◆******◆私信◆******◆
海賊王さま
誕生日プレゼント、どうもありがとうございます。
今日、あまぞんから届きました。
毎年もらうアナタからのプレゼント本は、私が贈る本よりも高価なので、少々気がひけます。
なーんて、ウソです。全然ひけてません。
もらえるもんはガッチョリもらっときます。当然であります。
ありがとうございます。ありがとうございます。
◆***◆私信オワリ◆***◆
そうなんですよ。
もう何年になるでしょう。
毎年、お互いの誕生日にお互いの趣味の本を贈りつけあっているのですよ。海賊王とは。
あ、違う。間違えた。
彼は私の趣味を慮って選んでくれることも多いみたいなんですが、私は自分の世界を展開しっぱなしなのであります。暴走列車は止まれない止まれない。
こーゆーのも面白いので、できればどっちかが死ぬまで続けられたらなぁ、と思っております。(もちろん、私の方が長生きの予定。)
私も少しばかりオカシイような気がするが。
大寒の今日、私の37歳の誕生日であります。
オカン、産んでくれてありがとう。
朝の9時頃に産気づき、昼の12時丁度に生まれたんだそうです。
初産なのにめっちゃ早いお産ですなぁ。
でもって、出産予定日ピッタリだったそうですわ。
私が生まれた日は雪が降ってたそうです。
ヒプノセラピーで見た1コ前の前世では、雪の中で死んだので、雪の日に生まれたのも必然かも。
そんな私の原点である実家には、現在オカンと弟2人がいます。
今日になって、弟2号の新しい日記の存在を知りまして、つらつらと読んでみました。
……。
『普通の家庭』というものがどんなものかも分かりませんし、世の中の家庭の平均値を『普通』というなら、ほとんどの家庭はどこかしら『普通』からハズれていることになりますよね。
そうは言っても、ウチの実家はやっぱりちょっと端っこの方にズレてるというか、オカシイということに気がつきました。
もちろん、オカシイというのは褒め言葉で使ってますが、ちょっと頭がオカシイというテイストも若干含んでます。
私がその場にいたら、それこそ『普通』なやりとりなもんだから、なにがオカシイのか分からんやろな、と思ったんですけど、少し客観的に家族のことを見た(読んだ)もんですから、途端に「……オカシイ。」って気づいちゃったんです。
大笑いしちゃいましたよ。自分の家族のやりとりなのに。
こーゆー色の家族の中で育ってるんですから、私も少しオカシイのかもしれませんね……。
『オーラの泉』を見ていれば、自分というのは現世での環境の影響によって形成されているだけではなく、自分の前世での生き方・考え方の癖も持ち越してるんだなぁ~~、というのがよーーーく分かります。
んでも、やっぱり現世の影響ってスゴいね。
家族みんなで影響し合って、なんだかみーんなオカシイんだもん。
そして、その『ちょっとオカシイ』色は、確実にアキオにも出てきてるし。
さすがに旦那さんは、オカシイ色には染まってないけど、だんだんだんだん馴染んできてるしなぁ~。
でもね。
あのオカシイ人達の中で、私は1番『普通』なのであります。
23歳から実家には『住んでいない』ので、色が褪せてきて『普通度』が徐々に高くなっていったんでしょう。
実際、弟1号にはよく「おねーちゃん、社会人になってからツマらんくなった。」と文句を言われてましたし。
…そんなコト言われてもなぁ。
そんなオカシイ弟2号の日記はコチラ。
1月11日(あ。オカンの誕生日やないの。)の日記がオカシイ度高いです。
お野菜の販売、始めました。
去年の3月にこっちに引っ越してきまして、旦那さんがお百姓見習いを始めました。
畑と田んぼを借りて、師匠にいろいろ助けてもらいながら、それなりにいろんなお野菜やお米が収穫できました。
本当にありがたいことなので、1年目は家族や親戚、知り合い友達に配って食べてもらい、1年経ったら少しずつお野菜の販売をしようか、って旦那さんは言ってました。
でも、去年末からお客さんがついてくれました。
いつも夕食会に招いてくださるクリニックの先生と、ずーっとお世話になってる例(霊)の先生です。
お野菜が美味しいからって、定期的に買ってくれるって言うんです。ありがたやありがたや~~。
というわけで、予定より早くお野菜のお届け販売を始めちゃいました。
日曜日には例の先生の所に、今日はクリニックとくすりのミヤノさんにもお届けに行きました。
しかし、値段のつけ方が分からんのです。非常に難しいのです。
今までサラリーマンだったし、商売したことないし、お百姓って言っても慣行農法じゃないしー。
なので、無農薬野菜を通販で購入しているユウスケ母に電話して、利用している所はどんなもんか教えてもらいました。(ありがとね!)
