1のゾロ目をしこたま見てから。

先週の月曜日に、これでもかってくらい1のゾロ目を見ました。
ググってみたら、1のゾロ目はエネルギーの通り道ができましたという意味だそうで、
「へぇー。」って思ってたくらいでした。
するとその夜。
こういうことは相変わらず突然なのですが、
自分の身体のことを、心のあたりから感謝する想いが湧きあがってきました。
それまでの、『頭で観念的に感謝する』というものではなく、さすがにお腹のあたりから…というわけではなかったのですが、ハートのあたりで感謝する想いが自然発生するかのように湧いてきました。
目が見える、手が動く、耳が聞こえる
そういうことがとてもとても有り難いことだとハートから思えたら、すべてがギフトなのだと分かり(←観念的に思う…というのではなくて、やっぱり「分かる」です)、
すべてとは言いませんし、後から戻ってきた部分もありますが、劣等感がすーっと消えていったような感覚になりました。
まさしく、すーっと通ったような感覚でした。
すると立て続けにちょいちょいありまして。
経験豊富なじぇいど♪さんに教えてもらったのが「波動離れ」という言葉でした。
たとえるなら、それまでは同じような「青色の波長帯」にいた人と、馴染み良く付き合ってきたけれど、どっちかの…または2人共がそれぞれ波長の変化が起こって、赤と緑にそれぞれなってしまい、自然と付き合い方が変わっていく…というものです。
または、進級によるクラス替えみたいなものと考えてもいいかもしれません。
別にケンカしたわけでも仲が悪くなったわけでもないけれど、違うクラスになって、付き合い方が自然と変わっていく…という感じですね。
ほんとにエネルギーの通り道ができたのかなぁ~??なんて思っていたら、
これまたふと湧いた考え…といいますか、頭に放りこまれた考え…という感じだったのですが。
見えないものが見えるわけでもないし、
聞こえない声が聞こえるわけでもなく、
エネルギーの流れを的確に把握する能力があるわけでもなく、
ちょっと大きめのエネルギーが流れるとぶっ倒れたり、最悪「発作」が起こってしまうので、エネルギーを扱う器も小さく、エネルギーの通る管も細くて詰まってる箇所もあちこちあると思ってましたし、
ただなんとなくのイメージや直感のようなものしか私には受け取る方法が無いので、自分自身はサイキッカーでもなければ、ヒーラーでもなく、スピ的には「たいしたことない小者」というセルフイメージがずーっとありました。
そういう自分自身が劇的に変わった!……なんてことはありません。
ちっとも変わっていません。
これっぽっちも変わっていません。
でも。
「たいしたことない小者」というのは違うのかも、と思うようになりました。
と言いますか、
「たいしたことない小者」なんて人は一人もいないのかも、と思うようになりました。
これまた観念的には分かっていたのですが、頭ではなく、もう少し下位のところからそう思うようになってきました。
虚栄心とか自己顕示欲とかがゼロというわけじゃないでしょうし、
「できることが増える」というのをヨシとする部分は信念めいたものとして存在してますし、
見えないものが見えたり分かったりすることで、さまざまなカラクリ(←私の場合は健康問題)が明快に解けて、対処方法が明らかになり、問題解決に至る…という方法をどーーーしても選択しようとします。
それを完全否定するわけではないのですが、
それはそれで「そういう自分がいる」のだと認識しつつ、
深い部分では、粛々と「なりたい自分」を目指すのみ…なのではないかな、と感じました。
ちょうど、ガイドに言われたんですよね…。
あんな。
お前がヒーリング『できへん』ってゆーてるのな、
あれな、できへんのとちゃうねん。
できへんのやなくて、ヒーラーになろうとせんように「(回路とかプラグみたいなものを一部)外して」あんねん。
多少でもできてもーたら、お前のことやから、ヒーラーになろうとするやろ?
基本的にめっちゃお節介やから、助けてあげたいなんとかしてあげたい、って思ってまうやろ?
あかんねん。
それじゃあ。

