今日のは自分用ログという面が95%です。
残り5%は数人の友人のため。
なので、いつもに増してワケ分からん、と思います。
すんません。
*****
4月になってから体調が思わしくない日が多く、家事をしながら「あー、しんど。」と言うことがしばしばでした。
しんどいと言っても、最悪だった頃に比べたら楽なもんなのですが、しんどいのを我慢し過ぎたのか、ここ数年は少ししんどいだけでもものすごーーーーーく気が滅入るのです。
数週間前にも数日間しんどかった時にどよーんと気が滅入りまして、ある日洗濯物を干しながら
「こーゆーのも過去(世)からの因縁で消えていく姿やってーのは分かってるけど、業性の私はいい加減イヤんなってるんやなぁ~……。あーあ。。」と、独り言がつい口をついて出ました。
ほんとに気が滅入るんです。
そりゃね、世の中には病気でもっともっとしんどい思いをずーーーっとしている人もいるってくらいは簡単に想像できますけど、誰かと比べてどうのこうの、ではないんですね。
多分、良いことも悪いことも、他人と比べてどうのこうのと考えるのって意味が無いんだと思います。
だから、「私よりしんどい人はたくさんいるんだから、これくらいで気が滅入っていてはアカン。」と自分に言い聞かせるのはナンセンスで、そーゆーやり方では何も進展がないな、と分かっているのです。
人間は、主観の中でしか生きていませんもん。
こと健康面に関しては、元気で丈夫な人を内心えらいこと羨ましがってました。
そして、その分「自分よりしんどい病気の人も多いんだから。」と思うことでバランスを取ってたんだと思います。
けどね、それは大間違いだったわけであります。
だって、私は、今の私以外の何者でもないからです。
でもね。
ここで『私』と言っているのは、『業性の私』または『エゴ(自我)の私』であって、しんどいのも気が滅入ってるのも『業性の私』でしかなく、『真我(神の分霊)の私』はちっともしんどくないし、気が滅入ることも全然ないはずなのです。
五井先生の本を何冊か読ませてもらって、そういうものだということは理解できたのですが、いつも自分自身を『私』だと認識している『私』は、本当の『私』ではない、ということを心から感じることはあまりありませんでした。
が、このところの体調不良がキッカケで洗濯物を干しながら口をついて出た言葉により、じわりじわりと意識するようになっていったのです。
頭で理解するのと、身体の奥から感じるのでは『同じことがら』とは思えないほどの開きがあります。
『私』は『業性の私』であると、じわりじわりと意識し始めた時の『うっすら気の遠くなるような感じ』というのは、一種の恐怖感でもあります。
何かと乖離していくような感じ、とも言えます。
真我が働くようになるには、自我をダンマリと黙らせなくてはなりませんが、想念停止なんてことは凡人にはなかなかできません。
今の私には到底無理で、チビチビとお祈りをするのが精一杯よね、と思っていました。
もちろん、その読みは順当だと思うんですが、あ、ちょっと違うぞ、と感じたのです。
五井先生の教えを知って、とても有り難く嬉しく感じているのも、私。
私はまだダメダメだと思っているのも、私。
それじゃあ、何年経っても何回生まれ変わっても、ダメじゃん。
自我がやりたい放題やってるだけじゃん。
『私』だと思っている『私』が、大事なところでいつもこっそり『私』の足をひっぱってるんだ、ってことが、じんわりじんわりと感じられるようになってきたのです。
なんかね、犬が自分の尻尾を追いかけてる感じ。そんな感じ。感覚的にね。
ぐるぐるしてるだけ。
以前、自分の過去世を退行催眠で観た時から、『あの人の人生はあの人のもので、私のものではない。同じ魂だけど、違う人生なんだ。』という強烈な感覚に、ぼんやりと、それでも延々と続く不思議な感覚も同時に生まれてきました。
「では、今ここにいる『私』って、何?」
魂の記憶装置に溜め込まれる情報なの?
だとしたら、魂は永遠だけど、やっぱり『私』という『ここに在るもの』は実体を失うの?
