どっちかって言うと芸事には疎いと思う。

神事と芸事は表裏一体。
らしい。
夕べのオーラの泉で江原さんが言ってました。
そりゃそうだわな~~。
歌や踊りは神様に奉納されてたもんですからね。
それにそもそも神様とは『真・善・美』の究極ですもの。
ところで。
ウチのオカンと弟1号は、芸術・文化方面にとても明るいです。
オカンなんて、娘が生まれて大きくなったら一緒に歌舞伎を見たり美術館巡りをしたり…と、そーゆーことをしたいと密かに思っていたそうですが、生まれて育った唯一の娘がこの有り様なので、お母様ごめんなさい、としか言えませぬ。
しかし、息子の1人がその血を受け継いでいるので、最近では「京都に行くにしても、友達と行くよりも、ねこだるま(弟1号)と行きたいねぇ。」とよく口にしてます。
弟は芸術・文化だけでなく、歴史にも非常に詳しいのであります。
最近、オカンや弟1号と話していて思うことがありました。
多分、私はこの人たちとは美の感覚が違うんだろうな、と。
感覚(波動)が精妙なのね。きっと。
それにひきかえ私はと言うと、確かに子どもの頃から絵を描くことは好きではあったんですが、どーも芸術・文化に対する感覚(波動)が粗いのです。
弟2号も言います。
「あの人たちは、本当によく本を読んでるし。とにかく違うよね。」って。
そうなんです。
ただいろんな本をたくさん読んでいる、というだけではないのです。
そもそも生まれ持ったものが違うんだろうな、と最近は特に感じるのです。
オカンは昔、親戚の(ちょっと変わった)人に、「前世は巫女さんだったみたいだねぇ。」と言われました。
最近判明したことですが、弟1号の前世の1つはチベット仏教のお坊さんでした。
神や仏に仕えていた人たちですから、そりゃ感覚も(少なくとも私よりは)精妙だよなぁ~、と、昨日の江原さんの言葉を聞いて納得してしまいました。
そもそもあの人たちは昔っから霊感バリバリだしね。
やはり、『今の自分がこうして在る』というのは、うんとうんと昔からの総体である、ということなんですなぁ。
オマケも目減りもありませぬ。

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