キレイな花を咲かせましょう。

お前の本気はそんなもんか
こんなもん……じゃない……んです…よね?
さて。
いつもなら、もう少し取れるんですけどね。
なのに今年の夏休みは1人になる時間がちっとも取れなかったんですわ~。
今日になってようやく数時間まとめて1人の時間を獲得しましたので、天使の絵を描いておりました。
いえ、民絵屋はいつも夏休みは開店休業なんですが、お店をオープンするというお客様のためにできるだけ早くお届けしたかったので、そろそろ描きたいなー描きたいなーー、と思っていたのでした。
今日は新月だそうなので、ちょうど良かったんじゃないかな、と思います。
おとーちゃんが子供たちをドライブに連れていってくれたおかげです。
集中するのでもちろん疲れるんですけど、すごくスッキリしました。
天使の絵を描く時にはエネルギーが(私的には)大きく動くような気がするので、疲れるけれどスッキリするような感じがするんじゃないかなー?なんて思ったりしてます。

おれは暑くて外遊びの時間が少ないから、スッキリせんぞー。
さてさて。
またしても、タイムリーな内容の記事を読ませてもらいました。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2146.html

で、自分のことを美しく思うというと、とんだ勘違いとか思い上がりと思われやすい風潮もあると思うんですが、そうではなくて、
自分の美しさは、この世界が、人類(祖先はもとより、無線有線いずれもの通信手段を使って互いに遺伝子の情報を共有し高め合うことに協力している、この世に一度でも生きたことのある人類全員)が、自分に恵んでくれたものなのだと、まるで「借り物」のように与えられるものだという考え方があってもいいですよね。
(仮にその美しさが過去生なども通してその人が体現した生き様、それにより獲得した美徳ゆえだったとしても、『そもそもそういう体験をすることができた場を提供してくれた、この世や関わった人々』あってこそ。他の誰も何もないところで体現しうるものではないはずです)
その感謝の1つのカタチとして、精一杯、磨けるだけ磨いた状態の自分の顔を、体を、態度や言動を、そしてそれらを通じて滲み出る心の有り様を、霊的エネルギーの洗練さを、魂の輝きを、せめてお世話になったこの世や人々にはお見せできるようでありたい、ベストを尽くしてお出ししたい……という信条。


と、書かれてありますが、
なるほどなぁぁぁぁぁー、と唸りました。
これは「美」について書かれてますが、もっと拡大して「自分そのもの」についてもこういう考え方をすればいいのか、と膝をぽんぽん叩きました。
そしてそれは私だけのことじゃなくて、誰もがそうなんだろうな、と思うんです。
さまざまな種類の関係性により織り上げられた「私」という存在は、自分で認識している以上のポテンシャルを有しているのが当然なんでしょうね。
素晴らしい「借り物」を与えられているんですよね。
それを認めた上で、そのポテンシャルをできる限り顕現させる努力をする……ことは、感謝の気持ちを現すためなのだ、と考えたならば、そこに傲慢さの入り込む隙間は無いですもんね。
キレイな花の咲く種をいろいろ持たせてもらっているけれど、種のままで終わらせるか、種を植えて肥料や水をあげて育てて花を咲かせるか……なんだと思えばいいのでしょうね。
キレイな花を咲かせることができたら、それはこの世界への恩返しにもなる、と。
てことは、
傲慢になりたくない、って思うことが既にめっちゃ傲慢なんじゃね?
と、思った次第であります。
やだもぉ恥ずかしいったら。
しっかり責任を果たしましょう。

結局は自分を信用してないからモタモタしてるんだろうな。

昨日の日記を書いてから、思い出したので、追記しておこうと思います。
先月書いたこの日記で「セルフイメージが正しくない」ということについて書きましたけど、
この日記を書いた後に、こんなことがありました。
mixiのつぶやきにメモ程度に書いたものをコピペします。

まだお腹の塩梅が良くないのでゴロンと横になって、仙骨ワークとリセットワークしてたら、ぼーーっとしてきて……、親分か誰ぞに「お前が自分の天命(魂の課題?)に本気で取り組むのを無意識で怖がってるから、そういう状態になっとてるんだぞ。」とすこーんと言われて、そんなこと言われても困る。
もちろん、言語外で言われたので、訳すとこんな感じ、という言葉。
「失う」ことを怖がってるそうだ。
精神の範疇じゃなくて、もっと上の方(?)のセルフイメージがしょぼすぎる、とかも言われて、さらに困る。分からんわそんなこと。
そしたら、この前のレタスのことを想起させられて、「小さいビニール袋に大きいレタスを入れようとしてだろ?あれと同じ。」って言われたけど、しょうがないやないか。スーパーに売ってたレタスの横にあったビニール袋が小さかったんやから。
てか、レタスがいつもよりうんと大きいやつを仕入れてくれてたんよね。おいしかったし。
怖くて無意識に制限かけまくってる、ってことなんかなー?でもそんなこと言われてもなー。
めんどくさいなーもう。
(あ、本音がポロリと出てしまった。うっかり。)


上でも下でも正しく自分を評価して、正しいセルフイメージを持てよ、と言われ続けている2015年の夏休み……ってことなんですよね。
めんどくさいから「あたしなんてこんなもんですよー。」と過小評価して安全サイドに倒しまくる、というやり方が通用しなくなってきたということですね。
めんどくさがるな、ってことですよね……。
とほほほ……。
でもさー、
正しく自分を評価するって、すげぇぇぇ難しいんだもんーーー。
めんどくさいよーーーー。
それにさ、やっぱさ、変な方向にプライドが高くなっちゃう危険性だってあるでしょ?
……まぁ、たまたまこんなツイートが流れてきてましたけどね。
https://twitter.com/Psycho_Note/status/630147806641008641
その通りなんですけどね、自意識過剰で傲慢にならないって自信が無いんですもん…。
相変わらず自分を信用しておりませんね。私ってば。
とほほほ……。
そしたらですね、
月子さんから、こんなたとえ話をいただきましてね。
おっぱいのサイズが、たとえば本当はFカップなのに、Cカップだと思い込んでCカップのブラジャーをしていると、
ハミ乳になるだけじゃなくて、胸の形は悪くなるし、姿勢も悪くなるし、内蔵位置も歪ませることにつながり、健康面にもよろしくない影響が出るんだよ。
良いこと何もないの。
正しい認識をして、正しいブラジャーをしないといけないのよ。