自我にしたら、恐ろしいことですよね。
なので、ふと思い出しては、なんだかすぐにモヤモヤしてきて、訳がわからなくなっていたのでしょう。
『私』は『業性の私』であって、消えていくものだ、なんて気づきたくないですもん。
…あ。やべ。気づいちゃった。
主観というのは、自我の内部に閉じこもっている世界なんでしょう。
だから、私達は『本当の世界』をまだ見たことがないんです。
閉じこもった自我の中だけの世界しか見ていないのです。
『私』が私だと思っている『私』が薄くなって消えて行ったら、本当の世界が見えてくるんでしょう。
んー。
ヤバいな。
ちょっとコワいな…。やっぱ。(自我の私の本音。)
日本人は悟りに至るのが早い民族なんだそうだ。
天赦日の本日、息子の昼寝中にネットサーフィンをしていたら、こんな対談を見つけました。
夢中になって読んじゃったよ。
いつも護ってもらっているので、「ありがとうございます。」
3夜連続で、NHKスペシャルを見ました。
と、言っても、3本とも全て後半部分しか見れてませんが。
『ドキュメント・北朝鮮』です。
どうやってあーゆー国になって行ったのか、が、旧ソビエトや東欧の資料や証言、脱北した党員(の偉い人)の証言などを元に、よく分かるような番組になっていました。
ぐっと見入ってしまいました。
私は日本人として、日本のことを『全て』知っているわけではありませんし、日本にだって『闇』は存在すると思いますが、北朝鮮は本当に本当に奇妙な国家だなぁ……と、あらためて悲しい気分になりました。
もう、最後は
「そんなに嘘ばっかついとったら、そのうち罰があたるよ。」としか、思えませんでした。
本当に奇妙な国家です。
でも。
ふと、思いました。
この奇妙さ。
霊的に高い宇宙人からしたら、今の地球を観て、おそらく、こーゆー種類の奇妙さを覚えてるんだろうなぁ、って。
ちょっと前の『オーラの泉』でも、江原さんがボソっと大事なことを言いました。
ベッキーちゃんが、火星人と話す夢を見る……という話題から、太一が「宇宙人っているんですかね?」って言い出したんです。
美輪さまは普通に「この広い宇宙に、地球人だけしかいない、ってそんなわけないでしょ?」みたいなことを言ってましたが、江原さんは、
「宇宙人って言っても、私達みたいな『物質』の身体の宇宙人じゃなくて、霊的に進化して、霊体のみの宇宙人ってのもいますからね。」みたいなことを、サラっと言ったんです。
話しはそれで終わったんですが、「あら。江原さんってば、大事なことを簡単にサラっと言ったわね。」と、私はニヤっと笑ってしまいました。
そうなんです。
どうやら、私達地球人は、えらくデキが悪いらしいんです。
業想念まき散らしまくりの、溜めこみまくりの、デキの悪い末っ子みたいなもんらしいのです。
宇宙には霊的に進化してる先輩方がたくさんいらっしゃるらしいのです。
五井先生の本を何冊か読み始めた頃、「宇宙人はいるんですよ。霊的に私達よりもうんと進化していてね、私達肉体の波動とは違った、もっと精妙な波動の身体になってるので、普通の人には見えませんけどね。」なんて、あちこちに書いてあるので、面食らいました。
先生の教えは素晴らしいと素直に思えるけれど、宇宙人の話しは、なかなかなかなか受け入れられませんでした。
自分の中の『常識』が邪魔しまくってました。
ある意味、非常にキツかったです。
それでですね、無理して理解しようとか受け入れようとかするのは不自然だと気がつきまして、その部分は横に置いといて……って感じにしたんです。
時間が経っても自分の中で違和感があるなら、それを無理して受け入れることは無いだろう、と思ったんです。
それより、まず先生の教えの本質に近づいてみよう、と。
そして、先生の言葉を少しずつ自分の中に蓄積させて、お祈りをチビチビチビチビ続けているうちに、だんだんと先生の教えの『意味』が少しずつ『分かる』ようになり、先生の教えの本質(のカケラ)が自分の『肚』にちょっとずつちょっとずつ収まるようになっていきました。(これが『信仰が厚くなる』ということですな。)
すると、あら不思議。
宇宙人の話しも、ある時からスーーーッと自分の中に入ってくるようになったんです。
弟1号ほどの霊能が開いていない私は、守護霊さま守護神さまの存在を『リアルな感覚』として感じたことがありません。(死んだお父さんは『リアルな感覚』でもって存在を教えてくれたけど。)
でも、瞬間瞬間、守護霊さま守護神さまに護られているという『確信』はあるのです。
それが『信仰』というものなんでしょう。
それと同じですね。
先輩宇宙人を『リアルな感覚』で捉えたことは無いけれど、心配しながら観ててくれてるんだなー。
こっそり、手助けしてくれてるんだなー。
ありがたいなー。
って、当たり前のように思うようになりました。
(だからって、ニューエイジ系の宇宙人とのチャネリングの記事を鵜呑みにしてるわけでは無いんだな。アヤシイのもいっぱいあると思うんで。アヤシイというのは、幽界に留まってるレベルの低い霊たちのイタズラって意味。)
もちろん、私のこの日記を読んで、「霊的に進化した先輩宇宙人がたくさんいるんだって。」ってのを信じろ、とは言いません。
でも、もし、例えばある日突然、空いっぱいに浮かぶたくさんのUFOを見た時には、思い出してくださいね。
「あ。先輩たちが応援に来てくれたんだー。」って。
****
そいえば。
最近、またイヤな事件がありましたね。
男の子がマンションから突き落とされて殺された…って事件です。
犯人についての報道を聞いてると、なんだか『業想念の波に当てられた』って感じだなぁ、と思いました。
人間って、それぞれ前世からのカルマ(宿題)があるので、事件に巻き込まれる運命というのも、確かにあると思うんです。
でも、多分、それ(個人のカルマ)だけが『因』では無いと思うんです。
個人が発してきた想念が幽界にたんまり蓄積している、と五井先生は言ってます。
もう、その溜まった業想念だけで、地球は崩壊してしまうほどだそうです。
溜まった想念は、いずれ現象化するからです。
『因』が『縁』を得て『果』となるわけです。
その溜まりに溜まった人類の業想念の波が、常にざざざざーーーっと流れていて、『縁』に触れると、あっと言う間に『果』となる、と。
でも、ここで守護霊さま守護神さまが、この波から私達を護りに護ってくれているそうなのです。
人類の業想念の波がざざざざーーーっと被さってくるのを、光でさーーーっと消してくれているんだそうです。
瞬々刻々と、です。
守護霊さま守護神さまの護りが無かったら、私達はそれこそあっと言う間に『潰れて』しまうそうです。
それほど、人類が何万年と溜め込み続けた業想念というものが巨大なものになっているか、ということなんですね。
それで、です。
もちろん、個人の宿題(カルマ)というのはあります。
ドリル10ページの宿題なら、ちゃんと10ページやり遂げないと、また来世に持ち越しなのです。
だから、病気や苦労などという形で課題は現象化されます。
ちゃんと、守護霊さま守護神さまが、その人の成長に合わせて、課題の質と量を決めてくださっているんです。
これも大いなる護りですね。(オマケをしてくれることもあるし!)
