女性向けの漢方薬

アキオがお腹にいた時の体調不良には婦宝当帰膠を飲んでまして、産後の頭痛に悩んだ時は中将湯を飲みました。
で、今回もマイナートラブルはちょこちょことあるもんで、当帰芍薬散を飲んでます。
他にも、『生命の母』とか『実母散』とか、女性向けの漢方薬ってありますが、今日の散歩で見つけました。
ドラッグストアの漢方コーナーの隅っこに、中将湯の隣にさふらん圓っていう漢方薬が置いてあったのです。
これは知りませんでしたねぇ~。
なんだかパッケージもそそられます。
なにより、効能効果に『悪阻』と『古血滞り』も入ってるのがビビっときました。
もう悪阻は乗り切りましたが、悪阻がピークの頃なら即買いでしたな。おそらく。
当帰芍薬散をクリニックの先生に処方してもらってるので購入はしませんでしたが、サフランがメイン生薬の漢方薬って、やっぱりなんだかそそられます。
生理不順だったり、冷え性だったり、頭痛に悩んでたりする女性には良さそうですよ。

アキオは日々成長しているんだな。

アキオが『ごっこ遊び』を突然するようになった、と書きましたが、今度は突然『絵』が変わってきました。
大学時代に児童心理学か何かの授業で習った覚えがあります。
子どもが丸を描くようになるというのは、かなりの成長なんだそうです。
細かい話は忘れましたが、言語の発達ともリンクしてたような気がします。
とにもかくにも、丸を描くようになったら、それはとても大きな進歩なのであります。
で、ウチの息子くんですが、2日前から急に丸に近い絵を描くようになりました。
そして、「ごあん。」(ご飯のこと)または「ぱん、ぱぱん。」(パンのこと)と言ったりもするのです。
線の描きなぐり風なのは、「めん、めめん。」(麺類のこと)と言ったりしますので、おそらく彼の中で描き分けがされているのでしょう。
(そして、食べる真似をする。そしてそして父にも母にも食べる真似をしろと催促をするんだなぁ。)
これは実に大きな成長であります。
母、嬉しいなぁ。
もちろん、デイサービスのスタッフさんもすぐに気がつきまして、報告してくれました。
健常児の2歳程度の発達ということになるみたいです。
こんなふうにぐんぐん成長している息子くんですが、昨日は実に楽しいことがありました。
昨日の夜、いつもお世話になっているクリニックの先生とマッサージの先生がウチに来てくれました。
夕食後、大人4人で会話をしていると、息子が先生の周りをぐるぐるしながら、先生の髪をつんつんとひっぱったり触ったりし始めました。
先生はウチのオカンと同じくらいの年齢だと思うのですが、髪は赤オレンジ色に染めています。
ヘナで染めているので、そーゆーちょっと派手な色なのですが、私達はとっくに見慣れてしまってますし、息子だって1年以上前から先生とは時々会っているので、こーゆーもんだと分かっていると、母は思うんですが、息子はなにやらしげしげと見て触っている様子。
しかし、そのうち飽きたのか、先生から離れて、またクレヨンで何かを描き始めてました。
そして、お父ちゃんが発見しました。
Akainu
チビタにもらった犬の頭が赤くなってるではありませんか!
息子くん、今までクレヨンで紙以外のところに落書きをしたことはありません。
(紙からはみ出して机に描いちゃった、というのはアリアリだけど。)
なので、これは確実に明確な意図があっての行動だったと思われます。
先生の髪の色が赤いってーのが、みんなと違うって気がついたんだねぇ。
それがなんだか不思議だったんだねぇ。
そして、近くにあった犬ちゃんの頭を赤くしてみたんだねぇ。
息子の成長っぷりに笑いが止まらない母でありました。
****
【私信です】
チビタくん。
君が手伝ってくれた『栗の渋皮煮』だが、とっても上手にできあがったよ。
どうもありがとう。
先生も褒めてくれたよ~。

何を、どう食べてきた?

