土曜日に、息子がいきなり「庭の草抜きをする。」と言い出しまして、
まずおとーちゃんが機械でがーーっと草刈りをしてくれまして、その後に小一時間ほど息子と私で草抜きをしました。
この雑草はおとーちゃんも息子も残しておいてくれました。
かわいいから好きなの~。
さて。
昨日のブログ記事で、ここの小学校の子供たちが素晴らしいってことを書きましたけど、
じゃあここの小学校では子供同士の人間関係に全く問題が発生しないのか、と言えば、そんなわけはなくて、あちこちいろいろあります。
決してパラダイスというわけではないです。
……ということだけ、付け加えておきます。
人間関係なんてねーー
一番難しいことですもんねーー
まぁでも、大人も子供も人間関係の問題ってーのは
言わなくてもいいこを言う か 言わなくちゃいけないことを言わない
のどちらかで発生するもののような気がしてます。
今から思うと、若いころの私もそのどっちもやらかしてたことが多かったなぁぁ~……と、恥ずかしくなります。
今でもまだまだ未熟ですけど、かなり未熟でしたからねぇぇぇ……。ああ恥ずかしい。
あ。
そういえばですね。
先日、こちらの記事
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2247.html
を読みまして、なるほどー、と思ったんです。
私は、19歳までの自分と、20歳から30半ばまでの自分と、それ以降の自分では、それぞれ別人……とまでは言いませんが、
それでも部分的な感覚では別人と感じるくらい違っているなー、と思っていました。
20歳からは健康面でネガティブな変化があったために、それ以前の自分とそれ以降の自分では考え方や生き方にどうしても変化が出てしまったのは仕方がないと思っていましたし、
最初の子供を産んだのが34歳だったので、育児をするようになってからもまた内面的に大きな変化が起こったのも当然だったんだろうなー、と、そんなふうに考えていました。
けれども、もしかしたらそれだけが理由ではないのかもしれませんね。
魂レベルでの理由もあるというのなら……ちょっと納得です。
それくらい、自分の中では感覚的に「違う人間」になっているのです。
モデルチェンジしたみたいな、そんな感覚です。
なんであれ、
リンク先記事に書いてある言葉を流用するなら、『この時空間のなかで人間として生きるうえで実現する霊的成長』をするために、それぞれの魂がそれぞれの方向性や度合いでもって目標値を定めて「今のこの自分」として生まれてきてるんでしょうから、
必要なモデルチェンジを何度かしながら、粛々とこの人生を生きていくしかないわけです。
『天命を信じて人事を尽くす』という五井先生の言葉も頭に浮かびます。
自分の魂が「今のこの自分として生きて実現しようとしている霊的成長の目標値と実現の仕方」(天命)なんてさっぱり分かりませんけど、それが実現されると信じて、自分を信じて生きていくしかないですし、それが一番強力なグラウンディングなのかもしれないなー、なんて思ったりもします。
もしも魂というのは、人生の中でまるでモデルチェンジするようなタイミングが何度かあるのだとすれば、
その頃に出会う人との縁というのは、とても大きな意味を持つのかもしれませんね。
私とおとーちゃんにとってそれは息子だったわけですが。
……あ。そいえば。
おとーちゃんと出会ったのって19歳の時でしたわ。
おおー。
※追記※
そいえば、私は8歳(小3)でもモデルチェンジしてましたわ!
この時のモデルチェンジはなかなか劇的でしたわ~。
覚えてますもん。
「世界の見え方」が突然変わったの。
なので、モデルチェンジは3回してましたね。あたし。
でもって、小3の時に出会ったのが一番仲良しだった友達でした。