冬至によせて。

自分は愛される価値がないだとか、
自分はダメな人間だとか、
自分なんて、自分なんて………
って、言う人もいっぱいいるけど、
おなかいっぱいにごはんたべられて、あたたかいお布団で寝られるなら、
それだけで「誰かに十分愛されてる」って証なのにね。
去年だったかなぁ。
北朝鮮に潜入して市民を隠し撮りした映像を、ニュース番組で観たけど、
すごく寒いのにボロボロの服を着て、親が死んでしまって孤児で物乞いをしている小さな男の子が映っていて、
あたしは、泣けて仕方がなかったよ。
あの子にどうかおなかいっぱい食べさせて、あの子にどうか温かいお布団で寝かせてあげて、……って、泣けて泣けて仕方がなかったよ。
同情だって、愛のひとつだもの。
彼だってそういう「物理的変化には届かない愛」で愛されてたのに、
おなかいっぱいになって、温かいお布団で寝ている自分が、愛されてないわけないし、価値がないなんて思う必要なんてヒトカケラもないのにね。
あたし、魔法みたいに「アセンション」で世界がガラリと変わればいいのに、って思う気持ちも確かにあるの。
それは、自分が肉体的苦悩から楽になりたいからじゃなくて、世界中の不幸な子供たちが救われるような幻想を抱いてしまうからなの。
そんな不幸な子供としてでも生まれてきたかった魂の意志は尊重すべきだと分かってるけど、
いつもいつもおなかすかせて、寒いところで寝てる子供が1人でもいる世界なんて、やっぱりイヤなんだなぁ……。
「オカンな私」はそんなふうに感じてしまいます。
愛してるよ。
冬至によせて。
2011年冬至の扉

「愛されて当然」

土曜日に、月の娘ちゃんが定例でまた遊びに来てくれましてね。
今回はマイミクのなおぴむんも連れてきてくれましてね。
今回は、なおぴむんを関ジャニ∞に洗脳しようというのが一番の目的だったわけですが、
ウチの子はすっかり月の娘ちゃんになつきまくってるので、すごく遊んでもらいました。
んで、月の娘ちゃんに子供たちの相手をしてもらってる間、
私が夕食作ってるところになおぴむんを連れてきて、ちょっとマジメな話を2人でしてたんですよ。
いろいろね。
その時の会話の中で、私が言い放った言葉なんですがね。
あたしね、自分は愛されて当然だって思ってるから!
って。
そうなんですよ。
女性性のブロックがぽろっと取れたら、そーゆーのがあるって分かったんです。
それは、美人がタカビーな感じで言うようなものじゃなくて、
たとえるなら、赤ちゃんを見たら多少ぶちゃいくだろうがなんだろうが、かわいがっちゃうでしょ。
そーゆーのに似てます。
本来は誰でも愛されて当然、みたいなね。
でね。
私はブロックがあったせいでそれの一部分が隠蔽されてたって感じなんだと思うんですが、
それでも基本的なところでは、ほんのりとそーゆーのを感じて生きてたような気がするんです。
もちろん、私のことを嫌う人だっていたし、こー見えても実は隠れ人見知りで人付き合いが得意ってわけでもないし、
「あたしって愛されるタイプだから~。」なんてのーてんきに生きてきたわけじゃ決してない……というか、社会人になるまでは人との微妙な距離感の取り方で悩むことが多かったくらいだしね。(←オープンなのかクローズなのか自分でもよく分からん性格だったのだ。)
それでもね。
どこか心の深いところでは、愛されて当然というのがほんのりあったんだと感じるんですよ。
だから、これと言って学校や会社の人間関係ですごーくイヤな想いをしたってことが無いんですよ。あたし。
多少のゴタゴタはあってもねぇ、そんなのねぇ、よくあることだし。
本来はみんな持ってる「愛されて当然」っていうのが、生まれて持った性格と育った環境の影響で、どんどん奥の方へ奥の方へと追いやられてることが多いのかもなー、って、なんとなく思ったです。
で、その「愛されて当然」がほんわかとでも自分の心の表面近くまで届くなら、やっぱりそうなるんだろうし、
がっつり隠蔽されてるなら、どうしたってそうはならないだろうし。
どうせならね、本来持ってる「愛されて当然」っていうのが、ぴかーーっと顕れるようになりたいよね。

