息子の浮輪についてた紐が猫たちには大好評でして、
ブ子さんも「遊んで♪」とよく持って来ましたが、黒丸は「取ってこーい。」と言ってこれを投げてやると、くわえて戻ってきます。
犬みたいです。
犬かもしれない。
さて。
先日、Twitterでこんなことをツイートしました。
ぱみゅさんの意見もそれに賛同したたらればさんも、人を見下してるわけじゃないと私は思うんだけど、
でもあのツイートを読んで「ひどいなぁ。人を見下して。」と思う人がいるのもなんとなく分からなくもないかな。同意はしないけど。 https://t.co/PjiSQTqugu— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
最近、自分自身でもいろいろ考えるんですよ。リアルで人間関係の相談をされると、内心「あー、もっとこう言えば角が立たないのにー。」とか「もっと上手くかわせばいいのに。」とか思うことも多々あるんですよ。言わないけど。
でもそれって『上から目線』だよなー、と自分に対して思うんですよね。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
見下してるわけじゃないけど、上から目線なのは確かで。
でもそれはすごく微妙なことなので、その本音をもしも何らかのカタチ(それこそツイートとかね)で出したら、「ひどいな。人を見下して。」と受け止める人もいて当然だろうなー、と思うんですよねぇ…。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
でもでも、他人の言動に対して何らかの分析をして考察するということは、どこか「上から目線」になるのは致し方のないことなんだと思うのです。
しかしそこで「見下す」かどうかは、別なんだろうな、と私は思うし、思いたいし、自分は人を見下していないと思いたい……んだけど、自信は無いです。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
スピでは「ジャッジをしない」ことを推奨されてるような気がするのですが、
そんなことはやっぱり無理だよなー、と思うんですよ。
ただそのまま受け止める、という域にはなかなか達することはできません。
分析しちゃいますよ。どうしたって。
分析したらジャッジしますよ。どうしたって。
でもですね。
がっつりジャッジもするし、「こうしたらいいのにー。」とか余計なお世話で思っちゃうんですけど、
「そういう人もいるのねー。」と思う部分も増えてきたのです。
なんて言いますか……、完全中立ではないけれども、車のニュートラルに近い感じです。
ギアがどこにも入っていない、みたいな感じ。
それすらどこか上から目線なんだと思うんですけど、人間なので仕方がないですね。
けれどもこうやって人間はどんどん年を重ねていって、いつの間にか好々爺になっていくのかもしれんですね。
もちろん、いじわるばーさんのままってのもアリですけどね。
なんでもアリですよね。人間だもの~。