前に日記に書いた白血病のダウンちゃんですが、亡くなりました。
タァちゃんママが泣きながら報せてくれました。
彼の魂はニコニコしながら天国に旅立って行ったんだろうなぁ、と思いました。
天使そのもの。
「ダウン症児を持つ母親」でも、みんなそれぞれ。
私の日記を読んで、メールをくれたママさんがいました。
彼女の娘さんもダウン症で、白血病の治療中だそうです。
2通目のメールには病気についていろいろ書いてくださってました。
白血病に至るまでには、さまざまな状態(病気)があるようで、難しい病名がいろいろ書いてありました。
病名の字面を見るだけで大変そうな病気だなぁ、というのが伝わってきます。
そして、そのメールにはママさんの今までの葛藤についても書かれていました。
もちろん、私とは別の個性と人生を携えた人のものですから、彼女の葛藤を丸ごと私が共感できているわけではないと思うのですが、同じダウン症児を持つ母親としてベースの部分は同じようなもんだよなぁ~、と感じました。
そして、そんな想いを私なんぞに書いて送ってくれたのが、とても嬉しかったです。
「そうそう。そうだよね。」と、お互いに『自分だけじゃないんだ。』と誰かと確認し合うことって、時々は必要な気がします。
慰め合ってると言えばそうなのですが、けれどもそれは傷をなめ合うのではなく、鏡を見るような感じなのではないか、と思ってます。
そして、それぞれ同じところ違うところを見つけて、自分はこれでいいのか、少し軌道修正した方がいいのか、見習った方がいいのか…を考えるのです。
まぁ、別にこれはダウンちゃん限定というわけではない話だと思いますが、それでもやっぱり多数派ではないので、そーゆー時も必要なのであります。
で。
自分が常に正しいとは思っていないので、他のお母さんたちの話が聞ける時はいろいろ勉強させてもらおうとしているつもりですが、ある意味では自分ってスゴいかも~、とも思っています。
それは、息子の将来について不安をほとんど持っていないからです。
そりゃね、ダウン症だと分かった時は不安でしたよ。
でもそれから、それが大きなキッカケともなり信仰が深くなって行きまして、息子の将来についての不安はどんどん消えて行ったのです。
(ついでに自分の将来についても不安が消えて行ったのであります。)
この『将来について不安がほとんど無い』というのはかーなーり強いですよ~~。
逆説的ですが、私の場合は『息子がダウン症だったから、不安が無くなって行った』わけです。
自分自身の体調不良が五井先生との縁を持ってきてくれたのですが、残念ながらそれを自分だけでは深めることができなかったのです。
そしたら、息子がやってきて、手をひいて連れてってくれたのです。ここまで。
ですから、自分が正しいとかスゴいとかってんじゃなくて、「ねぇねぇ。これもアリだと思わない?良かったらどっか少し真似してみない~?」と、いう思いも込めてブログにいろいろ書いています。(まぁ、モノを書かないといられないから書いてるってのが大きいけれど。てへ。)
誰かの心に何かがひっかかればいいなぁ、って感じで。
そしたら、上記のママさんの心にひっかかってくれたのです。
嬉しいもんです。やっぱ。
……ただね。
特に出産後、自分がどんどん変わってってるから、むかーしの日記や書き物を読むと、ちょっとイタイこともあるんだけどね。
パンツを見られるより恥ずかしい場合も、ある。うん。
私も彼に教えてもらっているのだ。ありがとう。たけちゃん。
今日は『天赦日』です。
一年に5~6日ほどしかないスーパー大吉日です。
新聞屋さんが年末に届けてくれる高島暦にも「天しゃ」って書いてあるですよ。
これから結婚する方々、絶対に天赦日に結婚式をした方がいいですよ。覚えておきましょう。
さて。
昨日帰宅したら、タァちゃんママから白血病のダウンちゃんの様子を知らせてくれるメールが入ってました。
