お父さんが肺癌だと分かったのが10年前の夏です。
まだ私が沼津に住んでた頃です。
結局、3カ月で亡くなったんですが、その亡くなる直前に、私は旦那さんと一緒に『レイキ』のアチューンメントを受けました。
「レイキって何?」って方はググって調べてね。
今はたくさんページが拾えますから。
しかし、当時はこのサイトくらいしかレイキのサイトはありませんでした。
必死だった私は、ここの管理人さんに御殿場のティーチャーを紹介してもらって、一応お父さんが生きているうちにアチューンメントを受けることができました。
そうです。
私は、お父さんのためにレイキのアチューンメントを受けたのです。
しかし、その翌日にお父さんの容体が悪くなり、私は十分にレイキを使ってヒーリングすることができませんでした。
レイキを知ったのは、ある雑誌の記事でした。
お父さんのために何かしたかった私は、旦那さんに頼んで一緒にレイキのアチューンメントを受けたのですが、3rdまでの2人分の料金はお安いものではありませんでした。
せっかくお金も使って得たヒーリングの力なんですから、お父さんが死んだ後も真剣にセルフヒーリングとかすれば良かったのかもしれませんが、気が抜けてしまい、ほとんど使わずじまいのままとなっています。
(1stのシンボルとマントラは思い出した時にたまに使うけど。)
しかし、この数年でものすごく増えたレイキに関するネット上の記事を目にすると、レイキを『実体験として』いろいろ感じている人が多いのに驚きます。
なぜなら、私はレイキでさまざまなエネルギーを感じるなんて経験がほとんど無いからです。
一度アチューンメントを受けたら、ずーっとレイキは使える、と最初に聞いたのですが、自分には劇的な変化は何も起こらないのです。
本当にレイキが使えるようになったのか??と思わずにはいられないくらいです。
レイキそのものを疑うことはありませんが、自分に何かブロックでもかかってるのか、セルフヒーリングをちっともやらなかったせいなのか、とにかく、自分に何か問題があるんかなー?と感じたりしていました。
でも、それもすぐに忘れてしまうんです。
私とレイキの関係って、それくらいのものなのかなぁ、とうっすら思ったりもしていました。
が。
「何のために、レイキのアチューンメントを受けたんだろ…。」
と、ふと思ってしまいました。つい最近になって。
それは、この記事を読んで、そこに書かれているヒーラーの方のことが気になって仕方がなくなったのがキッカケでした。
記事を読んで2~3日後、やっぱり読みたいという気持ちが強くて、2時間近くかかってそのサイトを探しました。
そして、ようやく見つけました。ドキドキしましたね。
その記事に書かれている通り、そのヒーラーさんのサイトにはすごい体験が書かれてありました。
宇宙人や高次の存在との交信は素晴らしくもあり、また非常に壮絶です。
彼女には、どんどん新しいシンボルとマントラを『降ろされる』のですが、そのたびに『浄化』が起こるのです。
心身ともに。
詳細には書いてないけれど、かなりしんどいだろうな、と簡単に想像できます。
こーゆー『選ばれた人たち』(厳密に言うと『お役目を担った人たち』)の高次元の存在に導かれていく過程というのは、必ず大きな苦しみがセットになってるもんなんですもん。
お釈迦様然り。五井先生然り。
とにかく、「すごいなーーー……。」と、口をアングリさせたまま読み始めたのですが、すぐに『親近感』を感じるようになってきました。
それは、私自身との親近感ではなく、五井先生の本に書かれていることと同じようなことを彼女自身または天界の臼井先生など高次の方々が言うからなのです。
私にとって非常に親しみ深い感覚を呼び起こす言葉の数々だったのです。
つまり、『ヒーリングの手段としてのレイキ』という段階をぐぐーーーんと超えているんです。
そっか。
レイキも、真理への道の1つだったんだね。
よく考えてみればそんなの明らかなのに、そんなふうにレイキを捉えてみたことがなかったよ。
でも。
そうすると、さらに疑問が深くなりました。
「何のために、レイキのアチューンメントを受けたんだろ…。」
って。
キッカケはもちろんお父さんのため、だったんですけど、そうじゃなくて、もっと深い意味があるんだろうなぁ、と感じたわけです。
レイキのアチューンメントを受けたことも、そのくせレイキの威力をちっとも感じないことも。
んーーー……。
もしかしたら、私や旦那さんにとって、ヒーリング・ツールとしてのレイキは必要ではなかったのかもしれないですね。
違う使い方をしてるのかもしれんなぁ~。
それが何かは分からないけど。(当然、守護霊さまは知ってるがな。)
と、こんなことをつらつら書いていると、そのうち『ピッ』と繋がるんだろうな。
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そうそう。
レイキとは離れるけれど、週末に実家で弟1号に『五井先生の統一CD』を貸したのですよ。
統一とは、先生の口笛と柏手を聞きながら、心の中でお祈りをするというものです。
統一をしている時ってのは、救世の大光明とつながる…と、先生は講話でいつも言ってます。もちろん、自覚なんかできなくても、です。雑念でろでろ…でも、です。
私はCDをようやく聖地で購入して、うはうはだったのですが、うはうは過ぎて、ちゃんと統一をしてませんでした。
あんぽんたんちん。
で。
弟が先に統一をしてみたんです。
そしたらあーた!
弟が部屋から飛び出してきて、「すごいよーーーーー。」と叫ぶではありませんか。
さすが霊能の芽が出てる弟。
雑念が出るどころか、身体をひっぱり回されたらしいです。どかーんと『感じた』らしいです。
高次の方々は、いろんなふうに示してくださいますなぁ~。