でも、守護霊さま守護神さまのそーゆー苦労も知らないで、どんどん神様(光)から遠ざかってしまうと、守護霊さま守護神さまも非常に護りにくい状態になってしまうんだそうです。
人間には『自由意志』が与えられています。
神様は、命令はされません。
守護霊さま守護神さまも命令はされません。
あくまでも、私達の自由意志で人生(肉体世界における霊の学びの期間)を創造することが大前提なのです。
光から離れるような想念を持つことだって、私達には『許されている』のです。
なんでもアリなのです。
もちろん、責任は必ずとらなければなりません。
それが、個人のカルマ(課題)となるわけです。
ですから、守護霊さま守護神さまが護りにくい状態にどんどん陥っていくことも『アリ』なのですが、そんな状態で何かの拍子に大きな業想念の波を引き寄せてしまったら……。
……イヤな事件にもなりますよね。
我々は、神様の分霊です。
ですから、本来は光そのものです。
それが、神様の意図により、物質世界の創造のために、粗い波動の肉体に降りてきました。
神様とツーカーの状態ではないので、間違い(業想念出しまくり)もします。
そんなこと、神様もちゃーーんとお分かりです。
ですから、1人1人に専任の守護霊さま守護神さまを配置してくださったのです。
(中心の大神さまは『光・愛そのもの』でもあると同時に『法則そのもの』でもあるので、個人個人を護るとかオマケをするとかはしてくれないです。)
「そんな手のこんだことせんと、パパっと『完璧な世界』を物質世界にも現してくれたら良かったのに。」と、それはもうキリスト教の日曜学校に通っていた小学生の頃からずーーーっと思ってきましたよ。私も。
ええ、ほんとうに切実に思いましたね。
でも、そーゆー方法ではアカンのでしょうね。
個人個人の自由意志で創造された『喜びと光にあふれた人生』が1つのピースとなっている世界でなければならんのでしょう。
人間からしたら、えらい遠回りに感じますよね。ほんと。
でも、それが神様の意図なのですから、我々は『喜びと光にあふれた人生』を創造するように心を向けなければならないと思います。
や、もちろん、それも自由意志ですけど。
ですから、その境地になるまで、何度も生まれ変わるんでしょうなぁ。(そのプロセスに意味があるんでしょうね。だから、『悪』も『悪そのもの』では在り得ないわけです。だけど、その肉体のその人生は1度っきりなので、『悪』に直面した場合には非常に苦しいよね~~。できれば関わりたくない、というのが本音だと思う。)
で、守護霊さま守護神さまの手を煩わせ続けるわけです。
ちょっと、申し訳ない気持ちになりますね……。
ですから、「ありがとうございます。」と感謝しましょう、と五井先生は言うのです。
守護霊さま守護神さまに感謝するということは、守護霊さま守護神さまが護りやすくなることでもあります。
そして、結果的にはその感謝の心が、人類の業想念を少しずつでも消していく『光』になるのです。
てことで。
良かったら、一緒にお祈りしましょう。
さぁさぁ。どうぞどうぞ。
世界人類が平和でありますように。
日本が平和でありますように。
私達の天命が完うされますように。
守護霊さまありがとうございます。
守護神さまありがとうございます。
ぐるんぐるん回る。
やっと時期が到来したのか、昨日になって「やらなくちゃ。」と急に思い立ち、五井先生の『統一CD』で統一をしました。
弟1号はぐるんぐるん身体が回るわ、『消えてく姿』はごっちょり出るわ、で「すごい!!」と言ってましたが、はてさて。
お。
おお。
身体、ぐるんぐるん回るぞ。
そっか。
ヴォイスヒーリングの時もそうだったな。
すっかり、(浅い)変性意識状態に入りやすくなっとるんやった。
寝入りばな、だいたい丹光も見えるのが普通やし。
一昨日なんて、寝入る前の変性意識状態で、ある画像が目の中にハッキリとパッと『見えて』しまったし。
意識では「白い影で悪いものではないんじゃないか。」と思ったけれど、潜在系にいる『極度に怖がりの私』がとても怖がるので、必死に「五井先生!五井先生!」って心の中で呼んだんです。
(世界平和のお祈りが間に合わない時は、「五井先生。」って呼びなさいね、と生前の肉体の五井先生が言ってるので、神界の五井先生を呼びまくったのであります。)
