上手くできたり、上手くできなかったり。

年末に関ジャニ∞のライブに行ってから、すーーーっと血圧が下がりまして、1カ月以上ずーーーっと血圧が低め(←もともとの状態)安定で、以前のように生理もピタリ28日周期で来まして、
あたしの女性ホルモン、めっちゃ出てるんちゃう?若返っちゃったんちゃう?
と、喜んでいたのですが、
先日生理が来た途端にポコンとまた血圧が高め安定になりました……。
ちっ。
若返ったんじゃなかったのか。
というわけで。
エイトに会うと更年期障害も抜群に改善することが判明したので、今年はもっともっと頻繁にエイトに会わせてくださいミカエルお願いほんとお願いプリーズ。
さて、本題ですが。
先日、某所で、
私の周りで、最近になって特に『どちらかの波長、またはお互いの波長が変わって、話が通じなくなる』というのを見かけるし、私自身も経験した
と、書いたんです。
その時に、片方の意識が上がった、波動が上がった、という書き方をしたんですね。
この表現は誤謬を含んでる…といいますか、誤解を生みやすいといいますか、そんな表現なのは分かってるんですが、でも他に言いようが無いのでそう表現したんですね。
そしたら、案の定、じぇいど♪さんからメールがペロンと来ました。
きっと来る、絶対ココを指摘するぞ、と思っていた通りなので、ふふふふ、と笑っちゃうくらいだったのですが、
ほんとに見事に思ったとおりの指摘をしてくれました。
で、数回のやりとりをしたのですが、お互いを尊重しつつ持論を説明し合うわけですから、もちろんやりとりそのものは穏やかなものなのですが、そこはね、中年のおばちゃんたちですからね、それなりに人生醸してきてますからね、数回のやりとりだけでも、「お。」と新たな気づきを得るわけです。
指摘してくるだろう、こうやって指摘してくるだろう、というのは分かっていても、そこから生まれるものは想定外のところからポーンとやってくるので、予定調和では無いのです。
そこが面白いわけですが。
と、
ここまでお互いの関係が熟成されるのに……何年かかったっけ?
今回のやりとりで改めて気づかされたのですが、当初はそれこそ「家庭教師と教え子」みたいだったのですよ。
じぇいど♪さんが、というか、じぇいど♪さんの後ろに控えてるあのヒトやこのヒトも込みで。
私と彼女の意識としては「友人」でも、実情はそんな感じでしたね。
マンツーマンでベッタリくっついてた、という感じ。
刑事モノで言う『バディ』みたいなものかなー、と思います。
それがいつ頃からか、自然と関係性が変わって行きました。
友情という面ではこれっぽっちも変わらないのですが、明らかにメールのやりとりの頻度はうんと減りましたし、彼女には違う『バディ』が現れたし、私も月子さんとの(関ジャニ∞の話題以外の深い話の)やりとりがうんと増えましたし。
その変化に合わせて、私の中の問題も浮き上がったりもしたのですが、そこらへんを月子さんとやりとりしているうちに消化していくことができ、
気がついたら、今は逆にこれくらいの距離感がちょうど良いなぁ~心地良いな~、と感じる自分がいました。
私は、数年前に、当時の『バディ』と上手に離れることができませんでした。
彼女の突然の変化に私がついけ行けず、私の未熟な部分も出てしまって、まるで縁をハサミでばっさり切られてしまったような、そんな離れ方となってしまいました。
あの時と今とでは何が違うんだろう?って考えるのですが、イマイチよく分かりません。
あの時にどうしたら良かったのか、今でも分かりませんし、たとえ今の私が当時の私と入れ替わってやり直したとしても、上手に離れることができるのか自信なんてありませんし。
(上手に離れることが「正解」というわけではないのも分かってますし、もしかしたら魂の視点から言えばあの経験そのものが「正解」かもしれないですけど、あくまで人間の意識としての「私」の視点から言うと、もちょっと上手くできなかったのか、というのは残り続けているのです。だって人間だもの。)
そう考えると、
「波長が替わっていく」「波動が離れていく」と言っても、たまたまそこが「相転移」の境目を跨ぐ場合は、どうしても「話が通じない」とか「上手に離れられない」とか、そんなことになりやすいのかもな、と思ったりもします。
同じ「水」の状態なら、30℃でも90℃でも同じ「水」という状態ですけど、
たとえたった5℃程度の差でも、0℃を跨げば、「氷」と「水」ですし、100℃を跨げは「水」と「水蒸気」ですもんね。
有り様が様変わりしてしまいます。
そういう相転移の「境目」みたいなものがちょいちょいあるのかもなー、なんて思ったりしたのです。
でも、その実態は外部にある「境目」じゃなくて、一種の膜というかフィルターというかトラップというか、そういうものなのかもしれなくて、ちょっとした「小石」程度なのかもしれないです。
そこにひっかかってしまうのは、自分自身の高慢さや自己不信…さまざまな凸凹のせいなのかもしれないですね。
うむむ。(←ひっかかった己を省みて唸るのみ。でもどうしたら良かったかはやっぱり分からない。)
…と、書いていたら、
さまざまな人生、今の人生、それらを通してたくさんの経験をして、「ブロック」と呼ばれるものなども形成されたり、人格的な偏りも出来上がっているだろうけど、
すべての経験は「粘土」みたいなもので、とにかく芯にぺたぺたとくっつけてきたから、凸凹があって当然。
今は、その凸凹を綺麗にならして、すべすべにしていく過程だと思えばいい。

……みたいなことを、すこんと言われました。
今まさに。
誰よーー?
親分?くま?誰??
さてさて。
今日はとっても寒いので、野菜スープ作ってきます。
ドロン。

今日はほんとーに寒いので、お猫もお散歩は短時間で済ませて帰ってきて、温かい場所で丸くなって寝てます。

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