まぁ、まずコレを読んでみてください。
読みましたか?
私がお世話になることになった産婦人科の吉村先生は、本当に医療行為が必要な妊婦さんというのもいる、と言っています。
しかし、例えば3日もかかるようなお産でも、医療行為(帝王切開とか)が必要ではないお産なら、じっと赤ちゃんが生まれてくるのを待っていてくれます。
その代わり、妊婦は産気づくまでしっかり身体を動かして、粗食を心がけ、リラックスして生活するように、と指導されます。
それが自然なお産への道なのだそうです。
しかし、普通の産科では、3日もかかるようなお産の場合は帝王切開になるのが普通です。
お医者さんの経済的な理由もあるようですが、なにより『何かあった時が怖い』からだそうです。
お産というのは『絶対に安全なもの』ではありません。
吉村先生だって、全責任を背負いつつじっと待っていらっしゃるのです。
その覚悟たるや、ちょっとやそっとのものではないはずです。
産科はリスクが高いものなのだそうです。
ですから、お産をコントロールすることが「訴えられないため」にも必要となってくるわけですね。
どうして、私達はいつの間にか医療に完全を求めるようになってしまったのでしょうか?
どう考えても「それはどうよ?」というお医者さん(病院)も確かにいるとは思いますが、「そんなことで訴えられたらたまったもんじゃない。」という場合も最近は多いと、私も耳にしてます。
しかし、私の中にも『自分の身体を科学的に把握したい』という欲求がずーっと存在しています。
自分の身体は自分で把握してコントロールしていたい、体調不良の原因をつきとめて治したい、という欲求です。
身体は自然そのものであるはずなのに、小我の私ごときがコントロールしたいと切実に願い続けているのです。
愚か過ぎですな。
ということに気がついたのが、吉村先生のところに行ってからでした。
今だに続く体調不良とそれに伴う憂鬱感は、その欲求を手放さない限り続くなぁ~、と気がついたのです。
私の場合は、矛先が自分に向いてたからまだいいけれど、これが外に向いていたら更に大変だったろうなぁ、と先の記事を読んで感じたわけであります。
それは、多くの人にも潜在しているものかもしれませんね。
私達はあまりに多くの思い込みをしています。
それが『思い込みである』と、1つ1つ気づいていくことが大切なんだと思うのですが、どれが思い込みなのかさえ分からんのですから厄介です。
けれども、生命とは何かを、(いわゆる)スピリチュアルな面から見つめていくことを続けるとか、感謝の心を持ち続けること、神様に心を向かわせることなどで、少しずつ気づかせてもらえるもんなんだろうなぁ、と楽観的に捉えております。
てか、それしか道を知らないの。
初めまして!初めてコメント書かせていただきますっ!確かに最近のマスコミって医療現場に対して厳しいですよね。
私は今年長男を出産したのですが、妊娠9ヶ月の時胎児仮死状態だったため、緊急帝王切開の手術での出産でした。手術を受ける前先生が「無事に生きて生まれてくるかはやってみないとわからない」って言われました。生まれた時は呼吸もなく心臓も停止しており生後3日までがヤマだと言われてましたが...。今長男が元気なのは出産した病院での対応が最善の方法を出来る限りやっていただいた結果なのですよね。
でもつくづく思うことは医療が長男の命をコントロールしているのではなく、長男が生きよう!とする生命力なんだと思います。本来だったら長男は亡くなっていたかもしれないっと思うと長男の生命力をサポートしていただいた医療関係者の方々には深く感謝してます。
長男の場合良い結果だったけど逆の結果だったら医療関係者に対してどう思っていたのだろう?たぶん医療関係者を恨むことはないと思ってますけど・・・。何だかよしみさんのコラムに考えさせられました。
各人がそれぞれの形で医療との関わりを持っているので、医療に対する思いもそれぞれではあると思いますが、生命って何だろう?ってことをもっと日常的に思い巡らす癖をつけると良いだろうなぁ~、と思います。
ま、それは医療に対する問題だけではないですけどね。
息子さんの生まれ方は、お母さんにいろんなことを教えてくれているんですよね。
子どもって、ほんとスゴい存在ですよね~。