久しぶりに「ものもらい」になりまして、久しぶりにいつものクリニックに行きました。昨日。
(そこの先生はもともとは眼科医さんなんですよ。)
去年の秋以来です。
身体がどーにもしんどくて仕方がなかった頃はずーっと月に2回のペースくらいでお世話になってたので、
そう思うと、私ってばかなり元気になりましたねぇ~♪いえーい♪♪
さて。
この記事で、散々「うまく言えないけど、肉体って思ってるよりスゴいんだよー!って、理論とかすっ飛ばして感覚として感じるんだけど、整理できなくて説明できないー。」と言っておりましたが、
すぐにいろいろヒント満載となりました。
まずは、じぇいど♪さん。
メールであーだこーだとやりとりしておったのですが、その中で彼女か自身の昔のブログ記事をひっぱり出してきてくれました。
これです。
http://plaza.rakuten.co.jp/californiajade/diary/201007270000/
もちろん、アップされた当時、読んだのは覚えてます。
ああこういう記事だったね、と思い出しました。
でもね。
その時はね、
これは自分とはかけ離れた世界のお話
みたいなね、そんな感覚で読んでたんですよ。
この感覚、多分、分かってくれる人も多いんじゃないかな、って思うんです。
だってねー、こんなの「普通」やないやん?
こーゆー「導管」みたいなことが「できる人」ってのはねー、
先を行く人たち
であって、今の自分では起こりえないことやーん!
……みたいなね、そんなのがね、無意識のうちにあって、
そういう無意識の「決めつけ」「思い込み」を持ったまま、「へー。すごいなー。なるほどなー。」って読んでる、って人、けっこーいらっしゃいません?
私はそうです。
そうでした。
ここで「羨ましいなー。」とでも思えばいいのかもしれないんですが、私はそれすらめっちゃ希薄で、
いつか…って現世中なのか来世なのかは分かりませんけど、いつかそーゆー境地にも辿り着くんだろうけど、
でもそれは今じゃないし、直近でも無さそうなので、自分は自分のできることをコツコツやるしかないよねー、
という、ある意味「超マイペース」な考え方をしているんです。
下手に「私もああなりたい!」という欲が強すぎると、それはそれでどえらい厄介なので、これはこれでいいとは思ってるんですが、
当事者意識が薄すぎるというのは、やはりちょっと問題なのかもな、と思いました。今回。
あ、それで、話を戻しまして。
いくら「これは先を行く人のお話であって、私には関係ないわー。」って思ってたとしても、
今回の
「普段の『私』だと認識してる意識状態の私」……とは別の、
「観音様モードの私」を、『私』が認識して……というか、観音様モードの私とリンクが『私』とも繋がったといいますか、
とにかくそーゆーふうになりまして、
そして、中二病的表現をすれば、「阿弥陀如来をココに召還した」……
のもね、
天と地をつなぐ導管
だった、と認めざるを得ないわけです。
観音様モードになる…というか、高い次元に在るバカデカいトータルセルフの中の観音様と呼ばれている範囲から任意のカタマリにアクセスした…ことで、天と地をつなぐ導管という役割を果たすことになった、のだろう、と認めざるを得ないのです。
あ。
ここで、なんで天使じゃなくて、観音様で、阿弥陀如来かといいますと、
日本人だからね、「救ってくれるのは阿弥陀如来」という観念が強いからなんだと思います。
阿弥陀如来だから、自動的に観音菩薩になりますわね。
観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身と言われてますからね……って、今こうして書いてて、ビックリしましたけど、
だからあんなに『私』が慈悲深かったのかーーーーー……。
やー、あんなに慈悲深い感覚って、初めてでしたからね。
慈悲深いって、こういうことか、みたいなね。ほんとにね。
あ、脱線ばかりですみません。
それで、ですね。
じぇいど♪さんの記事を読んで、お?と思ったのです。
「天と地をつなぐ」という言葉。
これって、五井先生もゆーてたなぁ、って反射的に思い出しました。
白光真宏会の故・五井昌久先生の世界平和の祈りにご縁をいただいたのが、もう15年くらい前ですかね。
それで、ちまちまお祈りをしてたんですが、
