ウンともスンとも言わないなんて、困っちゃう。

ウンチさまの話です。
先々週は浄化もあって下痢が続いておりましたが、先週の火曜日からパタっと出なくなりました。
下痢の後に少々便秘気味になるのはよくあることなので、2日目までは気にしてませんでしたが、3日目からちょっとこれはいけませんねぇ……と思うようになりました。
なんだか、ヘンなのです。
お腹は痛くなるのに、ガスしか出ない。
4日目も、それこそウンともスンとも……という感じ。ガスばっか。
急にお腹が大きくなったので、子宮に押されて腸が動きにくくなってるのかな~?と思い、家事や畑仕事だけではアカンかも、と以前ヨガ教室で教えてもらった身体をよじる運動にスクワットに股関節をがーっと開くストレッチをやってみました。
驚きましたねぇ。
もともと固めではあったのですが、急激に股関節が固くなってるではありませんか。
どんどんお腹が大きくなってきて、その重みの負荷だけでなく、どうしても動きがにぶくなってきて股関節をあまり開かずに動き回ってるようなのです。
これはいけません。
便秘にならんかったら気がつかんかったですよ。ほんと。
気がつけて良かったです。
便秘対策とは別に、毎日ヨガとスクワットとストレッチを続けなきゃね。
で、とうとう昨日は5日目。
相変わらず出てくれないので、例のクリニックの先生んとこに行きました。
O-リングで漢方薬を診てくれまして、動きが悪くなっている腸のために麻子仁丸を処方してくれました。
それとはまた別に、身体に熱があるね、と言われました。
ええ。実はですね。
体温計で計っても平熱なのですが、身体が少々熱っぽいのです。
自分でも芯熱がこもってるなぁ、とは思っていたのです。
その前の2日ほど、すごーくダルくて仕方がなかったのですが、木曜日に熱の吹き出がプチっと出て、しんどいのは楽になったんです。
それでも、芯熱がある感じは続いてました。
急に朝晩が涼しくなってきたから、ちょっと身体がついていけんのかな?と思ってました。
お父ちゃんも風邪ひいちゃったみたいで、喉が痛い喉が痛いって言ってるし。
こっちからは何も言ってないのに、先生には分かっちゃうんだなぁ、とあらためて感心しきりでありました。
(後からネットで調べてみたらこーゆーページを見つけました。妊婦の便秘の原因の1つが芯熱とは知らんかったっす。)
てなわけで、黄連解毒湯も処方されました。
……が、この黄連解毒湯はですね、昔飲んだことがありましてね、比較的漢方薬を飲み慣れている私でも「不味い。」と思う独特の味なのです。
実に不味い。不味い不味い不味い。
しかし、不味いからって飲まないわけにはいきません。
毎回、「まずーい。」と言いながら頑張って飲んでます。
そのおかげか、6日目の今朝、出てくれました。ウンチさまと久々の対面であります。感動的であります。
♪ちゃららちゃっちゃら~~。
ありがとうございます。ありがとうございます。みなさん、ありがとうございます。
でもね、予想してたようなお姿ではなかったのですよ。ウンチさま。
ずーっとお腹の中にいたわけですから、きっとコロコロになって出てくるんだろうと思いこんでたんですが、これがなんとバナナに近い形状。
ほんとに腸が動いてないんだなぁ、とウンチさまをまじまじ見ながら思いましたね。
妊婦の身体は不可思議であります。
さてさて。
今回の便秘のおかげで股関節が固くなっている、ということを教えてもらったのですが、それとは別にまたプチお悟り(と呼んでいるが、ちょっとしたスピリチャルな気づき、という意味)をいただきました。
今朝、早起きしてトイレでぼーっとウンチさまが出てくるのを待っていた時にまたまた気づかせてもらいました。
そこで一時休戦しまして、まだ旦那さんと息子は寝ていたので、私一人で窓際の椅子に腰掛けて、気づかせてもらったことをじっくり自分の中で整理してみました。
空を見ながら涙が出てきました。
ほんとにプチな、プチプチな気づきなんですが、それでもそれを説明するとめっちゃ長くなっちゃうので、今回は割愛しますが、地球霊王さま(by五井先生)の大きな愛を想うと、ほんとーに涙がだらだら流れました。
あ、でもキーワードだけ自分の覚書のために書いておきましょう。
『地球生命の強烈な自己保存本能』(←坂本さんのこの本にチラっと出てくる)

