私たちは、深い愛へと還っていかなければならない。(その1)

一昨日の午前中に、お父ちゃんが草刈り機で庭の草をガンガン刈ってくれたので、昨日の午前中2時間は私が木っ端微塵になった草を集めておりました。
それだけでも大変な作業なのです。思ったより大変。
そして、お大師さまがいらっしゃるところには一列ずらっと木がありまして、その枝払いをガンガンしました。
もーー、これがかなりの重労働なのです。
あっと言う間にアキオが帰ってくる時間となりまして、おかげで裏庭の草集めは翌日(本日)に延期になりました。
というわけで、今日は裏庭の草集めと芝生のところの手入れをしようと思ったんですが、朝食後からお腹が痛くなりました。
何度もトイレに行き、とうとう下痢に。
ぎゅーーーっとお腹がいたくなる下痢です。
昔は頻繁になり、心身ともにイヤになっていたアレです。
おかげで草集めどころではなくなりました。
でも、こんな時こそ「ああ、消えていく姿だ~。ウンチと一緒に業が出て行くんだ~。ありがとうございます。」と感謝しながら痛みに耐えることを弟1号に教えてもらってからは、しんどいはしんどいんですが、とてもしんどいんですが、心身ともにイヤになるということはなくなりました。
ただし。
今日のは、それだけではありませんでした。
またまた深い深い気づきを示してもらったのです。
自分への覚書のためにも書いておきます。
まず、先週のことです。
福祉ネットワークを何気にほんの10分ばかり見ました。
老人福祉施設の園長さんと町永アナとの対談でした。
その中で、『認知症のお年寄りの心に寄り添う』という言葉が出てきました。
認知症のお年寄りは、子どもに還るのではありません。
自分が壊れていくことが分かっていて、とても不安なのです。
だから怒ったり、妄想で自分を護ろうとするんだそうです。
だから、そんなお年寄りたちの心に寄り添うことが大切だと、園長さんは言うのです。
そうすることで、どんどんお年寄りは穏やかになっていくのだそうです。
ハッとしました。
ちょっとね、旦那さんのご両親のことで思うところがあったのです。ここんとこ。
とても良い人たちなのですが、『常識』や『自分たちの世界』の中の善悪の殻から出られないでいるなぁ、と旦那さん共々感じていたのです。
だから、ちょっとボケてきたおばあちゃんへの対応に私達は哀しくなったりすることがあるのです。
おばあちゃんの心に寄り添うという発想が生まれないんだな、とその時分かりました。
余計に哀しくなりました。
それから一昨日。
テレビで団塊の世代の人が、リタイアを前に田舎に家を建てるという番組がやってました。
のんびり田舎暮らしがしたいんだそうです。
立派な古民家風の家でした。
でも、私と旦那さんは「なんかちょっとなぁ~…。」と感じました。
団塊の世代の人たちにとっての『憧れの田舎暮らし』というのは、ああいうものなのか、とガッカリしたのです。
結局、消費していくだけの生活を、田舎暮らしという形で続けていくだけやん、と。
さて、そして昨日。
まず、以前お父ちゃんが買った本に載っていた『マザーテレサ』についての対談を読みました。
愛の深さについて、あらためて感じ入りました。
それから、菜桜ママさんのブログを読みました。
来年になったら入れると思っていた幼稚園から突然拒否されたのだそうです。
とても混乱されてました。
そして、いろんな方(だいたいは障害児のお母さん)のコメントも、しんどいものがありました。
腹が立つのも分かるし、不安になるのも分かります。
でも、幼稚園や保育園にそんなに固執しなくてもいいのに、と思いました。
障害児の母になること自体が結構イレギュラーなことです。
だから、いろんなことが『普通』のようにはいかないのが当然だし、イレギュラーであることの意味をよく考えて、自分や子どもの『本当の生き方』を探す努力をすることが大切であって、『普通』になることへしがみついていては、同じような問題が何度も何度も立ち現れてくるよな、と感じたのです。
私達はみんなみんな重度な思い込みを抱えて生きている、ということを知らなければならないのです。
ということで、お節介なんだけれども、今朝一番で菜桜ママにメールを入れました。
そして、お腹が痛くなりました。
なんとなく、なんとなくですが、ほんのりと分かってたんです。本当は。
多分ね、ここんところのこの流れと、この腹痛は関係アリアリだな、と。
でも、お腹が痛くて「ありがとうございます。」と唱えるだけで精一杯で、その時はちゃんと頭が回っていませんでした。
それでも、なんとなく分かっていたのです。
私には、気がつかなければならないことがあるって。
…息子が帰ってくる時間となりました。
続きは後で。

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