レタスよりもさらに分かりやすいたとえです。
ちゃんと正しいおっぱいのサイズを下着売り場のおねーさんに計ってもらうことから、正しい認識が始まるわけで、
だとすれば、正しい自己認識をするためには、信頼できる他人の意見をちょいちょい聞いて、「そんなわけないやーん。」と否定せずに、それをじっくり考えてみる…ということも必要なのかもなー、と思いました。
とにかくやれ
というわけで。
おっぱいはちゃんと下着売り場のおねーさん(またはおばさん)にちゃんと計ってもらいましょう。(←今日の結論)

これは私の夏休みの宿題のような気がしてならない。


庭のお花も暑くてしんどそうに見える今日この頃。
早く秋にならないかなー?と思ってしまいます。
……まぁ、でも、洗濯物がすぐに乾くのはありがたいですね。

おブ子さんも日中はだら~っとしてます。
(その代わり、朝の4時頃ににゃーにゃー鳴いて私を起こすのですよ…。朝活でお散歩に出てるおブ子さん。)
さて。
子供たちは夏休みだし、私は8月に入ってからさらに体調が不安定だし…で、ダラダラしてることが多いのですが、
ダラダラしつつも、なんとなく「課題を突きつけられてる感」があり、煽られてるような気分が続いております。
というのも。
そもそも、春にアクティブ仙骨ワークのモニター伝授をしてもらった時に、「たらいの法則」を教えてもらったところから始まってるような気がしてるんですが、
癒しのエネルギーを流す前に「イヤだと思うことだからこそ引き受けると宣言する」ことが大切で、逃げてるとまるで追っかけてくるような形になるよ、と教えてもらったわけですが、
言葉でそう言うのは簡単なことですけど、気持ちは逃げてるんですよね。私。
そしたらですね、
うさみみさんのこの記事
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2143.html
をちょっと前に読みましてね。
なんかもー、むずむずして仕方がなかったのです。
うさみみさんの言う「マスターの魂」というのが何を指してるか、を私がちゃんと把握してるのかどうかも怪しいんですが、
おそらく自分はソレでは無いんだろうなー……と思いつつも、
魂の求めるところに対して、自分があまりにぼんやりしたままで「気づいてない状態」であることにおいては、同じようなものなのかもなー、と感じてしまったのです。
まさに、自分の正体に気づくことも避けてるし、それを認めるのも受け入れるのも避けてる、という感覚がまとわりついて離れなくなったのでした。
でもですね、
そーゆーのってバカバカしいというか、
正体もなにもないだろー、と思う自分もいるわけです。
魂としては何かしらの課題を持って人間として生まれてきている、ということは心底信じておるのですが、
それは、やりたいことを頑張るとか、目の前にあるやるべきことをひとつひとつやり遂げていくことなどで到達できるものなんだろうなー、と思っているんです。
下手に「使命」だのなんだの、と言い出すと、速攻で自意識過剰の罠に陥りそうで恐ろしい…というのもあり、
自分を過大評価するくらいなら過小評価してるくらいの方が安全じゃね?と思ってるフシがあるのです。
できることなら、正当に己を評価したいところのなのですが、それはとても難しいと分かっているからです。
しかし、自分を正当に評価しろよ、と煽られ出したのかもしれない…と感じるわけです。
もー、やだやだーー、と子供のようにジタバタしたい気分です。
するとですね、
私は私で夏休みモード&体調不安定でアウトプットが激減してるし、
月子さんは月子さんでいろいろ大変でアウトプットが減ってて、
お互いの内面状況をお互い知らないハズなのに、
月子さんからの別件報告メールの冒頭に
「調子どう?かなりのゆさぶられ加減?」と書かれてありました。
体調のことを指していたのかもしれないのですが、私には内面のうにょうにょのことにしか思えなくて、
『なんで知ってんのー?』と内心笑ってしまいました。
そしてさらに、こんなブログ記事をたまたま見つけたのでURLを貼っておくねー、と書いておいてくれました。
http://healing.forgiving.jp/story/3429.html
http://healing.forgiving.jp/story/3448.html
http://healing.forgiving.jp/story/3451.html
うへぇぇぇぇーーーー、と悶えました。
私は、思考がずっと頭を駆け巡って自分を責めてしまう……というのを、どうしてもコントロールできないのです。
「そんなの気にしなくてもいいことだ。」と分かっていても、上手に切り換えられないのです。
まさしく「思考や感情が手におえない怪物の様に感じてしまう」というのを繰り返し、自分は弱い人間だと思っているのです。
大きな大きな弱点だと思い続けてきました。
けれども、もしかして私は弱いのではなく、思考のエネルギーが強大なせいでコントロール不可なのだろうか???と、もにょもにょしまくりました。
そして、もしもそれを認めるなら、体調が不安定なのも大地の女神との繋がりが強いためなのだろうか???と、さらにもにょもにょしまくりました。
でもねー、
それを認めるのをイヤがる自分がいるのです。
それを受け入れると、何かを護ってきた「柵」を壊すことになるような、そんな感覚になってしまうのです。
……と、こんなふうに煽られてる感バリバリなんですが、落とし所が見つけられずにもにょもにょするばかりなたみえかーさんなのでした。
でもね。
夏休み中に宿題は片づけないといけない気がするのーーーー……。
うぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーー。