たまごかけご飯

たまごかけご飯。
いや、私の実家では『たまごご飯』と呼んでました。
なぜなら、うちの実家では、卵の黄身だけを器に入れ、そこに醤油をたらし、それをかき混ぜてから、ご飯を盛って再びかき混ぜる……という手順であったため、決して『たまごかけご飯』ではなかったのです。
大学生の時に、学科の泊まり旅行かなにかの時に、みんなが白身もコミで『たまごかけご飯』を作って食べているのを見て、軽くカルチャーショックを受けたことを今でも覚えています。
もちろん、旦那さんも『たまごかけご飯』派であります。
おそらく、実家での食べ方はマイナーな流派なのでしょう。
とは言え、子どもの頃からの食文化というのはなかなか修正しにくいもののようでして、メジャーな道に軌道修正することなく、今でも私は『たまごご飯』として食べております。
美味いんだよねぇ。
さて。
こんなのを見つけました
ああ、たまごご飯が食べたくなってきた~~。

心のベクトルはどっちに向いてる?

ここんとこ数回分、オーラの泉を見ておりませんでした。
息子を寝かしつけてるうちに、私も寝てしまうというパターンばかりで。
それが、先週はなぜか『見させられた』という感じの状況でありました。
田中美里さんの回です。
もぉね、聞いてて「あ、遊廓だ。」とか「あ、肺病だったんだ。」とか、江原さんたちが言う前になんとなく分かっちゃたりして、自分でもなんだか変な感じでした。
そいでもって、大嫌いだった『女性の仕事』が好きになっていった、というくだりなんぞは、最近の私もそのまんまでして、とにもかくにも田中さんへの言葉が自分への言葉のように思えてならない回でした。
番組を通して守護霊さまが教えてくれたんだなぁ、と感謝せずにはいられませんでした。
そして、今週。
プロレスラーの前田日明さんの回です。
キツかったっす……。
内容が内容なだけに。
三島由紀夫が前田さんを今日ここへ連れてきた、なんて話になった頃から見てて気持ち悪くなり、将校たちの亡霊がたくさん前田さんに憑いているって話になってからは、も~~~~柏手を打ちたくて打ちたくて仕方がないくらいの気持ち悪さでした。
柏手というのは、五井先生がなさっていたことなんですが、白光の方たちで霊性が上っていった方たちは今でもお清めでなさっているそうです。
自分でもよく分からんのですが、ぱんぱんぱん!と柏手が打ちたくて仕方がありませんでした。(夜中だからやらなかったけど。)
多分、よほどの霊気だったんでしょうなぁ~。テレビからでもイヤ~な波動が伝わってきてたんでしょうなぁ~。
そんなふうだったので、五井先生を想いながらテレビを見ておりました。
変なモノが近寄ってこないようにね。
そうそう。
あの回を見てて、私はすぐに「うおー。」と思ったのには予備知識があった、というのも大きかったと思います。
ある白光の会員さんのブログにこんな記事があったからです。
コレコレ
恐ろしいですな……。
でも、ただ成仏していない執念深い霊が怖いってんじゃなくて、生きている私達の『心』のベクトル次第だということが、ある意味怖いなぁ、とつくづく感じました。
五井先生ももちろん、ハトホルさんたちも、他のスピリチャル系の人たちの多くも、異口同音に『すべては波動だ』と言ってます。
すっごい簡単に説明すると、一番精妙な波動が神様で、そこからどんどん粗くなっていって、最後の最後、どんじりにこの『三次元の物質世界』を現す粗い波動が存在している、とのことです。
で、もちろん『心』というか『想い』も波動なわけでして、物質世界のひとつ上の波動の世界が幽界とかアストラル界とか、まぁいろいろ名前はあるんですが、幽霊といわれるような成仏できない霊たちが彷徨ってる世界があるそうで、我々の物質世界のお隣ですから、近いんですよね。
近いもんだから、成仏できてない執念深い霊が、自分と似たような波動をキャッチすると「ラッキー。」とばかりに憑いてしまったりするんだそうです。