木曜日は名古屋のNさん夫妻が遊びに来てくれまして、昨日今日とチビタが泊まりで遊びに……いやいや、お手伝いに来てくれてます。
Nさんは、会うたびごとに健康的な感じになっていってる様子なのですが、チビタは久々に会ったら太ってました……。
アカンがね。
ハツラツとしたおデブを目指すってんなら認めるけれど、なんだかボンヤリとしか感じの太り方なのでいけません。
人間って、見た目に『今の自分』がアリアリと出るもんだなぁ~、と教えられました。
ハツラツとしたおデブではなく、ボンヤリと太ってしまったチビタくんは、やはり精神的にボンヤリしてしまっているのです。
仕事は責任感からか一生懸命やってるみたいなんですが、ただそれだけ。
どうやら『気』がダダ漏れにでもなっているかのように、仕事以外の部分では頭をかじられたアンパンマンみたく「力が出ないよぉー……。」ってな感じになるみたいなのです。
だから、ボンヤリとした太り方になるんですよね。
でも、私にも分かるんです。
私もボンヤリした時期が長かったと、今から振り返ると、そう思うからです。
私の場合は太るというより、体調不良という形になってましたが、ボヤ~っとというかモヤ~っというか、そんな靄がかかったような状態が名古屋で仕事している間中、続いてましたもん。
ようやく、ですよ。
本当にここ最近になって、目が醒めてきたって感じなんですもん。
金曜日に検診で吉村医院に行ってきたのですが、体重オーバーでカミナリが落ちるんだろうなぁ……と覚悟してたんですが、ちょっと叱られただけで済んでしまいました。
なぜかというと、妊婦さん用ノートのコメント欄にちょっと書いたことに対して、先生が「あんたはだんだん分かってきたなぁ。」と褒めてくれまして、カミナリを落とすのをやめてくれたのです。
何を書いたかって言うと、今の自分のことを簡潔に書いただけなんです。
お腹の子を妊娠して、縁あって吉村先生のところに来て、先生に「動け働け。」と言われたので、それまではやらなかったお百姓仕事のお手伝いをするようになったら、いろんなことが変わってきた、って。
子どもの頃から食べることが好きではなく、料理も仕方がなくやってて面倒だとしか思えなかったのが、食事が美味しくてありがたいと心から思えるようになってきたし、料理をしていてもほんのりとした喜びを感じるようになった、って。
ぶっちゃけるとですな、体重オーバーの言い訳で書いたことなんですが、「いろんなことをしていても、楽しい…んじゃなくて、なんだか喜びをほんのり感じることが多くなったんですよ。」と私が言ったら、先生が笑って褒めてくれたんです。(もちろん、体重オーバーはアカンので、もっと動くようにとシッカリ釘は刺されましたがね。)
でも確かにね、上の子は、生まれててから『ダウン症』というインパクトでもって私にいろんなことを教えてくれているけれど、お腹の子は、お腹にいるうちから私にいろんな変容を与えてくれているんだと、本当にしみじみ感じるのです。
本来、妊娠とはそういうものらしいです。吉村先生からすると。
そりゃそうですよね。自分とは違う生命がお腹の中でどんどん育っていく過程にあるんですもん。
普段よりずっとずっと宇宙とのつながり、地球とのつながりが強くなっているんですから、それまでに母親側の『垢』が取れていれば取れているだけ、ダイナミックな変容を経験させてもらえるよな~、と、先生のお話を聞きながらあらためて感じたわけです。
残念ながら、アキオの時はまだまだお母ちゃん『垢』まみれでボンヤリと靄がかかっていたから、よく分からなかったんだよ……。ごめんね。息子。
精神は身体に映されるし、身体は精神に影響します。
『気』がダダ漏れでボンヤリ靄がかかっているチビタは、だからボンヤリとした身体になってしまったんだと思います。そしてボンヤリした身体はボンヤリした精神に拍車をかけます。
なので、とりあえず食生活をできる範囲で改善しろ、と口やかましくいろいろ言っておきました。
精神から変えていくのは難しいので、身体から変えていこう、というわけです。
でもね、本当にそうなんですよ。
私は1年かかったけど、食べ物が変わると人間は本当に本当に変わるんですよ。
そういう下地があったからこそ、妊娠後の精神的変容がおとずれたわけで、名古屋でそれまで通りの食べ物をそれまで通りの食べ方で食べていたら、今の自分には辿り着けなかっただろうな、って分かりますもん。
Nさんにしても、食生活を変えたという下地があったからこそ、ちょっとしたキッカケがいろんな変化につながったんだと思うんです。
何を、どう食べるか。
そんな基本的なことを、私は何十年もないがしろにし過ぎていたなぁ、と反省しきりであります。
だって、何を、どう食べるか、は、私はどう生きるか、に直結しているんですもんね。
だって、この三次元の物質世界で人間として生きるためには、この肉体という入れ物(道具)が必需品なわけで、道具の手入れを怠っていてですよ、いいプレーができるわけないですもん。
イチローだって道具の手入れは大切だって言ってるじゃありませんか。ねぇ?
んでもですね、私がここまで来たのも、ただ流れに乗っかってきただけなんですよねぇ~~。
五井先生のお祈りにご縁をいただいて、アキオが生まれて、お父ちゃんがお百姓になって、自然農のお米やお野菜を毎日食べて、お腹のおチビがやってきて……。
んーー。
私自身が「えいやっ。」と動いたのは、五井先生につながる道に飛び込んだ『最初の一歩』だけで、ほんとに後はただ流れに乗っかっけるだけですなぁ~。
みなさんも、入り口は様々だと思いますが、『最初の一歩』をえいやっと踏み出す勇気さえちょぴっとあれば、あとは守護霊さまが上手に流れに乗せてくださいますよ。
後はどんぶらこ~~、ですわ。

