冬至によせて。

自分は愛される価値がないだとか、
自分はダメな人間だとか、
自分なんて、自分なんて………
って、言う人もいっぱいいるけど、
おなかいっぱいにごはんたべられて、あたたかいお布団で寝られるなら、
それだけで「誰かに十分愛されてる」って証なのにね。
去年だったかなぁ。
北朝鮮に潜入して市民を隠し撮りした映像を、ニュース番組で観たけど、
すごく寒いのにボロボロの服を着て、親が死んでしまって孤児で物乞いをしている小さな男の子が映っていて、
あたしは、泣けて仕方がなかったよ。
あの子にどうかおなかいっぱい食べさせて、あの子にどうか温かいお布団で寝かせてあげて、……って、泣けて泣けて仕方がなかったよ。
同情だって、愛のひとつだもの。
彼だってそういう「物理的変化には届かない愛」で愛されてたのに、
おなかいっぱいになって、温かいお布団で寝ている自分が、愛されてないわけないし、価値がないなんて思う必要なんてヒトカケラもないのにね。
あたし、魔法みたいに「アセンション」で世界がガラリと変わればいいのに、って思う気持ちも確かにあるの。
それは、自分が肉体的苦悩から楽になりたいからじゃなくて、世界中の不幸な子供たちが救われるような幻想を抱いてしまうからなの。
そんな不幸な子供としてでも生まれてきたかった魂の意志は尊重すべきだと分かってるけど、
いつもいつもおなかすかせて、寒いところで寝てる子供が1人でもいる世界なんて、やっぱりイヤなんだなぁ……。
「オカンな私」はそんなふうに感じてしまいます。
愛してるよ。
冬至によせて。
2011年冬至の扉

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