そしたら、第3の目(額のチャクラ)が、ものごっつムズムズして、痛いくらいになったんですよ。
怖くて必死に五井先生を呼ぶ私もいるんですが、同時に冷静にいろんなことを分析してる自分もいるんです。
「あらら。第3の目の活性が普段よりぐうううんと高くなってるーー。さすがに神界の五井先生と繋がると最低でも第3の目の活性が高くなるんやろうなぁ。すごいなぁ。」って。
もちろん、先生を呼んでいたら、すーーっと恐怖は消えていったんですけどね。
五井先生が持ってってくれたんですな。
ありがとうございます。
そういえば、数カ月前、これまた寝入りばなの変性意識状態で、草原の上を、まるで魔女のホウキにでも乗ってるかのように飛んでいる自分がいました。
急にその『感覚』になったんです。
これは、飛んでいる私の目線の映像で、飛んでいる感覚も体感としてありました。
前世療法の退行催眠時より映像も感覚もハッキリとしていました。
意識…というか、自我というか、心というか、『普段の脳みそにある自分』は、驚くんですよね。
で、いろいろ分析したり考えたりするんですが、でもそーゆー『想念』は流すままにしておく、というのが変性意識状態でのミソだなぁ、と思います。
ヴォイスヒーリングでも統一でも、同じです。
想念流しっぱなしで、身体の動きたいようにさせてあげるんです。
(どうしても「この体勢は辛い。」って時は、スッと身体を『意識』して戻しますが。)
これが良いのです。
終了後、気持ちがいいのです。とても気持ちがいいのです。
いろんな瞑想のメソッドがありますが、いずれも、こーゆー『気持ち良さ』があるんだろうなぁ、と思います。
多分ね。
というわけで。
瞑想系、お薦めです。
ヴォイスヒーリングもワイス博士の瞑想CDも、本屋さんで売ってるし。
五井先生のお祈りに縁のある人は、五井先生の統一CDが一番良いと思うけど、そうじゃない人で、女性にはヴォイスヒーリングのCDがお薦めかなぁ。
男性は……まずは合気道や気功とか習いに行くのがいいかも。
気の通りを良くしてからですな。
姫さま。
今夜は「オーラの泉」SPでしたね。
宣伝を見て、「おおおー。一茂が出るんかーー。楽しみー。」と、何故かやたらワクワクしておりました。
別に長嶋一茂のファンじゃないんだけど。もちろん、ミスターのファンでもないんだけど。
そしたら、やっぱりビックリな展開でありました。
なんと、江原さんが一茂の後ろに富士山が見える、と言うではありませんか。
『うわっ。姫さまだ!』と思いました。
旦那さんも同時に「姫さまだーーー。」と言いました。
そうなんです。
一茂の守護神さまは、木花之開耶姫さまだったのです。
ミスターと一茂は姫さまの霊系にあるそうなんです。んまーーっ。
なんでそれにビックリしたかというと、この記事に関係が大アリなのです。
説明すると長くなるのでめっちゃ簡単に書きますと、私達は姫さまのお姿を拝見させていただいたのです。
もちろん、そのままのお姿ではありませんよ。(仮にそんなことになったら、姫さまの光で我々は瞬時に丸焦げになってしまうわ。)
二次元で、です。
私と旦那さんは「……?」って感じだったんですが、弟1号はものすご~~~~い反応を示したのです。
神様のお姿から溢れ出してくる『神様の波動』に卒倒しそうになってたんです。
さすが霊能の芽がぴよぴよ顔を出しているだけあります。弟くん。
と、そんなご縁をいただいている私達なので、姫さまの名前が出てくるだけで妙にハイテンションになってしまうのであります。
「かーーっ。一茂は姫さまにかわいがってもらってるのかぁぁぁ~~っ。」と、興奮しておりました。
やたらワクワクしてたのは、こーゆーことだったんだなぁ。
そいえば。
昔々。沼津に住んでいた頃、ドライブの途中に偶然『浅間神社』の前を通り掛かりました。
姫さまの神社だなんて全然知らなかったのですが、なんとも言えない荘厳な感じに、「おお。なんか神様がいるっぽい~~。」と、強烈に思いました。
なので、御参りを兼ねて、買ったばかりの小さな水晶玉を浅間神社のお水で清めさせてもらいました。
その水晶玉。
お父さんにプレゼントしたんですが、なんとなんと、それをポケットに入れてパチンコに行くと必ず勝ったんだそうです。
お父さんが死んで、その水晶玉は弟2号のものになったんですけど、今でもちゃんと持ってるかなぁ~?
