自分自身に呪いをかけていた

1週間前に、こんなツイートを目にして記事を読みました。


そこから、このようなツイートを私はしました。

健常の人でも取り掛かるのが億劫でダラダラしてしまうってのはあるから、それの何十倍も威力があるやつが搭載されてしまってる、と思うと、そりゃ日常生活そのものが大変やろなぁ〜、と思う。
昨日の厚切りジェイソンさんのRTもそうだけど、
できる人にはできない人の気持ちは分からんと噛み付く人の気持ちも分かるし、それを言っちゃおしまいよ?というのも分かる。
ただ、脳の作りがそもそも違うというのもあって、普通にできると言われることが難しい人も少なくないと思う。
さっきのRTの子みたいに脳の特性としてやるべきと分かってても取り掛かるのが難しい特性があると、どうしたってそうではない人と比べて勉強する時間は少なくなるわけだし、彼女の場合は取り掛かるまでに既にエネルギーをかなり使ってしまうと思う。努力しなくてはならないことが多いと言える。
彼女の場合はADHDで…と診断されてるから「ああそうなのね。大変だね。」と(理解ある人からは)理解を示されるだろうけど、でも診断されないけどそういう特性が強めの人は単に怠け者だの努力不足だのと言われ、自己評価もどんどんそうなっていくんだろうな、と思った。
実際RTの女の子みたいな部分のある人に「そんなに文句や不安をグダグダ言い続けるなら1つでもやってみればいいやん!」とイライラさせられた経験があり、何か行動で示されないと努力してるとはこちらは思えない、というのがこちら側にはどうしてもあって、とうとう匙を投げてしまった事もある。
娘がディスレクシアだと気づくまでは、彼女がなかなか漢字をしっかり覚えられないことに対して努力不足だと思ってたし。ダウン症の息子を授かってるのに、私はどうしても自分を最低基準にして自分以外の人を評価するというのはちっとも変わっていなかったのだと娘を通して見せつけられた。
ものすごく傲慢だなぁ、と思う。
子供の頃からずっと私の周りには『私より圧倒的に頭がいい人』が何人もいたので、いつしか自分自身を最低基準として周囲を見てしまうようになったんだろうな、と思うが、でも圧倒的に頭のいい人をたくさん見てきたということ自体は恩恵だと思うし、私が傲慢であることと直接は関係ないのも分かってる。
私自身は足りてないと常に思ってはいるんだが、どうやら私はコツコツやるタイプらしくて、基本性能は良くないなりにそれなりの結果は出してきた…と思うと同時に、でもやっぱり自分は全方位的に能力不足だと強烈に思っている。
だから、己については中途半端感がいつも纏わりついている。
それが傲慢の素なのだろう。
そこにusamimiさんが
『才能は「生まれながらに備わっている得意さ」じゃなくて、「経験値を充分に積むことで後天的にアンロックされる」もの。』
とツイートしてるのを起き抜けに見て目が覚めた。
あー!もう!私ってめっちゃ傲慢やん!と恥ずかしくなった。