原因不明の至福感

まずこちらをお読みくだされ。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/017f4bf4ca6d41fb56efc4805affb97d?fm=rss
前々からそりゃたまにあったんだけどね。原因不明の至福感って。
でも、そいやここんとこ増えてるよなー、と思ったのですよ。
なので、ついったーとかmixiのつぶやきとかで「愛してる」って言ったり、
mixiの日記にも「胸から小さい花がいっぱい零れてくる~。」って書いたりしてるんですがね。
あれはかなり原因不明の至福感が強い時なんですわ。
あれって、ほんとーに理由がなにもない至福感なんですよ。
別に関ジャニ∞のせいでも松潤のせいでもないんだな。
まぁ、彼らにはめっちゃ幸せにしてもらっているのは確かなんだけど、でもそれじゃないんだなぁ~。
で。
体調がよくないってーのは、いつものことだからこれは分からなーい。

久し振りにサビアン占星術の本をひっぱりだしてみた。

もう何年前になるか覚えてませんが、
「サビアン占星術」ってのをたまたま知って、
名古屋のデカい本屋でたまたまサビアン占星術の本を見つけたので買ったんですね。
もちろんちゃんと理解するにはあまりに説明が難しかったので、
ネットで自分の度数だけ出して、その度数のところを読んで「へーぇ。」って思うってだけでした。
ちなみに。
私は太陽が山羊座の30度。
高度な決定をしなければならない人々の国際的問題に関する秘密の会合
だそうで、
説明には
このディグリーの人は、強い社会的なパワーを発揮するようである。重役や経営者になったり、実力のあるキャリアウーマンになったりする。
この人たちは能力を思い切り仕事で表現しようとして生まれてきいているが、自分が技術者になるより総合的マネージャー役を果たそうとしている。
生活は保守的傾向が強く、伝統的な価値観を安定して生きる人が多い。
(以下略)』
などとあります。
ほんとはがつんがつん仕事せんとアカンらしい。私は。
実に男性性の強い太陽度数ですな。
(そいえば10室だぞ。あたしの太陽。)
かと思えば、
月は水瓶座の27度『新鮮なスミレで満たされた古代の陶器の器』で、
このディグリーの人は、高度な感性、繊細さと美を求める指向性を持ってこの人生を生きようとするだろう。
それでないときは華やかなことを好む生活をする。名声だけを求める人もいるが、本質的にはこの人は輪廻の中で、非常に精妙なアストラル体を育てあげており、それが奥深い芸術や文化への理解、高貴さとなって現れてくる可能性がある。
性別の男女を問わず、この地球の最高度の女性原理に達しているともいわれ、神経質で傷つきやすい面はあるものの、通常ではキャッチし得ない波動をとらえることができる。
(以下略)』
と、なんやらめっちゃ女性性が豊かっぽいらしいんですわ。
自分で自分の度数を「おもしれーなー。」と思ったもんです。
たくさんさまざまな人生を生きてきて、男性性も女性性もせっせと育ててきたのかもしれんですね。あたしの魂は。
で。
星読み見習いの友達とのメッセのやりとりにサビアン占星術の記述が出てきたので、
めっちゃ久し振りに本をひっぱりだしてみたんですね。
んで、以前は読みとばしてたところをチラリチラリと読んでいたら、
水星の説明の中に、
そう考えれば、水星は人格の考えというより、今回のアストラル体が今回の人生をうしようと考えたことに思えてきます。もしそうなら、私たちはアストラル体に考えさせられていることになります。水星にはその最初の考えというところと、半分は無意識というところがあります。
とあったんですね。
なんとも興味深い説明じゃないか~、と思いまして。
では私の水星はというと、水瓶座の17度『番犬が、彼の主人と財産を見張っている』でして、
このディグリーの人生は、自由を制限されて辛い義務を果たさなければならない傾向があるだろう。
自分の理想を閉ざされ、人生の一時期は耐えなければならず、アストラル体のレベルから見ればそうすることで著しくエネルギー増量を果たそうとしている。
多くの時間が、仕事などの義務に当てられるとこが多い。自分の人生はこのまま終わるのかと不安に感じるかもしれないが、カルマ的な義務が一時期に集中すると一気に解放されてしまう人をよく見受ける。
そうすることこの人はこれまで夢見ていた価値観を追求するか、新しい価値観を見いだして再生する可能性がある。
その時は理想的なグループや人間関係を持つようになるが、それまではこの人は強く生きなければならない。
なぜならば、この義務の期間には敵意や反感を持つ人々に会ったり、取り込まれることが予想されるからだ。
傷つくこともあろう。これも感情とエゴの脱却のプロセスのことと知っておいて欲しい。その後の人生を輝かしいものにするためには、むしろエゴが傷だらけになったほうがよいとさえいえる。そしてある日エゴの被害者的て妄想がぽろっと抜け落ちて、反転したように安らぎや真実の自分の情熱を知るようになる。
徹底的な自己信頼が鍵になる人生であろう。

