ねたみちゃん、現る。

ちょっと前のことですけども、
友人とのやりとりの中で、魂ってものについての彼女なりの解釈を聞かせてもらいまして、それがとても納得だったのです。
ざっくり言いますと、
どんな人でも、いろんな魂のパーツの組み合わせだ、という感じですね。
かなり大人な魂のパーツと、ある意味とても未熟な面を持った魂のパーツが組み合わさっているようなものだ、と。
私自身も、何年も前になりますが、自分の魂というのは、たくさんの魂のパーツの組み合わせだというイメージを見せられたことがあります。
そいえば、五井先生も似たようなことをおっしゃっていた記憶もあります。
すると、
氣乃 介さんも、ブログの方で「類魂」のお話をシリーズで書き始められまして、
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12086528703.html
やはり、ここでもたくさんのパーツで魂は成り立っている、という考え方が書かれています。
私の場合は、タミエルとファウとミルラ・ムという別々の魂のパーツをもともと感じてはいますが、
全然認知していないパーツもたくさんあるんだろうな、というのは、自分がたくさんのキラキラした魂のパーツの寄せ集めというイメージを見せられたこともあって、そう思っていました。
まぁ、これは、物理学で「光」を「波」と捉えるか「粒子」と捉えるかという問題と同じようなもので、
魂を「かたまり」のように捉えた場合の認識の仕方だと思った方が良いように感じます。
波(波動)と捉えたら、また違った認識の仕方になりますからね。
それで、です。
一昨日からちょっと体調がよろしくなかったのですが、
昨日は久々に朝から全くダメで、ほんとーにしんどくて寝込んでおりました。
おとーちゃんにお仕事を休んでもらったくらいダメダメでした。
そのうち、どうにもならないくらいしんどいピークが過ぎて、ちょっとだけ楽になった頃に、ぼーっとした頭で何故かなんとなくプラチナプロテクトをしなくちゃ、と思いまして、半分ウトウトしてる状態でプロテクトをかけたんです。
するとすぱーんとこんな映像が頭に浮かびました。

雲の上のような、そんなふわっとした真っ白くだだっ広い空間に、私とミカエルだけが居て、向かい合っていました。
すると、ミカエルは小さな石のようなものを見せてくれました。
光ってはいるのですが、墨のような色をしていました。
これは、私の魂のパーツの1つだと思いました。
そして、このパーツは、「羨ましい、妬ましい。」という感情でいっぱいなのだと感じました。
私は、いい人ぶるわけじゃないんですが、誰かのことを妬ましいと思ったことがほとんどありません。
誰かを羨むという感情自体が、大人になってかしかハッキリとは認識できませんでした。
会社員時代の友人が「いいなー。いいなー。」とすぐ言う子だったのですが、ああそんなふうに軽く言っていいんだ、と目から鱗が落ちてからは、かるーく「いいなー。」と言うようになりましたが、それまでは人を羨ましいと思うよりも、すごいなぁぁぁー、で終わっていたことが多かった気がします。
なので、今でも「いいなー。」と言ったとしても、そんなに真剣に羨ましく思ってるわけでもなくて、すぐに終わって忘れてしまうことが多いです。
そこは土星先生の良い面が発揮されてるのかもしれません。
他人を羨むことにエネルギーを注ぎ続けるより、自分の成長の方に意識が向きやすいからだと思います。
または、『そうでない自分がイヤ』で「美人さんに生まれたかったわー。おっぱい大きくなりたかったわー。」と思うのであって、誰か特定の美人さんや巨乳さんを羨ましがるというわけではないのです。
ですから、私の魂のパーツの中に、人を羨む・妬む、という感情でいっぱいになってるものがあるとは思ってもいませんでしたので、ぼーっとした頭の中でもかなり驚きました。
もしかしたら、このパーツが私の「人を羨む」という気持ちを全部引き受けてくれてたのかもしれないし、
もしかしたら、他のより成熟したパーツがこの部分に関しては前面に出てたのかもしれないし、
どうなんだろうなー……、とぼんやり思いつつ、この薄墨色の光る小石のようなパーツを眺めていたら、
突然、このパーツが人格化して見えてきました。

