たまたまこの記事
http://oka-jp.seesaa.net/article/418137952.html
を読みましてね。
なんとなくね、分からんでもないんですよ。
私も不安や恐怖ってのが大きい方だと思うので。
というか、娘がそうでして、
娘の姿を見てると、私のソレを虫眼鏡で拡大して見せられてるような、そんな気分になることがあります。
で。
このブログ主さんは「十代の時に恐怖の解消を一度経験してる」と書いてますが、
私の場合は22歳だったかなー。
その時に、解消…ではないのですが、
不安や恐怖が全くない絶対の安心みたいなところにすぽんと入り込んだことがありました。
後にも先にも、あんな感覚になったのはあのたった一度だけです。
普段の私にとっては不安や恐れが起こるような状況だったのですが、なぜかその日のその時だけは、
何か絶対的なものに護られていると心の底から分かっていて、絶対の安心という感覚にしかならなかったのです。
何かが観えているわけでもないですし、何かが聴こえてたわけでもないのですが、何故か分からないのですがそうだと分かったのです。深い確信を伴って。
たった10分にも満たない間のことでしたが、あの経験は私にとってはとても大きなものでした。
ちょっと前にじぇいど♪さんとも「不安」ということについてやりとりしてたんですが、
不安というのは、人間が生き延びるためには必要なものだったと思うのです。
全く不安のない生命体だったら、ホモサピエンスはもうとっくに絶滅してたんじゃないかと思います。
なので、これは生命体として必要なものとして備わっているものなんでしょう。
でも、それも分かった上で、「あの絶対的なものに護られてる絶対の安心感」というのが、人としてのほんとうの在り方なのかもなー、と思うのです。
または、それこそ、ちょっと高次元の自分とピッと波長が合った……というものかもしれません。
この現象世界の生命体としての本能というか、性というか、そういうものも自分の一部なので、不安や恐怖を感じるな、そこにフォーカスするな、って言われても、そんなの難しいことなんですけど、
「仕方がないよ~、それも自分だもーん。」と開き直った上で、過剰な不安に巻き込まれることはヨシとせずに、「絶対的なものに護られている絶対の安心感」の自分にチャンネルを合わせよう…という意図が大事なのかな、と思いました。
ええ。
すっかり忘れてたのですよ。
あの経験の、あの感覚のことを。
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そうそう。
最近、FBの方でフォローし始めた方がいましてね、
その人のブログ記事がなかなか興味深いんですが、これらの記事
http://ameblo.jp/izumiutamaro/entry-12026101817.html
http://ameblo.jp/izumiutamaro/entry-12027166870.html
にもあるように、エネルギーボディを写真で撮ってる……とのことなんですが、
この写真……
五井先生の霊光写真と同じ種類のものなんじゃね?
と、今さっき思いました。
ええ、ほんとに今さっきです。
あ、五井先生の霊光写真ってコレです。
http://byakko.or.jp/founder/goi/reikou/
私も撮りたいーー撮ってみたいーーーー…って、思ってたら、
「お前には絵があるだろ。」
と、(多分親分に)すぱんと言わてしまいました。
ちぇっ。
…だから、こーゆー丸い光をいつも描いてるんだな。
あたしってば。
あ、これは4~5年前に描いたウリエルですけどね。