とありまして…。
以前にも読んだハズなんだけど、その時は何を感じたのかすら覚えてませんが、
今あらためて読んで、まったくそのとーり!と、思いました。ええ。ほんと。
20歳になる直前からずーーーっと体調がめっちゃ不安定で、やりたいこともいっぱいあきらめて、
あきらめてばっかりいたら、自分のやりたいことが何なのか分からんくなってきて……ってのも、アストラル体がそうしようとしてたのね、って思えば、まーいいかー、って思っちゃいます。
そして自己信頼が鍵ってのも、よーーーーーく分かります。痛いほど。
でね。
もひとつ。
海王星。これもすっかり忘れてましたが。
海王星は人生への指針であり人生のアストラルレベルの計画である。従って慎重に調査分析されねばならない。ときとしてアストラル体の弱点となることもあり逆に長所ともなる。意識化がどうしても必要な惑星である。霊的成長はこの星が司る。
とあり、では私の海王星はというと、
蠍座29度『インディアンの女が自分の子供の命乞いをする』でして、
このディグリーの人はこの人生で、深い悲しみを味わうことになるだろう。
それはエネルギーとして、この地球での最高度の悲しみであり、究極的な愛のエネルギーの純粋さである。この人生で、その純粋愛に達しようとしているのである。
純粋で高次の愛は、この次元ではこのような深い悲しみとなるのである。
それは文字通り、ハートを揺さぶるであろう。
ヨガでアナハタ・チャクラと呼ばれる通常は閉鎖されている宇宙愛のチャクラがノックされることになる。
この人は、エゴの愛を突き抜けてゆく。
エゴの次元に戻れば、再び耐えがたい悲しみとなるが、エネルギーを絶望の淵から立ち上がるように上昇させれば、至高の空間の愛、愛そのものである想像の源泉に触れることができる。
その意味でこのディグリーは最高のスピリチュアルディグリーで、多くの聖者たちが持つことも頷ける。
アストラル体は成長というより、飛翔するといってよい。
それゆえ、この人たちは悲しみから逃げてはいけない。あらゆる逃避は役に立たないのは明白なことだ。
宇宙はこの人に覚醒するように促しているからである。あらゆる情緒や感情のレベルを超克して、すべてを包み込む巨大な愛に回帰するように語りかけている。それは天へのステップだ。
自己愛が残っていれば、この悲しみをぬぐい去ることは難しいかもしれない。
それでも、この人生は至高の愛と共に歩む人生なのだ。

と、こんな壮大なことが書かれてました。
覚醒がどーの宇宙の愛がどーの……は壮大すぎるんですけど、
でも、深い悲しみを味わうようにアストラル体が設定してたのかー、と思ったら、これまた、
「んじゃ、しゃなあいねー。ま、いいかー。」
って、思えました。
不自由さや深い悲しみが、今の私を形作り、熟成してくれているのね。

