発熱が続いたための休みと冬休みも終わり、久々に本日より息子くんはまたまた保育園生活が始まりました。
車の中ですんごい不安そうな顔をしておりました。
がんばれ、息子。
久々に息子のいない時間に、お父ちゃんとお茶を飲みながら「なんだか静かだねぇ~。」と、庭に来る鳥なんぞを見ながらのんびりしてしまいました。
んでも、息子がいない間に掃除とかしちゃった方が楽なので、結局は重たいお腹にひーひー言いながら掃除をしました。
ここんとこなるべく安静にしようと心がけていたんですが、昨日から妊娠36週に入りまして、ええ、そうなんですよ。
とうとう臨月突入なのですよ。
もういつ生まれてもいいのです。あ~、早産にならなくて良かった良かった~~。
てことで、適当に身体を動かして、掃除もマメにしとかんとね。
しかし、お腹、ほんとに大きくなりました。
さすが臨月。動きづらいです。んっとに。ひー。
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そうそう。
出産したら、最低1カ月の間は目をあまり使っちゃいかんのですよ。
これは昔っから言われてることらしくて、名古屋時代にお世話になってた薬局の先生に何度も言われたのです。
ですから、新聞も本もネットもダメダメになるわけですが、読みかけの本があるんですわ…。
1カ月以上前に購入して、チビチビ読んでいるのですが、ちっとも終わらないのです。
コレです。
いわゆるスピリチュアル系といいますか、お祈り系といいますか、そーゆーブログやサイトはいろいろいろいろありますが、「これはいいね。」と感じて気に入って毎日チェックしている所が3つ4つありましてね、その人たちがこの本を推薦してるんですよ。
あー、いつかは読まなきゃならんだろうなぁ、と思っていたのですが、なかなか購入までには至らず。
それが、アマゾンの割引をもらったので、「ここはひとつ。」とようやく購入することかできました。
ハトホルの書はちびちびと言いながらも、ざーーーっと読めてしまいましたが、ヨギの自叙伝は面白いけれどなかなか進みません……。
注釈が多いというのも1つだし、なによりインド人特有の雰囲気に飲まれてしまって、ほんとーになかなか進まないのです。
ああ、このままだと読み終わる前に出産ってことになりそう……。
しかし、この本は「今だから読める本」だなぁ、としみじみ思います。
五井先生の本を何冊も読み、お祈りを続けてきたおかげで『分かる』のです。
ハトホルの書にしてもそうでしたしね。
五井先生の後継者の昌美先生の本にしたって、読み返してみると、「ああ、そうよね~~。」と、以前より深く理解できるし。
少しずつでも霊性の開発が深まっていってる証拠だと思えば、実に嬉しい限りであります。
もちろん、まだまだなのは重々承知ですがね、それでも嬉しいもんです。
あ、でもね。
そうそう。
年末にお父ちゃんと話をしていて、言われたことがあるんですよ。
そりゃ守護の神霊の方々から見たら、50歩100歩なのは分かっているんですが、自分の立場からするとね、やはり自分より霊格が低い……というか、あ、いや、ちょっと違うな。
えっと、霊格はどうなのかは分からんのですが、とにかく現在の時点で『目が開いてない人』と会話をすると、とても疲れることが増えたのです。
そこで、お父ちゃんに言われたのです。
「あー、それが来年(今年)のお母ちゃんの課題だねぇ。」って。
どんな人と話をしても疲れないようにならなきゃね、ってことです。
それは、なかなかハードな修行だと思われます。
「私は君より上の人間なんだけど、わざわざ下に降りてきて話を合わせてあげてるんだよ。」という傲慢な気持ちになっては、もちろんダメダメの超ダメダメでして、そうじゃなくて、『無理せず自然に合わせる』というこが必要となってくるわけなんですね。
この『自然に』というのが難しい、と。
自我(小我)が傲慢にもいろいろ主張してくるので、すんげー不自然になっちゃうわけですわ。
だから疲れるんですよね。
こうやって書くと、自我(小我)は厄介者でしかないように思えてきますが、そんなことはなくてですね、大我が物質界で働くために必要なものとして存在していると思うんですよ。
ただ、キリスト教的に言えば『原罪』、五井先生風に言えば『過去世から積み上げてきた業想念』に主導権を取られちゃってるんで、自我が暴走してしまうだけでね。
ま、そのために『心の働きを止めて、悟りを得る』という方法で大我に直接アクセスしようとする『修行』があるんだと思うんですが、私の今年の課題というのも、その『修行』の入り口みたいなもんだなぁ、と感じるのであります。
お父ちゃんの口から出たものではありますが、これは守護霊さまからの課題だと思っております。
ではどうやってその課題にとりくんで行くのかというと、これはお祈り(と印)しかないなぁ、と思っております。
つまり、『絶対他力』なのです。
もちろん、昌美先生のおっしゃる『我即神也』という真理の元での、絶対他力、です。
『お任せ』というやつです。
しかし、『私の中の神様に全てお任せしきってしまう』という境地になるのが難しいわけでして、そこに至るための課題の1つが今年の課題でもある、ということなんでしょう。
なので、どうやって課題にとりくむかというと、お祈りしかないわけです。
なんだかぐるぐるしてしまいますが、そーゆーことなのです。
てなわけで、まずは出産から、ですな。