以前にこんな記事も書きましたが……
そしてこの後、気づいたんです。
14歳の時に、私は私自身に呪いをかけてしまった
ということに。
私は『私は備わっている能力が低い』という強すぎる思い込み…呪いをかけてしまっていたんだなぁ~と気づいたのでした。
実際、よくよく考えてみると、それまでは周囲の人間が私のことを「能力が低い」と評価したことはありませんでした。
もちろん、親は弟たちに比べて頭のデキはそんなに良くないな~、と内心思っていたかもしれませんが、親からも弟たちからも友達からも、そんな言葉を聞いたことがありませんでした。
そして、あの訳の分からない発作を初めて起こしたのは16歳の時でしたし、20歳になる直前から自律神経失調がヒドくなったのでした。
仕事も何故か自分に合わないところに勤めて、11年間ずっと自分の無能さを感じ続けていました。
「勉強好きなのにお姉ちゃんは(自分たちと比べて)頭悪くてかわいそうだね。」と、弟たちが言ってたよ、と大人になってからオカンから聞きたくもないのにたまに聞かされるようになりました。(←これはものすごく辛くて電話切ってから泣いてました。)
こうしてどんどん自分は能力が低いのだという認識を強めていくことになったのです……が、
もしかしたら、呪いのせいで「ダメな自分」を次々と作り出してたんじゃないのか?と、ふと思い、ゾッとしました。
呪いが先で、劣等感が後から構築されたんじゃないか、と。
客観的に自分自身の基本スペックを評価する、というのは決して悪いことではないと思うのですが、
私の場合は、「頭のデキは並(なので宇宙物理学者になるのは非常に困難)」という部分を、(勝手に周りと比べて)拡大解釈をして「全般的に基本性能が悪い」という自己評価にして自分に押し付け続けていたのでした。
評価結果を正しく使用していなかったんですね…。
呪い(間違った使用方法)をかけていたのです…。
と。
こんなことに気づいた翌日に、Whitelotusさんのアストラルリーディング・モニターセションを受けたのでした。
そして、まさかのいきなりの「呪いがありますね。そのせいで視野が狭くなってますね。」という言葉からセションが始まり、ひっくり返りそうになりました。
……でも、これって、間違いなく答え合わせだな、と思いました。
ですから、後日落ち着いたところで、この呪いと向き合ってみました。
マイティピュリフィアを使って。
すると、最終的に南京錠が解けて、扉が開きました。
扉の向こうは七色の光が密集してゴゴゴゴゴ~と渦巻いていて、その光がぱ~っとこちらに放射されてきました。
わぁ……すごい~…と、自分自身が閉じこめていたエネルギーの美しさや強さに驚きましたが、
……ただ、これで万事解消!というわけではないな、とも感じました。
自分にかけた呪いとコツコツと向き合っていこうと思います。
ちなみに。
アストラルリーディングのモニターセションでは様々なことをリーディングしてもらったのですが、
私の場合は、霊的成長のために掲げてる課題がどれだけの人を愛せるかチャレンジ!みたいな感じなんだそうです。簡単な言葉にすると。
普遍の愛に近づくだけでなく、私ならではの愛も深めていくことを目標としているらしいのです。
そしたらですね、
ディバインタイミング(…について分からない人は検索してね)にも、ロングスパンのものとしての子育て以外に、兆しとして『私ならではのエネルギー的なものを創る』というのものが観えるのだそうです。
この『私ならでは』というのがキーワードなのかな?と思いました。
自分自身を能力の低い人間なのだと思い込んでいた私が、私ならではの愛を深め、私ならではのものを創造する、ということをしようとしているなんて、パラドキシカルと言いますか何と言いますか……。
や、しかしですね、ほんとにですね、すごいタイミングだったと思います。
申し込んだのは8月の息子の誕生日の頃でしたから、もちろん自分自身に呪いをかけてたなんて知らなかったんですが、絶妙なタイミングで進んでいて見事だなぁ~…と、まるで他人事のように感心してしまいます。
あなたも、呪いを自分でかけてませんか~…?
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あらためて問い直すタイミング

8月の終わりの真夜中に息子に「お母さん、お水…。」と起こされ、そこからなかなか眠れなかったので、スマホを開けたらこんなツイートが目に入りました。


それでこんなツイートをしたのですが。


今もオカンが住んでいる実家は小さな借家なのですが、小学生の頃、どうして私はこんなにこの「家」が好きなんだろう…と、自分でも不思議に感じていたくらい「家そのもの」が好きでした。
単なる愛着だったのかもしれませんが、そんな気持ちがとても強く在りました。
とっくの昔にどこかに置き去りにしてしまったそんな自分を遥か遥か遠くから眺めるように思い出し、
さらに、高校生の頃に「強くなりたい」と願ったら、ふと気が付くと、『とても繊細だった感受性の先端がすべて無残に折れてしまった』かのような自分になっていて、取り返しのつかないことをしてしまった…と、ひどく落胆したことも思い出し、
真夜中にお布団の中で、ため息を1つ吐き出していました。
この世界の仕組みを知りたいという子供の頃からの願いの上に、健康問題をなんとかしたいという切羽詰まった思いが乗っかったがために、なんだかんだとここまで来ることになったわけですが、
ここに来て、「わざわざ人間に生まれてきたことの意味をもう一度問う」みたいな流れになっていたのです。自分の中で。
クリアリングしていくことの意味や、霊性を高める努力をする意味などを、あらためて問う必要性があるのでしょう。自分の中で。
そんなタイミングのようです。

スピリチュアルな情報が「その場しのぎの鎮痛剤」になっていないか?

