数日前、
ほぼ日の「おとなの小論文教室。」の山田ズーニーさんがこんなツイートをしてました。
「私は、こうする!」と一人の人間が自ら動き出した時、周囲を動かす。「ああしてくれ、こうしてくれ」くれくれでは、周囲はエネルギーを吸いとられる、「ああしろ、こうしろ」うるさく言っても、周囲は窮屈になるだけだ。「私は、こうする!」は、誰も動かそうとしてないのに、いちばん人を動かす。
そうなんですよね。
「ああしてくれ。こうしてくれ。」では人は動かないけれど、
「私は、こうする!」と自分で動きだすことで、周りも動くものなんですよね。
私自身の経験からも、これはすごく納得できます。
もちろん、それがすべて「自分が思う良い方向」への動きとは限らないのですけど、それでもやはり「私は、こうする!」と自ら動き出すことでしか自分を取り巻く「世界」を変えることはできないんだろうな、と思います。
「求められるままに答えて、一生懸命する」というのも、「私は、こうする!」のひとつのスタイルだと言えると思います。
とにかく、自分がどうしたいのか、どうするのか、を自分自身に対してハッキリさせることがとても重要なのでしょう。
で。
さきほど、こんなツイートを見かけました。
http://twitpic.com/dguss3
すみません。
また関ジャニ∞の話で。
彼らは「いかに応援してくれてるみんなを楽しませるか」をいつも真剣に考えてくれてるんですけど、
その根底には「自分たちが楽しいからやる」があるんですよね。
だから、彼らを見てるだけでこっちも楽しくなるんです。二重の仕掛けがそこにあるんです。
「私は、こうする!」は、どんなことでもOKなんだろうと思います。
たとえば「他人なんてどうなってもかまわない、自分だけおいしい思いをするぞ!」でも宇宙からNGは出ないと思います。
ただし、もちろんその言動がもたらす結果は泣こうが喚こうが「すべて受け入れる」ことにはなりますけどね。
だから、ほんとうにどんなことでもOKなんだと思います。
どんな自分になりたいのか、自分はどうしたいのか。
制限をすぱーんととっぱらって一度じっくり考えてみてもいいのではないかと思います。
そして、「私は、こうする!」と、言えるようになるには、自分の中の整理整頓もある程度必要になりますよね。
まだまだ私は「自分が楽しいからやる!」と言い切れないことが多いです。
「私は、こうする!」と腹をくくり切れないこともあります。
や~、まだまだですねぇ~。
関ジャニ∞のみんなに1日も早く追いつきたいものです。