そうなると、憑かれた人の人生は狂ってしまうわけです。
困った霊にいらんことされちゃうからね。
ですから、心は常に神仏(光)に向けなければならんのです。
以前、ポジティブシンキングのことを書きましたが、心の奥からの前向きさが持てず、身体の調子も悪かった頃、自覚はありませんでしたが思いっきり私も憑依されてました。迷ってるご先祖さまたちに。
心が光に向いていなかったからそうなったのか、そうなっていたから心が光に向かうことができなかったのか、は分かりませんが、自身の体験からも美輪さまがおっしゃってたことはよ~く分かりました。
特に信仰する宗教宗派がない場合、私としては一番手っとり早いのは五井先生の『世界平和の祈り』を一日一回でもすれば、時間は少々かかりますが、確実に自分の中の本心(神)につながっていくことができる道だと思うんですがね。
これも縁なので、できる人とできない人がいるんですなぁ。
できない人には何度言ってもできないんですよね。なので仕方がありません。
とにかく頑張れ、君の魂……としか言えないです。
しかし、忘れてならないのは、私達は自分だけでは自分を救えないってことです。
私達は神の分け御霊であるけれども、それを真に自覚するに至るまでは、守護の神霊の導きがどうしても必要なのです。
そういう意味では他力ですね。
けれど、自分自身の心のベクトルを常に神仏(光)に向ける努力をする、という『最初の一歩』がなければ他力の道には入れません。
そういう意味では自力ですね。
とは言うものの、人間なんて多かれ少なかれ憑依されてるもんだ、と聞いたことありますし、自身のカルマも血族のカルマもあるわけですから、最初の一歩が一番厄介なのかもしれないですね。
偉そうなことを言ってますが、そんな私だってまだまだまだまだなわけでして、そんなことは百も千も承知なのですが、なんだかまたまたこんなことを書かされておるわけです。
きっと誰かのためなんだろうな。
誰かさんの守護霊さまが、うちの守護霊さまに「ひとつ頼むよ。」ってな感じで。
とにもかくにも。
実はそんなに悠長にしていられる時間がないので、地球霊王さま(by五井先生)の波動がどんどん上がっている今、その波動上昇にシッカリチャッカリついていかんと留年しちゃうんでね。
留年しちゃうとどうなっちゃうのかは、ハトホルさんたちでも分からんそうです。
あ、でもあれは10年前の本だから、もうだいたい予測はつくようになったんかも…。
「よしみさんの言ってること、何がなんだかさっぱり分からん。でも、ちょっと興味あるかも。」という初心者の人には、坂本さんのわかりやすい!絵で見る「死後体験」がすんごい分かり易いし薄い本なのでお薦めです。
坂本さんはバリバリの理科系の人なんで、理科系の人には特に良いのではないかと。
あ、そうそう。
さっきのリンクのところを見てる時に、アツコ姉さんからメールが届いたんですよ。
「美輪さんの講演会があるよ。」って。
シンクロニシティなんて結構慣れっこになってきたけど、ちょっと驚いた。
これは行けってことか?

ロハスなお店だそうだ。

ふらふらネットサーフィンしていたら、こんなん見つけました
へぇー。
私達が名古屋に住んでた頃に知ってたお店って、この中で数件しかないなぁ。
やっぱり、こーゆーのが流行りなんですなぁ~。
子どもがいるから行けないけれど、行ってみたいのは以下のお店かな。
marica
momo
スモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンドなんて、超・大好物だがね。
くどいようだが、小さい子どもがいるからこーゆー『おされ』な店には行けないので、私の代わりにチビタくん、行ってきなさい。
連れていく女の子がいないなら、タマゴ姉さんを連れていきなさい。
または、海賊王と一緒に行ってきなさい。
そして、こーゆーとこに来るお姉ちゃんに2人で声をかけてきなさい。

