昔っからな~んか違和感があったんですけど、そんなにダメダメだったのかーー、と笑ってしまいました。
どうダメかを簡単に言いますと、『よし』は先祖の因縁を受けやすいですし、『み』は私の悪い部分を引き出しやすいんだそうです。
なので、先生に「あなたはこうこうこういう感じになりやすいでしょ?こういう部分があるでしょ?」と言われることが
本当に笑っちゃうくらい「そのとーーりです。」ってことばかり。
あー、名前ってコワいわ~~、と、あらためて思い知らされました。
というわけで、夫婦共々通称を変えようと思っております。
てか、変えなきゃ。

36週の検診

臨月突入一回目の検診でした。(臨月になると毎週検診となります。)
内診でまたもや先生が「あなたはものすごく安産傾向が出てるね~~。」と感心してくれました。
おかげさまです。ありがとうございます。
超音波診断でも、赤ちゃんがとても元気らしくって、「赤ちゃんもとても元気だし、言うことないねぇ。」とのお言葉。
ほんとうにおかげさまです。ありがとうございます。
妊娠期間中、ずーーーっと赤ちゃんが元気なのがなりよりです。
ただ、ね。
ウチから吉村医院までは車で1時間前後かかるのです。
渋滞する時間じゃなかったら、1時間弱なんですがね……。それでもやっぱ少し遠いよね。
けれども、どうやらお産の進みがアキオの時より早くなりそうな感じなので、ちょっとドキドキなのです。
「車の中で出産ってことはないと思うけど、水が降りてきたり、出血したり、陣痛かな?と思ったら、すぐに連絡してきなさい。それで、取るものもとりあえず来なさい。」と、言われちゃいまして……。
わお。
んー。
アキオの時は、夜の7時くらいから陣痛が始まって、そこから夕飯を作って食べたり、古新聞をまとめたり、お風呂に入ったり……で、入院が夜中の1時だったんですよね。
で、生まれたのが朝の4時半。
前半は結構余裕だったんだよなぁ~~。
しかし、今回は『つるん』と生まれてきてくれそうな感バリバリなので、余裕は無いかもしれません。
はてさて。
どうなりますやら。
ワクワク半分、ドキドキ半分であります。

赤ちゃんの産着

先月実家に帰った時、アキオのお下がりばっかりじゃマメジロウが可哀相だからと、オカンが「産着を買ってあげなさい。」とお金をくれました。
なかなか買いに行けなかったのですが、昨日ようやくサティの新春マタニティ・赤ちゃん用品バーゲンで産着やら上着やらを買ってきました。
アキオの時は名古屋三越にあったキムラタランの某ブランドで揃えたのに、えらい違いですな。
(あのころはまだ私が働いていて、お金があったから~~。うほほほ。)
で、今日はそれを洗って干したのですが、取り込んで畳みながら思いました。
……新生児ってどうやってお世話してたっけ?
というわけで、お父ちゃんに聞いてみました。
「あたし、どうやって新生児のお世話をしてたっけ?」
するとお父ちゃんが言いました。
「オッパイあげてた。」
そうやね。
それが一番のお世話やったね。
またオッパイライフが始まるわけですなー。うはー。

『おとしどころ』が見えた瞬間。

今日の午前中に、園長先生とデイサービス担当の先生に私達の考えをたくさん聞いてもらい、保育園側の考えもいろいろ教えていただきました。
『信念』が『正解』であるかどうかなんて、凡人の私には分からないことですし、『信念』の裏付けとなっているものが『本物』かどうかなんてのも、凡人の私には分かりません。(自分の中でさえ、五井先生のお祈り以外のものを『真理』だと言い切れないから。ていうか、それさえ『真理』だと分かっていれば十分なのかもしれないけど。)
ましてや、誰が正しくて誰が正しくないかなんてことも、全て相対的なものであることも分かっているので、相手も真剣であればあるだけ、自分の中での整理がなかなかつかない、という状況が長引くわけです。
つまり途中、自分の中でも『おとしどころ』が分からず、どういう判断を親としてするのが良いんだろう?と軽く悶々としてしまったということなんですが、最後の方になって突然ポンとみんなの前に『おとしどころ』が現れまして、一同パッと明るくなりました。
あの一瞬で変わった空気感、面白かったです。はい。
結論としましては、お昼寝の後に特にガタガタ震えるので、どうしても寒い時はお昼寝の後にオヤツ(これももちろん園での手作り)を持って帰る、ということになりました。
その頃に迎えに行って、大丈夫そうなら一緒にお帰りの時間まで一緒に園にいればいいしね。
慣れてきて、みんなと一緒に身体をガンガン動かすようになれば、また違ってくるだろうし、それでも真冬にダメそうなら、その時に考えてみようと思いました。
とにかく、臨機応変に、ということです。
やっぱりね、アキオにとって得るものが非常に大きい場所だと思うんですよね。あそこは。
そして、今日の午後。
お昼寝の後、またガタガタ震えるくらいになっちゃうのかなー?と思っていたら、今日はみんなと一緒にマットの所に行きまして、ロールマットにも乗っちゃいました。
先生に身体を緩めてもらったり、みんなの真似してハイハイみたいな運動(正式名称を知らないんで…。)をしたりと、ちょっとずつ馴染んできたようでした。
結構身体を動かすことができたので、さすがに前の時のようにガタガタ震えてオシッコをちびちびちびちび漏らす…ということはありませんでした。(いや、もちろん何度か漏らしてたけど。)
なので、そのままみんなとオヤツも食べて帰ってきました。良かった良かった。
基本的に、神仏のご加護が厚いアキオは「勝手に良い方向に育つ」と思っているので、親が余計なことをしないように、とは思っているのですが、それでも親はお世話係として大小さまざまな『判断』をせねばならないわけです。
しかし、何事も『丁度いい塩梅』を瞬時に判断する、というのが本当に難しいことだと、子育てをしながらつくづく感じますね。
それも、五井先生のお祈りをしているうちに、さらにさらにもっともっと霊性が向上していけば、自然と『分かる』ようになることなんですが、まだまだまだまだなお母ちゃんなのであります。