昨日、mixiの日記の方に、以下のような記事を書いたんです。
ちょっと前にも彼女のブログ記事をここで紹介しましたが。
吉原のお店で働く風俗嬢で、ライターでもある月緒さん(@tsukio_xoxo )が、
先日、こんなツイートをしてました。
(お母さんと電話で連絡が取れない、という話から。翌日連絡は取れたそうです。)
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実家に行こうか考えるけど、母とはたまーに連絡を取っても妹や弟達とは絶縁しているからなぁ。きっと、彼等なら母になにがあっても私には連絡してこないだろうし、それならもう全部捨ててもいいのかなって思ったり。私にとって何が大切なのか、今一度考えてみなきゃね。
欲しかったのは母の愛情と、家族としての居場所だったんだけどね。どんなに声に出しても、どんなに手を伸ばしても、遠くて、届かなくて、だから諦めたのに。いい年齢して、まだ欲しがっている自分が馬鹿みたいで情けなくなる。母を嫌いになれなくて、兄弟だって嫌いになれない。でも帰れないんだよね。
ずっとずっと私が欲しいのはそれだけで、それ以外は何もいらなくて。私が風俗でお金を作る事で家族を養えた。私が諦めた事を兄弟にはしてあげられた。沢山の事を諦めて捨てて、何を信じていいのか分からない中で、私少しは頑張ったと思うよ。でも、家族は遠くなる一方で。頑張ったって全部無駄だった。
お金で愛情は得られるわけがないんだけど、それしかわかんなかった。今だってわかんないよ。欲しいのはひとつだけなのに。私が悪いのかな。もっと頑張らなとダメなのかな。これ以上どう頑張ったらいいの?お母さんと兄弟がお金以外で私を見てくれるには、どうしたらいいの。お家に帰りたい。
こういう事があると、私がやる事は仕事のみで、楽しむとか幸せを感じるとか、誰かを好きになるとか、そんなのしちゃいけないんだって痛感させられる。気を引き締めて、もっとお仕事を頑張らなきゃ。
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同性愛者だけど、風俗のお仕事が好きで、プロ意識が高くて、それを文章にして発信してる人なので、
興味深くツイートも読ませてもらうことが多いんですが、
この一連のツイートは、やっぱり切なかったです。
もちろん、月緒さんの気持ちも切なかったんですが、
兄弟と絶縁になるくらいなので、向こうには向こうの言い分があるでしょうし、
さまざまなケースが考えられますけど、なんにせよ切ないなー、と。
機能不全の家庭に育つというのは、ある種の「ハンディキャップ」みたいなもんかもなー、と思いました。
生まれつきの身体的(知能も含む)なハンディキャップも生きるのは大変ですけど、
(うちの息子だって、ダウン症はイヤだと言うよ。みんなと同じが良かったって。)
機能不全の家庭で育つというハンディキャップも生きるのが大変そうですもん。
でもね。
そういう家庭を選んで生まれてきてる、というのも魂レベルでは事実だと思うので、
持つべくして持ったハンディキャップなんだろうな、とも思うのです。
それとどう向き合うか。
そうは言っても、切ないですがね。
その後、以下のようなブログ記事を読みました。
『ちゃんと育ってきた、と感じさせる人が好き・・・? 』
http://kimikoishizaki.blogspot.jp/2015/04/blog-post_22.html
この中に
『それは生まれた環境に左右されることもあるだろうから、必ずしも本人に選べるものではないし、運不運もあるだろう。
もしかしたら酷なことかもしれない。』
とありますが、確かに酷なことかもしれません。
正直に言いますが、
家庭環境に問題があって、そのために生きづらい思いをしているように見受けられる人の中には、あまり付き合いたくはないなぁ…と私が感じてしまう人もいます。
なんらかのインプットに対しての、その人の反応が、あまりにも自分の想定範囲を超えていて、更にそれが大きな怒りなど非常にネガティブなものの場合、どうしてもスッと引いてしまいます。
私の器が小さいために、受け止めきれないのです。
ですから、「ちゃんと育ってきたと感じさせる人が好き」というのは、分かります。
でも。
人間は、大人になってからは、自分で自分を育てるものだと思うのです。
もう少し言い方を変えるなら、
大人になったら、自分をより良い方向に育ててくれる人との縁を大事にすることで、自分を育てていくことになるのだと思うんです。
それは、リアルの知り合いだけじゃなくて、本やネットを通じてでもそうですし、映画やアニメ作品や、それこそアイドルだってそういう対象になり得ると思います。
『環境が人を育てる。
子どものときは無理でも、大人になれば少しづつ自分で環境を選ぶことができる。
自発的に学んでいくこともできる。』
と、書かれてますが、その通りだと思います。
当然ですが、友人やパートナーとして1対1の深いやりとりができる相手と出会えたら、それはとても幸運なことで、その密度の濃さは己の成長をどんどん促すものになると思いますが、
自分を育ててくれるような人に出会っていても、自分自身がその縁を大事にできず離れてしまう場合もたくさんあるような気がします。
その場合は、育ちの問題が認知の歪みを生み出してるせいが多いと思うので、そこには大きなジレンマが存在してますが、それでも『少しずつ自分で環境を選ぶことができる』はずなのです。
本気ならば。
求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
これは、真実だと私は思います。
でね。
ヤンデル先生( @Dr_yandel ) がめっちゃいいこと言ってたんですよ。
誰かと一緒に働くとか遊ぶとか、誰かの作った商品を買うとか食べるとか、そういった場面で「相手のことをもっと知りたい」という欲求が出るのは当然なんだけど、「相手の真実を知りたい」まで行くとたいていは踏み込みすぎ・やりすぎで、「相手が自分に対して作った仮面」と誠実に向き合えば概ね十分
相手が自分に対して作った「仮面」は必ずしも「真実を覆うウソ」ではない 礼儀としての化粧とか、スマイル¥0 みたいなものなので、その仮面をつけてくれることに感謝すれば十分な場面は本当に多いと思う 一方人間関係でしくじる人の一部は仮面を見るとすぐに剥がそうとする 無修正が好きなんだね
環境に問題があって、自分の求める愛情を十分に注いでもらったという感覚が乏しい人の場合、こういうしくじりをするパターンもあるんだろうな、と思ったんです。
私は、このように言語化して意識はしていなかったのですが、確かにそうなんです。
特に大人になってから。
『「相手が自分に対して作った仮面」と誠実に向き合うこと』を(できる限り)してきたと(まったくもって私の主観ではありますが)思うんです。
それが「大人として信頼される」ということにつながると思います。
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最後に。
話題は大きく変わりますが。
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