調子がイマイチである。
まーねー、冷えながらの掃除とかしてたら私の繊細かつ大胆な自律神経が乱れまくるってなもんですわ。
繊細なのですぐに外的内的変動に左右されてブレるし、大胆なので「どうしてそこまでブレるの?」ってくらいぐわんぐわんブレるし。
てなわけで。
今朝も9時まで起床できず、やっと目が覚めてきたと思ったら、お腹が痛い…。
ヤバい。
水戸黄門で可憐な娘さんが「ああ、急なさしこみが…。」と埋くまる、あんな感じです。
きゅーーーっと腸が痙攣を起こしてるんですよ。起き抜け早々。
ベッドから息子が落ちるとアカンので痛いのを我慢しつつ、隣で寝ていた重い息子を抱っこして隣の部屋にボンと置き、一目散でトイレに駆け込みましたね。
そこから30分。
陣痛のピーク時に比べたら「へ」でもありませんが、それでも波のようにさしこんでくる痛みのせいで、ちょっと『発作』が起きそうなイヤ~な感じにもなってきました。
頼むよ。おい。息子が待ってるんだよ。発作なんて起こしてられないんだよ。息子のオムツを替えてやらんとムレムレなんだよ。かわいそうなんだよ。だいたいさー、交感神経と副交感神経の間をガンガン針が大きく振幅してるんちゃうか?って感じやん。心臓バクバクしとるのに腸が痙攣しとるなんて。大胆過ぎだわよ。
と、深呼吸をしながら、トイレで悶々としておりました。
トイレから出てきてもまだお腹は痛いし、力は入らないし…で、泣きそうなくらいしんどかったんですが、なんとか息子のお着替えだけ済ませ、何度かトイレと居間とを往復しました。
こんな感じでヘロヘロな2時間が過ぎ、ようやく生体恒常性が通常運転になってきた頃、息子の我慢も限界となっておりました。
お母ちゃんの様子が変だって分かるんですね。
結構大人しく待っててくれたんですよ。
我慢してたんだろうなぁ。不安だったんだろうなぁ。
たった2時間のことだけど、息子にしたら長い長い時間だったんでしょうね。
いや、私にも長い時間だったけど…。
息子の感情が若干不安定になってたので、オカンに電話しました。
息子ね、オカンの声を聞くと大喜びするんですよ。
そしたら今日はいつにも増して大喜びの大はしゃぎ。いやはやビックリするくらいでしたよ。
「子供はね、どんなに小さくても親がいつもと違うってことが分かるんだよ。」とオカンは言いました。
うん。それは分かるなぁー。
「あんたなんて、一緒にお出かけするって言うのに、私が身支度し始めると必ず泣いたし。何やってもあんたは泣いたんよ。」と、オカンに更に言われてしまいました。
「あー。じゃあ、生まれつきなんやね。」
「そうそう。あんたは小さい頃から変化にすごく敏感やったんよ。」
オカンにそう言われて、繊細かつ大胆な自律神経に育ってしまったのも、生まれつきのものなんやなぁ~、と納得しました。
いたしかたあるまい。
さてさて。
昨日の夜、福祉ネットワーク(NHK教育)で、ダウン症の指揮者さんを取り上げていました。
中国の人で、知的障害が結構重そうでした。
知的障害が重いから、身の回りのことも自分で十分にはできないんですけども、オーケストラの指揮はできるんです。
指揮ができる、ということそのものもスゴいなぁ~と思ったんですが、ここまでに至る経緯をお父さんが話してらっしゃったんですが、これがまたスゴいなぁ~、とお話に引き込まれちゃいました。
みんな何かの才能を持って生まれてきてるんだろうなぁ、と私も思います。
それを育てられるかどうかは、やはり親が大きく関わってるんだなぁ、とつくづく思いました。
やっぱりね、子供が好きなことは続けさせてあげることが大切ですよね。
健常者であろうと障害者であろうと、それはみんな同じなんだろうな、と思いました。
その子その子の感性・感覚を大事にしてあげないとね。
そいえば。
うちのオカンは、私たちから好きなものは取り上げなかったし、「宿題やったのー?」とは言ったけど勉強しろとは言わなかったなぁ。話はよく聞いてくれたし。
もしオカンが私を型にはめるような子育てをしていたら、もっともっと繊細かつ大胆な自律神経になってただろうなぁーー……。