息子が1歳になる頃から、急に五井先生の本を読み始めたんです。何冊も。
これがまた何故か、当時住んでた名古屋のとある街でですね、近所にそーゆーコアな本がたくさんおいてあるコアな本屋があったんですよー。
お祈り貯金が貯まったのか何なのか、それまでは教えてもらったお祈りをただただしてただけなのに、急に先生の本が読みたくなったんです。
それで、講和集みたいな本を何冊か読んだんですが……
ここから半年間がえらいこっちゃでした……。
今でこそ、ネットにもスピな情報がごまんと溢れてますけど、その頃はそんなことなくて、
もともと霊感の強い家族がいて、見えない世界の話ってのは、どっちかってゆーとよく知ってる方だと思ってたんですが、
そーゆーのとも違うんですよねーーーー。
たとえば、金星は(先生はアセンションという言葉は使ってないですが)先にアセンションして、金星人たちは地球人たちを見守り支えてくれてるんですよ、
なんてお話をね、すんなり受け入れられるわけないじゃないですかーーーー。
金星ってどーゆー星か知ってます?
地表面温度が400度くらいあるんですよ?
温室効果で灼熱地獄な星なんですよ?
生物なんているわけないでしょーーーー。
昭和30年代40年代にこーゆーお話をしてるんですよね。
五井先生。
そして、表層意識の私は嘘やーん!って思っても、嘘じゃないって心の深いところで分かっている…みたいな感覚がハッキリしていたので、逃げるわけにはいきませんでした。
そして、自分の中のいろんなものを見直して、壊して、再構築して…というのに、半年かかりました。
科学的思考をする私と、科学の範疇を超えたものを(それまでよりさらに深く)感じて思考する私とが、ちゃんと両立できるようになるための再構築でした。
もちろん、五井先生の言葉とて「方便」なんです。
目覚めていない凡夫の我々に説明するために言葉にしてるものなので、方便なんです。
どの宗教の言葉も、スピの言葉も、すべて方便だと私は思ってます。
けれど、そのたくさんある方便の中でも、私には五井先生の言葉が一番分かりやすく、理解しやすいのです。
この世界というもの、霊魂というもの、人間というもの、神というもの。
それらの「説明」が、私には一番分かりやすいので、私の中でベースとなっているのは五井先生の説明です。今でも。
その五井先生も、ご自身のことを「天と地をつなぐ者」っておっしゃってたよなー、と、反射的に思い出したのでした。
それで、本棚にある五井先生の本を取り出して……こなくてですね、
ネットの海に検索に出かけたのでした。
すると、こんな記事を見つけました。
http://kemono666.seesaa.net/article/262739182.html
↑
長いです。
そして、クセがあります。
なので、読みにくいかと思いますが、よかったら読んでみてください。
これを読むだけでも、かなりいろんなことが「頭で分かる」と思います。
それは、感覚的に分かってたことが言葉になる、という意味でもありますし、まずは情報から分かる、という意味でもあります。
ちょいとばかしお時間を作って、ぜひ。
で、ですね。
ここで言われてるとおり、五井先生は何度も何度も、「肉体は単なる器」とおっしゃってるんです。
このブログ主さんのひっかかりどころがココで、これについて反論しています。
それを読んで、ハッとしたのでした。
そうか。
五井先生は、昭和30年代40年代に、今みたいなスピの知識があるわけでもない、苦しみからどうやって逃れられるのか、を知りたいばかりの人たちに対して、その時の苦しみに囚われないように、こういう方便を使ったんだな…。
と、分かったのです。
当然、「肉体は魂の器」というのもほんとうのことですが、それだけじゃないんですよね。
でも私は、「肉体は魂の器」という部分に、少し強く囚われてたんだな、と分かったんです。
そう分かって、何度も読んだことのあるこの文章を読み返してみると、それまでに感じたのとは違う感覚が沸き上がってきました。
私は常に神々の生命を交流し、自分の本体がどこにいるかわかっています。
肉体でこうしてしゃべっている自分がおります。
しゃべらせている私もいるわけです。
ズーッーーとズーッーーと高い所に五井先生がおって、
白髪であごひげの長い先生がいるんです。
衣冠束帯の格好をしている時もあれば、白髪三千丈ではないけれど、