そいえばそいえば。
初めて富士山の姿を見た時も、とてもキレイな山だと感激しました。
中3の、修学旅行の新幹線の中でした。
あの感動は、忘れられんですよ。
深い意味があるような気がしてきた。
お父さんが肺癌だと分かったのが10年前の夏です。
まだ私が沼津に住んでた頃です。
結局、3カ月で亡くなったんですが、その亡くなる直前に、私は旦那さんと一緒に『レイキ』のアチューンメントを受けました。
「レイキって何?」って方はググって調べてね。
今はたくさんページが拾えますから。
しかし、当時はこのサイトくらいしかレイキのサイトはありませんでした。
必死だった私は、ここの管理人さんに御殿場のティーチャーを紹介してもらって、一応お父さんが生きているうちにアチューンメントを受けることができました。
そうです。
私は、お父さんのためにレイキのアチューンメントを受けたのです。
しかし、その翌日にお父さんの容体が悪くなり、私は十分にレイキを使ってヒーリングすることができませんでした。
レイキを知ったのは、ある雑誌の記事でした。
お父さんのために何かしたかった私は、旦那さんに頼んで一緒にレイキのアチューンメントを受けたのですが、3rdまでの2人分の料金はお安いものではありませんでした。
せっかくお金も使って得たヒーリングの力なんですから、お父さんが死んだ後も真剣にセルフヒーリングとかすれば良かったのかもしれませんが、気が抜けてしまい、ほとんど使わずじまいのままとなっています。
(1stのシンボルとマントラは思い出した時にたまに使うけど。)
しかし、この数年でものすごく増えたレイキに関するネット上の記事を目にすると、レイキを『実体験として』いろいろ感じている人が多いのに驚きます。
なぜなら、私はレイキでさまざまなエネルギーを感じるなんて経験がほとんど無いからです。
一度アチューンメントを受けたら、ずーっとレイキは使える、と最初に聞いたのですが、自分には劇的な変化は何も起こらないのです。
本当にレイキが使えるようになったのか??と思わずにはいられないくらいです。
レイキそのものを疑うことはありませんが、自分に何かブロックでもかかってるのか、セルフヒーリングをちっともやらなかったせいなのか、とにかく、自分に何か問題があるんかなー?と感じたりしていました。
でも、それもすぐに忘れてしまうんです。
私とレイキの関係って、それくらいのものなのかなぁ、とうっすら思ったりもしていました。
が。
「何のために、レイキのアチューンメントを受けたんだろ…。」
と、ふと思ってしまいました。つい最近になって。
それは、この記事を読んで、そこに書かれているヒーラーの方のことが気になって仕方がなくなったのがキッカケでした。
記事を読んで2~3日後、やっぱり読みたいという気持ちが強くて、2時間近くかかってそのサイトを探しました。
そして、ようやく見つけました。ドキドキしましたね。
その記事に書かれている通り、そのヒーラーさんのサイトにはすごい体験が書かれてありました。
宇宙人や高次の存在との交信は素晴らしくもあり、また非常に壮絶です。
彼女には、どんどん新しいシンボルとマントラを『降ろされる』のですが、そのたびに『浄化』が起こるのです。
心身ともに。
詳細には書いてないけれど、かなりしんどいだろうな、と簡単に想像できます。
こーゆー『選ばれた人たち』(厳密に言うと『お役目を担った人たち』)の高次元の存在に導かれていく過程というのは、必ず大きな苦しみがセットになってるもんなんですもん。
お釈迦様然り。五井先生然り。
とにかく、「すごいなーーー……。」と、口をアングリさせたまま読み始めたのですが、すぐに『親近感』を感じるようになってきました。
それは、私自身との親近感ではなく、五井先生の本に書かれていることと同じようなことを彼女自身または天界の臼井先生など高次の方々が言うからなのです。
私にとって非常に親しみ深い感覚を呼び起こす言葉の数々だったのです。
つまり、『ヒーリングの手段としてのレイキ』という段階をぐぐーーーんと超えているんです。
そっか。
レイキも、真理への道の1つだったんだね。
よく考えてみればそんなの明らかなのに、そんなふうにレイキを捉えてみたことがなかったよ。
でも。
そうすると、さらに疑問が深くなりました。
「何のために、レイキのアチューンメントを受けたんだろ…。」
って。
キッカケはもちろんお父さんのため、だったんですけど、そうじゃなくて、もっと深い意味があるんだろうなぁ、と感じたわけです。
レイキのアチューンメントを受けたことも、そのくせレイキの威力をちっとも感じないことも。
んーーー……。
もしかしたら、私や旦那さんにとって、ヒーリング・ツールとしてのレイキは必要ではなかったのかもしれないですね。
違う使い方をしてるのかもしれんなぁ~。
それが何かは分からないけど。(当然、守護霊さまは知ってるがな。)
と、こんなことをつらつら書いていると、そのうち『ピッ』と繋がるんだろうな。
****
そうそう。
レイキとは離れるけれど、週末に実家で弟1号に『五井先生の統一CD』を貸したのですよ。
統一とは、先生の口笛と柏手を聞きながら、心の中でお祈りをするというものです。
統一をしている時ってのは、救世の大光明とつながる…と、先生は講話でいつも言ってます。もちろん、自覚なんかできなくても、です。雑念でろでろ…でも、です。
私はCDをようやく聖地で購入して、うはうはだったのですが、うはうは過ぎて、ちゃんと統一をしてませんでした。
あんぽんたんちん。
で。
弟が先に統一をしてみたんです。
そしたらあーた!
弟が部屋から飛び出してきて、「すごいよーーーーー。」と叫ぶではありませんか。
さすが霊能の芽が出てる弟。
雑念が出るどころか、身体をひっぱり回されたらしいです。どかーんと『感じた』らしいです。
高次の方々は、いろんなふうに示してくださいますなぁ~。
とても素敵な香り。
息子くんの今一番のお気に入りは、キリンちゃんです。
これは、旦那さんが大学生の頃から持っているものです。
旦那さんは一時期、キリン好きだったのです。
でも、息子くんが角を握りしめて持ち歩く(ひきずり回す)わ、しっぽを振り回すわ、で破れそうです。
このキリンに乗って「ぱかぱか」をやるのですが、乗る用のぬいぐるみではないので、すぐにズリ落ちます。
それでも懲りずにやってます。
そして、私がキッチンに立つと、キリンと一緒にキッチンまで追っかけてきます。
ホントにキリンの角の危機です。どうしましょ。
そんな息子くん。
今日の夕食に『がんもどき』を出されました。
ちょっと前の時は食べたので、母は大丈夫と思って出したんですよ。
なのに今日は食べない。ガンとして食べない。
もう他に食べるものが無くなったので、息子は椅子から降りようとしたんですが、父に制止され、怪訝そうでした。
去年の春くらいから好き嫌いが激しくなりましてねぇ…。
でも、がんもどきはちょっと前にも食べてるし、その気になれば食べるハズなんだけどなぁ~、と思った母。
NHKの子ども番組の『食べる系の歌』を歌ってみました。
「ぱーくぱくぱくっ。ぱーくぱくぱくっ。甘いの辛いのすっぱいのー。」(母、多分歌詞を微妙に間違えている。)
するとどうでしょう!
