「ほんとうの私」と「魂のブループリント」……その4

(つづき)
「ブループリント」というと、私の場合は某社にお勤めしていた間に主に従事することになった「マニュアル開発」における「マニュアルブループリント」というのをまず思い浮かべてしまいます。
(会社辞めてもうかなりの年数が経つのにね~。)
このマニュアルはどのような目的で使われるものか、
そして、どのような内容にするか、を示したもので、結果的に目次とそのおおまかな内容が書かれているペーパーとなります。
はじめて「魂のブループリント」という言葉を目にした時、反射的にそのペーパーのようなものをまず思い浮かべました。
このような目的の人生にしよう、
そのための土台はこんな感じで、イベントはこんなふうに起こるようにしよう……というものなのかと思ったのです。
確かにそのような部分もあるようなのですが、しかしもっと「大きなもの」なのだろうな、と、usamimiさんの記事とバシャールの本を読んで思いました。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-1149.html
で、usamimiさんが以下のように書かれています。

魂のブループリントの根幹となる、「その人ならではの魂紋」とでもいえばいいのでしょうか。指紋や声紋のように、1人として同じ人がいない、その人ならではの特徴と個性を顕す、魂の波形がコア(核)にあります。
そこを基点として、転生を通じてどんな人生を送って行くかの指針、その指針を現世で実現するために有用な人との出会いや経験することに同意したエネルギー的な設定などが続きます。
すごく大雑把にいうと、核の部分、つまり魂の波形そのものは、変化させることができません。これは永遠にその人に固有のもので、変わることがないものです。
それに続く設定各種でも、ディバインタイミングと呼ばれるイベント(←という括りも相当、大雑把で、実際はもっとこまかく性質が分かれるのですが)は、輪廻転生システムに組み込まれた(=輪廻転生システムに則って生きることを選択した)状態だと変えることができなかったりします。
ただ、モノによって、「(~という神聖な計画を実現するための1つの手段として)この人とこんな出会いをして、こういう関係を築く」といった、枝葉末節寄りの設定のなかには、変更可能なものがあります。

また、バシャールの本には以下のように書かれています。

そして実は、みなさんがふだん「現実」と呼んでいるものは「現実」そのものではないのです。
唯一、本当にリアルな現実、「本当の現実」とは、この「無条件の愛」の波動のことです。
そして、みなさんが「現実」と思っているものは「現実の経験」でしか無いのです。
「無条件の愛」だけが唯一リアルなもの。
みなさんは、それを自分の持っている観念によってさまざまに経験しているにすぎず、その経験を「現実」と呼んでいるのです。

                            ***

さて、地球上の人々は、この人生で探求しようと選んできたことを「人生の目的」とか「使命」という言い方をしていますが、私たちはそのことをただシンプルに「全般的なテーマ」と呼んでいます。
なぜなら、私たちが知っている限り、この人生でみなさんが持っている唯一の目的や使命は「できるかぎり自分自身でいる」ということだからです。

そして、usamimiさんがさらにこのように書かれていました。

また、これはすごく混同されやすいのですが、
魂のブループリントそのもの
と、
魂のブループリントを基に構築された、ライトボディなどに由来するエネルギー結晶
を同一視してしまう人たちも、なかには、いるようです。
建物を例にすると、設計図がブループリントだとしたら、それを基につくった建造物が、エネルギー結晶のほうです。
設計図を修正するのか、それとも建造物を改修するのかは、ぜんぜん違いますよね?
エネルギー結晶のほうに手を加えるべきではない、とも私は思っていなくて、むしろ適切に結晶体を解体して再生しなおすのは有益なことが多いです。
(これは、冒頭に挙げたバシャール本にもワークがあります)
というのも、魂のブループリントのとおりに正確にエネルギー結晶体化されたらベストなのですが、歪んだ思い込みや真実からずれた信念などといった「アレンジ」が加わって、いわば不純物が混ざったり形が歪んだ結晶体になっていることがよくあるからです。
これはつまり、
自分の本来の在り方とは違うエネルギーの在り方で生きている
ということです。
そりゃ、
ツラくてアタリマエ
だよね。。。