食いしん坊

週末の耳ほり、アキオさんは相変わらず大泣きしました。
先生が「はい。終わったよー。」と言うやいなや、お父ちゃんの膝から飛び下り、「おわった。おわった。」とベソをかきながら診察室から足早に逃げ出してしまいました。
母、おかしかったです。
時々、こっちがビックリするような『言葉』を言います。息子くん。
まだ何を言ってるのかよく分からないことがほとんどですが、たまたま上手に真似したりして、グッドタイミングで言葉が出ることがあるのです。
「おわった。おわった。」もそうだし。
週末に実家に帰った時、弟1号が「アキオ、ぐーんと成長したねぇ。」と感心してましたもん。
やはり言葉が増えるというのは、端から見ていても成長してるなぁ、と分かり易い指標ですね。
デイサービスに通うようになってから、身体も締まったし、言葉も増えたし、やはり良い刺激になってるんでしょうね。
さて。
実家に帰る前に名古屋に寄って、久々にタァちゃんとアキくんに会ってきました。
みんなでランチをしてきたのです。
みんな大きくなっていて、おばちゃんは嬉しかったであります。
その中で、実はアキオが一番成長しておりました。
えっと、他の2人はお母さんが大盛りのうどんを注文して、それを分けてもらってたんですが、息子くんは一人前を注文して、食べちゃったんですもん。
言い替えれば、一番の食いしん坊なのであります。
食いしん坊なので、背が一番高いというのも必然かもしれません。
食いしん坊、万歳。
……でも、ダウン症の子は太り易いって言うから、気をつけないとね。
実家では、オカンについて歩いてた息子くん。
ほんとーにおばあちゃん子であります。
私達にとっては怖いオカンも、息子にとっては甘いばあちゃんだもんね。
孫パワー、おそるべし……というのが真実かしら?
さてさて。
昨日は息子を旦那さんの実家に預けて、午後から吉村医院に行ってきました。
前期両親学級に参加してきました。
妊婦さんだけでなく、見学の人もたくさんいて、賑やかでありました。
先生は徹夜明けなのに、何時にも増してパワフルでありました。
実は、その前日、旦那さんの自然農仲間のYさんから電話がありました。
転勤で今は長野県に住んでいる人なのですが、明日はこっちの方に来る用事があるので、お父ちゃんの畑が見たい、という電話でした。
よくよく聞いてみると、なんと奥さんと一緒に吉村医院に見学に行くのが『用事』なのだとか。(ちなみに奥さんは妊婦さんじゃありません。ナチュラルライフ志向が強くて勉強熱心な方のようで、吉村医院を見学したいと電話で申し込んだところ、両親学級に来たらどうですか、と言われたそうなのです。)
「もうさーー。こーゆーのって、ビックリしなくなってきたよねぇ。」と、旦那さん。
あっちゃこっちゃで繋がってしまう、というのが日常的になっているのです。
裏返すと、意識が違ってきちゃった人たちとは自然と縁が切れてしまう、ということにもなるんですが……。
それは距離とは関係なく、ね。

稲穂

2006ine1
すっかり更新に間があいてしまいました。
その間にもお米はすくすく育ってくれまして稲穂が出てきました。
写真は赤米です。
2006ine2
出穂の早かったイセヒカリと若草もちはすでに穂がたれてきました。
自然農一年目の田圃で分蘖は少ないのですがそれなりに力強く実っています。
あと2カ月もしたら美味しい新米とお餅が食べられるかな。

子どもは病院が嫌い。

『うちの3姉妹』が好きで、よくチェックしとるんですが、コレはほんとに何度見ても笑えたっす。
ウチのアキオも病院は大嫌いで、どの病院でも診察室に入ると泣きます。
明日は耳鼻科で耳ほりの予定……。
またおお泣きするんだろうな。

あなたの真実、私の真実。

まずは、新井信介さんのブログから。
コチラの記事です。

どこまでも、どこまでも、どこまでも、
心と肉体が一致した、喜びを、感じあっていたいと思います。
そして、その喜びを、分け与えることで、社会的な富を生み出したいと思います。