息子くんってば、ものすごーーい笑顔になって、がんもどきをぱーくぱくぱくっ…と食べ始めるではありませんか。
「かーみかみかみっ。かーみかみかみっ。かーみかみかみかみかみかみー。」(母、ここしか歌詞を覚えていない。)
がんがん食べます。
とうとう完食ですよ。息子くん。
そばで見ていたお父ちゃんもビックリしてました。
おそるべし。『いないいないばぁ。』
そうそう。今日のおやつの時のことです。
大好きなえびせんべいなどを食べている時に、「アキオくん、ちょうだい。」って手を出しても絶対にくれないんですけど、お母ちゃんがキリンちゃんを動かしながら、「アキオくん、キリンちゃんにちょうだい。」って言ったら、キリンにの口元におせんべいを持って行って、食べさせようとしたんですよー。
かわいいぞーーー。息子ぉー。母はたまらんぞーー。
…でも、母はキリン以下の扱いなのか?
****
さて、ここからはフシギ系のお話。
今日の午後、息子がお昼寝をしている時に、なんだか強烈に思い立って『人○即○也』の印の練習を始めました。
まぁ、伏せ字にする意味はほとんど無いんですが、興味ある人は白光のサイトで確認してみてください。
私はご縁をいただいて、五井先生のお祈りを5年ほどチビチビとお祈りさせてもらってますが、白光の会員ではありません。
五井先生、好き好きーー、って言ってるくせに、会員じゃないんですよ。きゃっ。
ですから、五井先生の亡き後、会長をされている西園寺さんが提唱されている『印』というものは、会員でもない私が教えてもらえるもんでは無いだろうなぁ~、と思ってましたし、なにより『印』を教えてもらいたいとはコレっぽっちも思ってませんでした。ずーっとね。
しかし、去年の春頃、急に『印』を教えてもらいたいと強烈に思うようになり、たまたま豊橋で会員の方々から教えてもらえるということを知り、ワークショップに参加しました。
そして2つの『印』を教えてもらいました。
教えてもらってからすぐにもう1つの方の『印』は覚えてしまい、これまたチビチビ『印』を組んでました。
よく分からんのですが、確かに「お。」と感じることは増えました。
しかし、『人○即○也』の印の練習はちっともする気になれないまま、今日まで過ぎてしまいました。
それが、今日は強烈に「体得せねば!(身体で覚えなきゃ)」と、何かに駆り立てられるような感じになりまして、息子が寝ると速攻で練習を開始しました。
一応形になるまで、1時間半ほどかかりました。
そして、形になったので、練習も兼ねて15回ほど組みました。
さすがに疲れました。
まだ息子はお昼寝しています。
ホッと一息…と、お茶を煎れ、先日買ったばかりの五井先生の新刊を手にして、読みかけのところから読み始めました。
読み始めてすぐに、お釈迦様のことについて書かれている部分が出てきました。
『あー。そうなんだー。お釈迦様もそうだったんだー。やっぱり金星なのかー。』と、午後の柔らかい日差しの入る温かい部屋中、少し疲れてポーっとした頭でそう思った時でした。
ふわ~~~……と、とても素敵な香りが漂ってきました。
ポーっとしている私は、『あー。すごくいい香り~~。お花の香りだ~~。ほんとに素敵な香りだぁ~。』と、嬉しくなりました。
私はあまりお花のことを知らなので上手に説明できませんが、敢えて言うならカサブランカみたいな香りです。
でも、もっと柔らかくて、本当に素敵な香りでした。
が、次の瞬間、ハッとしました。
ちょっと待て。
この部屋は締め切ってるし、こんな香りがしてくるわけないんだけど……。
そう我に還った途端、香りはスーっと消えてしまいました。
そして、私はハッと、あることを思い出しました。
ちょっと前に、『オーラの泉』で、美輪さまが言ってらっしゃったことを、です。
高級霊はとても素晴らしい香りがする、と。
もう1つの『印』よりも、『人○即○也』の印の方がとてもパワフルだということは、ワークショップで聞いていました。
しかし、まさかこんな体験をさせてもらえるとは……。
ああ、お釈迦様、五井先生、ありがとうございます~~~~、と、飛び上がるくらい嬉しくなりました。
すぐに弟1号に電話をして話しました。
「そうやろーーー。あの印はやっぱ違うよねー。」と、弟。
私よりずーーーっと霊媒体質の弟がいろいろ感じるってのは、日常茶飯事だし、当たり前だから分かるんですが、私が一瞬でもこーゆー体験をさせてもらえるなんて、ほんとーーに思ってもいませんでした。
それくらいパワフルな『印』なんですねぇ。
(だから、私が体得しようと思うまで時間もかかったんでしょうね。ちゃんと時期が来るまで手が出なかった、と。)
しかし、まだ感動が醒めません。
夜にはタァちゃんママとも電話でお話しました。
すると、さすがタァちゃんママ。
「……でね、その時、すごーーーーいイイ香りがしたのー。」と言っただけで、「きゃっ。それって美輪さんたちが言ってたやつじゃない?きゃーーっ。すごーーーい。」と、速攻で返してきました。
そして、「あーー、そのお話を聞いただけで、私までスーーっとしてきたよぉ~。」と言うではありませんか。
これまた私よりずーーーっと強い憑依体質の彼女は、ここんとこ少し「むむむ。」と感じることが続き、ちょっとばかり『重たかった』んだそうです。
それが、話しを聞いただけでスーーっとした、というのです。
素晴らしいです。
てか、ビバ!高級霊さま。
おすそ分けだけで、彼女は癒されちゃいましたよ。
ビバビバ!!
