強化月間は侮りがたし。

プチ・アセンション強化月間中、いかがお過ごしですか?
体調が思わしくない方もいらっしゃるかもしれませんね。
さて、私の場合。
この時期に読んだ「神へ帰る」の影響が予想外に大きかったようです。
先日も、実は
まるで身体中の細胞がお祭りしてるみたい
な感じになりました。これはほんの数分の出来事でした。
それが、2日前にもなりました。
寝入る前に。
今度はロングバージョンでした。
「あいやー。こりゃ、やっぱり『変容』のひとつなんじゃない?」と思ったお母ちゃんは、そのままその感覚をじーっと感じておりました。
すると、なんだかどんどん『自分』が膨れる…ていうか、大きくなるっていうか、そんな感じになってきまして、私であって私でない…んだけど、私もそれの一部だという感覚になってきました。
ワンネスの境地、とはまた違うんだろうな、と思うんですが、なんてーのか、
本当の私を垣間見た
ってとこですかねぇ。
ああ、『我即神也』に近づいたなぁ、っていうか。
そして、当然のごとく気持ちが良いのです。喜びの中にありますから。
私は弟1号やオカンみたいな霊能にはほとんど目覚めてないので、体感として分かる派ではありません。
たまーにちょこっと「おや?」と感じる程度です。
けれど、『霊性の進化』を遠くの目標としているうちに、上記のような体験もするようになってきたのです。
てことは、霊能とは関係なく、人間というのは「進んで行けば、実感として腹に落ちるようになってくる」ってことなんですよね。(もちろん私の体験なんて序の口よ。)
それが、宗教の道であろうが、自然との関わりの道であろうが、孤独な内なる旅という道であろうが、寄り道しつつであっても少しずつ進んで行けば、ポイントポイントで、その人その人の『形』をとって、『実感として腹に落ちてくる』ようになっていくんでしょう。
そんなわけで、強化月間は侮れんよ、というお話でした。

“強化月間は侮りがたし。” への2件の返信

  1. 私も最近すごく変化があります。その中でも大きな実感としてやってきたものがあります。

    「私にやるべきことも、行くべき場所も、何もない」
    ということです。
    「個」としての私にはかなりの絶望なのですが、それとはうらはらにとても喜んでいるんです。体中が喜んでいる。

    「今この瞬間」に、目の前で、完璧な宇宙正義が実現している。
    完璧な宇宙に対して、私はなにをする必要もない。どこにも行かなくて良い。変化する必要も、何かを得る必要も、別のものになる必要もない。

    つまり、もうすっかりたどり着いちゃってるので、安心して遊ぼう。という感じです。その遊びの中で、いろんなものを得ていこう。いろんな場所に言ってみよう。常に学びの姿勢を忘れず成長していこう。変化していこう。

    母親の手の中で、遊んでる子供みたいなもんですね。

  2. ひゃあ~~~~。
    その実感はそーゆー言葉に置き換えるとスゴいですねぇ……。
    確かに「個」としては絶望的というか、スネちゃうというか。

    けど、それは「今、この瞬間」にも全ては完璧なんだってことですもんね。(だからスネる必要なんてないんだけど。)
    宇宙(神)自身も成長していくことを志向しているけど、だからと言ってそれは「今」が不全であるという意味ではなくて、「今」はいつも完璧で、みんな「今」を十全に体験し感情を味わいさえすれば、それが個の成長でもあり、宇宙の成長でもある……と。
    不全だと思いこんでいることって、目隠しのまま歩いてるようなもんだなぁ、と思ったりしました。
    だからたとえ理不尽に見えても実は完璧なんだなと思って自分自身も、世の中も見てみると、世界が今までと違ってるんですよね。

    なーんて書きながらも、お母ちゃんは日常のバタバタに翻弄され続けてます…。てへへ。

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