数日前、実は久しぶりに例の先生のところに行ってきましてね。
これまたビックリなことを教えてもらいましてね、3日後に(もちろん旦那さんの方の)本家の叔母さんを連れて再び先生のところに伺ってしまいました。
本家のお墓に問題があるってことが分かったのです。
少し時間はかかるかもしれないけれど、親戚みんなで協力して、ご先祖さまたちのために正しい作法に則ったお墓にしていけたらなぁ、と思ってます。
多分、ちゃんとできると思うな。うん。
叔母さんと一緒に伺った時は、予約者が少ない日だったらしく、結局2時間近くも先生が(お墓のことだけじゃなく)いろいろ話しをしてくれました。
叔母さんは信心深い人なので、先生のお話もス~~~っと入っていった様子でした。
最近、すごく強く感じることがあります。
『信仰心』が厚い人でないと、深い部分で共感できるところまでなかなか辿り着けないなぁ、という感覚です。
その共感というのは、本当に感覚のものなので、言葉にすると「あ。そうだね。」って一言で片づいてしまうので、説明が難しいです。
でも、そーゆー感覚というのはあるのです。
そして、その中心にあるのが、神などの『何か偉大なるもの』へ志向する心です。
それは、『目覚め始めた者』ということかもしれません。
これからは、そういう人たちと、そうではない人たちとの差がどんどん広がっていくのかもしれませんね。
そうすると、終には別々の次元に分かれていくことになるのかもしれませんね。
どんな世界が待っているのかなぁ~。