年賀状の準備はもうお済みですか?

今さっき、旦那さんが180枚の年賀状を持って郵便局に出かけて行きました。
いつもこうしてギリギリになってしまいます。年賀状作り…。
ベースの絵はクリスマス前に出来上がってたんだけどなぁ~。
ウチの年賀状は私の手書き(描き)がベースとなっています。
まず紙に下絵を描きます。
それをサインペンでペン入れして、余白にアレコレ書きます。
こいつを次にスキャナで読み取りまして、パソコンで色塗りをします。
色塗りって言っても、ペイント用ツールのベタ塗りモードで指定した色をドパーっと塗りたくるだけなので、あまり時間はかかりません。(以前はちまちまちまちまと筆モードで色塗りしてたけど、そんなに時間もかけられないので、今ではベタ塗りなのさ。でもって、こっちの方がキレイだと気がついた…。てへ。)
と、私の仕事はここまで。
その後は、お抱えデザイナー(旦那さん)に「こんな感じにしてー。」と、注文しておきますと、旦那さんが仕上げをしておいてくれます。
そして、去年の年賀状と年内にもらった引っ越しましたハガキなどをパソコンに入ってる住所録と照らし合わせて更新し、印刷となります。
家族写真や子どもの写真が多いですよね。年賀状って。
もらう方としては、「おー。こんなに大きくなったのか。」と、友人の子ども達の成長が分かるので良いのですが、自分はそーゆー年賀状にはしたくないのです。
みんなと同じじゃ、なんかつまんない気がしまして。
作業量としては、写真を選んで加工してレイアウト考えて……ってのと、そんなに変わらんと思うんですがね。
ま、こーゆーのが『プチこだわり』なんでしょうな。
しかし、年賀状ってその人(家族)のセンスがモロに出ちゃいますよね。
おそるべし。

変な生き物

息子(2歳4か月・ダウン症持ち)はまだ上手に歩けないのですが、それでも歩くことが面白いようで、とにかく歩きたがるのです。
そして、よく転びます。
それでも、結構長時間転ばずに歩けるようになってきて、なおさら歩くことが楽しくなってきたようです。
今日も大型スーパーでガンガン歩いてました。
いや、ヨタヨタ歩いてました。
で、お母ちゃんはふと気がつきました。
そう言えば、高速高這い(別名【変な生き物】)をここんとこ見てないや……。
いつ頃からだったかなー?
ズリ這いの期間が長かったんですけど、普通っぽいハイハイをするようになってくれましてね。
おお、ようやく普通ハイハイやわ~、と喜んでいたら、すぐに高這いをするようになりまして。
脚を伸ばし、お尻をぐっと突き出して、頭よりお尻の位置が高い状態でハイハイをするんです。
そして、速い。速いんです。
あんな不思議な格好なのに、めっちゃ速く移動するんです。
ほんと、変な生き物でした。(でもカワイイ。)
やっと二足歩行が上手になってきて、本人も周囲も嬉しい成長なのですが、なんだか少しばかり寂しいような気分にもなりました。
あの変な生き物が見れなくなったのかーー、と思うと。