あまり良い塩梅ではないようです。
そのメールを読みながら、いろいろ考えてしました。
人は、生まれてくる前に、人生の青写真を決めてくるそうです。
それは多くの場合『持ち越しの課題に挑戦する』とか『カルマを落とすため』などの理由に因るものとなっています。
ダウン症児として生まれ、白血病を患う…というのは、間違いなく『彼にはそうしなければならない因縁がある』ために、彼自身がそのような人生を設計してきたのです。
それは、彼のカルマを落とすためなのかもしれないし、『子どもが重い病気になる』という学びをしなければならない親を選んで『大切なことを教えてあげている』のかもしれません。
いずれにせよ、偉大なチャレンジャーであるわけです。彼の魂は。
(大人の場合は、それまでの人生の『癖』が病気を呼び込んでることが多くて、その『病』から【思い出さなければならない大切な真理のカケラ】に気づけば、病は癒えていくんです。でも、癖は治りにくいし、大切なことは忘れっぱなしだから、自ら苦悩を手放せずにいる場合が多いのであります。)
と。
そーゆーことは分かっているのですが、『同じダウン症児の母』という面が、同時に非常に悲しむのです。
白血病では、きっと身体はダルいだろうし、しんどいだろう…と、思います。
それについては「ああ、かわいそうに…。」と思うのですが、私は彼がかわいそうな子だとも不憫な子だとも思っていません。
それは、アキオにしてもタァちゃんにしても菜桜ちゃんにしても同じです。障害があっても病気があっても不憫な子ではないのです。
私は、彼らの魂の勇敢さに敬意すら持っています。
しかし、母性は『肉体界のもの』なんですね。
彼のお母さんの悲しみが伝わってくるように感じるのです。
泥臭いっちゃあ、泥臭い。
と、まぁ、上手く自分の中で統合できずにいて少々乖離気味だなぁ、と感じるのですが、『悲しみを一緒に共感する』ということが、悲しみの真っ只中にいる人にとっては大きな癒しになるのですから、ちょっと想いの置き所に戸惑ってはしまいますが、今は悲しむ心も大切にしたいと思いました。
だって、肉体界で生きているんですもんね。
悟りを得るにはまだまだまだまだ道のりは遠そうだし。
ですから、「どのような形であれ、彼の天命が完うされて霊性の進化がさらに深まりますように。」と祈らせてもらっています。
愛情を込めて。
菜桜ちゃん、手術中。
今日は菜桜ちゃんの根治手術日です。
今、手術真っ只中のはずです。
大変な手術ですけど、無事成功して、術後の経過も良好であるように祈ってます。
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(追記)
菜桜ちゃんの手術は成功だそうです。良かった良かった~。
まずはホッと一安心。
あんよ?
アキオが始めて自力でたっちした時は感動的だったんですが、始歩となると、どれが「はじめの一歩」なのかハッキリしないため、あんよ始めの感動ってものが非常に薄いのであります。
この2~3週間、息子さんはたっちをあまりしなくなっちゃいました。
そしたら最近、またたっちを頻繁にするようになり、それに合わせて「足を一歩前に出す」ような動きが多くなりました。
でも、以前から一歩踏み出す動きはあったんです。
たまに、ですけどね。
しかし、それは始歩なのか偶然なのかがハッキリしなかったので、たっちの時のように手放しで喜んだりはできませんでした。「おー。歩いたっぽんやん~。」ぐらい。
なんにせよ、ダウン症児の始歩の平均は2歳前後だそうなので、まぁまぁ平均的なんでしょう。息子さん。
それに、あんよをしたと言っても、てけてけ歩くようになるまでがこれまた長いこと時間がかかりそうなので、当分はまだまだ高這いとカタカタでの移動が主であることには変わりありませぬ。
まさに、スローライフ。
え?
コレ読んで、ちょっと驚いた。
療育って何だろう?