通販はしない

通販はしない。
そう決めて始めたんだ。
忘れてたこと今日思い出せたよ。
ありがとう。
戒めのメール記しておきます。

かぎしっぽ仲間の伊藤あつきです。
お世話になります。
返信メールありがとうざいます。
メールを読んでじっくり考えたのですが、今のかぎしっぽ農園では●●さんの期待に応えられないと思います。
まず小麦粉の件ですが今年はもう無理です。ごめんなさい。
××の所で私の方からお話をさせて頂いておきながら、本当に申し訳ないです。今年は自給分についても足りないのです。勘弁してください。
次に近辺で育った野菜+果物についての同梱は行いません。
近辺から調達して手数料を上乗せして同梱販売することは、かぎしっぽ農園が今やるべきことでは無いと考えます。
また、そういったことを行う仲間もまだこの地にはおりません。
このままでは双方にとって不幸なため、今後の代引き販売はストップさせて頂きたいです。
自分は本当の世界がある小さな農園を目指してかぎしっぽ農園を始めました。
その時考えていたことが3つあります。
・基本は自給(その先に仲間の食料生産と販売がある)
・宣伝はしない(必要な人とは必要な時に必ず縁がもらえる)
・通販もしない(自分たちで持って行けたり取りに来れる範囲で消費する)
実は今回、上記の考えを破って代引き販売を試みたのです。
●●さんと直接お話をして断りきれなくなってしまったところもあります。
自分の性格の悪いところです。申し訳ありませんでした。
やると一度約束したからには続けようと思ってましたが、やはり心に何かひっかかっていました。
また、たった1回だけでしたが、通販というものを実際にやらせて頂いて、その無駄や問題点も実際に体験させて頂きました。
●●さん、良い経験を本当にありがとうございます。
実は、先週に一家族、また今日も別の家族の方が野菜を分けて欲しいと言って直接我が家に来てくれました。
今日の方はこれまで縁あって2,3度農園に見学に来てくれた方だったのですが、
『普通の無農薬の野菜ではなく、かぎしっぽ農園の野菜が食べたい。』とまで言ってくれました。
涙が出そうでした。
ですが今の私の農園ではまだそういって頂いた方たちに充分に野菜をお分けすることが出来るだけの収穫を得られていません。そんな自分が不甲斐なくなりました。
そして、自分が最初に考えていた3つの項目の意味を思い出しました。
もっとしっかり本当の農をしなくてはと思い直しました。
自分の考えを言葉にするのは難しいです。
このメールの言葉の先にある私の真意が正しく伝わりますように。
ありがとうございます。