海の日によせて。

海
魂というのは、海みたいなものじゃないか、と私は思います。
広大な海みたいなもの。
その中からひとすくいした水を分け合ったのが、ソウルファミリー、ソウルメイト、ツインソウルと言われるような、近しい存在なのではないか、と思っています。
みんな同じ海の水なのだけど、少しだけ特別な関係。
そんな感じなのかな、と思っています。
ひとすくいの海の水を分け合った魂を宿す肉体を持った人たちのうち、出会っている人たちもいるでしょうし、
出会わないままの人たちもいるでしょう。
出会っていても、出会ってなくても、
みんなそれぞれの天命(課題)が完うされますように。
そして、できれば、幸せに笑っていてくれますように。
私はここにいて、幸せですよ。
たくさん笑ってますよ。
安心してね。

最終的には切れ味の良い包丁になれれば、と思います。

1つ前の記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1068.html
で、ヨフィエルの絵とお客様のご感想メールの一部を紹介させてもらったのですが、
それを読んだお客様からまたメールをいただきました。
詳しいことは割愛しますが、ブログ記事を読んでかなり心がぐわんぐわんとされたそうで、そこからご自身が今まで気づかなかった部分に気づいたそうなのです。
「逃げ癖」というのは、どこから来てるのか、ということについて、でした。
メールを読ませてもらって、「揺さぶられる」というのは、人間にとっては時々とても必要なものなんだ、ということをあらためてしみじみ感じました。
だいたい「揺さぶられる」ということがもたらされる状況・状態というのは、ふわふわ楽しいこと……の反対に位置する場合が多いと思うので、楽しくはないですよね。
気分は良くないですよね。
けれども、そうやって揺さぶられることで、奥の方に隠れていたものが浮き上がってくるんですから、思いがけずそーゆー感じになってしまったら、思い切って自分からさらに揺さぶられてみるくらいで対峙するといいのかもしれませんね。
我慢せずにおもいっいり号泣してみるとか、そんなふうに。
で。
私としては「揺さぶってやるぜ。いひひ。」なんて思ってるわけなくてですね、
お客様だけじゃなくて、こういうふうに自分のことを感じてる人も少なくないかもなー、と思って、あーだこーだ書いたんですけど、
結果的にお客様の心をぐあんぐあんと揺さぶったわけで、
やっぱり私って土星先生なのね…。
と、思いましたー。ええ思いましたーーー。
やー、でもねー、
そうは言ってもねー、
あたくし、こう見えて(どう見えて?)基本的に人間関係は淡白な方でして、ほんとに仲良しじゃないと個人向けには土星先生は発動しないですよ。
なので、今回みたいなのは、やはり「お仕事させられた」みたいなものかなー、と思います。
お客様の守護存在と私のソレらが結託しての、「じゃあこのタイミングでこんな感じでー。」というヤツですよね。
なので。
土星先生の部分ってのは、必要とされることもあるんだろうな、と思ったので、ちゃんとそこは磨くべきなんだろうな、と思いました。
包丁をちゃんと研ぐように。
あ。
包丁と言えば、ですね。
先週の金曜日に、またしてもお父ちゃんが出勤した直後に身体が突然おかしくなりまして、とにかくしんどいので横になっていたんです。
2時間半くらいだったかな?
そのしんどいピークを越えてからだったんですが、誰ぞに言われまして。
お前の今までの人生は、熱い鉄をがんがん打ってるようなものだったけど、
これからは研ぐからね。
それが終わって、やっと美味しい料理を作るための道具(包丁)になれるから。

って。
たとえ話として、そんなことをすこーんと言われたんです。
誰ぞに。
あたし、今までは鉄(自分)の中の不純物を精製するためにガンガン打たれてたんですね……。
でも研ぎってのも違う意味でしんどくない?さらに「目的」までまだまだ遠くない?
…と、一瞬気が遠くなりそうでしたけど、何か少し大きな意味での層転移が起こりつつあるって意味なんだな、と思いました。
小学校2年生から3年生になって、クラス替えもしたよ、みたいな。
そう言われて、
だから、アクティブ仙骨ワークを受けて、
それだけじゃなくて、氣乃さんがさらにとあるエネルギーを伝授してくれたのね、とハッとしました。
氣乃さんも「お仕事させられてた」わけですね。
氣乃さんはいろいろ私に気をつかってくださいまして、「効果が感じられるまで無料(←つまり後払い)でいいので、開発中のヒーリングエネルギーなのでモニターとしてお願いします。」と言ってくださったんですけど、エネルギーの体感が薄い私なんぞがモニターでは効果がハッキリとは伝えられない気がするんだけどな~、と申し訳なく思ってたんです。
けれど、層転移の移行がよりスムーズになるようにという上の計らいだったんだろうな、と思いました。
もしかしたら、この半年とか1年くらいが移行期なのかもしれませんし、そう思うと上の計らいも氣乃さんのお気遣いもほんとうにありがたいです。
そしたら、オカンからも梅の甘煮がどーんと届きましたし~。

今の時期から毎日これを少しずつ食べてると夏バテしないから!
と、たくさん送ってくれました。
こんなタイミングで送られてきたってことは、そういうことなのでしょうね。
ええ、毎日ちょっとずついただきます。
そいえばそいえば。
先週の火曜日に、いつものクリニックに行った帰りに、スーパーに寄ろうと思ったんです。
なので、とある交差点で左折しようと一端はウィンカーをぱかぱかさせたんですが、ふっと「お参りしていこう。」と思いまして、ウィンカーぱかぱかを止めて、すーっと呼ばれるように直進して、神社にお参りに行ったんです。
そしたらこの時期だったんですよね。