眼光炯々とした大きな先生もいるわけです。
それはやはり私なんです。
よく村田さんの『霊界通信』に、霊界へ誰かが行くと、
白光燦然として光の中から五井先生が現われます。
「五井先生って肉体に生きているのに、どうしてあっちにいるのかしら」
と思うけれど、あっちにもいるんです。
あっちは本物で、こっちは偽物ではないんだけども、こっちは分生命なんですね。
向こうは神界におりますから、こうこうと輝いて宇宙を照らしているのです。
その神界の光はズーッと肉体に来て、
肉体界の代表として五井昌久という人がここにいるわけなのです。
いうなれば天と地をつなぐ光の柱です。
天と地をつなぐものの、今この私が中心になっているわけです。
皆さんも実は、天と地をつないでいるのです。
そして、このブログに引用されている日月神示のこの言葉がぐあんぐあんと響きました。
「今までの宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、
肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か」
「この世ではそなた達が神であるぞ。
あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。
それがカミと申してゐるものぞ。
あの世の人をこの世から見ると神であるが、
その上から見ると人であるぞ。
あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって、
限りないのであるぞ。
裏から申せば、神様の神様は人間様じぢゃ。
心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな」
肉体は魂の器で、魂が課題をやり遂げたいから肉体に宿る、というのもほんとうなのだけど、
裏から言えば、確かに『肉体なくして宇宙神(創造主)は存在し得なかったのである。』なのだと、思いました。
科学の世界にも「人間原理」というものがあります。
http://jein.jp/jifs/scientific-topics/513-topic34.html
この宇宙が、あまりにも「できすぎている」ので、このような考え方をする学者さんも出てきたのです。
さらに、シュレディンガーの猫ってのもあります。
こちらがすご~く読みやすくて分かりやすいんですが、長いです。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/neko1.html
これが(1)で、ここからどんどん続きます。(4)まであります。
そこからさらに多世界解釈の話につながります。ちょー面白いです。
科学をスピに安易に結びつけるべきではないと思うのですが、これらのことからしても、「裏から言えば、肉体無くして宇宙神は存在し得ない」というのも、なんとなく感じられるんじゃないかな、と思います。
ですからね。
オモテからしか見ていなかったので、先を行く人たちは天と地をつなぐ導管となり得るけれど、凡夫の私はまだまだそんなことないよねー、とお気楽に捉えていたわけですが、
ウラから見てみると、
そーゆー意識に目覚めていようがいまいが、誰もが天と地をつなぐ者
なのだ、と、いうことなんですね。
導管を流れるものは、上から下へも、下から上へも、どっちもあって、
それはどっちも等価なんですね。
って、今、ふと生命の樹が頭に浮かんだので、ウィキペディアを見てみたら、ケテルの説明がこんなんでした。
第1のセフィラ。思考や創造を司る。数字は1、色は白、宝石はダイアモンドを象徴する。惑星は海王星を象徴し、王の横顔で表される。神名はエヘイエー。守護天使はメタトロン。同時に最後の剣として称されるマルクトと通じ合っている。
一番上と一番下が通じ合ってるんですもん。
メタトロンとサンダルフォンなんですもん。
なるほどなぁ…。
てことでね、
じゃあ結論は何なのよ?と問われたらですね、
この身体も精神も心も丁寧に扱って、かつ鍛える
ってことなんですけどね。
とにかく、私は毎日やってる大腰筋エクササイズなどを、これからも続けますよ、ってことですよ!
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