「ほんとうの私」と「魂のブループリント」……その4

(つづき)
「ブループリント」というと、私の場合は某社にお勤めしていた間に主に従事することになった「マニュアル開発」における「マニュアルブループリント」というのをまず思い浮かべてしまいます。
(会社辞めてもうかなりの年数が経つのにね~。)
このマニュアルはどのような目的で使われるものか、
そして、どのような内容にするか、を示したもので、結果的に目次とそのおおまかな内容が書かれているペーパーとなります。
はじめて「魂のブループリント」という言葉を目にした時、反射的にそのペーパーのようなものをまず思い浮かべました。
このような目的の人生にしよう、
そのための土台はこんな感じで、イベントはこんなふうに起こるようにしよう……というものなのかと思ったのです。
確かにそのような部分もあるようなのですが、しかしもっと「大きなもの」なのだろうな、と、usamimiさんの記事とバシャールの本を読んで思いました。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-1149.html
で、usamimiさんが以下のように書かれています。

魂のブループリントの根幹となる、「その人ならではの魂紋」とでもいえばいいのでしょうか。指紋や声紋のように、1人として同じ人がいない、その人ならではの特徴と個性を顕す、魂の波形がコア(核)にあります。
そこを基点として、転生を通じてどんな人生を送って行くかの指針、その指針を現世で実現するために有用な人との出会いや経験することに同意したエネルギー的な設定などが続きます。
すごく大雑把にいうと、核の部分、つまり魂の波形そのものは、変化させることができません。これは永遠にその人に固有のもので、変わることがないものです。
それに続く設定各種でも、ディバインタイミングと呼ばれるイベント(←という括りも相当、大雑把で、実際はもっとこまかく性質が分かれるのですが)は、輪廻転生システムに組み込まれた(=輪廻転生システムに則って生きることを選択した)状態だと変えることができなかったりします。
ただ、モノによって、「(~という神聖な計画を実現するための1つの手段として)この人とこんな出会いをして、こういう関係を築く」といった、枝葉末節寄りの設定のなかには、変更可能なものがあります。

また、バシャールの本には以下のように書かれています。

そして実は、みなさんがふだん「現実」と呼んでいるものは「現実」そのものではないのです。
唯一、本当にリアルな現実、「本当の現実」とは、この「無条件の愛」の波動のことです。
そして、みなさんが「現実」と思っているものは「現実の経験」でしか無いのです。
「無条件の愛」だけが唯一リアルなもの。
みなさんは、それを自分の持っている観念によってさまざまに経験しているにすぎず、その経験を「現実」と呼んでいるのです。

                            ***

さて、地球上の人々は、この人生で探求しようと選んできたことを「人生の目的」とか「使命」という言い方をしていますが、私たちはそのことをただシンプルに「全般的なテーマ」と呼んでいます。
なぜなら、私たちが知っている限り、この人生でみなさんが持っている唯一の目的や使命は「できるかぎり自分自身でいる」ということだからです。

そして、usamimiさんがさらにこのように書かれていました。

また、これはすごく混同されやすいのですが、
魂のブループリントそのもの
と、
魂のブループリントを基に構築された、ライトボディなどに由来するエネルギー結晶
を同一視してしまう人たちも、なかには、いるようです。
建物を例にすると、設計図がブループリントだとしたら、それを基につくった建造物が、エネルギー結晶のほうです。
設計図を修正するのか、それとも建造物を改修するのかは、ぜんぜん違いますよね?
エネルギー結晶のほうに手を加えるべきではない、とも私は思っていなくて、むしろ適切に結晶体を解体して再生しなおすのは有益なことが多いです。
(これは、冒頭に挙げたバシャール本にもワークがあります)
というのも、魂のブループリントのとおりに正確にエネルギー結晶体化されたらベストなのですが、歪んだ思い込みや真実からずれた信念などといった「アレンジ」が加わって、いわば不純物が混ざったり形が歪んだ結晶体になっていることがよくあるからです。
これはつまり、
自分の本来の在り方とは違うエネルギーの在り方で生きている
ということです。
そりゃ、
ツラくてアタリマエ
だよね。。。