お前の本気はそんなもんか


2日前にこれを読みましてね、「あー。」と思いまして。
すると、


というのを見かけて、


とツイートしたんですが。
何なんやろなー…と、ちょっと考えておりました。
みんなみんな「旅の途中」みたいなもので、どんな道筋を通ろうが構わんのですが、
「スピリチュアルな情報がその人にとって(魂が)真に求める生き方の邪魔になるケース」があるのは何でなんかなー?と、ちょいとばかり考えていたのでした。
で。
例のお店の店長さんとお茶しながらあーでもないこーでもないと話し合ったのですけど、
もがき倒した経験があるかどうか
というのも大きいかも、という話になりました。
苦しいのは苦しいんだけど、「とことんもがき倒すほど課題と真正面から向き合った経験があるかどうか」、そして「もがき倒した末に自分なりに何かを掴むことができたか」でかなり違うかも、と。
その経験があるかどうか、で、スピリチュアルな情報に出会った時に、それが「根本解決への光」となるのか「その場しのぎの鎮痛剤」(by店長…うまいこと言うわぁ)になるのか、の違いが出てくるんじゃないかなー、なんて意見へと収束していきました。
とは言え。
「その場しのぎの鎮痛剤」を飲み続けても根本解決にはならないので、結局はくるくると同じことの繰り返しになっちゃうんでしょうけど、それすらも「(魂の壮大な)旅の途中」なわけで、それがアカンというわけじゃないんですよね。もちろん。
たとえば大天使から見たら、こんなこと書いてる私自身も含めてほとんどの人間は五十歩百歩でしょうし。
ただ…まぁ……
やることはやらんとアカンようになっとるんやろなぁ
と、いうことですねぇ…。
多分きっと。

山羊座の私は山羊が好き♪


なんてねー♪
夏休み突入ちょい前に、Skypeでマルチプルアバンダンスというエネルギープログラムの初級~上級を一週間という超特急で受講したのですが、
実は初級・中級の受講の時に、ファシリテーターさんが開催してる場所の通信環境の問題で、私は延期になったのです。
(その後、マンツーマンで受講させてもらいました。)
急に予定が空いちゃった…ので、おとーちゃんが山羊やウサギに餌をあげられる牧場に連れてってくれたのでした。
そこで会った山羊さんなのでした。
動物大好きな娘は喜んで山羊にもウサギにも人参をあげてましたが、
動物が苦手な息子はウサギが寄ってくるだけで「怖いいいいい!」と叫んでました…。
保育園でウサギに指を噛まれたりニワトリに足をつつかれたりしたために動物が怖くなっちゃったんですよね……。
中2になってもダメですね…。とほほ。
(ブ子だけは大好きでいちゃいちゃしてます。)
8月中頃…だったかな?
放課後等デイサービスでもこの牧場に行くそうなので、大好きな先輩と一緒なら少しは大丈夫……じゃないだろうなぁ~。
また叫ぶかなぁ~~。
てなわけで。
マルチプルアバンダンス受講の話は次回!(←夏休みのオカンはいつ書けるのか?!)