ミカエルに
「この子は、ねたみちゃんって名付けてみるわ。」
と、私が言うと、ミカエルはにっこり笑ったような、そんな気がしました。
ねたみちゃんは、小学生低学年くらいの、小さな女の子でした。
ねたみちゃんを膝に抱っこしながら、ぼんやりしていたら、ふと思いました。
そうか。
ねたみちゃんってば、私が本気で「羨ましい」と思って言葉にしても、誰も私を責めない現実を創ったのね。
私は、7歳の頃から宇宙物理学者という頭が良くないとなれない職業に就きたかったので、とても頭のいい親友や弟のことを「いいなぁ。」と、大人になってから羨ましく感じることがありました。
確かに羨ましく思いました。
でもね、それすらもね、すぐに「まあ仕方がないか。」と、羨む気持ちを手放してしまっていました。
時々、折に触れ「いいなぁ。」と思い出すのですが、すぐにまた手放していました。
またそのうち書こうと思いますが、羨ましいよりも少し違う方向で思うことがあった、というのもあって、羨ましいという感情自体は割とすぐに手放してしまっていました。
なので「妬ましい」まで醸されることもありませんでした。
そんな私ですが、いつも健康で元気な人を心底羨ましいなー、と思う気持ちは、とても大きい気がします。
しんどいこと自体もほとほとイヤになってるし、
家族に迷惑をかけることもイヤだし、
おとーちゃんの仕事先に迷惑をかけるのも申し訳ないし、
いつも元気で健康な人を本当に羨ましいなぁ、と思います。
そして、身体がちょっと弱い私が、「健康で元気な人が羨ましいわ。」と言ったとしても、それに関して「人を羨むなんてみっともない。」などと責める人は確かにいないだろうな、と思ったのです。
これなら自分に対しても、人に対しても、正々堂々と羨ましがることができるよなー、と。
「でもさぁ、ねたみちゃん。しんどいのはもうイヤなんやけど。あたし。」
と、話しかけましたが、ねたみちゃんはガン無視です。
どうしたらいいのかなー………と、ぼーっと考えてるうちに、急にハッと意識がハッキリしてきたので、イメージが霧散してしまいました。
ねたみちゃんが晴れやかな女の子に変容していくように、私はどうしたらいいのかしら~……と、考えてはいるのですが、
さっぱり分からないので、とりあえず、ふと思った時にイメージの中でねたみちゃんを抱っこしております。
ガン無視されっぱなしですけどね。
ねたみちゃんが変われば私の体調も変わるかもしれないし、ちっとも変わらないかもしれないけど、
見つけたこの子をこのままにしておけませんしね。
だって、私の魂の一部ですもん。
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“ねたみちゃん、現る。” への2件の返信

  1. このブログを拝見した後、図書館の順番待ちしていた「正しい恨みの晴らし方」というタイトルの本を読んでいると、文中に「~妬み感情を擬人化してねたみちゃん、自分の中にいる小さい女の子、あるいは小さい男の子、として見てみるのも一つの方法です~」とあって、うわあ…と思いました。
    なかなか興味深い本です。機会がありましたら、ご一読を…。

  2. > このブログを拝見した後、図書館の順番待ちしていた「正しい恨みの晴らし方」というタイトルの本を読んでいると、文中に「~妬み感情を擬人化してねたみちゃん、自分の中にいる小さい女の子、あるいは小さい男の子、として見てみるのも一つの方法です~」とあって、うわあ…と思いました。
    > なかなか興味深い本です。機会がありましたら、ご一読を…。
    なんと興味深い情報をありがとうございます~♪
    ちょっと読んでみたいですわっ。

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