ちなみに。
アキオは私と一緒に『印』を組みます。
て言っても、ちゃんと真似しきれてないけど。
それでも、とってもイイ感じです。
1日早いけれど、お誕生日プレゼントをもらっちゃった(ようなもんだ)。
先日はお野菜の配達でしたが、今日は相談ってことで例(霊)の先生の所に行ってきました。
農園名はこれで問題ないかしら?とか、まぁいろいろ盛り沢山な相談・質問だったのですが、先生との時間は『神様への信仰』という基礎の上にありますから、どんな相談であっても雑談であっても非常に濃厚なのであります。
全てが『神様トーク』ってわけですな。
しかし、最初っからそうだったわけではないんです。
私の体調不良についての相談から始まったのですが、3年くらいの間はずーーっと行く度に成仏していないご先祖さまがどっかんどっかん見つかるため、今ほど濃厚な『神様トーク』はしてもらっていなかったんです。
それが、一段落ついてからですねぇ。今から思うと。
徐々に濃くなっていきました。『神様トーク』が。
そうすると、やっぱり有り難いもんでして、さらに私達の意識(霊性)も少しずつではあるけれども目覚めていきまして、もっと先生の『神様トーク』への感度が鋭くなっていく……という、好ましい循環が続いていってるのです。
もちろん、その間、いろんな人の話や本からもお勉強させてもらってますしね。
それに、『成長痛』も大きいのから小さいのまで、じくじくやられて変容を迫られ続けてますし、息子のダウン症っていうエラいことデカいインパクトも推進力になってますし。波動エンジン並。
つまり、ご縁はちゃんとそれぞれに合った形で最適な時にいただけるもんなんですけど、それを大事にするか、そこからちゃんと学ぶことができるかどうか、というのは各人の自由意志に任されているってことですね。
たとえそれが病気や事故などマイナスの形で現れたとしても、とにかく『好ましい循環』を掴むためのチャンスは目の前にいーーーっぱい転がっているんですもんね。
そして、その道は様々なのです。
植芝先生のように武道を極めていくことで神様への道が開けた人もいますし、マクロビオティックから神様への道が開けた人もいます。
この世は神様が大いなる意図の元で創造され、この世は神様が遍満する世界なのですから、全ての道が神様への道であるというのは、当然と言えば当然なのですが。
ですから、ご縁をいただいたら大事にして素直に学ばないと勿体ないっちゅーことですな。
大事にできない理由(言い訳)なんていくらでも思い浮かぶけれど、それではいつまで経っても変わらんしね。
私自身も山ほどチャンスをポイ捨てしてきてんだろうなぁ~~、って思いますもん。ああ、勿体ない。
でもね。
あまりにポイ捨てし過ぎると、さすがに負荷がかかるようになるんですよ。
事故とか治りにくい病気とかね。
できれば、負荷がどーんとかかる前に気がつけるといいんだけどねーー。
でも、私にしたって負荷がどーーーんとかかってから慌てたしねーーー。
人間って、そーゆーふうにできてるんでしょうかねぇーーー。ああ、勿体ない勿体ない。
で。
今日は最後の最後に、先生からプレゼントをいただきました。
阿弥陀様のお写真です。
「これ、性(しょう)が入っちゃってるけど、あげるわー。」って。
明日は私の誕生日なので、素晴らしい誕生日プレゼント…ということにもなっちゃいました。(もちろん先生はそんなコト知らないよ。)
おばあちゃんたちとお留守番していた息子に阿弥陀様のお写真を見せたら、スッと『のんのんあん』をしました。
さすがだ。分かっとるなぁ~。この子は。
そうそう。
農園名は『かぎしっぽ農園』で問題ナシでした。やったー。
『かぎしっぽ』って名前は旦那さんがお百姓をやりたくなるずーっと前から私が温めてきた名前なんですわ。
由来は実家の猫、ハナちゃんのしっぽです。
かぎしっぽは福をひっかけて招き入れるんだよん。おほ。
てことで。
これから、『かぎしっぽ農園』をよろしくお願いします。
迷信や蒙昧に覆われた社会
江原さんの書き下ろし文庫本が出たって知ったので、今日行った本屋で探したんですが見つかりませんでした。
***追記***
この本はH15年初版でした。出たばっかの本じゃなかったよ。私の勘違いでした。
**********
で、アマゾンで出版社はどこかなー?と探してみたんですよ。
で、で、ついでにカスタマーレビューもチラっと見てみたんですよ。
そしたら、「カルトと紙一重」なんて感想が書いてありました。
神様仏様のことが心で感じられない、少し頭がイイ系の人が書きそうなコトだよなぁーー、と軽く思ったんですけどね、も一回読んでみたら、この人は本当は何が言いたいんだろう??って分からなくなってきました。