夢つながりで…。

先週中頃から体調がイマイチで…と、昨日も書きましたが、ファースト・インパクトは明白なのです。
例のお店で濃いメンバーで濃い話をしてたら、エネルギー当たりを起こした
のです。
例のお店に行くと、何故かお店のお客さんのトラウマ解放のサポートをする流れになることが異様に多いのですが、
さすがにヒーラークラスの人のソレは動くエネルギーが半端ないみたいで、うぇぇぇぇぇぇ~ってなっちゃったわけです。
それが引き金となっておるわけですが、
長引いてるのはそれだけじゃないなー、と思っておりまして。
ココに書いたように、氣乃さんのセション中にサルベージした「もう一人の私」が「六芒星の太陽の席に座った」後から、私自身は自覚は無かったのですが、例のお店の店長さんに言わせると『他人と関わる態度が積極的になった』らしいんです。私。
……無意識にサポートすることに対して以前より積極的になってるらしいのです。
ですが。
何故か分からんけどお客さんのトラウマ解放のサポートをすることになる…のはいいんですけど、圧倒的に何かが足りないと感じていたのです。
自分自身に。
店長さんは今のままの私で十分だと言ってくれるんですけど、どうしてもそうは思えなかったんですね。
そしたらエネルギー当たりを起こした、と。
ヒーラークラスの人のサポートなんて滅多にないことかもしれないんですけど、こりゃやっぱりアカンわ!と腹の底から思いました。
肉体に負荷がかかるのも大問題なんですけど、もっと根本的なところで何かが足りないのです。
他人様のトラウマ解放のサポートをするなんてことはしない!と決心するというのもアリなんですけど、
他人様のサポートをしたいと願ってしてるわけじゃなくて、何故か知らないけどそういう流れになっていっちゃうんだから、しないと決心するというのは例の店に行かないと決心するということで、それは本意ではないのです。
(言葉は良くないですけど)今逃げたって何時か何処かでどうせさせられることになるんでしょうし。
アカン。
私がバージョンアップせんとアカン。
と、思った矢先。
すごく気になっていた講座が開講されることを知りました。
それもSkypeで受講可能らしいのです。
前々から知ってたんですけど、何故か2週間前ほどからものすごーーーく気になり始めまして、
お金だってそこそこかかるのに、「次に開講されて、(遠出は難しいので)Skypeで受講できるなら申し込もう。」と、強く思ったのです。
その講座の開講を知ったのでした。
そして。
お父ちゃんにも打診して、週末にネット環境も整えてもらって、勇気を出して申し込みました。
(私にしては「受講する」というのはすごく珍しいことなんです。ヒーリングをしてもらうのとは違いますからね。)
……で、ですね。
申し込んだ時は忘れてたんですが、昔から「先出し」の浄化が起こりがちなんです。私。
なにみえ遠足の時もそうでした…。
それで、体調がどうも不安定なままなんだろうなー、と昨日気づいたのでした。
で、昨日の夜です。
「お母ちゃんね~、もうすぐバージョンアップするんだよ~。」と、話の流れから娘にそう言いました。
すると娘が、言いにくそうにモゾモゾしながら、決心したように話し始めました。
「あのね…。2週間くらい前にね、夢を見たんだけどね。天使が出てきてね、『あなたのお母さんの寿命が減っていて、すぐ終わりそう。』って言ったの。
それで『それはイヤです。どうしたらいいですか?!』と訊いたら、『その答えは隠れているよ。』って天使が言ったの。」
私も子供の頃に母親が死ぬ夢とか見ましたし、すごく怖かったことを今でも覚えてるくらいです。
ストレスとかあると「自分にダメージを与えるような夢」も見やすいんだろうなー、と思います。
最近、娘は人間関係でいろいろ大変そうですし、絶対に守ってくれる母親というものに対する気持ちってーのがこういう形で出たのかなー、なんて思ったりしました。
とは言え。
娘の夢とは言え、ちょっと気になりますわね。
さすがにまだこの子たちを残して死ぬのはイヤなので、娘に「今夜、夢の中で天使にどうしたらいいかもう一回訊いてみて。」とお願いしました。
すると、今朝、娘が、
「天使が夢に出てきたから訊いたんだけど、ニコニコ笑ってるだけだった。」と言いました。
娘が「お母さんがバージョンアップするって決めたから、もう大丈夫ってことだと思う。」と言うので、そうだねそうだねと答えました。
するとですね。
今日の午前中にですね。
TOMOKOさんからこんなメールが届きました。
※ちなみに、彼女は過去世の私の妹です。古代エジプト時代の。