そして、くすりのミヤノさんにもサンプルを持って行って、「お値段のつけ方が分からんのですー。」と相談しました。
いろいろ親切に相談にのってもらった上に、サンプルをとりあえずの値段でお買い上げしてもらっちゃいました。
あああ、ありがたや~~。
クリニックの夕食会でも、先生や先生のお母さん、夕食会に来ていたみなさんがいろいろ意見を言ってくれました。
値段のことだけじゃなく、いろんな面でもアドバイスをいただき、家に帰ってからも旦那さんといろいろ話し合いをしました。いや~~、ほんと勉強になるですよ。
クリニックの先生は全面的に協力してくださるみたいで、本当に嬉し過ぎです。
「俺らは、みんなに育ててもらうんや~。」と、旦那さんはニコニコしながら言ってました。
うん。ほんとそうだなぁ、と思います。
もちろん、こうやって直接関わってくれている人たちだけじゃなく、旦那さんが会社にいる頃から理解を示して応援してくれていた家族や友達にも『育ててもらっている』と感謝してます。
今年はまだまだ我が家の収支は赤字だと思うけど、少しずつ少しずつ理解者(お客さん)も増えていくと思うし、私達もできることを増やしていけると思うし、自然(神様)への感謝を常に持っていれば、きっと美味しいお野菜がずっと育ってくれると思うんで、脇道に逸れて行かないように注意していきたいと思います。(←脇道に逸れやすいのは旦那さんじゃなくて私の方。まだまだ業が深いんで。)
てなわけで。
お野菜の販売を始めました。
名古屋方面のお友達で「買ってもいいよ。」と言ってくれる人も少しだけいますが、購入希望が10件前後あれば1ヶ月に1回くらい配達に行けるんだけどなぁ~、と思ってます。
きっと、これもそのうち実現できると思ってるんですけどね。いつ頃になるかな~?楽しみ~~。
仏像好きにはたまらん番組でしたな。
今日、この番組を(ところどころではありますが)見てました。
いいですねぇ。仏様は。
まったりというか、うっとりというか、とろとろ感いっぱいになりますね。
ところで。
私も目隠しして曼陀羅にお花を投げたいです。前から密かに思ってたんですが、真言宗のお坊さんにならないとやらせてもらえないもんだと思ってたんですよ。
そしたら、番組の中でモデルのはなちゃんがやらせてもらってるじゃないですか!
かーなーり羨ましかったです…。
はなちゃんってば、真ん中(大日如来様)にお花を落としてたし~。更に羨ましーー。
ええ。
私は大日如来ファンでもあるのです。
未年生まれと申年生まれの人の護り本尊は大日如来様なんです。
なので、一時期なんてよく大日如来のご真言を唱えてました。
そしたらあーた!
