あらためて問い直すタイミング

8月の終わりの真夜中に息子に「お母さん、お水…。」と起こされ、そこからなかなか眠れなかったので、スマホを開けたらこんなツイートが目に入りました。


それでこんなツイートをしたのですが。


今もオカンが住んでいる実家は小さな借家なのですが、小学生の頃、どうして私はこんなにこの「家」が好きなんだろう…と、自分でも不思議に感じていたくらい「家そのもの」が好きでした。
単なる愛着だったのかもしれませんが、そんな気持ちがとても強く在りました。
とっくの昔にどこかに置き去りにしてしまったそんな自分を遥か遥か遠くから眺めるように思い出し、
さらに、高校生の頃に「強くなりたい」と願ったら、ふと気が付くと、『とても繊細だった感受性の先端がすべて無残に折れてしまった』かのような自分になっていて、取り返しのつかないことをしてしまった…と、ひどく落胆したことも思い出し、
真夜中にお布団の中で、ため息を1つ吐き出していました。
この世界の仕組みを知りたいという子供の頃からの願いの上に、健康問題をなんとかしたいという切羽詰まった思いが乗っかったがために、なんだかんだとここまで来ることになったわけですが、
ここに来て、「わざわざ人間に生まれてきたことの意味をもう一度問う」みたいな流れになっていたのです。自分の中で。
クリアリングしていくことの意味や、霊性を高める努力をする意味などを、あらためて問う必要性があるのでしょう。自分の中で。
そんなタイミングのようです。

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