自分本来の在り方と違うエネルギーの在り方のままでは、そりゃ「世界」はごっちゃごちゃなままで辛いのが当たり前だし、
鏡の法則だからと、相手や世界に映る自分を見てみても、それは「自分本来のエネルギーの在り方をしていない自分」しか見えてこないのですね。
なのに「自分本来の在り方と違うエネルギーの在り方」で生きてる自分を自分そのものだと思ってしまって、「そこを変えていこう。」と思う前に打ちのめされる場合もありますし。
その場合は、なんらかのエネルギーワーク等もうまく活用する必要があるかもしれないかもな、と思いました。
そういう意味でも、「魂のプループリントの波形を転写した水晶」はとても有効な手段となるのかも、と感じました。
図形がフェードアウトしていったなんてのは、ほんとに分かりやすくそれを見せてくれたんだなぁ、と思います。
で、基本的には、
「ほんとうの自分」とはズレた観念を持っていることによって、創り出される「自分が経験する現実」が不調和なものになってしまう……というのなら、
「ほんとうの自分」と合った観念に置き換えようということになるのかな、と思いました。
そのためには、「ほんとうの自分」を再発見することが大切で、
バシャールがいつも言う「ワクワク」というのは、「ほんとうの自分」と一致するものであれば、無条件で喜びが湧いてくるのだから、それを目印にしろ、ということみたいなのです。
もう10年以上、ご縁があってちびちびと五井先生の「世界平和のお祈り」をさせてせらってますが、
五井先生は、このお祈りをしているうちに、少しずつ業想念が消えていって、いつかは本心の自分がぱーっと現れるようになるからね、と言ってました。
お祈りの中の「私たちの天命が完うされますように」というのは、確かに魂が決めてきた課題をクリアできるように、という意味もあると思うのですが、
もう不要となった「ほんとうの自分」とはマッチしないモロモロの想念や信念や思い込み、入り込んでる自分以外のエネルギーをキレイに排出して、魂のブループリントと一致した観念を配することで、自分らしく生き生きと生きること……でもあるのだな、と思いました。
そんなわけで。
ものすごく不調和な部分に目を向けさせられているかのようになっております。
昨日から!(←いろんな図形がうわーと現れて消えていった次の日からよ!)
そして、すごくキモチワルくてイライラしちゃったところで、「ほんとは私ってどうしたいの?」というところを、「あたしバカだからダメ、歳とってるからダメ、身体弱いからダメ、あーだからダメ、こーだからダメ」というダメダメをとっぱらったところで自分と向き合ってます。
すると、面白いですねぇ。
バシャールの言うように、ほんとにワクワクしてくるんですもん。
(そして、葛藤してる部分が何かも、ちょっと引いた目線で見えてくるんです。)
それは、現実離れした妄想を楽しんでる、というのは違うと感じています。
ふつーにしてて、自然にワクワクすることに向かって努力していける人ばかりじゃないですもんね。
ごりごりに不要なエネルギーがからまってて、ワクワクすることが何なのかすら分からなくなってる人の方が多いのかもしれないと思うのです。
かく言う私もそうですし。
ということで、「ほんとうの自分」を再発見するプロセスにいるんだなー、ということを強烈自覚して、深く息を吸って吐いて一歩一歩しっかり歩くように進んで行こうと思います。
(こんな感じでいいかな? >ミのつく御方。)
ちなみに。
自分がそんなごりごりな状態になってると、無意識のうちに子供に自分の自己実現を押しつけることになりやすいかなー、とも思ったりしました。
やっぱり、すっきりキレイになることは、自分のためでもあり、周りの人たちのためでもあり、世界のためでもあるのでしょうね。

