もう3週間ほど体調不良が続いているお父ちゃん。
体調不良と言っても、同じ症状ではなく、どんどんいろんな症状が出てくるのです。
始めは弱点の扁桃腺炎。
これは、気功と抗生剤と、なによりも仙人草治療が効いてるようで、なんとか鎮静化しました。
それとオーバーラップするように風邪。
これは家族全員がもらっちゃったのですが、ヘロヘロのお父ちゃんが一番悪化。
気功の先生に言わせると「若いから肺炎になってないだけ。」だそうで…。
ちょっと無理するとすぐに熱が出ます。
そして、夜中に訳の分からん痛みが上半身に出て大ビックリ。
気功の先生によると、腰からきているもので、神経痛みたいなもんだそうです。
とまぁ、ちっとも良くならず、仕事もままならないし、不安になるようだし、イライラするみたいだし……ってことで、そんなお父ちゃんを見ているお母ちゃんの精神衛生にとっても良くないのでした。
でもって、あまりに続くので、変なモノでも拾ってなきゃいいけど、ってことで、今日の午前中に半分無理矢理お願いして例の先生のところに行ってきました。
「そういう時期のもんだから、仕方がないよ。」
と、いうことでした。即答。
とりあえず、変なモノのせいではないようで安心しました。
時期というのは、お父ちゃんは今年は「乱気」で、5年分の膿が出るという意味です。
膿出しはせんならん年回りだということはお父ちゃんも私も知っていましたが、こうもドカーンと健康面に出るとは思いませんでした。
でも、これも深いお話がありました。
人間というのは、カルマの環の中にいる間というのは、いわゆるバイオリズムというか六星占星術なら12年、九星だったら9年というさまざまなサイクルで運気というのが巡るようになっているんだそうです。
それで、六星でいうところの「乱気」というのは、それまでの5年分の膿出しの年という位置づけになっています。
これが、どのような形で膿が出るか、というのはその人次第……というだけではなく、やはり上の方々の計らいが非常に大きいんだそうです。
少し話しは変わりますが、五井先生のお祈りというのは、『今』祈ることで、『未来』を光明溢れるものにしていくだけでなく、『過去』も浄化してくれるものです。
いわゆる『カルマ』を浄化していくということです。
守護霊さま守護神さまが常に一生懸命『カルマ』を浄化してくださっているのです。
この『カルマ』というのは、よろしくない想念や言葉、行為の集積のことです。
前世から今の瞬間までに溜まったカルマ(借金)を全額支払うなんてことは到底できません。我々の借金はそれほど莫大です。
そのカルマを一生懸命浄化してくださっている守護の神霊の方々に対して、お祈りをして感謝することで、さらに神霊の方々は働きやすくなるんだそうです。
五井先生のお祈りとは、すんごーーく簡単に説明するとそういうものなんだそうです。
しかし、そんな素晴らしいお祈りをしていても、全額免除というわけにはいきません。
それで、『そーゆー時期』になると、膿出しをしなくてはいけなくなるわけです。
自分の悪想念や言葉、行為が、膿となって出るのですから、感謝せんといかんくらいなのです。
膿を出してくれるというのは、翌年からの運気が良くなることでもあるのですから。
大なり小なり、病気やら事故やら…といったさまざまな『良くないこと』というのは、カルマの清算なわけです。
なので、
「病気ってのもね、たとえば冷えたから風邪ひいた、とかっていうんじゃなくて、もう上の計らいで決まってることなんだよね。」
なんだそうです。先生曰く。
病気だけではありません。
お金のことにしたってそうです。
どれだけのお金が回ってくるのか、どんなお仕事をさせてもらえるのか、というのは、自分の選択や努力で決まるものではなく、上の方々の計らいなんだそうです。
ですから、さまざまなことで「どうしよう?」と悩むというのは実はナンセンスなんだそうです。
これは、五井先生もいろんな法話で話していらっしゃいました。
守護の神霊に任せきる。全託する。
そういう境地に至れば、自由な心で生きられる、と。
人事をつくして天命を待つ、のではなく、天命を信じて人事を尽くす、というのが正しいのだと。
でも、なかなかそうはいきません。
例の先生は「どうしよう?」という気持ちそのものもカルマから出てくるものだと教えてくれました。
そして、人生は『学科』と『実地』を修了していくようなものなんだそうです。
だいたいの人は、まずは頭で勉強してから、実際の生活の中で体験として学んでいく。
つまり、「どうしよう?」と悩んだり、不安になったりする気持ちはナンセンスだと分かっていても、それが浮かんできてしまううちはまだまだ実地試験No.△はパスできてないよ、ということになるのですね。
それが、ちょっとずつでも『祈り(五井先生のお祈りだけじゃないよ。)』を続けることで、上の方々の光がスッと通る瞬間が出てくるわけです。
そうすると、「あれ?なんだかナンセンスだよねー。」とストンと腹に落ちるのだそうです。
この光を人生の中でどれだけ通していただけるか、というところがポイントになるのです。
総量で勝負なのです。凡人は。
てなわけで。
お父ちゃんは可哀相だけど、膿出し期間中なのでした。
これは今月20日まで続くそうです。
ですから、稲刈りは来週からになりますな。
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読んでいて気づいた人もいると思いますが、行為はもちろんですが、ネガティブな想念や言葉もカルマとなるので、本当に言葉には気をつけないといけませんね。
想念は勝手に浮かんできてしまうことが多いと思いますが、そういう場合は『キャンセル』しましょう。
人によってキャンセルの方法はいろいろあると思いますが、「今のはキャンセル。」と心の中でつぶやくのもアリです。
私の場合は想念を五井先生の「救世の大光明」の中に捨てちゃうというイメージをしてキャンセルしてます。
自分にしっくりくるキャンセルの方法を探してみてください。
それから、「意識が世界を創造する」というのも、上記の話の裏返しだということが分かると思います。
我々は神の分霊ですから、我々が「世界を想像して世界を創造する」というのは当然のことなのです。
ただ、地球の物質生命体というのは、それを忘れるように設定されてるんだと思ってください。
忘れて無茶苦茶やって、そこから闇を学び、光に帰るという非常にハードルの高いお勉強をしているのです。私達は。
でも、そろそろ思い出すというプロセスに入ってきましたよーー。
最近、つくづく「人間にはストーリーが必要なんだなあ。」と思います。というより、「ストーリーがあったから人間(私)があるんだなあ。」としみじみ思います。
世界の始まりが、「神話」というかたちでのこされていますが、実は神話があったから、世界が生まれたような気がしてなりません。
亨さんのカキコミを読んで、河合隼雄さんを思い出しました。
深い。深いです。
もーー、なんだか嬉しくなっちゃうくらい深いです。亨さんのカキコミ。