そこが入り口。

この数日、ネットワークを通じて学生時代の同級生と「スピリチュアル談義」をほんの少しばかりしております。
彼女は自分でも「つい最近まで唯物論者だった。」と言うくらいなので、スピリチュアルな情報に対してまず『懐疑的』に接しておるようです。
それはとても良いことだと思いました。
だって、玉石混淆だもん。特にネットの世界は。
私もこれでも結構『ほんとかねぇ?』と疑ってかかるスタンスをとりますもん。
んでも、最近では感覚的に「あ、これはOK。」とか「これはちょっと…。」とか、判断することが増えてきましたが。
その彼女が、スピリチュアリストかどうかというのは、死後の世界があることを信じるかどうかだと言ってました。
ま、確かにね。そうかも。
そういうふうに考えたことがなかったので、なかなか面白い意見だなぁ、と思いました。
だとすると、私なんて物心ついた頃からスピリチュアリストってことになるわけでして、立ち位置が違う人の意見って、ちょっとしたところが新鮮で面白いなぁ、と感じました。
でも、死後の世界があるとか、輪廻があるとかを信じる信じないというのは『入り口』だと思うんです。
そこから『信仰』を持ち、『祈り』に入ることが、入り口から歩き始めることだと思います。
(もちろん『信仰を持つ』というのは特定の宗教に入ることではないよ。)
そこからが本番、です。
光への長い道のりです。
で。
その長い道のりをちまちまちまちま歩いている私に、今までは優しいばっかりの感じだった守護霊さまが、どうも最近はちょっと厳しい感じがするんですよねぇ……。(あくまで感覚の話。別に私は何かが見えたり聞こえたりする霊媒じゃないから。少しばかり肉体感覚として「実感」を伴うことがあるだけ。)
赤ちゃんから幼児くらいに成長したってことなんですかね?私が。
赤ちゃんは叱られないもんねぇ。
ところで、ふと思ったんですが。
『自然農』って、『祈り』に似てるなぁ、と。
どこが?と言われても困るんだけど。

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