「ほんとうの私」と「魂のブループリント」……その3

(つづき)
新月の日に、私の「魂のブループリント」の波形を水晶に転写してもらえたというのは、これもひとつのスタートみたいなものかなぁ、と思えました。
波形転写済のタミエルの剣
子供たちが寝てから、早速水晶を手にしてみました。
エネルギーに対して体感が薄い私ですが、とても細かい振動のような感触があり、続いて、大きなリズムみたいな感触がありました。
あくまで、そんな感じがした、という程度ですが、それでも体感の薄い私にしてはこのような感触を感じるというのはやはり少し特別なことのように感じました。
その後、そのような感触を感じることはありませんでしたが、きっとじわじわと効いてくるものなのだろうなー、と、水晶に触るたびになんとなくそう思っていました。
実は、水晶に転写してもらう4日前に、(マイミクになったらたまたますげーご近所さんだったという不思議なご縁の)めぐみんがひょっこり遊びに来てくれていました。
その時に、いろんなことをおしゃべりしていたのですが、その中で、ちょっと前にめぐみんが受けた「ちゃぴさん」のセミナーの話をしてくれました。
ちゃぴさんは、自分の中に入り込んでしまった「自分以外のエネルギー」をクリアにしていくことが今はとても大切だ、と言ってその方法をいろいろ教えてくれたと、めぐみんが話してくれたのです。
「ほんとうの自分」を再発見していくというのは、そういうことでもあるんだろうな、と思いました。
そして、魂のブループリントの波形に触れ続けることで、自分本来の響きがどんどんハッキリしてきて、自分以外のエネルギーが少しずつ抜けていくということも、「ほんとうの自分」を再発見していく術のひとつなんだろうなぁ~、と思い、転写してもらうことがさらに楽しみになっていました。
しかし、転写してもらった前日から娘がお熱を出し、続けて息子がお熱を出してしまったので、気持ち的にはあまり落ちつかないというのもあり、1日1回少し水晶に触るというだけでした。
そして昨日の夜です。
ようやく子供たちの夏風邪も落ちつき、お布団の上でのんびりゴロゴロしながら大好きな嵐の番組を見つつ、水晶の剣を握っていました。
ですから、リラックスしながら(←もえもえしながら、と言うべきか?)1時間ほどずーっと握っていたことになります。
番組が終わり、パソコンのチェックをちょいとし始めて数分してからでした。
突然、右側の視野の端っこが歪んだようになってきたのです。
疲れ目なのかなー??と思ったのですが、あっと言う間にどんどんどんどん歪みが広がってしまいました。
しかしよくよく見てみると、それは「視界の歪み」ではなく、
光る半透明の「模様・図形」がたくさん右側視野の中に現れていたのでした。
いろんな模様の円錐状の図形がくるくる回転していたり、
赤や青や黄色の小さい棒状の光が並んで、1つのうねうねした形状になっていりしました。。
うねうねの形状のものは何本も何本もあり、まるでDNAだなー、と思ってしまいました。

さすがに「こりゃなんだー?」と少し不安になってきたので、ミカエルに
「私にとって善いものなら放置でいいけど、善いものでないならなんとかしてぇー。」
と、お願いして、少しばかり横になりました。
すると、だんだんと「模様・図形」が消えていきました。フェードアウトという感じに消えていきました。
この間、おそらくほんの5分くらいの出来事だったと思います。
なんだったんだろー????とすごく不思議だったのですが、よくわかんないやー、まぁいいやー、と、アメトーークのいい声芸人を見てゲラゲラ笑って寝てしまいました。
そして、ほんのさきほどのことです。
「昨日のアレって何だったのかなー?」
と、ふと思ったところで、この記事がアップされいるのを見つけました。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-1169.html

魂のブループリントの波形を封入した水晶は、どちらかというと塗り薬側の役目を果たすというか、毒出しアクセサリーのように、身につけていると自分に必要ない波動のエネルギー(それは怒りや悲しみなどの想念エネルギーも含まれます)が、自然と抜けて行くという効き方をするみたいです。

ここを読んで、はっとしました。
昨日のアレって、本来の私以外のエネルギーが抜けていくところを、なぜかたまたま視覚で認識できる形で見せてもらえたのかもしれない………、と思いました。
(つづく)