輪をくぐってきまして、半年の穢れを払ってきました。
それで、お参りしまして、
呼ばれたみたいに来たので、何か伝えてくださることがあるんだろう、と思いまして、おみくじを引いたのです。
そしたら中吉だったんですけどね、
機が熟すまであとわずか
運を天に任せ
肩の力を抜いて過ごすこと
心身ともに余裕を持つことで
幸運を呼び込む力が増幅し
描いていた夢や願いに近づくことができる

と、書いてありました。
機が熟すまであとわずか、というのも、今は未だ移行期であることを示してるのかもしれませんね。
運を天に任せる、というのも、五井先生のおっしゃってた「天命を信じて、人事を尽くしなさい」だと思いますし。
人事を尽くして天命を待つ、じゃないんですよ。
何かは分からないけど何かしらの天命があることを信じて、それが完うされると信じて、目の前の自分のやるべきことをコツコツやるんだよ~、とおっしゃってるんです。
なので、自分の生き方の基本を忘れずに、でも肩の力は抜いて、移行期を乗り切りなさいよ、ってことなのかなー、なんて思いました。
これを書きながら。

待ち人、来てましたね。
気づかないうちに。
あ、そうそう。
氣乃さんと言えば。
アクティブ仙骨ワークがアクティブ仙骨エボリューションというメニューになって登場していました。
モニターの時よりパワーアップしてるようです。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12038422093.html
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12038643954.html
気になる方はチェックしてみてください♪
あ。
あたし、そいえば、金曜日にしんどかった時にちょっとだけうとうとしてたんですけど、
その時に、孔雀の夢を見たんです。
番いの孔雀がまず庭にやってきて、そのうち家の中に雄の孔雀が入ってきたんです。
ほんとに孔雀なのかなー?と思ったら、羽を広げてくれまして。
そんな夢を見たんです。
孔雀の夢って発展の兆しでもあるらしいんですって。
氣乃さんにアクティブ仙骨ワークをしてもらった初回の時に、「発展」とか「繁栄」とかしたいですよね?と訊かれて、へ?ってなったんです。
身体がしんどいのをなんとかしたい、ということしか考えていなかったので、へ?ってなったのでした。
そして、すっと「はい。」と言えない自分がいました。
発展とか繁栄を拒否してるんじゃなくて、
発展とか繁栄どころじゃない、という感じになってるのかもしれないのです。
以前、じぇいど♪さんから木星もらってたのにねー。
2014誕生日プレゼント04
発展や繁栄、というものを、ものすごく狭い範囲で捉えていたのかもしれなくて、
それで、それどころじゃない、という感じになっていたのかもしれません。
もし、誰ぞの言った「包丁のたとえ」が正しいとするなら、何十年と打たれ続けてきたことすら「発展」ですもんね。
霊魂も含めたトータルとしての「私」にとって、何が発展で何が繁栄なのかは分かりませんが、実は気づかなかっただけで、「私」は発展し続けているのかもしれませんよね。
層転移中だということは、その発展が加速していくことだとも言えるだろうし、
そういうことだよー、と孔雀が夢に出てきてくれたと思ってもおかしくないですよね。
そんなふうに解釈してもいいのかもなー、なんて思いました。

不安だらけの私だけど、何故か絶対的安心を一度だけ経験したことがあるのです。

たまたまこの記事
http://oka-jp.seesaa.net/article/418137952.html
を読みましてね。
なんとなくね、分からんでもないんですよ。
私も不安や恐怖ってのが大きい方だと思うので。
というか、娘がそうでして、
娘の姿を見てると、私のソレを虫眼鏡で拡大して見せられてるような、そんな気分になることがあります。
で。
このブログ主さんは「十代の時に恐怖の解消を一度経験してる」と書いてますが、
私の場合は22歳だったかなー。
その時に、解消…ではないのですが、
不安や恐怖が全くない絶対の安心みたいなところにすぽんと入り込んだことがありました。
後にも先にも、あんな感覚になったのはあのたった一度だけです。
普段の私にとっては不安や恐れが起こるような状況だったのですが、なぜかその日のその時だけは、
何か絶対的なものに護られていると心の底から分かっていて、絶対の安心という感覚にしかならなかったのです。
何かが観えているわけでもないですし、何かが聴こえてたわけでもないのですが、何故か分からないのですがそうだと分かったのです。深い確信を伴って。
たった10分にも満たない間のことでしたが、あの経験は私にとってはとても大きなものでした。
ちょっと前にじぇいど♪さんとも「不安」ということについてやりとりしてたんですが、
不安というのは、人間が生き延びるためには必要なものだったと思うのです。
全く不安のない生命体だったら、ホモサピエンスはもうとっくに絶滅してたんじゃないかと思います。
なので、これは生命体として必要なものとして備わっているものなんでしょう。
でも、それも分かった上で、「あの絶対的なものに護られてる絶対の安心感」というのが、人としてのほんとうの在り方なのかもなー、と思うのです。
または、それこそ、ちょっと高次元の自分とピッと波長が合った……というものかもしれません。
この現象世界の生命体としての本能というか、性というか、そういうものも自分の一部なので、不安や恐怖を感じるな、そこにフォーカスするな、って言われても、そんなの難しいことなんですけど、
「仕方がないよ~、それも自分だもーん。」と開き直った上で、過剰な不安に巻き込まれることはヨシとせずに、「絶対的なものに護られている絶対の安心感」の自分にチャンネルを合わせよう…という意図が大事なのかな、と思いました。
ええ。
すっかり忘れてたのですよ。
あの経験の、あの感覚のことを。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
そうそう。
最近、FBの方でフォローし始めた方がいましてね、
その人のブログ記事がなかなか興味深いんですが、これらの記事
http://ameblo.jp/izumiutamaro/entry-12026101817.html
http://ameblo.jp/izumiutamaro/entry-12027166870.html
にもあるように、エネルギーボディを写真で撮ってる……とのことなんですが、
この写真……
五井先生の霊光写真と同じ種類のものなんじゃね?
と、今さっき思いました。
ええ、ほんとに今さっきです。
あ、五井先生の霊光写真ってコレです。
http://byakko.or.jp/founder/goi/reikou/
私も撮りたいーー撮ってみたいーーーー…って、思ってたら、
「お前には絵があるだろ。」
と、(多分親分に)すぱんと言わてしまいました。
ちぇっ。
…だから、こーゆー丸い光をいつも描いてるんだな。
あたしってば。
ウリエル
あ、これは4~5年前に描いたウリエルですけどね。

