先日はお野菜の配達でしたが、今日は相談ってことで例(霊)の先生の所に行ってきました。
農園名はこれで問題ないかしら?とか、まぁいろいろ盛り沢山な相談・質問だったのですが、先生との時間は『神様への信仰』という基礎の上にありますから、どんな相談であっても雑談であっても非常に濃厚なのであります。
全てが『神様トーク』ってわけですな。
しかし、最初っからそうだったわけではないんです。
私の体調不良についての相談から始まったのですが、3年くらいの間はずーーっと行く度に成仏していないご先祖さまがどっかんどっかん見つかるため、今ほど濃厚な『神様トーク』はしてもらっていなかったんです。
それが、一段落ついてからですねぇ。今から思うと。
徐々に濃くなっていきました。『神様トーク』が。
そうすると、やっぱり有り難いもんでして、さらに私達の意識(霊性)も少しずつではあるけれども目覚めていきまして、もっと先生の『神様トーク』への感度が鋭くなっていく……という、好ましい循環が続いていってるのです。
もちろん、その間、いろんな人の話や本からもお勉強させてもらってますしね。
それに、『成長痛』も大きいのから小さいのまで、じくじくやられて変容を迫られ続けてますし、息子のダウン症っていうエラいことデカいインパクトも推進力になってますし。波動エンジン並。
つまり、ご縁はちゃんとそれぞれに合った形で最適な時にいただけるもんなんですけど、それを大事にするか、そこからちゃんと学ぶことができるかどうか、というのは各人の自由意志に任されているってことですね。
たとえそれが病気や事故などマイナスの形で現れたとしても、とにかく『好ましい循環』を掴むためのチャンスは目の前にいーーーっぱい転がっているんですもんね。
そして、その道は様々なのです。
植芝先生のように武道を極めていくことで神様への道が開けた人もいますし、マクロビオティックから神様への道が開けた人もいます。
この世は神様が大いなる意図の元で創造され、この世は神様が遍満する世界なのですから、全ての道が神様への道であるというのは、当然と言えば当然なのですが。
ですから、ご縁をいただいたら大事にして素直に学ばないと勿体ないっちゅーことですな。
大事にできない理由(言い訳)なんていくらでも思い浮かぶけれど、それではいつまで経っても変わらんしね。
私自身も山ほどチャンスをポイ捨てしてきてんだろうなぁ~~、って思いますもん。ああ、勿体ない。
でもね。
あまりにポイ捨てし過ぎると、さすがに負荷がかかるようになるんですよ。
事故とか治りにくい病気とかね。
できれば、負荷がどーんとかかる前に気がつけるといいんだけどねーー。
でも、私にしたって負荷がどーーーんとかかってから慌てたしねーーー。
人間って、そーゆーふうにできてるんでしょうかねぇーーー。ああ、勿体ない勿体ない。
で。
今日は最後の最後に、先生からプレゼントをいただきました。
阿弥陀様のお写真です。
「これ、性(しょう)が入っちゃってるけど、あげるわー。」って。
明日は私の誕生日なので、素晴らしい誕生日プレゼント…ということにもなっちゃいました。(もちろん先生はそんなコト知らないよ。)
おばあちゃんたちとお留守番していた息子に阿弥陀様のお写真を見せたら、スッと『のんのんあん』をしました。
さすがだ。分かっとるなぁ~。この子は。
そうそう。
農園名は『かぎしっぽ農園』で問題ナシでした。やったー。
『かぎしっぽ』って名前は旦那さんがお百姓をやりたくなるずーっと前から私が温めてきた名前なんですわ。
由来は実家の猫、ハナちゃんのしっぽです。
かぎしっぽは福をひっかけて招き入れるんだよん。おほ。
てことで。
これから、『かぎしっぽ農園』をよろしくお願いします。