ずりばいユリコ。
★tamie★
焦りがあるということは。
子供を授かってみて、初めて親の気持ちってものが分かるようになるもんです。
ウチの場合、第一子がダウン症児なので、そりゃなんてゆーか、濃い濃い感情の体験でありました。
でも、最初っから基本的には「ありのままの息子を受け入れる」というスタンスだったので、『焦り』みたいなものはあまり…というか、ほとんど感じませんでした。
さて。
昨日のクローズアップ現代(NHK)は早産の赤ちゃんについてでした。
忙しいお母ちゃんは飛ばし飛ばしにしか見れませんでしたが、ちょっと「あれ?」と思ったことがありました。
超未熟児の赤ちゃんを産んだお母さんたちには、その後の育児の中でもさまざまな苦労や気苦労があるわけですが、その中で『(このままでは)他の子と差がついてしまう』という焦りが大きそうだったのです。
ちゃんと食べてくれない娘さんと、毎回食事の度に1時間半も格闘しているお母さん。
このままでは、差を埋めるどころか、どんどん差がついてしまう、と焦るわけです。
「まだまだ胃腸がちゃんと成長してないんだな。この子のペースに合わせてあげよう。」
と、あのお母さんがもしもそう思えたら、お母さんも娘さんも、すごく楽になるんじゃないのかなぁ?と感じてしまいました。
手をかけてあげて、子供がより健やかに成長するように促してあげるのは親の役目だと思うんですが、やはり『他の人(子)との差や違い』を意識してしまうと、途端に親も子も苦しくなっちゃうんでしょう。
でも、それって子育てに限った話ではないですね。
自分自身に対しても同じことだと思います。
向上心は大切だけど、他人との差を埋めるために、他人より上に立つために向上するわけじゃないですもんね。
ああすれば良かった、こうすれば良かった、の反省も度が過ぎれば自虐にしかならないし。
まずはありのままの自分を受け入れてこそ、だろうなぁ、なんてね。
バタバタとしながら、そんなことを思ったお母ちゃんでした。
似てない兄妹…のハズなんだけど。
確かに、兄妹で輪郭は似ている気がする。おじいちゃん譲りの顎、ってことで。
つむじも同じところにあるし。
でも、アキオの場合、顔の上半分は私に似てるし、その上ダウン症ってことで、つり目のはなぺちゃになってる。
で、口元はお父ちゃん似なのだ。
そしてユリコは、顔の上半分がお父ちゃん似で、口元が私似なのだ。
てことは、2人は似てない兄妹……のハズなんだけど、最近「兄妹でよく似てきたねー。」と言われる。
なんでだろ??
そうなのよ。
2人でいると、全然違う顔なのに、なんだか似てるっぽい感じがするのね。
オーラが似てる……のかなぁ?
赤頭巾ちゃん
オオカミさんに気をつけて!
★tamie★
今日もこの辺りはどんより曇り時々小雨
なかなか寝ついてくれない息子や娘を「ねんねんよー。世界人類が平和でありますように。ああねんねんよー。」と寝かしつけながらのグリッド祭りでありました。
みなさんはいかがでしたか?
実は先週末からお父ちゃんがまたまた喉からの熱を出していて不憫なのですが、台風も来ちゃったりするもんだから、解熱剤を飲みながらいろいろお仕事をしていたお父ちゃん。
昨日からダウンしております。かわいそうに。
そして息子も月曜日から再び下痢。
日曜日にはそれはそれはお母ちゃんが惚れ惚れするような長い一本グソをトイレでした息子くんでしたが、下痢になると我慢できないからどうしても紙パンツの中でしてしまうのです。
お母ちゃん、仕事が増えるのであります。とほほ…。
ま、下痢で悪いモノを出してるんだからいいんだけどね。熱も無いし元気だし。
ただ、うつる下痢じゃないとは思うけど、プールに入りたがったりもするから、みんなにも悪いよなぁ、と保育園はお休みさせております。
雨と曇りばかりで、ちっともスカっと晴れないから、身体の調子も乱れるってなもんですわな。
早く梅雨明けして欲しいもんです。
洗濯物がパリっと乾かないよおーーーーーっっ。きーーーっ。
FIRE THE GRID
妹が泣いたら
お母ちゃんが台所にいたら娘の泣き声がし、すぐに泣きやみました。不思議に思って手を止めて娘のいる部屋へと行ってみたら、アキオがユリコをなだめていたのでした。
★tamie★
バッタリと
一昨日、こちらに引っ越してきてから友達になったミヨちゃんといろんな話をしておりました。
ミヨちゃんは実家の近くに住んでいるので、友人の友人が友人だった…なんてことはありがちなようです。
(ちなみに、ミヨちゃんの彼氏とウチのお父ちゃんが小学校が一緒の同級生だったというこうが判明。)
でも、私は旦那さんの実家近くに引っ越してきたわけだから、「昔の知り合いにバッタリとか、友人と友人が知り合いだったとかってことは無いだろうねぇ~。」なんて笑ってました。
そしたらあーた。
昨日ですわよ。
前日にミヨちゃんとスガキヤの話をしてたもんだから、どーしてもお昼にスガキヤに行きたくなり、雨続きで家で仕事してるお父ちゃんにお願いして、わざわざ市内の某ショッピングセンターに連れてってもらいました。
その中にスガキヤがあるのです。
ちょっと前に改装したそのショッピングセンターに、新しくリンガーハットも仲間入りしとりました。
「おお。リンガーハットがあるよー。」と、旦那さん。
そのままリンガーハットに行っちゃうかと思いきや、やっぱり初志貫徹でスガキヤに行きました。
で、そこで、バッタリ!ですわよ。
バッタリと、富○通時代に一緒に働いてた外注さんと会ったのです。
ちょっとクセのあるオジサン(悪い人じゃないよ。)だったので、忘れることはありませんでした。声をかけられて「おおお。○○さん。」と、すぐに名前も出てきました。
いや~~。ビックリしたねぇ。
「知り合いとバッタリ会うなんてないよなぁ。」なんて言った翌日ですもん。
旦那さん曰く
「気を抜くなってことだな。」
そのとおりざんす。
今を生きるってことは……。
cobaさんのコメントに対して、返事を書いていて「お?」と思ったので、こっちにも書いておきます。
多分、「今」を生きるってのは、『今、私は何を感じているか。』を十分味わうことなんでしょう。
忙しいなぁ、だけじゃなくて。
身体を通して現される『感覚』と、心を通して現される『感情』を、今、ちゃんと感じる。
そーゆーことなのかなぁ、と思いました。
それって、案外みんなできてないと思うんですわ。
映画見て「ああ面白かった。」とか、食事に行って「ああ美味しかった。楽しかった。」とか、そーゆーのは分かりやすいですよね。
でも、そうじゃなくて、一瞬一瞬の『今』を、(いろんな仕事をするために)脳を働かせながらも、脳じゃない部分、マインドじゃなくてハートで感じるように生きるってーのは、できてないと思いません?
私はできてませんでした。はい。
『今』を生きる
瞬々刻々、私達は身体をいただき直しているんだそうです。五井先生によると。
そんなことをじんわり考えていたら、(プリントアウトして)読んでたクリムゾンサークルの記事にも『今』を生きなさい、とありました。
過去に生きることは、あなたの中で死というプロセスの引き金をひくことになり、未来に生きると息苦しくなる……と、ありました。
多分、こーゆーことが起こる場合、それが(それこそ)『今』の私に必要なことなんでしょうね。
そうなのよん。
お母ちゃん、ちょっと息苦しさを感じてたのよん。