瞬々刻々と生まれている、生まれかわっている。

…と、いう五井先生の言葉を、私はよく思い出すのですが。
https://twitter.com/blueflame_bot/status/568214897743388673

たった今、何を感じましたか? たった今、何を頭の中でつぶやきましたか?
たった今、あなたが信じたエネルギーにあなたの宇宙は瞬間瞬間満たされ、それに同調する現実を顕現しています。


これを読んで、あー五井先生の言葉と同じやなー、としみじみしておったのです。
いろいろあるやないですか。
ぶっちゃけ、自分の親や生育環境を選んだのも、この身体をデザインしたのも、自分の魂の選択であって、
それらをカルマとかって言葉で説明したりもしますけど、
大変な課題にチャレンジしてる、とも言えるし、
及第点取れんくて、追加で補習がどんと増えたとも言えるし、
まぁ、なんでもいいんですけど、
どんなにネガティブで気持ち悪い自分が自分の中にあったとしても、それは自分で自分をそう仕向けた結果であって、そこでそれをめっちゃ味わいたいのかもしれんし、そこから抜け出した時の爽快感を味わいたいのかもしれんし、目指してるところは分からんにしても、とにかくやりたいからやってるわけですやん。
だから、そういう自分を瞬々刻々生み続けているわけで、
そういうエネルギーを瞬々刻々と宇宙に放って、そういう世界を顕現し続けてるわけですもんね。
やー。
そんなの、いらんてー。
もういややー。
って、私も思うんですよ。
特に体調悪い時に。
なんでこんなことになってんの?って、自分の魂に文句言います。
もー、ええやんー、十分やーん、って。
表層意識ではそう思うんですけど、
アカンですねぇ。
何か、未だカチっとはまらんのです。
いろんな気づきを得ても得ても。
でもね。
ほんとは、うすうす分かってるんですよ。
体調不良が、自分という存在を知り尽くそう、味わい尽くそうとするための「ポータル」みたいなもんなんや、って。
イヤなんですけどね。
だってねぇ…。
ばいきんまんがおらんかったら、アンパンマンの世界は成り立たないし。
それがこの分離の世界に生まれてきて経験したかったことなんやろうし。
じゃなかったら、凸凹でいびつで偏りがヒドくて醜くて残酷で……っていう自分をわざわざ生み出し続けないよねーー。
だからってね、
そんな自分をヨシとして開き直るのも違うと思うし、
そんな自分だからこそ、この世界で美しい花を咲かせたいって思うのですよ。
(コレをアップしてから最新記事をチェックしに行ったら、ちょうどこんな記事がアップされてて、クスっと笑っちゃった。)
黄色いお花
そのためには、すべてが融合してる高い次元の自分と、すべてが分離しているこの次元の自分との「接点」に………なんてか、身体でいえば「丹田」を重ね合わせるような、そんな感じにならないとアカンのやろうなー、と思ったりするのでありますよ。ええ。
そこがまだまだやから、こーゆー世界をずーっと生み出してるんやろうなー。
あたしは。
と。
旧正月で、
雨水で、
水瓶座最終度数での新月の日に、思いました。
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春のプレゼント企画への応募は22日の22時までですよー♪
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1019.html