本当にそうだよなぁ、と思います。
ただし、心と肉体が一致した喜びを感じ合うためには、私達一人一人が『自分の本当の心のまま』に生きていなければならない、というのが、ちょっと考えてみると非常に厄介な、と言いますか、どこから手を着けていいか分からないポイントだと思います。
そこで、次はあるヒーラーさんのブログです。
コチラの記事です。
自らの真実に生きる、というのは、わがまま勝手に生きることじゃない、常識的に生きるということでもない、というのは大概の人には分かると思うんですが、ではどーゆーこと?と聞かれると、やっぱりなかなか難しい問いだったりするんですよね。
たとえば。
スピリチャル系の人たちはみんな異口同音に『良い言葉を使い、良い想念を持ち、良い未来を信じて生きなさい。』と言いますが、ポジティブシンキングができない時というのも現実にはあって、そんな自分を騙してまでポジティブであろうとするのは、なんだか違うな、と。
ポジティブに考えることが『良いこと』だからそうする、のではなく、自分の内から真にポジティブに陽気に喜びに溢れるようになるためにどうしたらいいか?を求めることが大切なんじゃないかなと思っていました。
でなければ、あまり意味がないと感じていたのです。
ですから、このヒーラーさんの言葉に「なるほどー。」と深く頷いてしまいました。
自らの真実から発せられた言葉や想いでなければ、いくらポジティブなものであっても生きるエネルギーにはならない、と。
だからと言って、ネガティブなものをそのまま言葉に想念に行動に表出してしまっては、業を増やすだけです。
それも生きるエネルキーにはならないでしょう。
ほらね。
「じゃあ、どうしたらいいの?」ってなっちゃうでしょ?
生まれつきの善人でなければ『自分の真実・本当の自分の心のまま』に生きられないってこと??と、ガッカリしてしまいますよね。
けれど。
そこで諦めちゃうと、そこまでなんですが、諦めが悪いとちゃんと道を示してもらえるもんなんですよ。これが。
それは、人によって違う道なので、それぞれが諦めずにいることだ、としか言いようがないのですが、私の場合はやはり五井先生の教えが光の道でありました。
私の真実。
それは、私たちは神様の分け御霊であって、本心は神である、ということ。
心の芯からポジティブなものが出てこないのは、前世からの溜まりに溜まった業の現れであって、私本心は常に神様と共にあり、光そのものである、ということ。
それを『感覚』として感じることができなくても、とにかくそれをまず信じ、世界平和のお祈りを続けなさい、と先生は言います。
祈りは光であり、その光が業を少しずつ消してゆくと、少しずつ少しずつ、本当の自分が現れるから、辛抱強くお祈りを続けなさい、と。
悪い想念が出てきたら、お祈りの中に入れて消してしまいなさい、と先生は教えてくれました。
初めは『形』だけ信じていたようなもんだったと今から振り返ると感じるのですが、とにかくちびちびとお祈りを続けていたら、気がついたらいつの間にか、それが私の真実になっていたのです。
すると、ありのままの自分を認める、という課題を最近は守護霊さまからいただくようになりました。
本心の私からは遠く離れた業想念(ネガティブな想い)の私も、『この三次元の現実の現れとして、今ここに在る』ということを認め、そのうえで、それは本来の私の属性ではないことも同時に認める、ということです。
すると、この物質世界のリアルであるネガティブな想念も浮かびつつ、本心の私から湧き出る光の想念も少しずつですが感じられるようになったのです。
真実に生きる、というのは、私の場合はそういうことなんだな、と思いました。
するとですね。
不思議なことにですね、毎日を過ごしている『この三次元の物質世界』の空気っていうか、なんていうか、そーゆーものの密度が濃くなったような感覚を覚えるようになったんです。
私は弟のように霊感はありませんので、劇的なものではないところが逆に伝えにくいっちゃあ伝えにくいのですが、そうなんですよ。
とにかくですね、同じ世界のはずなのに、この世界の波動が少しばかり精妙になった感じがするのです。
それは、もう『そういう感覚がする』としか言えません。
あ、ただ、分かり易くなったこともあります。
いろんなことが『以前より速く現れるようになった』ってことです。
いろんなことが、です。
ですから、浄化(下痢とか)も、想念に合わせて来ます……。
今朝もきました。とほほ。
しかし、因が速く結実して果となるというのは、分かり易いです。ほんと。

