弟1号は哲学者のヒヨコなんですが、姉の私はと言うと、どーも哲学というのは苦手であります。
昔っから感覚的にモノゴトを捉えてるところが大きいせいかもしれません。
でも、このブログはよくチェックしてます。
(弟に本職の話を聞くと非常に長ぁ~~~くなるんで、聞かないようにしてるんですがね。)
で、さきほどチラっと読んでいて、ふと思い出したことがありました。
小学生や中学生の頃に、時々ある考えに突如囚われてしまうことがあったんです。
この世界は、私が『こうだ』と思っているような世界ではないのかもしれない。
というものです。
例えばそれが、よくある『この世界はニセモノかもしれない。自分以外は役者みたいなもので、観客に全て見られて監視されているのかもしれない。』みたいな考えに至ると、うわーーーっと叫びたくなるような気分になったものです。
こーゆーのって、精神的な病気の人にも多いですよね。
病気の人は、それが『リアル』なんですけど…。
いや、病気だから『リアル』なんじゃなくて、『リアル』だから病気になるのかもしれんですね。
自分が『こうだ』と思っていた世界が本物ではないと知ったら、まるで足元に何も無くなってしまったような感じになっちゃいますよね。
それを、一瞬垣間見るだけなのか、リアルに感じ続けるのか…の違いは大き過ぎます。
大人になってからはあまりそーゆー想いが浮かんでくることは無くなったのですが、それらを思い出して、この世界は、私が『こうだ』と思っているような世界ではないのかもしれない。というものは、案外本質的なものなのかもしれないなぁ~、と思いました。
ただ、やはり私は感覚的に捉えてるだけなので、言葉にしてちゃんと伝えられないのねん。
なので、哲学者のヒヨコみたいにはいかないのであります。
仕方がないわね。
あるある。結構、みんな言うよな。
角を曲がった向こう側とか、普段絶対用事ないとこに行ったらセットの裏側とかないかしらん?とか思ったり。
大人になって思わなくなったわけではなく、「どっちにしてもそれでうまく動いとるし、もし、そうでもそれはそれで皆よぉがんばって続けとる。」と思うわけで。
トゥルーマンショーか。
『結構、みんな言うよな。』ってとこがミソよね。