上手くできたり、上手くできなかったり。

年末に関ジャニ∞のライブに行ってから、すーーーっと血圧が下がりまして、1カ月以上ずーーーっと血圧が低め(←もともとの状態)安定で、以前のように生理もピタリ28日周期で来まして、
あたしの女性ホルモン、めっちゃ出てるんちゃう?若返っちゃったんちゃう?
と、喜んでいたのですが、
先日生理が来た途端にポコンとまた血圧が高め安定になりました……。
ちっ。
若返ったんじゃなかったのか。
というわけで。
エイトに会うと更年期障害も抜群に改善することが判明したので、今年はもっともっと頻繁にエイトに会わせてくださいミカエルお願いほんとお願いプリーズ。
さて、本題ですが。
先日、某所で、
私の周りで、最近になって特に『どちらかの波長、またはお互いの波長が変わって、話が通じなくなる』というのを見かけるし、私自身も経験した
と、書いたんです。
その時に、片方の意識が上がった、波動が上がった、という書き方をしたんですね。
この表現は誤謬を含んでる…といいますか、誤解を生みやすいといいますか、そんな表現なのは分かってるんですが、でも他に言いようが無いのでそう表現したんですね。
そしたら、案の定、じぇいど♪さんからメールがペロンと来ました。
きっと来る、絶対ココを指摘するぞ、と思っていた通りなので、ふふふふ、と笑っちゃうくらいだったのですが、
ほんとに見事に思ったとおりの指摘をしてくれました。
で、数回のやりとりをしたのですが、お互いを尊重しつつ持論を説明し合うわけですから、もちろんやりとりそのものは穏やかなものなのですが、そこはね、中年のおばちゃんたちですからね、それなりに人生醸してきてますからね、数回のやりとりだけでも、「お。」と新たな気づきを得るわけです。
指摘してくるだろう、こうやって指摘してくるだろう、というのは分かっていても、そこから生まれるものは想定外のところからポーンとやってくるので、予定調和では無いのです。
そこが面白いわけですが。
と、
ここまでお互いの関係が熟成されるのに……何年かかったっけ?
今回のやりとりで改めて気づかされたのですが、当初はそれこそ「家庭教師と教え子」みたいだったのですよ。
じぇいど♪さんが、というか、じぇいど♪さんの後ろに控えてるあのヒトやこのヒトも込みで。
私と彼女の意識としては「友人」でも、実情はそんな感じでしたね。
マンツーマンでベッタリくっついてた、という感じ。
刑事モノで言う『バディ』みたいなものかなー、と思います。
それがいつ頃からか、自然と関係性が変わって行きました。
友情という面ではこれっぽっちも変わらないのですが、明らかにメールのやりとりの頻度はうんと減りましたし、彼女には違う『バディ』が現れたし、私も月子さんとの(関ジャニ∞の話題以外の深い話の)やりとりがうんと増えましたし。
その変化に合わせて、私の中の問題も浮き上がったりもしたのですが、そこらへんを月子さんとやりとりしているうちに消化していくことができ、
気がついたら、今は逆にこれくらいの距離感がちょうど良いなぁ~心地良いな~、と感じる自分がいました。
私は、数年前に、当時の『バディ』と上手に離れることができませんでした。
彼女の突然の変化に私がついけ行けず、私の未熟な部分も出てしまって、まるで縁をハサミでばっさり切られてしまったような、そんな離れ方となってしまいました。
あの時と今とでは何が違うんだろう?って考えるのですが、イマイチよく分かりません。
あの時にどうしたら良かったのか、今でも分かりませんし、たとえ今の私が当時の私と入れ替わってやり直したとしても、上手に離れることができるのか自信なんてありませんし。
(上手に離れることが「正解」というわけではないのも分かってますし、もしかしたら魂の視点から言えばあの経験そのものが「正解」かもしれないですけど、あくまで人間の意識としての「私」の視点から言うと、もちょっと上手くできなかったのか、というのは残り続けているのです。だって人間だもの。)
そう考えると、
「波長が替わっていく」「波動が離れていく」と言っても、たまたまそこが「相転移」の境目を跨ぐ場合は、どうしても「話が通じない」とか「上手に離れられない」とか、そんなことになりやすいのかもな、と思ったりもします。
同じ「水」の状態なら、30℃でも90℃でも同じ「水」という状態ですけど、
たとえたった5℃程度の差でも、0℃を跨げば、「氷」と「水」ですし、100℃を跨げは「水」と「水蒸気」ですもんね。
有り様が様変わりしてしまいます。
そういう相転移の「境目」みたいなものがちょいちょいあるのかもなー、なんて思ったりしたのです。
でも、その実態は外部にある「境目」じゃなくて、一種の膜というかフィルターというかトラップというか、そういうものなのかもしれなくて、ちょっとした「小石」程度なのかもしれないです。
そこにひっかかってしまうのは、自分自身の高慢さや自己不信…さまざまな凸凹のせいなのかもしれないですね。
うむむ。(←ひっかかった己を省みて唸るのみ。でもどうしたら良かったかはやっぱり分からない。)
…と、書いていたら、
さまざまな人生、今の人生、それらを通してたくさんの経験をして、「ブロック」と呼ばれるものなども形成されたり、人格的な偏りも出来上がっているだろうけど、
すべての経験は「粘土」みたいなもので、とにかく芯にぺたぺたとくっつけてきたから、凸凹があって当然。
今は、その凸凹を綺麗にならして、すべすべにしていく過程だと思えばいい。