めでたいめでたい。

以前から我が家では、「紀子さまのお腹の子、絶対男の子だよねー。」と、盛り上がっておりました。
ですから、今日はとても楽しみにしてました。
親王殿下の御誕生を心よりお祝い申し上げます。
良かったですねぇ~。
愛子さまの時も国民の一人として嬉しかったけれど、やっぱり親王殿下ですからね。
格別に嬉しいです。
もちろん、男女は平等ですよ。
そんなの当然です。
男の子でも女の子でも、赤ちゃんが生まれるということは、誰の子であったって喜ばしいものです。
そこに区別なんてありません。
ただ、それとこれとはちょっと次元が違う話しなのであります。
親王殿下がお生まれになって嬉しいというのは、これは大和民族の血のせいなのであります。
条件反射みたいなもんです。
なので仕方がありません。いらんことを頭で考えずに素直に自分の血に従えばよいのです。
(こんなことを書くと、「あんたは右かね?」と聞かれそうだけど、私はよく共産党に入れてます。)
と、こんなとってもおめでたい日なので、ロト6を購入してきました。
めっちゃキャリーオーバー中だし~。

少年老い易く学成り難し

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声

小4の時に担任の先生から何度も朗誦させられて覚えさせられたものです。クラス全員が。
『少年老い易く学成り難し/一寸の光陰軽んずべからず』
は小4でも意味が分かったのですが、
『未だ覚めず池塘春草の夢/階前の梧葉已に秋声』
って、意味が分かりませんでした。
てか、今でも意味は分かりません。調べたことないんで。
それでも、今でもスラスラ出てくるんですよね。
小学生向け斎藤メソッドのことを知った時、自分の経験を思い出しました。
意味もよく分からんけど、何度も朗誦するという実体験があったので、『母国語の向上のためには、名文といわれる迫力のある文章を暗誦・朗誦することが欠かせません。』という斎藤先生の言葉には「なるほど。」と素直に思いました。
ところで。
うちの旦那さんは典型的な理数系の頭を持っていて、私とは正反対です。
私は地学科出身ではありますが、数学物理が苦手なのです。
てか、物理は好きなんですが、なかなか手に負えなくて時間がかかってしまいます。
数学にいたっては、高校の数Ⅰまではなんとか「えっちらおっちら。」とついていけたのですが、基礎解析からお手上げになってしまいました。
大人になってからよーく分かったのですが、そもそも空間認識能力に大きな欠如がみられるのです。私ってば。
致命的です。
数学脳を育てようとしても、そもそもの部品が足らないので育たないわけです。
そんな私ですが、暗記科目は結構得意でした。
それは、数学が苦手だから暗記科目しか勝負できない、という意味ではなくて、自分の中にいろんな知識が入っていくことが単純に嬉しかったからなのです。
「そんなことを覚えて、何か役に立つの?」なんて思ったことありませんでした。
クエン酸回路を覚えたからって、実生活で何か役に立つわけないのは分かってるんですが、自分の引き出しが増えるような感覚がして、本当に単純に嬉しかったのです。
そして、ある瞬間に、それまで断片的に溜めていた知識が『大きな流れ』としてだーっと繋がることがあるんですね。
それって、まるで閃くように突然『見えて』くるんです。
そーゆー時って、授業中でも小躍りしたくなるんですよね。
ああっ。そうだったのか!って。
だから、わりと学校の授業というのは好きだったのです。
あ、でも、語学は得意ではないんですよね。
これも暗記科目なんだけど、なんだかダメなのです。
どうして語学はイマイチ好きになれないのか、そのへんは自分でもよく分からんのですが。
そんなわけで、すっかり忘れてしまったものばかりですが、一度は自分の中に入った知識です。
テレビを見てたり本を読んだり人と話しをしたり、何かの拍子に「あ、そういえば…。」と、ぼんやり思い出すことも多いのです。
そして、そこからいろんなことを考えたりできるようになっちゃうのですから、学生時代の勉強というのは、やはり無駄がないよなぁ~、と思います。
その点、旦那さんは暗記が得意じゃなかったからってんで、いろんな話しをしていても、「あれ?そんなことも知らないの?」とこっちがビックリすることがあったりします。
歴史のこととか、地理のこととか。
せっかく立派な数学脳を持っているんだから、ちゃんと暗記科目もしっかり勉強すれば良かったのに、勿体ないなぁ~、なんて私からすると感じたりしてしまいます。
さて。
ほぼ日の『おとなの小論文教室』を久々に覗いてみたら、こんなのがありました。
やっぱり、子どもの頃に学校でせっせと暗記するのって大切なんですな。