「ほんとうの私」と「魂のブループリント」……その2

(つづき)
そんな上でも下でもリリースと思しき状態になり、思ったことがありました。
この数カ月、茶飲みメル友とのやりとりを通じて、己の「女性性」の問題に
取り組んでいたこと、
そして、このようにミカエルにお願いした途端の上と下と連動した体調不良とその後の変化、
これらは「ほんとうの自分」というものを再発見するための道程なのかもしれない、と感じたのです。
そう感じた途端でした。
よくチェックしているヒーラーさんのブログのとある記事がアップされているのに気づきました。
その記事の最後には「魂のブループリントの波形を水晶に転写するサービス」を(モニターということで)無料で提供してくれる、と書いてありました。
この記事でした。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-1149.html
私は慎重と言うべきなのか、お尻が重いと言うべきなのか、
無料であってもすぐに飛びついたりということは少ないのですが、
これは今の流れから言って、申し込むべきじゃないのか???と思い、それでも5分くらいどうしようどうしよう…とモジモジした後で、えいっと勇気を出して申し込みました。
水晶を用意し、その写真をメールで送ることで、遠隔で転写してくれるとのことでしたので、まず水晶を用意しました。
すごく気に入ったペンダントトップでした。
そして、「魂のブループリント」というのがどういうものか、というのをもっと知っておいた方がいいと思い、記事に紹介されていたバシャール本も購入し読みました。
このところの流れであった「ほんとうの私」を再発見するというテーマそのものだということをさらに深く感じ入ることとなりました。
すると。
メールをして数日後に、天使の絵と物々交換してもらったりゅーらさんのティアラクラウンの「剣」に転写してもった方がいいと、どうしてもそう思えて仕方がなくなってきました。
タミエルの剣
これは、闇に落ちる寸前にツインにお腹を刺されたタミエルの剣だなぁ、戻ってきたんだなぁ、と感じた…と、以前日記に書きました。
なので、あれはあのままの方が良いのかなー?と思ったので、他に水晶を用意したのです。
「魂」という意味では、タミエルだけの波動ではないからなぁ、と思ったのです。
それでも、どうしてもあの剣にすべきだという気持ちがどんどん強くなってきたので、まだ間に合うならばこちらの水晶にお願いします、と追加のメールを送らせてもらいました。
申し込みが多かったみたいで、私の順番が回ってくるまでに時間があったのが幸いでした。
追加のメールを送ってから数日後、転写しましたというメールが届きました。
それが8月29日の夕方のことでした。
(つづく)

「ほんとうの私」と「魂のブループリント」……その1

7月末に、例の大地震の予言を目にし、
あーもー、なんで大地震の予言なんてするんだよぉぉぉ!って状態にまた陥り、
生まれつきの怖がりなので、こーゆーのってやなんだよなー、とヘタレ全開だったわけですが、
それとはもっと違うところ、心の深い深いところでもモゾモゾしてるのも確かでした。
今までは面倒なのであえて無視してきましたが。
さて、8月に入って1週間ほどしたある日。
首凝りがヒドくなりました。頭痛になりそうなくらいでした。
右の首のつけねのあたりにコリコリがあり、そこが「よろしくない」というのは、名古屋時代に通ってたカイロの先生にも言われていました。
なので、時々そこらあたりをもみもみしてやりすごすのです。
その日ももみもみしてやりすごしました。
すると翌日、そのコリコリあたりがまるで寝違いのような「首をある方向に動かすとキヤっとする痛み」になっていました。
凝ってたんじゃなくて、寝違いしてたのかなー?とその日は思い、とりあえず湿布を貼って様子を見てみました。
しかし、その翌日もダメ。翌々日もダメ。
あ!と気がつきました。
首がパンパンになった日の前日に、私はミカエルにお願いしていたのでした。
「私の右半身って、ほんとに流れが悪いから、流れを良くしてよ。ちょっとくらいの苦痛は我慢するから。あまりしんどいとか痛いはダメだけど。」
って。
なので、これはそのお願いを聞いてもらってるところなのか……と、思ったのです。
キヤっとする痛みはすげー気持ち悪いし、首が張った感じも気持ち悪いけれど、日常生活はこなせる程度なので、ミカエルはほんとに私の言った程度でなんとかしてくれようとしてるんだ、と素直に思えたんです。
すると、なぜか上のヒトのイメージが降りてきました。
メタトロン系のファウが、右目を中心に包帯ぐるぐる巻きになっていて、
「いつもの庭」の真ん中で、片割れくんに寄り掛かったままぐったりしてまったく動けない状態になっていました。
そして、私のコリコリがある辺りから、右目にかけて、槍か棒で突き刺された過去世の「思い出し・リリース」を、肉体の私の意識ではなく、上のファウが引き受けてくれたんだ、と、根拠ナシでぱっと分かったのです。
またそれは、何かの大災害の時の混乱中に起こった出来事のようだというのも分かりました。
大地震の予言に対して、何か重いシコリのようなものを心の深いところにいつも感じていて、いつもそれを無視していたのは、それなりに意味があったんだなぁ、と、自分の首を押さえつつ苦笑いしてしまいました。
結局、トータルでまるっと1週間かかりました。私の首の痛みがひくまでに。
毎日ちっとも痛みがひかないので、ちょっとばかし不安にもなりましたが、1週間経って、突然痛みが消えました。
すると、長年私の右首のつけねにあったコリコリが消えていたのです。
めっちゃビックリしました。
その後すぐにまたコリコリが再登場してきたのですが、以前より小さくなっています。
痛みが消失して2日ほどして、それまで微動だにしなかったファウにも変化がありました。
すっかり回復し、かなり大人っぽくなっていました。
それまでは、紫と金色という雰囲気だったのが、真珠のような雰囲気になっていました。
(この時に、『ガブリエル・コーティング』のことが伝わってきたのですわ。)
ちなみに、ファウが包帯ぐるぐるぐったりの間、私のもう一人の上のヒトであるミカエル系のタミエルが、ファウに対してなにかヒーリングみたいなことをしていました。
同じ「私という魂」を形成している者同士で、そういうこともあるのか~、と興味深かったです。
(つづく)