2つ前の日記にコメントをいただきました。
それを読んで、ふと思いました。
「…療育って、なんだろ?」
根本的な疑問ですね。
名古屋にいた時には、2か月に1度、児童福祉センターで訓練を受けてましたが、ぶっちゃけ「オモチャで遊んでるだけ」でした。(それを無駄と言ってるわけではないよ。)
整形の先生からは、「健常児の2倍の時間をかけて発達すると思っててね。」と言われていたので、それより若干早いくらいの発達を見せていた息子に対して、私はあまり心配をしていませんでした。
ですから、「訓練って言っても遊んでるだけってことは、そんなに必死こいて何かをさせる必要がないってことだろうなー。この子のペースで発達してくれれば、それで良いってことかなー。」と、勝手に思ってました。
麻痺のある子の訓練なんて、泣きながらでもやらされてましたから、それらと比べたら息子の訓練なんて訓練と言うのもおこがましい…って思えるくらいでした。
なので、「療育って、この子の場合、何が必要なんだろう???」と、ハタと思ったわけです。
そこで、ダウン症児の育ち方・育て方という分厚い本をひっぱり出してきて読み直してみました。
……やはり、よく分かりませんでした。
だって、勝手に育ってくれてるんですもん。
もちろん、母としてできることはやってきました。
大人しいうちは毎日ベビーマッサージもしてました。
大人しいからと寝かせてばかりいないで、ラッコ抱きをしながらずーっと話しかけたりスキンシップをして遊んでいました。
歌を歌ってあげたり、言葉がたくさん出るようにオウム返しやオシャベリ(もどき)もたくさんしました。
いっぱい誉めて、いっぱい芸も教えました。
けれど、これってダウン症児だから特別にしていた訳ではないのです。
たとえ息子が健常児であっても、私は同じことをしてきたでしょう。
ですから、『勝手に育ってくれた』と私は思うのです。
ま、生まれる前から例の先生に「この子は勝手に育つから大丈夫。」と言われてるしなぁ。
早期療育を否定しているのではないんです。
ただ、本当に「療育」って何だろう?何が必要なんだろう?ってのが、アキオの場合については分からないのです。
もう少し大きくなったら、言語聴覚士に言葉の訓練をお願いしたいなぁ、とは思っているのですが、医学的検査以外について、今の段階では明確なものが見えてこないのです。
これでも真剣に考えてるんですよ。マジですよ。
ただ、もしかしたら一般的ではない考え方をしてるかもしれません。
ダウン症の本にも「ノーマライゼーション」と何度も出てきましたが、『より健常者に近づけること』が『正しいこと』という常識を鵜呑みにしていないんです。私も旦那さんも。
できないよりできた方がいい。できることが多いほど可能性が広がる。
それはその通りだと思うんです。そう望む心も私の中にはあります。
けれど、「何故、この子がダウン症として生まれてきたのか。」という問いを深く深くしていったら、やはり『常識』を鵜呑みにはできなくなってしまったのです。
……もっと、踏み込んで本音に近い部分を言おうとすると、オカルトになってしまうんでこの辺にしときますが。はっはっはー。
とは言っても、プロの力を何も借りないというのも勿体ない話なので、そのうち障害児の施設に見学に行ってくるつもりです。
(引越後、管轄のセンターに療育手帳の件で行った時に、施設のパンフレットをもらったんですわ。でも忙しくて忘れてたのさー。ほら、旦那さんも農繁期でめっちゃ忙しいしね~。私1人ではその施設まで運転して行くのがコワイのよ。まだまだ運転に慣れてないから。んがー。)
染色体の不思議。
月曜日の夜、スーパーテレビで『滑脳症』の娘さんと家族のことが放送されてました。
先天性の異常で、脳にシワがない病気だそうです。
脳にシワが無いということは、脳機能が著しく低下してるってことですよね。
その娘さんも、重度の障害者となっていました。
で、その番組を見た後、知らない病気だったのでネットで検索をしてみました。
そこで、たまたまココに辿り着きました。
すでに私の興味は『滑脳症』から染色体異常のことに移っておりました。
高校生物レベルの知識しかないので、ダウン症についても、「染色体異常・1000人に1人の確率で発症」くらいしか覚えてなかったですもんね。
そんな私なので、ほーーー、と唸りながら読んでいきました。
息子は21番染色体がトリソミーとなってます。
3本持ってる、ってことです。
でも、テトラソミー、ペンタソミーって名前を見て、まずちょっとビックリ。
4本5本という場合もあるんですねぇ。染色体によっては。
そいでもって、もっとビックリしたのが、片親性ダイソミーという言葉でした。
ダイソミーだから、通常と同じ1組2本なんですよ。
それでも、何故か任意の染色体に関して、片親から2本もらっちゃった、というのが片親性ダイソミーだそうです。
片親からもらったって、ダイソミーはダイソミーだから問題ないやん、と高校生物レベルの知識しか無い私なんぞは思うわけですが、そうはいかんのが染色体の不思議なところなんですな。
『母親からの染色体上の遺伝子しか働かない』なんてのがあるんだそうです。
そうすると、ダイソミーなのに、遺伝子が倍あるのと同じ…ということで、障害になるわけですよ。
不思議じゃないですか?