ほんとに分からんのですよ。
こーゆータイプの人たちって本当は何に怒ってるのかなぁ…。
でも、『迷信や蒙昧に覆われた社会はやがて堕落するでしょう。』という意見には大賛成。
世の中で当たり前とか常識とかって思われてることだって、『単に大多数の人間が決めただけのこと』だから、迷信や蒙昧のようなもんだと思うんですよ。都合が良いというだけで。
霊の世界や前世の存在なんて誰にも判断できないという【常識】だって迷信だしね。(自分は目が見えないからってんで「世の中は真っ暗だ。世の中はいろんな色で溢れてると言うのはデタラメだ。」と言ってるのと同じでしょ?「自分にとって世の中は真っ暗だ。いろんな色で溢れているなんて信じられない。」と言うなら間違ってないけど。)
私達はみんな、迷信や蒙昧がごぼごぼ溢れ返ってる世界で必死で生きているのですよ。
だから、迷信や蒙昧を払う光を、真理を常に求めなきゃならんのです。
でないと堕落しっぱなし。
脳の中だけに閉じこもっていて知ったかぶりをしていては危ない、と思うなぁ。
もちろん、それは自分も含めてね。…そう思うんだけどなぁ。
ひゃら~んと降臨されないワケ。
以前、暴走行為などをしてる困った輩についての話題を実家でしていた時、弟1号が言いました。
「あーゆー人たちには言葉で言っても分からんやろうから、目の前に阿弥陀様か観音様がひゃら~んと降臨してでもくれんと仏心が出んやろな。」
なるほど、と思いました。
ある意味、非常に手っとり早くて効果絶大。
暴走族の困ったちゃんたちだけでなく、いろんな困ったさんのところに降臨して人々の魂を浄化くれたらいいのになぁ~、と思いました。
しかし、遍く人々を救いたいと思っておられる阿弥陀様や観音様が、何故ひゃら~んと降臨なさらないのかは、後から分かりました。
浄霊をしていただいた某寺の住職さんがおっしゃったのです。
「神仏が今ここに降りてきてみ。んなもん、みんな黒こげやぞ。」
私達の心と肉体の低い低い粗い粗い波動のまま、超高級霊である神仏の精妙で強大な光を浴びると一瞬にして肉体が黒こげになってしまう、ということなんだそうです。
ほどよく浄化なんてできないんですね。
あまりにも、我々が神仏から遠過ぎるからです。
魂、垢だらけ。
おそらく、神仏への回帰と魂の垢落としが霊性向上への道なのでしょう。
どれだけ時間がかかろうとも、どれだけ回り道をいっぱいしようとも、どれだけ転生をしようとも、みんな霊性進化の道を進み、いつかは自分が菩薩様になるんですから。
超高級霊の神仏のお力を【ダイレクトに】お借りすることはできないけれど、私達には専属の先輩霊(守護霊さま)がちゃーーーんと護ってくださってるんですから、大丈夫なのであります。ありがとうございますありがとうございます。
てことで、千里の道も一歩から。
世界人類が平和でありますように……と、お祈りを続けているのであります。
しかし、です。
神仏に対してちまちまと日々お祈りを続けていれば、魂の垢も少しずつ取れてきて、心も厄介な想念を生み出すことを少しずつでも減らしてくれるようになるのですが、今年になってから、どーにも「オカシイ。」と自分で思うことが多くなってきました。
もともとすぐにイライラするし、怒りっぽいんですけど、上手く説明できないんですが、どーも(好ましくない面の)本性がゲロゲロ出やすくなってきてるんです。
えっと、もちろん、慈悲の心も出やすくなってるんですよ。
だから、ものすごーく心の振幅が大きいんですね。
どーにも、オカシイ…。
五井先生風に言えば、「消えていく姿がいっぱい出てる。」んでしょうけど、なんやら激しいなぁ、とよく感じるようになりました。
そしたらね、理由がちょっと分かった気がしました。
(ココ参照。読んでも意味が全然分からんって人もいると思うけど、そーゆー人は『オーラの泉』を毎週見ることから始めましょう。あの番組はとても分かりやすいし、そーゆーのを信じてなかったフシのある太一もえらい変わったし。しかし、本当にチビタと太一はよく似てるなぁ。話し方やら言葉の使い方も似てるのよね。頑固なところも似てるし。ただ、チビタはもっとダイエットせんと!!)
…い、いかん。光の上昇についていけてへんぞ。私。
顔にも湿疹出てるしー。いやん。
って、冗談はさておき、やはりあまりうかうかしてられないのね、ってことですな。
膿出しで、天変地異もさらに増えるやろしなぁ…。
大難を小難にしてもらいたくても、個人個人がうかうかしとったら無理やろしねぇ。
自分のためにも、家族のためにも、友達のためにも、人類のためにも、うかうかしとったらアカンですなぁ。