かるま

シータヒーラー(だけじゃないけど)のまさるさんのツイートより。
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http://twitter.com/#!/usamimix
人間てサイヤ人みたいなところがあって、痛めつけられると、その分だけ強くなるんだよね。筋トレなど具体的な運動から、人種差別みたいな大きな動きまで全部然り。いったんトレーニングで壊された筋肉がより強くなって超回復するように、たとえばユダヤ人は迫害された分だけ超回復して今に至ってる。
「カルマ」と大きく捉えると難しげだけど、こうした因果応報や作用反作用の仕組みが複雑に絡まり合ったエネルギーの流れ方のこの世の仕組み、と捉えると少しはわかりやすい。カルマシステムは使い方次第で自分にとって敵にも味方にもなる。上手にこのシステムを使える奴は強い。
決して「悪いことをしたら、その分だけしっぺ返しがくる、人間を罰する仕組み」と軽薄に捉えないこと。カルマ的なエネルギーの貯金の仕方を覚えるが吉ね。高くジャンプするときはしゃがみ込んで反動をつけるでしょ?この反動は、高いジャンプの結果を得るための貯金。
**-------------------------------**
1~2カ月前に、茶飲みメル友から、もちょっと違う切り口ではあったけど、「カルマ」についての捉え方について聞かせてもらって、
ああ、なるほどなぁ~、と思ったのですね。
で、今さっきこれを目にして、またしても「ああ…。」とちょいと思うところがあったので、コピペしときました。
ああ。
そうなんだよなぁ~…。
私の中の「これ」もきっと。

いろんな意味で、自分の肉体はほんとに大切にすべきだと思う今日この頃。

ちょいと前からの茶飲みメル友とのやりとりの主題から、
「自分の肉体って大事にしないとな!」
って、至極あたりまえの、基本中の基本にしみじみとしていたところなのだけど、
そしたら、さっき、シータヒーラーのまさるさんが、こんなことをツイートしていたのですよ。
http://twitter.com/#!/usamimix
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なんで自分の体を健康に保つことがよいのかの理由がわかった。まえは、自分のものなんだから、自分さえよければボロボロにしてもいい、むしろそうしてでも他人に尽くすべきではと思ってた。でも違う。この体は授かり物なんだよな。そして体の情報は不変分子を通じて来世以降にも引き継がれる。
サトルボディにも傷を及ぼすような、肉体の病気や怪我をすると、それをサトルボディから癒さないと来世以降にも傷が残り続けるんだ。そして、傷があるということは自分の本来の、神の一部としての素晴らしさを100%体現できてることにならないということ。
人間は、神の一部としての偉大さの顕現が目的で存在してるから、傷が肉体にあるってのは、その時点でアレだよね。そう考えると、お肌の手入れとかヘアケアみたいなお洒落も、崇高で神聖な行為なんだと感じられる。 (まえはチャラいことだと軽蔑してたがw)
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茶飲みメル友とのやりとりでは、「健康」とは違う切り口なんだけど、
ああ、なんかめっちゃ今自分がいろいろ自己探求していることとシンクロする内容なので、ありがたいこっちゃー、こーゆーのを読ませてもらってー、と、ミカエルとかミカエルとかミカエルとかに感謝しとるところです。