……みたいなことを、すこんと言われました。
今まさに。
誰よーー?
親分?くま?誰??
さてさて。
今日はとっても寒いので、野菜スープ作ってきます。
ドロン。

今日はほんとーに寒いので、お猫もお散歩は短時間で済ませて帰ってきて、温かい場所で丸くなって寝てます。

1のゾロ目をしこたま見てから。

先週の月曜日に、これでもかってくらい1のゾロ目を見ました。
ググってみたら、1のゾロ目はエネルギーの通り道ができましたという意味だそうで、
「へぇー。」って思ってたくらいでした。
するとその夜。
こういうことは相変わらず突然なのですが、
自分の身体のことを、心のあたりから感謝する想いが湧きあがってきました。
それまでの、『頭で観念的に感謝する』というものではなく、さすがにお腹のあたりから…というわけではなかったのですが、ハートのあたりで感謝する想いが自然発生するかのように湧いてきました。
目が見える、手が動く、耳が聞こえる
そういうことがとてもとても有り難いことだとハートから思えたら、すべてがギフトなのだと分かり(←観念的に思う…というのではなくて、やっぱり「分かる」です)、
すべてとは言いませんし、後から戻ってきた部分もありますが、劣等感がすーっと消えていったような感覚になりました。
まさしく、すーっと通ったような感覚でした。
すると立て続けにちょいちょいありまして。
経験豊富なじぇいど♪さんに教えてもらったのが「波動離れ」という言葉でした。
たとえるなら、それまでは同じような「青色の波長帯」にいた人と、馴染み良く付き合ってきたけれど、どっちかの…または2人共がそれぞれ波長の変化が起こって、赤と緑にそれぞれなってしまい、自然と付き合い方が変わっていく…というものです。
または、進級によるクラス替えみたいなものと考えてもいいかもしれません。
別にケンカしたわけでも仲が悪くなったわけでもないけれど、違うクラスになって、付き合い方が自然と変わっていく…という感じですね。
ほんとにエネルギーの通り道ができたのかなぁ~??なんて思っていたら、
これまたふと湧いた考え…といいますか、頭に放りこまれた考え…という感じだったのですが。
見えないものが見えるわけでもないし、
聞こえない声が聞こえるわけでもなく、
エネルギーの流れを的確に把握する能力があるわけでもなく、
ちょっと大きめのエネルギーが流れるとぶっ倒れたり、最悪「発作」が起こってしまうので、エネルギーを扱う器も小さく、エネルギーの通る管も細くて詰まってる箇所もあちこちあると思ってましたし、
ただなんとなくのイメージや直感のようなものしか私には受け取る方法が無いので、自分自身はサイキッカーでもなければ、ヒーラーでもなく、スピ的には「たいしたことない小者」というセルフイメージがずーっとありました。
そういう自分自身が劇的に変わった!……なんてことはありません。
ちっとも変わっていません。
これっぽっちも変わっていません。
でも。
「たいしたことない小者」というのは違うのかも、と思うようになりました。
と言いますか、
「たいしたことない小者」なんて人は一人もいないのかも、と思うようになりました。
これまた観念的には分かっていたのですが、頭ではなく、もう少し下位のところからそう思うようになってきました。
虚栄心とか自己顕示欲とかがゼロというわけじゃないでしょうし、
「できることが増える」というのをヨシとする部分は信念めいたものとして存在してますし、
見えないものが見えたり分かったりすることで、さまざまなカラクリ(←私の場合は健康問題)が明快に解けて、対処方法が明らかになり、問題解決に至る…という方法をどーーーしても選択しようとします。
それを完全否定するわけではないのですが、
それはそれで「そういう自分がいる」のだと認識しつつ、
深い部分では、粛々と「なりたい自分」を目指すのみ…なのではないかな、と感じました。
ちょうど、ガイドに言われたんですよね…。
あんな。
お前がヒーリング『できへん』ってゆーてるのな、
あれな、できへんのとちゃうねん。
できへんのやなくて、ヒーラーになろうとせんように「(回路とかプラグみたいなものを一部)外して」あんねん。
多少でもできてもーたら、お前のことやから、ヒーラーになろうとするやろ?
基本的にめっちゃお節介やから、助けてあげたいなんとかしてあげたい、って思ってまうやろ?
あかんねん。
それじゃあ。

って。
(何故かうちのガイドは関西弁が多いんですー。ミカエルなんて時々岐阜弁も使うしー。私の翻訳フィルターが関西弁や岐阜弁を選択してる模様。)
「深いところでなりたい自分」というのは、天文学者でもヒーラーでもないので、最初っから通行止めになってるみたいなのです。
では、「絵描き」はどうなのか、というと、もちろん絵を描くことは子供の頃から大好きだったのですが、逆になろうとしなかったんです。
絵を描くことを仕事にできるなんて思ってもいなかったのです。
しかし、「深いところでなりたい自分」と、今のお仕事は関わりがあるから通行止めにもなっていなくて、それどころか連れてこられた道だったのかもしれません。
今日の午前中は体調がイマイチで、ゴロゴロうとうとしていました。
その時間の中で、ミカエルたちと会話をしていたのですが、
「深いところでなりたい自分」というのは、使い古されたような表現でざっくり簡単に言ってしまえば霊性を少しずつでも進化させていくことなんですよね。とどのつまり。
もう、それしかないんですよ。
でね。
じゃあそれってどういうことかって言いますとね、
自分がクリアになっていけば、そこに居るだけでなんだかいい感じの空気になって、他の人もなんとなくいい感じの気分になる…みたいなね、そんな天然空気清浄機みたいな感じになっていくんだと思うんですよ。
あ、いや。
空気清浄機ってのも「意図的な働きかけ」を感じる言葉ですね。
もうほんとにね、「触媒」になりたいんです。自分からは何の意図的な働きかけもしないけど、周囲が勝手に反応速度を加速させる「触媒」に。
エゴとかのエリアでは、あーなりたいこーなりたいってアレコレ細かい欲求は生まれ続けるんですけど、
深いところでなりたいのは「触媒」なんだなー、とあらためて分かったわけです。
もちょっと違う言い方をしますと、
肉体も幽体も精神も魂も…調和が取れている状態
を目指してるんだと思います。
悟りを得たいとかってのとは違うんです。ただただ「絶妙に調和が取れてる」という状態を目指してるんだと思うんです。
でもそれは静止してるんじゃないんです。
無でもない。
逆にものすごくダイナミックな「流れ」のようなものかもしれません。
くだらないことで大笑いもするし、エイトや嵐に萌え続けもするけれど、今よりも全方位的に調和が取れてる方向を目指してるんだと思うのです。
深いところの「私」は。
絵を描いてるというのも、
絵そのものにはエネルギー的なシステムは何も存在しないのですが、受け取った人が自発的に何かを感じてくれているわけで、まさに「触媒」なんですよね。
あー。
そんなふうになれるとしても、まだまだ先ですなーーー。
40代なんてまだまだおこちゃまです。
あ。
蓮村先生の11月22日のツイートをご紹介しておきましょう。
https://twitter.com/fundocq