ご真言を唱えてる最中に頭から光がどーーーん!と入ってきて、足の裏から光が抜けて行った、という経験を1度だけしました。
ビックリしましたよーー。ちょっとビビりましたよーー。
てか、どえりゃービビったって。根がビビリやでね。
てなわけで。
自分の護り本尊は何かしら?ご真言は何かしら?と思ったら、コチラを見てね。
私は一瞬垣間見るだけだったんだが。
弟1号は哲学者のヒヨコなんですが、姉の私はと言うと、どーも哲学というのは苦手であります。
昔っから感覚的にモノゴトを捉えてるところが大きいせいかもしれません。
でも、このブログはよくチェックしてます。
(弟に本職の話を聞くと非常に長ぁ~~~くなるんで、聞かないようにしてるんですがね。)
で、さきほどチラっと読んでいて、ふと思い出したことがありました。
小学生や中学生の頃に、時々ある考えに突如囚われてしまうことがあったんです。
この世界は、私が『こうだ』と思っているような世界ではないのかもしれない。
というものです。
例えばそれが、よくある『この世界はニセモノかもしれない。自分以外は役者みたいなもので、観客に全て見られて監視されているのかもしれない。』みたいな考えに至ると、うわーーーっと叫びたくなるような気分になったものです。
こーゆーのって、精神的な病気の人にも多いですよね。
病気の人は、それが『リアル』なんですけど…。
いや、病気だから『リアル』なんじゃなくて、『リアル』だから病気になるのかもしれんですね。
自分が『こうだ』と思っていた世界が本物ではないと知ったら、まるで足元に何も無くなってしまったような感じになっちゃいますよね。
それを、一瞬垣間見るだけなのか、リアルに感じ続けるのか…の違いは大き過ぎます。
大人になってからはあまりそーゆー想いが浮かんでくることは無くなったのですが、それらを思い出して、この世界は、私が『こうだ』と思っているような世界ではないのかもしれない。というものは、案外本質的なものなのかもしれないなぁ~、と思いました。
ただ、やはり私は感覚的に捉えてるだけなので、言葉にしてちゃんと伝えられないのねん。
なので、哲学者のヒヨコみたいにはいかないのであります。
仕方がないわね。
息子はたくさん遊んで疲れて、お風呂前に寝た。(でもお風呂に入れた。)
結局、大晦日の夜に1人で年越しそばを食べたお母ちゃんです。
みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いしまする。
元旦の本日、お参りデーとなりました。
氏神様へお参り、豊川稲荷へお参り、三河一宮の神社にお参り……と、近所ばっかりだけど、氏神様以外は人出が多かったので、旦那さんの実家に帰った時にはドッと疲れが出ました。
特にお稲荷さんはものすごい人出で、ご祈祷待ちの時間も非常に長く感じました。
息子ってば、ご祈祷待ちの広間で歩き回ってたせいで疲れたらしく、ご祈祷中は昼寝してました。
まぁ、ご祈祷中に騒がれるよりはマシか。でも勿体ないっ。
そして夜は、旦那さんのすぐ下の弟くん一家も実家に来まして、みんなでお食事会でした。
アキオは従姉妹や叔父ちゃん叔母ちゃんと遊んでもらって大喜びでした。
特に叔母ちゃんは幼稚園の先生をしていた人なので、ほんと上手に遊んでくれるんですわ~。
アキオさん、叔母ちゃんにメロメロになってました。
お母ちゃんと違って女らしいというか、優しいというか、とにかく全然雰囲気が違うのですよ。叔母ちゃんは。
そーゆー部分もアキオさんにとってはメロメロ要因の1つになってんじゃないのか??と、お母ちゃんは観察しながら考察しておりました。
ええ、そうなんですよ。
アキオの周りにいる女性陣には、叔母ちゃんタイプの人があまりいないんです。
だってね、初めて彼女と少し話をした時に思いましたもん。
「あー。クラスが一緒でも友達のグループが全く違ってて、あまり親しくはならんタイプやな。」って。
この感じ、分かります?
類は友を呼ぶわけですが、その『類』が少し違うんですな。
なので、呼び合わないのです。同じクラスにいても。
だから、放課後一緒に買い物に行ったりする仲にはならんのだけど、決してお互いに嫌ってるとかっていうわけではない……っていう感じです。
分かります?分かります??