って。
(何故かうちのガイドは関西弁が多いんですー。ミカエルなんて時々岐阜弁も使うしー。私の翻訳フィルターが関西弁や岐阜弁を選択してる模様。)
「深いところでなりたい自分」というのは、天文学者でもヒーラーでもないので、最初っから通行止めになってるみたいなのです。
では、「絵描き」はどうなのか、というと、もちろん絵を描くことは子供の頃から大好きだったのですが、逆になろうとしなかったんです。
絵を描くことを仕事にできるなんて思ってもいなかったのです。
しかし、「深いところでなりたい自分」と、今のお仕事は関わりがあるから通行止めにもなっていなくて、それどころか連れてこられた道だったのかもしれません。
今日の午前中は体調がイマイチで、ゴロゴロうとうとしていました。
その時間の中で、ミカエルたちと会話をしていたのですが、
「深いところでなりたい自分」というのは、使い古されたような表現でざっくり簡単に言ってしまえば霊性を少しずつでも進化させていくことなんですよね。とどのつまり。
もう、それしかないんですよ。
でね。
じゃあそれってどういうことかって言いますとね、
自分がクリアになっていけば、そこに居るだけでなんだかいい感じの空気になって、他の人もなんとなくいい感じの気分になる…みたいなね、そんな天然空気清浄機みたいな感じになっていくんだと思うんですよ。
あ、いや。
空気清浄機ってのも「意図的な働きかけ」を感じる言葉ですね。
もうほんとにね、「触媒」になりたいんです。自分からは何の意図的な働きかけもしないけど、周囲が勝手に反応速度を加速させる「触媒」に。
エゴとかのエリアでは、あーなりたいこーなりたいってアレコレ細かい欲求は生まれ続けるんですけど、
深いところでなりたいのは「触媒」なんだなー、とあらためて分かったわけです。
もちょっと違う言い方をしますと、
肉体も幽体も精神も魂も…調和が取れている状態
を目指してるんだと思います。
悟りを得たいとかってのとは違うんです。ただただ「絶妙に調和が取れてる」という状態を目指してるんだと思うんです。
でもそれは静止してるんじゃないんです。
無でもない。
逆にものすごくダイナミックな「流れ」のようなものかもしれません。
くだらないことで大笑いもするし、エイトや嵐に萌え続けもするけれど、今よりも全方位的に調和が取れてる方向を目指してるんだと思うのです。
深いところの「私」は。
絵を描いてるというのも、
絵そのものにはエネルギー的なシステムは何も存在しないのですが、受け取った人が自発的に何かを感じてくれているわけで、まさに「触媒」なんですよね。
あー。
そんなふうになれるとしても、まだまだ先ですなーーー。
40代なんてまだまだおこちゃまです。
あ。
蓮村先生の11月22日のツイートをご紹介しておきましょう。
https://twitter.com/fundocq

人の寿命は100歳から120歳だと先日Tweetしましたが、そこに至るまで、人がどのように成長するか、について今日はお話しします。人の一生は4つのステージにわけて考えます。第1ステージは30歳まで。この時期は両親からの愛情と躾を受け、良心を柱とする #mayurveda
自我の基礎を築き、さらにしっかりと食事をとり、からだを鍛える時期です。車の運転免許で言えば、教習所で学科を学び、実技の基礎を身につける時期で、30歳でようやく仮免といったところです。そして、30歳から60歳が第2ステージです。 #mayurveda
この時期は、様々な体験を通してこころを成長させる時期です。自分のダルマを求め、成していく時期でもあり、幸福と同時に辛いことや大変なことなどを糧としながら、こころは成熟していくのです。路上研修で運転技術を向上させる時期、ということです。 #mayurveda
そして、60歳から80歳が第3ステージです。成熟に達したこころは、いよいよ本格的に社会で役割を果たしていきます。本免許を取ったとはいえ、60歳はまだまだ若葉マークの初心者です。社会貢献を通してリーダーとしての資質を磨いていくのです。 #mayurveda
ようやく迎えた80歳の頃から、人生の最高の時がやってきます。どんな状況でも間違いなく運転ができるようになった者は、ベテランドライバーとして、若い人を指導し、導いていきます。つねにこころは鎮まり、安心と自信と喜びをもち、幸福で満たされています。 #mayurveda
30歳や40歳など人生における仮免状態ですから、第4ステージの人から見たらまだまだ子どもです。60歳や70歳とて若葉マークですから人生これからって感じなんです。だから今悩みや困難があってもぜんぜん構わないし、人と喧嘩しても、仕事で失敗してもいいんです。 #mayurveda
とにかく、まず健康をちゃんと保つことです。健康を失ったら第4ステージまでいけませんから。そして、若いうちは自分のダルマを求めて、それをおこなうこと。それが一番速く自分を成長させるからです。あとはまあ、だいたい適当でけっこうです。 #mayurveda


健康第一!
真摯にダルマを求めてりゃ、あとはだいたい適当でOK!
いえあ!

おれはかーちゃんに甘えたいだけなんだ。
ごろにゃーん♡

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です