お昼は日溜まりでまったり昼寝なお猫たちであります。
実は今日は、急遽とある方のセションを受けてきたんですが、
それについては、そのうち書けたらざっくり書くとしまして、
とにかくですね、受けてきてですね、
あらためて「あー。」と思ったんです。
私は、「自分は何者であるか。」ということに、あまり興味が無いなー、と。
高校生の時に、思春期らしく自分の内面と向き合うことが多々あったわけですが、
ある時突然に「私って、健全だ。」と、まるで何かの啓示のように強く思ったことがありました。
その時にその意味するところは実はよく分からなくて、何が健全なのかは最近になってようやく分かってきたのですが、
その健全さのおかげで「自分が何者であるか。」ということに興味を示すことがあまり無かったのだと思います。
「私」という存在そのものに対しての疑いが微塵も無かったからです。(← これは「自分に自信がある」というのとは違います。)
でも、私は成人してから身体がしんどくなることが多くなったために、それをどうにかしたかったのです。
医者に診てもらっても良くならないことから、「何故このようになっているのか」の「仕組み」を知らねばならなくなったのです。
それらを根本的に解消したかったのです。
すると、それが自動的に霊的な知識を得ていく推進力となっていったのでした。
表層意識の、身体のしんどさに辟易している「私」からすると、「そんなん、かなわんわ~。」ってなもんですが、
それでも、「無駄なことは無いんやなぁ~……。てか、緻密に計算されとるんやなぁ~……。」と、今までよりももう少し深いところで感じ入ったのです。
しみじみしてしまいました。