それが大人になり、こうやってタイプの違う人とも縁ができるというのは面白いなぁ、と思える今日この頃。
でも、あまり接したことのないタイプの人だから、今だに『丁度良い距離感』が分からず踏み込めてません。
いや、踏み込んでいいのか踏み込んではいけないのかさえも分かっていません。
とは言っても、これから何十年と長い付き合いになるのですから、いつかは『丁度良い距離感』が分かるハズ。
それまでは、会う度にちょっとじれったいような変な感じが残るんですが、それもまた、いとをかし、ですな。
ちょっと寂しいやんけ。
紅白を見ております。1人で。
息子はもちろん、旦那さんも寝てしまいました。
なんだかとっても疲れたんだってー。
まだ年越しそば食べてないから、年越せないよぉー。うおーー。
1人でおそば作って食べよかなぁ。
なんだか寂しー。
夢うつつ
昨日はそもそもとても遅い時間に布団に入ったのですが、夜に紅茶を2杯も飲んだせいもあって、寝入るのに少し時間がかかりました。
けれど、それは「眠れない……。」と目が冴えちゃった、という状態ではなく、覚醒と睡眠の中間くらいの状態が少し長く続いた、というものでした。
変性意識状態に近い状態なんでしょうね。コレって。
突如、自分の目の前が美しい広い草原になりました。
そして私はまるで魔法のホウキにでも乗ったかのような感覚になり、その草原の上をすごいスピードで飛んでいました。
半分覚醒状態なので、「うわ。なんだこれ。」と私の思考が驚いていたんですが、ものすごく気持ちよくて、このまま飛んでいたいなぁ~~とも思いました。
なのに。
息子が夢でも見たらしく、突然「うーー。うーーー。」と唸り出し、現実の方に気を取られた途端パンっと目の前の景色も感覚も消えてしまいました。
もーー、ガッカリ。
そして、朝方。
今度はしっかり睡眠中に夢を見てました。
とても良い感じの温泉宿に到着し、ワクワクしながらフロントで名前を確認しようとしてたんです。夢の中で。
そしたら、またまた息子が唸り始め、目が醒めてしまいました…。
「もーーーー。お母ちゃん、これから温泉に入ろうと思ってたのにーーー。」と、寝ぼけながら『オッパイ』のサインをしている息子に恨み言を言いつつ溜め息をついた母なのでした。
いいところ、2回も邪魔されちゃったよ。はうー。
ちなみに。
夕べは旦那さんも素晴らしい夢を見たそうです。
高い山に昇って、美しい雲海を眺めたんだそうです。
山の頂上までは昇ってなかったそうなんですが、夢見としてはそれが良いんだそうです。(夢占いの本に書いてあった。)
…旦那さんはアキオに邪魔されなかったみたいで羨ましいなぁ。
年賀状の準備はもうお済みですか?
今さっき、旦那さんが180枚の年賀状を持って郵便局に出かけて行きました。
いつもこうしてギリギリになってしまいます。年賀状作り…。
ベースの絵はクリスマス前に出来上がってたんだけどなぁ~。
ウチの年賀状は私の手書き(描き)がベースとなっています。
まず紙に下絵を描きます。
それをサインペンでペン入れして、余白にアレコレ書きます。
こいつを次にスキャナで読み取りまして、パソコンで色塗りをします。
色塗りって言っても、ペイント用ツールのベタ塗りモードで指定した色をドパーっと塗りたくるだけなので、あまり時間はかかりません。(以前はちまちまちまちまと筆モードで色塗りしてたけど、そんなに時間もかけられないので、今ではベタ塗りなのさ。でもって、こっちの方がキレイだと気がついた…。てへ。)
と、私の仕事はここまで。
その後は、お抱えデザイナー(旦那さん)に「こんな感じにしてー。」と、注文しておきますと、旦那さんが仕上げをしておいてくれます。
そして、去年の年賀状と年内にもらった引っ越しましたハガキなどをパソコンに入ってる住所録と照らし合わせて更新し、印刷となります。
家族写真や子どもの写真が多いですよね。年賀状って。
もらう方としては、「おー。こんなに大きくなったのか。」と、友人の子ども達の成長が分かるので良いのですが、自分はそーゆー年賀状にはしたくないのです。
みんなと同じじゃ、なんかつまんない気がしまして。
