先日、「タマネギが欲しいなぁ。」と思っていたらタマネギがどーんとやってきた…と、書きましたが、私のこういう面に関してはお父ちゃんが前々から指摘しておりまして、
「だから、あんたは『お金欲しいなぁ。』と言ってなさい。」と、お父ちゃんに言われました。
なので、ここんとこ「お金欲しいなぁ。現金欲しいなぁ。」と、時々思うようにしてました。
お父ちゃんも私も会社を辞めて貯金で食べてる状態だし、やっぱり現金がいいよな、と思ったからです。
そして、昨日。
思い出して、「あー。お金欲しいなぁ。現金ができれば多めに欲しいなぁ。」と、また心の中で呟いてた時でした。
『本当に現金が必要なの?』
という声が心の中から、いえ、心の奥の方からどあ~~~んっと響いてきました。
一瞬、身体も思考も止まりました。
あれ……?
でも、その問いに答えないといけない、と何故か思いまして、なんだかとっても慌ててしまいました。
えっとー。
生活していくにはそれなりの現金が必要なんだけど、本当に本当に『今』必要かと問われると、なんとか生活してるし、来年でもいいかなぁ~って思うんだけど……。
いやいや、そーゆー意味の問いなんじゃないんじゃない?
ああ、だったら、どうなのかしら?
え?え??
お金って、必要な時に必要な分だけ神様からいただけるんだから、私が「ちょうだいちょうだい。」って言わなくてもいいのかなぁ?
あれ??どうなのかな??
と、ぐるぐるしちゃって即答できませんでした。
結局、「やっぱり、できれば現金が欲しいです。」と最後に答えてみました。
そう答えてから、ハッとしました。
多分、あの問いは、小我の私からのものじゃないです。
感覚的に、いつも認識している小我の私から出たものとは違うということだけは分かったのです。
それが、守護霊さまなのかハイヤーセルフなのかは分かりませんけど。
という出来事を、今さっき思い出してお父ちゃんにしました。
そしたら、
「なんで『はい。たくさん現金が必要です。』って即座に言えなかったの?あんたはまだ清貧が良いとでも思ってんの?まだお金が汚いものだとでも思ってんの?現金をたくさん神様から回してもらっても、どうやって使っていいか分かってないんでしょ??俺たちはねーーー、たくさんお金を回してもらったら、それを自然農って形で世界平和実現へのお仕事ができるんやよーー。あんたは『お金大好きヨッシャー!』とお題目唱えとるだけやったんかね???」
と、お父ちゃんにたたみかけられました。
どうもすみません。
日常生活の繰り返しの中で、目先の生活のことばかりしか見えなくなっておりました。
それが家庭を守るお母ちゃんというものの性かもしれないんですが、そこが落とし穴だったんですなぁ。
いえね、どうもなんやら自分の中で『乖離』してる感はうっすらとあったのですよ。
お祈りをしながら印を組みながら神様を強く求める自分(あえて今日はこう書く。)と、目先の生活(主に息子)のことに忙殺されている自分との間に、本当は架け橋のような具体的なビジョンが必要なんでしょう。
もちろん、それは『家族みんなのもの』としてはあるのです。
ただ、そのビジョンは正確に言うとお父ちゃんのものであって、私はそれに賛同しているだけで、私の中から湧いてきたものではないのです。
だから、『現金』は『生活のために必要』という思考になってるんですね。心の底では。
自分の中から湧いてきたビジョンを実現することが世界平和実現にも役に立つんだ、という信念があれば、唐突に『現金が必要なの?』と上の方に問われても、「はい。」と胸を張って言えますもんね。
その『私の』ビジョン。
無いこともないんですよ。実はこれが。
でも、自分をどうにも信じきれてないという、私の人生における大きな課題がやはり大きな壁となっておるのです。
……というのを、気づかせてもらいました。
「我即神也の印をよく組んでるのに、全然ダメやん。」と、お父ちゃんに笑われてしまいました。
うん。そうなの。
やっぱり弱点なのよーーー。
私は自分を信じきれてないからこそ、我即神也・人類即神也の印を組んでるんだよー。
そんなんだからね、きっと弟1号の『神様の波動をリアルに感じられる』霊能が羨ましかったんだろうなぁ……。
丁度ですね、今日の夕方に弟と電話でいろいろ話をしたのですよ。
私はオカンと弟1号が霊感があるために(主に身体的に)しんどい思いをしてたのを見てたので、彼らに霊感があることを羨ましいとは思っていなかったんです。
でも、自分でも気がつかなかったんですが、ある時から弟のことを羨ましいと密かに思っていたようなのです。
今日の電話を切った後に、ハタとそれに気がついたのです。
私は姫さまの波動をちっとも感じないのに、弟はものすごい反応を示した、あの時からだと思います。
神様への信心は深くなっていった(当社比)し、人間の本性が神様の分霊だってのも心底信じているし、自分自身も変わっていった(当社比)し、日常生活はそれとしてちゃんとこなしていくものだって分かっているし、『間のビジョン』の芽もちゃんと出ているのに、芽を育てられないのです。
私自身の課題をしっかりクリアできていないせいで。
そりゃ乖離もするわね。自分の中で。
そうなるとどうなるかってーと、そこを無意識に埋めたくなるわけで、それがこれまた無意識に分かり易い方向(リアルに神様の波動を感じる能力)を見て羨望の想いを持ってたように思われます。
自覚してなくて良かったよーー。ほんと。
ただ、すごいなぁ~、と自分で思うのは、目の前の代替品が良いなぁ~と知らん間に思っていた自分に気がついた途端、本当に足りないものの正体まで辿り着けたことです。
いや、すごいすごい。中途半端にならんくて良かった良かった。
…でも、これも上の方の計らいなのですね。てへ。