人の寿命は100歳から120歳だと先日Tweetしましたが、そこに至るまで、人がどのように成長するか、について今日はお話しします。人の一生は4つのステージにわけて考えます。第1ステージは30歳まで。この時期は両親からの愛情と躾を受け、良心を柱とする #mayurveda
自我の基礎を築き、さらにしっかりと食事をとり、からだを鍛える時期です。車の運転免許で言えば、教習所で学科を学び、実技の基礎を身につける時期で、30歳でようやく仮免といったところです。そして、30歳から60歳が第2ステージです。 #mayurveda
この時期は、様々な体験を通してこころを成長させる時期です。自分のダルマを求め、成していく時期でもあり、幸福と同時に辛いことや大変なことなどを糧としながら、こころは成熟していくのです。路上研修で運転技術を向上させる時期、ということです。 #mayurveda
そして、60歳から80歳が第3ステージです。成熟に達したこころは、いよいよ本格的に社会で役割を果たしていきます。本免許を取ったとはいえ、60歳はまだまだ若葉マークの初心者です。社会貢献を通してリーダーとしての資質を磨いていくのです。 #mayurveda
ようやく迎えた80歳の頃から、人生の最高の時がやってきます。どんな状況でも間違いなく運転ができるようになった者は、ベテランドライバーとして、若い人を指導し、導いていきます。つねにこころは鎮まり、安心と自信と喜びをもち、幸福で満たされています。 #mayurveda
30歳や40歳など人生における仮免状態ですから、第4ステージの人から見たらまだまだ子どもです。60歳や70歳とて若葉マークですから人生これからって感じなんです。だから今悩みや困難があってもぜんぜん構わないし、人と喧嘩しても、仕事で失敗してもいいんです。 #mayurveda
とにかく、まず健康をちゃんと保つことです。健康を失ったら第4ステージまでいけませんから。そして、若いうちは自分のダルマを求めて、それをおこなうこと。それが一番速く自分を成長させるからです。あとはまあ、だいたい適当でけっこうです。 #mayurveda


健康第一!
真摯にダルマを求めてりゃ、あとはだいたい適当でOK!
いえあ!

おれはかーちゃんに甘えたいだけなんだ。
ごろにゃーん♡

毒出し…?

やっとこさ、更新できます。
夏休みも終わり、ようやくアクリル絵の具でのお絵描きも再開することができました。
というわけで、せっせと紙を切りまして、いろいろ準備しまして、
今日は天使ではなく、とある絵を描いてたんですが………
何時間もかけて描いたのに、できあがったら、サイズが間違ってました……。
なんてこった……。
この絵は、2枚目なんです。
1枚目がどうしても気に入らなくて、再挑戦したんですけど、
「あ、こうやって描けばいいんだ。」とか、いろいろ気づくことがあったので、時間を見つけて再再チャレンジをそのうちしようと思っております。
やー、ほんとに疲れましたわー。
身体を動かすわけでもないのに、全身どっと疲れます。
けれども楽しいんですよね。
身体も神経も疲弊するし、めっちゃしんどいのに、描いてると楽しい……いや、嬉しい……いやいや……楽しいとか嬉しいとかじゃなくて、表現はものすごーくオオゲサなんですけど、今ココに生きてる、という感じなんだと思います。
それだけ集中してるんでしょうね。
子供たちが夏休みだから、絵の具で絵を描けなかったというのは一番の大きな理由でしたが、
今日になってようやく描けるようになったのは、昨日の午後あたりからなんとか心の状態と体調が戻ってきたな、という感じになったからです。
前回の日記を書いてから、まず心の状態がアンバランスになりました。
欠落感を取り除いてくれ、とお願いしてから、どうにも心が「重たい」感じになってしまいました。
どーーーーんと重力がかかってる、ような感じになり、心があまり動けないような感覚になりました。
軽くないんです。
とにかく重いとしか言いようがない感じでした。
すると、とある「魂の想い癖」がじわじわじわじわ…と浮かび上がってきました。
ヨロシクないヤツです。
これもタミエル由来のものなんですが、闇に喰われる時に「愛情」が「己の死」とマズいふうにリンクしてしまったために生じた想い癖です。
なので、「これは消えてゆく姿なのよー。現れては消えてゆくのよー。」と自分に言い聞かせて、五井先生の世界平和のお祈りをしつつ、その想い癖に下手に囚われないようにしようとしてました。
(で、マンガを読みふけるとかするんです。エイトのライブ映像もいいけど、マンガを読みふけるのが私にはすごく効果的。α波とか出てんのかなー?)
でもってですね、そのタイミングで24時間テレビのドラマで大倉くんが主演してて、その想い癖を刺激するような箇所がガッツリありましてねぇ…。
月子さんとNさんに「あたし病んでるー。病んでるー。」とメールせずにはおられませんでした。
1人で抱え込むとヤバいってくらいだったのです。
ただ、ここがピークだったようで、その後はだんだんと「心が動けない」状態が解除されていき、想い癖も鎮静化しました。
すると、普段の意識状態に戻り、心の方はかなり楽になってきました。
が。
やはり30日が変わり目だったのか、若干オーバーラップしながらですが、30日の朝から今度は体調がおかしくなりました。
あれやこれやと次々と体調不良になっていたのですが、なんとなくこれらは毒出しみたいなものなんだろうな……と、思っていました。
そして、風邪のような症状になり、ダルくて仕方がないのが丸一日続き、
その翌日(昨日)の午前中に、どうにも起きてられなくて眠って、ふと目覚めた時に「なんじゃこれ!100mを全力で走ったみたいなしんどさは!」と、思うくらいしんどかったのですが、再び眠って目を覚ましたら、抜けてました。
風邪のような症状もビックリするくらいのしんどさも全部消えてました。
あ、そしたらですね。
だるだる真っ最中にこんなツイートを読み……いや、あれは「読まされた」が正解なんじゃないかな、っていう感じなんですが、とにかく読みましてね。
https://twitter.com/usamimix/status/507189380616683520
やっぱり毒出しなんだろうなー、と思いました。
ははは……。
ということで、
今日から絵の具で絵が描けるかも、と思いまして、エンジンを動かしてみたというわけです。
メインの絵を描いてる途中で、絵の具を乾かしてる間に、こんなものを描いてみました。
名刺大のくまえるの絵です。

……でも、つい気合が入り過ぎちゃって、ガッツリ描いてしまいました。
これ描いただけでもすげぇ疲れたよー。あたしバカだよー。
けど、くまえるがかわいく描けたから嬉しいよ~♪

おブ子の変顔。