こんにちは♪
昨日見た、夢の話です。
全然関係ないと思ったら、聞き流してくださいね。
なんでかわからないけど、おねーちゃんにメールした方が良い気がして(^_^;)
夢の話です。
わたしが昔、おねーちゃんに送った封筒が返ってきました。
切手が途中ではがれて、届かなかったのかな?と思いました。
どれくらい前に送ったのかわからないけど、封筒はボロボロでした。
中を見ると、2枚の紙が入っていました。
1枚は、もういらないやつだから、その中の1枚だけ、新しい封筒に入れて、もう一度おねーちゃんに送ろうかな、と思いました。
以上です。
わたしにもよくわからないのに、メールしてごめんなさいね。
でも、なぜか、気になったので。。


関係ないわけないよね!
この流れでこのメールですよ?
関係ないわけでないですよねーーー。
というわけで。
メールを読んでから、ちょっと目を閉じてみました。
すると、エジプト時代の私のところに手紙が届いたイメージが出てきました。
その手紙を「私」が開くと、もやもや~~っと煙のような靄のようなものが噴出しました。
手紙
そのうちそのもやもやの中に幾何学模様がくるくるしているのか視えました。
最初は分からなかったのですが、マカバっぽい立体のものがくるくるしているように感じました。
…あ。
そうそう。
昨日の夜、友人とLINEでマカバの話をしたばかりでした。
そいえば。
その立体の幾何学的なくるくるしたやつが、私(もうその時はエジプト時代の私ではなく、今の私)の鳩尾あたりにすーっと入りこんできまして、
私の中でくるくるしながら、何かしてました。
…何かは分からんのですが、何かを補正してるような気がしました。なんとなく。
こんなの、ただのヨタ話っちゃあそうなんですけど、
私がなかなか動かないもんだから、周りからせっせと働きかけてくれてる
というふうにしか思えないです…。
いや、でも、今回勇気出したし!
バージョンアップするからーーーーーー。

自分のことは一番分からない。

ぐったり
暑くてブ子さんぐったりしてます。
愛知県、今日はなかなかに暑いです。
さて。
今週の山羊座の空模様を読んだんですよ。
今日からのやつです。
するとですね、

あなたは一見クールで、
少しシニカルな雰囲気も纏ったリアリストだ
というイメージを持たれやすいかもしれませんが、
実際は非常に熱いパッションを秘めていて、
自分でも抑えきれないほど激しい感情によって
周囲がびっくりするような行動に出ることも
けっこう、あるのではないかと思います。


という部分がありまして。
そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれないし、どうなのかなー???と、ちょっと考えてしまいました。
もちろん、太陽が山羊座の人たちが全員そうだとは限らないでしょうけど、
もしかしたら、そういう部分が多かれ少なかれ山羊座の人たちには備わりやすいのかもしれないとすると、
自分はどれくらいそういう部分があるのだろうか?と、ちょっと考えたのでした。
でも、やっぱりよく分かりませんでした。
自分のことはどうしても分かるようで分かりません。
どうしたって外から観察できませんもんね。
とは言え。
ちょうど、娘が、
「私、〇〇ちゃんたちから『大人っぽい』と言われることがあるけど、本当に仲良しな子たちがそれを聞いて笑うんだよ。
だって、私は全然大人っぽくないから~。ただ、〇〇ちゃんたちの(人の悪口などの)どうでもいい会話に乗らなくてスルーするだけなんだけど、そう言われるんだよ~。」
と、話してくれたばかりなのですが、
自分が人からどういう印象を持たれているか、というのは、その人その人でこれまた違ってくるのも当然なわけで、
そう考えると、もしかしたら私のことをシニカルな雰囲気も纏ったリアリストと感じてる人も1人くらいは居るのかもしれないなー、なんて思ったりもしました。
いや、逆に。
本当はシニカルなリアリストなんだけど、それをあまり表に出さないようにしてるのかもしれないです。
……やっぱり自分のことは一番よく分からんですねぇ。
ハイヤーセルフの評価を聞いてみたいもんですわ。