誰も、かわいそうな人なんていない。

雪がコンコンと降ってきた昨日の夕方。
おでかけをしていて、夕食の支度が遅くなったのでバタバタしていたのです。
その間に、地方の夕方のニュースで、あるダウンちゃんの特集が放送されてました。
私は最後の最後の3秒くらいしか見なかったのですが、旦那さんは少しばかり見たようでした。
そのダウンちゃんのことは、以前にもテレビで放送してました。
彼のお父さんが仏師さんで、そのお弟子さんが彼の面倒をよくみていました。
実は、そのお弟子のお兄さんのお母さんと顔見知りなのです。私ってば。
いや、もっと言うとですね、最初に彼のことを教えてくれたのは例の先生なのです。
そんなこともあり、前回の放送はじっくり見させてもらったのですが、今回は放送することも知らなかったので仕方がないのですが、見れなくて残念でした。
(タァちゃんママが携帯メールで番組のことを教えてくれてたんだけど、そのメールも番組が終わってから気づいたのよねぇ…。)
さて。
今回のその放送を見た旦那さんが言いました。
「普通はさ、あーゆーのを見たら、あの子にみんながいろいろ教えてる助けてる…って思うんだろうけどさ、俺には“みんながあの子にお仕えしてる”って感じたんだよー。どーしてもそういうふうに思えちゃったんだよー。」
ほほぉ…。
例の先生も、彼はお徳が高いから、周りが自然と助けてくれるんだと言ってたよなぁ。
だから、旦那さんにはそんなふうに感じられたんだなぁ…、と思いました。
なんか、いいですねぇ~。
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障害者として生まれた人たちでも、彼のようにお徳がとても高いからこそ選んで生まれた人もいれば、前世の償いで生まれてきた人もいます。
同じ障害、同じ病気、同じ境遇でも、みんなそれぞれ魂の持つ因縁やお徳や課題は別モノなのです。
だから、きっと、たとえどんな障害でもどんな病気でもどんな人生でも、その人が『かわいそう』だと思うのは、多分間違っているんだと思うようになりました。
『その時、身体や心が辛い…と感じている』ということについては『かわいそう』だと私が感じて当然だとしても、その人そのものは決して『かわいそう』ではない、と分かっていないといけないなぁ、と思ったのです。最近。
辛いと感じていることに同情はしても、その人そのものまでも『かわいそう』と思ってしまうから、時々違和感を感じていたんだなぁ、と気がついたのです。
それに気がつくと、誰か(または過去の自分)と比べてあーだこーだと感じるということは、本当に意味が無いことなんだなぁ、と分かってきました。
たとえば、先日亡くなったダウンちゃんのことも、彼の病気のことを聞いて
彼とは違って、アキオは重い合併症が無かったから本当に良かった。ありがたい。」と、思う私がいました。
そんな自分に違和感やら罪悪感を感じていたわけですが、何故違和感を感じていたのか、がようやく分かりました。
でも、こういうことって、結構多いと思うんです。
条件反射的に比較することが癖になってる人って多いと思うんです。
だから、比較してしまうことに罪悪感を感じても仕方がないなぁ、ということにも気がついたんです。
だって今の自分は、そーゆー癖を持っちゃってるんですもん。
無理矢理なんとかしようとしても無駄ですもん。
だけど、それが癖なんだな、ということや、意味の無いことなんだな、ということを分かっていれば、だんだんと変わっていくんだろうなぁ~~、と思うんです。
すると、無駄な罪悪感を持たなくても済むようになってくるのです。
面白いもんです。
そうそう。
自分に対する罪悪感が強い人って、自分以外の人に対しての怒り(批判)も強いですよね。
…自分もそうだったけど。(今も、か。まだまだでござるよ。)
そーゆー思考の癖の産物に振り回されてると、自分の魂の本当の本当の願いが分からなくなりますよね。
気をつけましょう。(だから、自分も含めてだってば。はい。気をつけます!)

歯のお掃除

虫歯の治療そのものは終わっているんだけど、今日は歯のお掃除ということで、またまた歯医者さんへ。
「では、今日は右の方をお掃除しますね。」と、おねーさん。
あら。てことは、左の方はまた次ってこと?
今日だけで終わらないのぉー?お掃除ったってすぐ終わるんじゃないのかなぁ??
と、思いつつ、口をあーーんと開けておりました。
今まで歯医者で歯のお掃除というのは何度もしてもらってますが、こんなにガリガリお掃除されたのは初めてかもしれません。
機械でお掃除した後、手作業で細部にわたってガリガリガリガリ……と、おねーさんが頑張ってお掃除してくれたもんですから、ちょっと痛かったです。
いや、結構痛かったです…。
もちろん血も出ました…。
これだけ丁寧…というか、ガリガリガリガリお掃除してくれるんですから、そりゃ今日は右半分だけで終わるよなぁ、と納得しました。
待合室で待ってる時に、「次は一カ月後にお願いします。」と、予約していく患者さんを何人か見かけました。
治療というより、検診・お掃除の予約のようなのです。
あれだけガリガリガリガリお掃除してくれるし、検診・お掃除にマメに来る患者さんもいるし、虫歯や歯周病予防のための検診・お掃除に力を入れてる歯医者なのかなー?と思いました。
うん。それはきっといいことだ。
でも、お掃除だけでも2000円以上かかるので、私は2~3か月に1度にしとこっかなー?なんて、お金を払いながら思いました。

もともとあまりTVドラマって見ない方なんですが、息子が生まれてからは特に見てません。
でも、ネットなどで好評そうなドラマは気が向くとラスト2話くらい見たりします。
以前やってた『ごくせん』も友人が「良いよー。」とBBSで教えてくれたので、ラスト3話くらい見ました。
その時、松本潤くんがとてもいいわ~~、と思わぬ拾い物をした気分になりました。
いや、そもそも松本くんは嵐がデビューした時にざっとメンバーの顔を見て、「この子とこの子は上手く育ってくれればカッコイイ子になるかも。」と、チェックしてたんです。
なので、思った以上にいい感じに育ってくれてたので、おねぇさんは嬉しかったのであります。
で、今クールの『花より男子』です。
これはたまたまチャンネルを変えたら、丁度とってもいい場面で、ぐぐぐっと引きつけられてしまったんです。松本くんに。
「この子、いい目するなぁ~~。」って、見入ってしまいました。
というわけで、珍しくラスト4回分も見てしまいました。連ドラを。
そして昨日の最終回、最後の空港のシーンで、おねぇさんは魂持ってかれたですよ。松本くんに。
目がいいよぉーーー。あの目がいいよぉーーーーっっ。いいもん見せてもらったよぉ~。
ありがとう。松本くん。
岡田くんとはちょっと違った意味で大好きになったぞ。
とは言え。
今度何かのドラマに松本くんが出演するとしても、きっと見ないんだな。
ドラマが好評ならラスト2回は見るだろうけど。