自分本来の在り方と違うエネルギーの在り方のままでは、そりゃ「世界」はごっちゃごちゃなままで辛いのが当たり前だし、
鏡の法則だからと、相手や世界に映る自分を見てみても、それは「自分本来のエネルギーの在り方をしていない自分」しか見えてこないのですね。
なのに「自分本来の在り方と違うエネルギーの在り方」で生きてる自分を自分そのものだと思ってしまって、「そこを変えていこう。」と思う前に打ちのめされる場合もありますし。
その場合は、なんらかのエネルギーワーク等もうまく活用する必要があるかもしれないかもな、と思いました。
そういう意味でも、「魂のプループリントの波形を転写した水晶」はとても有効な手段となるのかも、と感じました。
図形がフェードアウトしていったなんてのは、ほんとに分かりやすくそれを見せてくれたんだなぁ、と思います。
で、基本的には、
「ほんとうの自分」とはズレた観念を持っていることによって、創り出される「自分が経験する現実」が不調和なものになってしまう……というのなら、
「ほんとうの自分」と合った観念に置き換えようということになるのかな、と思いました。
そのためには、「ほんとうの自分」を再発見することが大切で、
バシャールがいつも言う「ワクワク」というのは、「ほんとうの自分」と一致するものであれば、無条件で喜びが湧いてくるのだから、それを目印にしろ、ということみたいなのです。
もう10年以上、ご縁があってちびちびと五井先生の「世界平和のお祈り」をさせてせらってますが、
五井先生は、このお祈りをしているうちに、少しずつ業想念が消えていって、いつかは本心の自分がぱーっと現れるようになるからね、と言ってました。
お祈りの中の「私たちの天命が完うされますように」というのは、確かに魂が決めてきた課題をクリアできるように、という意味もあると思うのですが、
もう不要となった「ほんとうの自分」とはマッチしないモロモロの想念や信念や思い込み、入り込んでる自分以外のエネルギーをキレイに排出して、魂のブループリントと一致した観念を配することで、自分らしく生き生きと生きること……でもあるのだな、と思いました。
そんなわけで。
ものすごく不調和な部分に目を向けさせられているかのようになっております。
昨日から!(←いろんな図形がうわーと現れて消えていった次の日からよ!)
そして、すごくキモチワルくてイライラしちゃったところで、「ほんとは私ってどうしたいの?」というところを、「あたしバカだからダメ、歳とってるからダメ、身体弱いからダメ、あーだからダメ、こーだからダメ」というダメダメをとっぱらったところで自分と向き合ってます。
すると、面白いですねぇ。
バシャールの言うように、ほんとにワクワクしてくるんですもん。
(そして、葛藤してる部分が何かも、ちょっと引いた目線で見えてくるんです。)
それは、現実離れした妄想を楽しんでる、というのは違うと感じています。
ふつーにしてて、自然にワクワクすることに向かって努力していける人ばかりじゃないですもんね。
ごりごりに不要なエネルギーがからまってて、ワクワクすることが何なのかすら分からなくなってる人の方が多いのかもしれないと思うのです。
かく言う私もそうですし。
ということで、「ほんとうの自分」を再発見するプロセスにいるんだなー、ということを強烈自覚して、深く息を吸って吐いて一歩一歩しっかり歩くように進んで行こうと思います。
(こんな感じでいいかな? >ミのつく御方。)
ちなみに。
自分がそんなごりごりな状態になってると、無意識のうちに子供に自分の自己実現を押しつけることになりやすいかなー、とも思ったりしました。
やっぱり、すっきりキレイになることは、自分のためでもあり、周りの人たちのためでもあり、世界のためでもあるのでしょうね。

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