子どもは親をよく見てる。

子どもは親をよーく見てるもんですな。
ちょっと前のことです。
息子が台所の棚に置いてある小さいホウロウのミルクパンを、さも大事そうに抱えて持ってきました。
そして、そのミルクパンを、小さめだけど軽くて重宝している踏み台の上に乗せて、何やらごにょごにょ言いながらミルクパンを動かしているのです。
あ、これはもしや……。
と、思った母は、木製のヘラを渡してあげました。
すると息子はそのヘラでミルクパンの中(に何かがあるかのように)をがちゃがちゃとかき回し、そして、ヘラをパクリを口にして、「んまい。」と言いました。
そしてそして、手を合わせて『ごちそうさま』をすると、床に転がって「ぐーぐー。」と寝たふりをしました。
この一連の動作を、何度も繰り返したのです。
まんまを作って、まんまを食べて、寝る。
その繰り返しです。
そのうち、母にも「まんま。」と言いながらヘラを渡してくれるようになったので、一緒に「うまいねー。」と言いながら笑って遊んであげました。
ごっこ遊びをする息子を初めて目撃した瞬間でした。
母、ちょっと感動。
そして、昨日の夜。
もらいもののお菓子の缶の蓋を使って、突然息子が「まんま。」と言いながら『ごっこ遊び』を始めました。
缶の蓋の上で何やら手をせわしなく動かして、どうやらまんまを作ってるつもりの様子。
そして、続いて蓋はお皿に早変わりし、そのお皿を「えいしえいし。」と私や旦那さんのところまで運んできては、一緒にまんまを食べろ、と催促をしました。
「まんま、うまいねー。」と一緒に笑った後、今度は蓋を縦にしながら、片手を上下に動かしました。
どうやら、お皿を洗ってるつもりのようです。
この一連の動作も数回リピートしてました。
お母ちゃんがまんまを作るところ、お皿を洗ってるところ、そんな日常の動作を見ていないようで見てるんだなぁ、と感心してしまいました。
そいえば、私が洗濯物を干している時、横で洗濯物をパンパンとやってる(つもりでも、ちゃんとはできなないけどね。)しなぁ。
洗濯物を伸ばしてから干す、というのも見てるんですよね。
自分自身を振り返ってみても、そういえば知らず知らずのうちにオカン……というか、死んだおばあちゃんの家事仕事の仕方の真似になってるんですよね。
死んだユリエさんは、それは几帳面な人だったので、家事仕事もそれはそれはキチンとしてました。
なので、私の中にもそれらがインプットされてはいるのですが、ユリエさんとは違って根が怠け者の私はなかなかあそこまで日々キチンとできないため、常に『私はダメ主婦だな~。』という感覚があります。
罪悪感とまでは言わないけど、高い理想像ができあがっているので仕方がありません。
それよりも、キチンとする日々見せてもらったことを、今頃になってとても感謝しております。
ユリエさんが生きている時はそーゆーことに感謝する心が持てなかったのよね……。ごめんね。おばあちゃん。
無理は続かないので、できる範囲での話になっちゃうけれど、それでもやっぱりできるだけ丁寧に暮らしていくことって大切なんだろうなぁ、と、ごっこ遊びをしている息子を見ながら、あたらめて思いました。
たとえば、食育って言葉を最近よく耳にするけど、母親に時間的にも精神的(健康面も含む)にも余裕がなかったら難しいことだろうなぁ、と、子どもを持ってみてよく分かるようになりました。
かと言って、子どもの教育のためってだけで無理しても母親にとってはストレスが溜まるだけだし。
手をかけること。
丁寧に暮らすこと。
これらを母親が『楽しめる』ようでなくちゃ、食育もうまくいかないんじゃないかなぁ~、と、息子の姿を見ながら思った次第であります。
美輪さまじゃないけど、『女の仕事って楽しいものなのよ。』です。
『女』として成長してないと、その喜びが分からんのですね。(人格的な成熟という話とはまた別ね。)
そんな私も、37歳にして、ほんとうに最近になってようやく少しずつ楽しめるようになってきたんですよね。
やっと女になってきたのかな?
今までは義務感の方が圧倒的に強くて、楽しいなんて思ったことはあまりありませんでした。
でも、チビすけを妊娠してから、どんどん変わっていってんですよ~。
この子は、アキオとは違った方向で私に変化をもらたしてくれる子なんだなぁ、と、感謝感謝であります。
…とは言うものの、面倒がりであることには変わりはないんだけどね。てへ。

