『なんで?』というのは、ちょっと横に置いといて、ともかく私達が生きている物質世界であるこの次元というのは、そもそも二元性が在るというか、それがこの次元の属性か?というくらいのものみたいなんですが、般若心経にもある『色即是空・空即是色』、つまり、どんどん自分のマインドの働きを止めていき、ゼロになった(空)になったところで、初めてこの次元の二元性に縛られている我々のマインドが【本当の意味】での自由自在を得ることができる、ということらしいので、個人的に悟りを得るというか、アセンションするというのは、非常に難しい課題であることには間違いないわなぁ、と、常々感じておりました。
そうは言っても、すでに『それ』は始まってるわけで。
うかうかしとれんのですな。
で。
コレ(長いよ。ヒマのある人だけどうぞ。)を昨日の夜に読んでいて、2007年は『衝突』の年なのかぁ……と、布団の中に入ってもなかなか眠れず、なんとも不思議な気分になっておりました。
対立でも闘争でもない、『衝突』です。
1つのものから2極が生まれ、それが臨界まで離れているのが今の状態で、それが引き合って、ぱぁ~~んと『衝突』して、再び1つになる、というわけですね。
その再び1つになる時に、『新しいエネルギー』が生まれる、と。
でも、その『衝突』の『事象』というか、ドラマというか、たとえば何かの天変地異とかね、そーゆーものとして現れた場合の、その天変地異そのものに心がフォーカスしちゃうと、せっかくの変化を自分のものにできずに、そこに立ち止まったままになるよ、というのです。
そして、きっとそれは、自分の心の中でも同じことなんでしょう。
ドラマというか、感情を『そのまま感じきる』ことに意味があるはずなのに、感情にフォーカスしたまま立ち止まっていては、動けんわな。
でもって、そーゆーうにょうにょした感情が出やすいってのもあって、ついついね……。
てなわけで。
最近、よく目にする『光と闇の統合』というのが頭の中のあちこちでチラチラしてしまいます。
もう、そういうステップに入ってるんだろうなぁ~。
そしたら、お気に入りのブログで再開された記事にも同じようなことが書かれてありました。
やっぱりなぁ、と、しみじみするお母ちゃんでありました。
実は僕の兄はものかきで、最近新刊が出たんですが、その本にサインして送ってきました。
その本の内容はどうでもいいのですがその文句が、
「心の中に灯りをともし、犀の角のように独り、歩め。 仏陀」
「衝突」が起きる時、大切な態度のような気がします。目の前でくるくると繰り広げられる事象に心を奪われすぎず、ニュートラルな所でありのままに感じている。そんな態度で常にありたいと思っています。
しかし,ドラマチックな年になるんでしょうなあ。
ドラマは、刺激的ですから、ついついそこに焦点を合わしてしまいがちになりますね。自分の人生そのものを、面白い本かなんか読んでいる気分でいられたら、「読んでいる自分」の存在を常に感じていられたら、引き込まれすぎずにすみそうなんですが、結構我を忘れて「自分の人生本」に熱中してしまう時があります。
影響範囲の大きい『ドラマ』だけでなく、自分の心の中の闇というか、業というか、まぁ、そういうものの蠢きにさえ、すぐにざわざわ~~と波立つので、今年も後半分となりましたが、えらいこっちゃえらいこっちゃ、と騒ぎ過ぎないようにしなくちゃね、と思っております。
でも、それが一番難しいです。私には。むむむむむむむむ。
『我を忘れて「自分の人生本」に熱中してしまう時がある』というのは、言い得て妙でありますなぁ~。