その母親の2本の染色体だって、元々はじいちゃんばあちゃんから1本ずつもらったものですからねぇ。
母親の体内では「こっちは親父さん由来の染色体だからーー、じゃあこの遺伝子はお休みしててね。」って言われてるんですよ。
なのに、子供の体内では「これはお母さん由来のだからガンガン働いてねー。」って言われてるんですよ。
はーーー、なんだか不思議だわーーー。
遺伝子にしても染色体にしても、ある程度の範囲で変異を起こします。
そのせいでいろんな障害や病気になるわけですから、厄介なもんです。アキオもダウン症になっちゃったしねぇ。
しかし、遺伝子も染色体も変異を起こす『緩さ』があるからこそ、生物進化が可能なんですよねーー。
キッチリとコピーしていたら、何も変容が起こらないですから。
とすると、こーゆー障害を持った子たちはみんなで大事に大事にしないとアカンでしょーー、なんて思ったりしてしまいます。
生命の不思議をより分かりやすく体現してる子たちなんですもん。
医者嫌い。
ブログは気分転換が簡単でイイですなー。
今回はらぶりーなワンちゃんであります。
もちろん、無料のしか使わんのやけどね。
昨日は旦那さんと一緒にアキオの麻疹(はしか)の予防接種に行きました。
生まれた時からお世話になってた先生に引越しする前に挨拶もしておきたかったからです。
この先生、生まれながらの小児科医という感じの方なんです。
もちろん、息子のダウン症の告知もこの先生でした。
この先生に告知してもらって、本当に良かったなぁ~、と今でも思っています。
こーゆーのも縁なんでしょうね。
しかし、息子は怪訝そう。
そうなんですよ。すっかりお医者さん嫌いになっとるんですわ。
数えるほどしか病院には行ってない息子ですが、耳掃除やら予防注射やらと、どうにもこうにも不愉快なことばかりされるので、すっかりお医者さんに対して不信感バリバリになっておるんですな。
待合室などではご機嫌なのですが、耳鼻科にしても内科にしても小児科にしても、お医者さんの前に来ると逃げようとするんです。
内科なんて痛いことされてないのにねぇ。水イボ診てもらったりお腹診てもらったりしただけやん。
そいでもってですなー、どうしてそんなに素早い動きができるの?ってくらい機敏な動きで逃げようとするんです。
お前、ほんとーにダウンちゃんか?と言いたくなりますよ。ダウンちゃんはおっとりしてるって言われてるやん。
昨日も先生に「素早いねぇ~。」と笑われましたよ。うはー。
逃げ足の早い子になるかもしれんな…。
この先生に告知された時、先生があくまで自分の意見だけど、と話してくれたことが心に残ってます。
「ダウン症の子に対して早期教育をするという人もあるけれど、僕はそれでダウンの子の良い面が損なわれることもあるから、あまり好きではないんですよね。」
早期療育は必要だろうな、と思うんです。発達障害ですからね。ダウン症は。
でも、確かに早期教育はいらんかもなー、と思ったんです。
いえ、それまではね、少しは考えてたんですよ。
もちろん、ダウン症だとは思ってなかったので、健常児に対する教育の範囲で、です。
それも、「右脳教育が流行りだけど、あれは好きじゃないなー。でも、英会話は早いうちから何らかの形でやった方がいいかなー。」って程度なんですけど。
けど、ダウン症だと分かって、そんなものも吹っ飛びました。
この子の良い面がすくすく伸びるように育ててあげたい、とだけ思うようになりました。
なので、とにかくお母ちゃんもお父ちゃんもアキオと一緒にたくさん笑おう、と思いました。
そして、一緒にお祈りをして、アキオの優しい心がそのまま素直に伸びていけるように、と願いました。
先生の一言で、私の子育ての中心点が定まったような気がします。
ありがたいことです。
1歳半検診には行きたくない母。
もうすぐ息子も1歳半です。
ということは、保健所での1歳半検診があるってことです。
でもねぇ…。
あまり行きたくないんですよ。
時期も時期で、インフルエンザとかを拾いそうというのもあるし、なにより、やっぱり発達が遅いってーのが丸分かりなので、わざわざ行く意味があるんか?と思っちゃうんですよ。
同じアパートに住んでるマイちゃんママに聞いてみたところ、積み木が積めるかなどを見られるそうなんですね。
ええ、もちろんまだ積めませんの。息子ちゃん。
ダウンちゃんってことで福祉センターに行ってるし、4月になったら引越し先の管轄のセンターで療育手帳交付のための診断を受けることになってるしなぁ。
1歳半で歩けないし小さめだから、同じ月齢の子供がいっっっぱいいる待合室にいるのって、やっぱりちょっとイヤかも~~、とも思うし。
自治体によってバラバラみたいなんですけど、1歳半検診と3歳検診で、自閉症などを早めに発見しようという試みがされてるそうです。
なので、普通ならちゃんと検診に行くべきなんだと思いますが、まーー息子の場合は染色体検査もしてるし、センターにも通ってるし、やっぱりサボっちゃおっかなー、と思ってるお母ちゃんなのであります。
写真は、ミニカーを両手に持って寝ている息子ちゃん。