記憶の中のマルデックは緑の惑星だった。

ちょっといろいろありまして、なかなかブログを更新することができずにおりました。
さて。
今日のお昼前にエイトのライブDVDが届いたので、早速見よう…と思ったのですが、何故かそこからお絵描きモードになりまして、
まず、アクリル絵の具でガーっと描きまして……でも、今日は曇天のためか写真が綺麗に撮れませんので、その絵についてはまた後日。
で、その次になんとなく色鉛筆で描きたくなりまして、ぼ~っと描いていましたら、
「これ、マルデックだなぁ……。」と思いました。
……もう破壊される寸前という感じ。

2週間前くらいですかね。
これまた何故か急に昔購入したこの本を読み返したくなりました。

拾い読みをしてたのですが、な~んとなくマルデックのところは割とじっくり読みました。
その意味は、数日後に分かったのですが(←これもまた落ち着いたら後日ちゃんと書きます。)、なんとも久々にマルデックがこうやってちょいちょい出てきます。
私の中で最初にマルデックのことが出てきたのはコレだったのですが、もうこの数年はほとんど思い浮かぶことがありませんでした。
なので、久々にマルデックのことをフォーカスしている自分に対して、ちょっと不思議な感じすらしてます。

それは、誰かの心にちゃんと残る。

ブ子
今朝、FBが『去年の今日、こんな記事を書いてましたよ?』と一年前の記事を出して来ました。
それは、10日間行方不明になってたブ子が帰ってきた、という速報記事でした。
あの記事にはブログを読んで下さってる方々がブ子の帰りを祈っていてくれたコメントもありまして、それも一年ぶりに読み返し、人の心の温かさをじんわり感じておりました。
きっとコメントしていない人の中にも「ブ子ちゃん、無事に帰ってくるといいなぁ。」と思ってくださってた方もいらっしゃったと思うのです。
人間の善性は、温かいです。
人間の善性。
その現れ方は様々ですが、ご近所のおじさんの現れの1つは、ボランティアでほぼ毎日小学生の下校に付き添う…というものでした。
田舎なので、そこそこの距離を付き添うことになるのですが、それをほぼ毎日何年もやってくださいました。
ヤンチャな子をガッツリ叱ってもくれていました。
そんなおじさんでしたが体力的にしんどくなってきたのか、確か娘が1年生の時だったと記憶してるのですが、ボランティアを引退されました。
それでも、息子が在籍していた支援クラスの行事に招かれると、愛用のカメラを持って参加してくれました。
写真もよく頂きました。
しかし、先日。
おじさんが亡くなりました。
町内のお手伝いとして、おとーちゃんもお通夜の式と告別式に行きましたが、お通夜には卒業生も何人か保護者と一緒に参列していたそうです。
息子と娘も連れて行こうかと思いましたが、息子が(おそらく斎場の雰囲気が怖くて)行かないと言うので、お通夜の式には参列しませんでした。
が。
おとーちゃんが帰宅すると、
「○○さんのお顔はどうだった?」と息子は真剣な表情で訊きました。
やはり最後におじさんの顔を見たい、と息子が言うので、斎場から帰ってきたばかりのおとーちゃんが私達を連れてってくれました。
息子が行くと、おばさんたちが喜んでくれました。
おばさんたちに息子が
「○○さんは、ぼくをずっと見守ってくれてたんだよ。」
と、言いました。
おばさんは、
「息子くんがくれた(学校で書いたお礼の)お手紙、(おじさんが)全部どこかに仕舞ってあるはずだよ。」
と、教えてくれました。
人の善性の現れは、誰かの心にちゃんと残るものなのだろうな、と思いました。

