【mixiより転記】「私」を「私」だと認識している「私」

【mixiより転記 5月11日】
人は誰でも、肉体という物質のみの存在ではなく、本体は霊的な存在である……というのは、もう小さい頃から知っていました。
言葉で表現できないだけで。
そして、誰もが忘れてしまっただけで、小さい頃は知っていたんだと思います。
ですから、中学の理科の時間は、本当に不思議な感覚になりっぱなしでした。
体は細胞からできている。
うん。それはいい。
細胞の中には核というものがあって、そこには遺伝子が内包されている。
うん。それもいい。
そのデオキリボ核酸には、4つの塩基があり、その組み合わせにより、生成されていくタンパク質が決まっていく。
そうか。
そうやって体は構成されていくんだな。
………と、「生物」の範囲で体をどんどん細かく見ていきますよね。
それが、次の単元で「化学」になると、途端に分子や原子、陽子に電子という話になってきて、延々と化学的な視野での話を聞くことになります。
待て。
核酸まではいい。
そこに何か「個」という感覚が伴うから、生物の授業では「私」は「私」でいられるんだけど、陽子と電子となると、そこには「個」が存在してないぞ。
けれど、確かにどんどん私を細かく分解していけば、陽子と電子だけになる……。
では、私の体を全て陽子と電子に分解し、それを再構成した場合、そこに「私」という意識は存在するのか?スタートレックみたいに!
「私」という認識・意識は、何処から来るものなのか?
確かに、脳の機能として、「私」という意識を生み出しているという側面はあるだろう。
でも、きっとそれだけじゃない。
なぜなら、私の本体は肉体じゃないから。
と、理科の授業を聞きながら、ノートをとりつつも、そんなことを頭の半分で考え続けていました。
答えなんて出ないんですけど。
さて。
大人になり、また違った角度からのアプローチも加わり、やはり時々思い出したかのように、あの不思議な感覚が蘇ることがあります。
陽子と電子の間はものすごい「隙間」がある。
てことは、「原子」というものはそもそも「すかすか」のもので、そんな原子の集合体である「この世」なんて、自分も含めてすっげー「すかすか」やん。
中性子星やブラックホールならまだしも、太陽の中心だって「すかすか」なわけで、いかんせん私の体なんてすっかすか。
なのに、この世が「すかすか」に見えないというところで、そもそも「何か」を見落としている。
そして、そのすかすかな肉体に在る「私」が「私」と認識しているものは、エゴまたは業想念の集積みたいなものなんだろう。
決して霊的本体そのものでは、ないと思う。
そう考えると、なにやら非常に不可思議な世界の不可思議な存在なんじゃねーのか?「私」って。
だからと言って、「私」は「私」が決して不必要な存在でも邪魔な存在でもないと感じてます。
本体を顕すためには四六時中騒がしい「私」を黙らせる必要はあるけれど、だからと言って不要な存在とは思えないのです。
必要な存在なんだけれど、たとえて言うなら『躾けがなっとらん』のですな。
まぁ、その『躾け』の方法はそれぞれのご縁で教えていただくとして(私はもちろん五井先生のお祈りだけど)、やっぱり最初の疑問に戻るのでした。
「私」って何?
本体とは違うであろう、「私」を「私」だと認識している「私」って何?
エゴの私。業想念の現れである私。
それは分かってるんだけど、そういう認識を知れば知るほど、更に疑問は深いところから発せられいることが分かってくるのです。
どんどん深くなる~~~~~……。
答えはまだまだ遠いような気がします。(当たり前か。)

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