成長の糧

タァちゃんママが、白血病で亡くなったダウンちゃんのお顔を見て
「とってもとってもいいお顔してたの…。ああ、本当に天命をしっかり完うして天国に帰って行ったんだなぁ、って分かったよ。」と、思ったんだそうです。
立派だなぁ、と思いました。彼のこと。
生まれてくるのは、死んでいくのより辛くて、とても勇気の要ることなんだそうです。
病気に耐えて頑張る小さな子どもとして生まれてくるのには、本当に勇気が要ることだったろうなぁ、と思います。
だから、別れは寂しいことだけど、心の中で「お疲れさまでした。偉かったね。」と彼に話しかけました。
けれど、同じ親として、子どもに先立たれた彼のお母さんの気持ちを想うと非常に胸が痛いです。
切ないです。
でもね、こういうさまざまな感情は、しっかりと味わうこと大切なんだと、最近になって気がつきました。
そのために生まれてきてるんですもんね。
いろんな経験をして、いろんなチャレンジをして、いろんな感情を味わって……の全てが魂の成長の糧になっていくんですもんね。
自分は経験したことないことでも、なんとなく共感できることってのは、きっと前世で経験済みなんだろうなぁ、なんて思ったりもします。それぐらい、私達はいろんなことを経験してるんです。
ただ、その感情に翻弄されてはマズイんだろうなぁ、と思ってます。
感情が厄介なのは、そーゆー部分なんでしょう。
翻弄されずに、しっかり味わう。そして、味わったら手放す。
これができるようになったら、人生の苦悩がぐーんと減りますよねぇ。
(私はもらろん、まだまだでございます。はい。)

天使

前に日記に書いた白血病のダウンちゃんですが、亡くなりました。
タァちゃんママが泣きながら報せてくれました。
彼の魂はニコニコしながら天国に旅立って行ったんだろうなぁ、と思いました。
天使そのもの。

「うまい!」

いっこ前の日記に追加。
「うまい!」って言います。息子。
ちょっと前までは「んまっ。」だったんですが、しっかりと「うまい。」って言うようになりました。
大好きなご飯や麺やおせんべいを食べてる時に、笑顔で言うので、「美味しい。」って意味で使ってる模様です。
言葉の数が少ないのに、「うまい。」は非常にはっきりとした発音で言うので、なんだか食事の度に笑えます。

「ないっ!」

健常児の2歳3か月ならば、結構おしゃべりもできるんではないだろうか?と、思うんですが、ウチはやはり発話が遅いです。
こっちの言ってることは結構理解できてる様子ですが、いまだにジャーゴンが多くて、意味のある言葉は数えるほどしか出ません。
「おとちゃ。」「おかちゃ。」(に非常に近い音)は、1歳半くらいから出てたんですが、なかなか言葉が増えません。
「あい(はい)。」
「ない。」
「あった。」
「ぶぶ(お茶・お水のこと)。」
「かーいー(かわいい)。」
「ぃち(数字の1)。」←微妙に『い』に『き』が入ったような声になってる。
「ばば(おばあちゃん)。」←でもたまーにしか言わない。
「じちゃん(おじいちゃん)。」←これもたまに。
こんな感じですかねぇ?
この中で多用してるのが「あい。」と「ない。」です。
何か(ゴミっぽいものを)見つけた時に手渡しをしてくれることが多い息子ですが、その時に「あい。」と言ってから手渡してくれます。
使い方は合ってます。
「ない。」は、お菓子などが無くなった時に「ないっ。」って言ったりしてたんですが、最近では「いや。」の意味でも使われることが多くなりました。
首を横に降りながら「ないっ。」って言うんです。
「アキオくーん。歯磨きしようねー。」と、お母ちゃんがハブラシとコップを持って現れると、必ず首を横に振って「ないっ。」
「アキオくーん。ウンチしたでしょー?オムツを換えようね~。」と、お母ちゃんが言うと、首を横に振って「ないっ。」
大好きなパンやおせんべいを食べている時に、お母ちゃんやお父ちゃんが「アキオくーん。ちょうだい。」と手を出すと、パンやおせんべいにササっと手を置いて、思いっきり首を横に振って「ないっ!」
自分はお母ちゃんが食べている麺類が欲しくて欲しくて『ちょうだい』のサイン連発なのに~。自分のはお母ちゃんにくれないのーー。
母、毎日おもいっきりいろんな場面で拒否され続けております。
んー。それなりに知恵がついてきたんですねぇ…。
そーゆーお年頃なのね。ふふふっ。

君にはできるかな?

子どもがウンチしたかどうかを確認するために、子どものお尻に顔をくっつけてニオイを嗅ぐ。
子どもが一度口ん中に入れといて出しちゃった食べ物をパクっと食べてしまう。
世のお母さんたちのこーゆー姿を見て、以前は「母親ってスゴーい。私にはできんわー。」と思ってたけど、今ではそんなの『ヘでもない』。
自分が食事中でも、息子の様子がなーんかオカシイ時に、食事を一時中断して、息子のお尻に顔をくっつけることだってできちゃう。
母親って、こうしてどんどん神経が図太くなっていくんやな。
ブラボー。