私は何故嘘つきなのか。


今日はエイプリルフールですね。
嘘の日なので、嘘について気づいたことを書いておこうと思います。
私は嘘つきです。
その場を乱さないように嘘をつく……と言えば聞こえはいいですが、嘘は嘘です。
「嘘も方便」なのも分かっていますが、「本当のことを言う勇気が出ない」だけなのだと思います。
自分の意見を言う勇気が無かったり、いい人で居ることをやめられなかったり、非難されることが怖かったり…と、そんなところです。
何故なのかなー……と、地味にずーーーっと自分に対して思ってはいたのですがさっぱり分かりませんでした。
しかし先日、「あ!」といきなり分かりました。
子供の頃のことです。
父親の会社の取引先が倒産し、父親の会社も倒産しました。
それから借金返済催促の電話が自宅にもかかってくるようになりました。
すると、父親が自宅に居るのに、子供の私に電話に出て「お父さんは居ません。」と言うようにお願いされるようになりました。
その時、私はイヤだとは思いませんでした。
父親が困っているのを助けることができる自分になっていることが嬉しかったのです。
嘘をつくことが親を助けられる喜びとリンクしてしまっていたのです。
そのこと自体を忘れていたわけではありません。
しっかり覚えていました。
けれど、それが私の本来備わっているであろう「正直さ」を汚染しているとは思ってもいませんでした。
それにハッと気づいたのでした。
親だって凸凹があり、そして必死に生きています。
多かれ少なかれどうしても親の在り方が子供を「汚染」してしまう部分はあるのだろうと思います。
それを嘆いたり恨んだりしても意味が無いので、そこを自分で掃除していくしかないし、それが「学び」の1つなのでしょう。
……そして、私が子供たちの何かを汚染している部分もあるんだろうな、と思いつつ。

鍋底焦げ焦げ

2階廊下の窓際で黄昏ていました。おブ子さん。
黄昏
さきほど、こんなツイートを見つけたのでRTしたのですが。


……じわじわキてます。
今週の初めにオカンが泊まりで来たと前回の日記に書きましたが、
岐阜に帰る日に、いつもの自然食品のお店にオカンと子供たちを連れて行きました。
すると、スピの話もできちゃう店主さんに、オカンが自身のオカルト経験などを話したりしてた…のですが、
その話の中で、オカンより霊感の強い弟1号のこともちょっと話に出たりしました。
そして更にNO霊感の弟2号の話もちょっと出てきまして……と、そこまでは良かったんですが、
オカンが、
「息子たちは、『おねーちゃんは可哀想だけど一番頭悪いもんなー。』って言っててねぇ。」
と、言ったのでした。
それは太陽は東から昇って西に沈むことくらい明らかなことですし、弟たちがそう言っていたこともオカンから何度も聞かされてますし、今さらそんなこと言われてショックを受けるなんてことも無い…ハズだったのですが、涙がうわ~っと出そうになったのでした。
ヤバいヤバい!と、必死に涙を押さえ込んだのですが、ちょっと目がうるっとしてたと思います。
それでも、春はちょいちょい急に目がショボショボしてうるうるっとなることがあるので、そんな感じに見えるかな?と思って、何食わぬ顔をしてました。
私ってば、なかなかココから抜けられないんだな~…。
と、会話を続けつつ、そんなことを考えていました。
平行世界の「頭が良くて、好きな研究を続けている私」を垣間見たことで、そのあたりはかなりスッキリしたような気がしていたのですが、まだまだぐつぐつに煮詰まった焦げは残っているんだな、と、感情が動くより先に涙が溢れそうになる、という反応で理解しました。
(感情は動いてないのに涙が溢れそうになったので、どえれ~ビックリしたがね!)
何者かになりたがってる自分がまだまだアチコチに居るんやろうな~……と、先のツイートを読んで思います。
じわじわキます。
自分で思ってるよりも、うんと辛かったのかもしれんですね。
そして、10代20代の私は「受け入れる」んじゃなくて「あきらめる」しかしてなかったのかもしれんですね。
だから鍋底は焦げ焦げ。
かなり焦げをこそげ取ってきたつもりだけれど、まだまだ残ってるってことですね。
(実はですね、今年の冬に愛用の鍋を盛大に焦がしたのですが、重曹を混ぜた水を入れて毎日ストーブにかけていたら、ようやく焦げが全部取れたところなので、そのうち自分自身の焦げもそのうち全部取れると信じることにします~。)
でも、そういう「自分ではよく分かっていない自分」を知るのはとても興味深いです。
一生かけて自分を知り続けるのでしょうね。
ほんとうに興味深いです。