作業量としては、写真を選んで加工してレイアウト考えて……ってのと、そんなに変わらんと思うんですがね。
ま、こーゆーのが『プチこだわり』なんでしょうな。
しかし、年賀状ってその人(家族)のセンスがモロに出ちゃいますよね。
おそるべし。
誰も、かわいそうな人なんていない。
雪がコンコンと降ってきた昨日の夕方。
おでかけをしていて、夕食の支度が遅くなったのでバタバタしていたのです。
その間に、地方の夕方のニュースで、あるダウンちゃんの特集が放送されてました。
私は最後の最後の3秒くらいしか見なかったのですが、旦那さんは少しばかり見たようでした。
そのダウンちゃんのことは、以前にもテレビで放送してました。
彼のお父さんが仏師さんで、そのお弟子さんが彼の面倒をよくみていました。
実は、そのお弟子のお兄さんのお母さんと顔見知りなのです。私ってば。
いや、もっと言うとですね、最初に彼のことを教えてくれたのは例の先生なのです。
そんなこともあり、前回の放送はじっくり見させてもらったのですが、今回は放送することも知らなかったので仕方がないのですが、見れなくて残念でした。
(タァちゃんママが携帯メールで番組のことを教えてくれてたんだけど、そのメールも番組が終わってから気づいたのよねぇ…。)
さて。
今回のその放送を見た旦那さんが言いました。
「普通はさ、あーゆーのを見たら、あの子にみんながいろいろ教えてる助けてる…って思うんだろうけどさ、俺には“みんながあの子にお仕えしてる”って感じたんだよー。どーしてもそういうふうに思えちゃったんだよー。」
ほほぉ…。
例の先生も、彼はお徳が高いから、周りが自然と助けてくれるんだと言ってたよなぁ。
だから、旦那さんにはそんなふうに感じられたんだなぁ…、と思いました。
なんか、いいですねぇ~。
****
障害者として生まれた人たちでも、彼のようにお徳がとても高いからこそ選んで生まれた人もいれば、前世の償いで生まれてきた人もいます。
同じ障害、同じ病気、同じ境遇でも、みんなそれぞれ魂の持つ因縁やお徳や課題は別モノなのです。
だから、きっと、たとえどんな障害でもどんな病気でもどんな人生でも、その人が『かわいそう』だと思うのは、多分間違っているんだと思うようになりました。
『その時、身体や心が辛い…と感じている』ということについては『かわいそう』だと私が感じて当然だとしても、その人そのものは決して『かわいそう』ではない、と分かっていないといけないなぁ、と思ったのです。最近。
辛いと感じていることに同情はしても、その人そのものまでも『かわいそう』と思ってしまうから、時々違和感を感じていたんだなぁ、と気がついたのです。
それに気がつくと、誰か(または過去の自分)と比べてあーだこーだと感じるということは、本当に意味が無いことなんだなぁ、と分かってきました。
たとえば、先日亡くなったダウンちゃんのことも、彼の病気のことを聞いて
「彼とは違って、アキオは重い合併症が無かったから本当に良かった。ありがたい。」と、思う私がいました。
そんな自分に違和感やら罪悪感を感じていたわけですが、何故違和感を感じていたのか、がようやく分かりました。
でも、こういうことって、結構多いと思うんです。
条件反射的に比較することが癖になってる人って多いと思うんです。
だから、比較してしまうことに罪悪感を感じても仕方がないなぁ、ということにも気がついたんです。
だって今の自分は、そーゆー癖を持っちゃってるんですもん。
無理矢理なんとかしようとしても無駄ですもん。
だけど、それが癖なんだな、ということや、意味の無いことなんだな、ということを分かっていれば、だんだんと変わっていくんだろうなぁ~~、と思うんです。
すると、無駄な罪悪感を持たなくても済むようになってくるのです。
面白いもんです。
そうそう。
自分に対する罪悪感が強い人って、自分以外の人に対しての怒り(批判)も強いですよね。
…自分もそうだったけど。(今も、か。まだまだでござるよ。)
そーゆー思考の癖の産物に振り回されてると、自分の魂の本当の本当の願いが分からなくなりますよね。
気をつけましょう。(だから、自分も含めてだってば。はい。気をつけます!)