確かに日本は美しくないよな。

ちょいとネットサーフィンをしていたら、数カ所のブログで『週間オルタ』というMLの記事について紹介されてました。
えっと、超有名な『きっこのブログ』のこの日の記事に転記されてます。
ま、読んでみてくださいまし。
(威勢のいいきっこさんの意見は好き嫌いがあると思うので、それはちょっと横に置いておいて、ここで紹介されているMLの記事を読んでみてね、ってことでリンクしました。)
えー。
私にはどこまで事実なのかは分かりませんが、本当に本当にこれが事実なら、気持ち悪いですね。
安倍さんがどうのこうのというだけでなく、こーゆー会が開催されていること自体が気持ち悪いですよ。
んでも、やっぱり次期首相がこーゆー会に出席してたとしたら、ほんとにイヤだわ。イヤイヤ。
戦争は、政治家が始めちゃうもんですが、巻き込まれるのは普通の人々ですからね。
ほんとに勘弁してもらいたいもんです。
「戦争は、外交の延長にあるもの。最終手段だ。」なんてことを現職の国会議員が発言してるのを聞いて、世界中の政治家の多くもこんなふうに考えてるんだろうなぁ~~、って思いましてね、そりゃ戦争がなくならんわけだ、と、トホホな気分になったことがありました。
ま、そんな議員さんたちを選んでるのは市民である私達なんですけどね。
民主主義って『全国民が賢い』ことが前提でないと機能しないと思うんですよ。
てことは、今のままでは地球上から戦争をなくすことは非常に困難だ、ってことだよなぁ~、と、これまたさらにトホホな気分になってしまいます。
……どうしたもんやろうねぇ?
とやかく言っても、次期首相は安倍さんらしいので、ここはひとつ、本当に日本を『美しい国』にしてもらいましょう。
とりあえず、道路のゴミがなくなるように知恵を絞ってください。ほんとマジでお願い。汚いもん。美しくないもん。
あと、東南アジアとかに少女を買いに行ってる日本人男性たちもなんとかして。
最近テレビ番組でチラっと見たけど、ほんと同じ日本国民としてえらいこと恥ずかしいよ。醜いよ。あれは。
それからねぇ……(美しくないことがたくさんありすぎるので省略。)
んー。本気で日本を『美しい国』にしようと思ったら、やることいっぱいで戦争なんかしとる暇ないよね。
ぜひとも頑張ってください。
日本中、ポイ捨てのゴミが1つも見かけなくなってから、改憲の話をしようではありませんか。

息子は実によくしゃべる。

いっこ前の日記で、我々親子のこんな会話を載せました。
「ちー、した?」
「した。」(笑顔で。)
「トイレでちーしてみる?トイレ、行く?」
「いかない。」(ムッとした表情で。)
「オムツ、オシッコでパンパンやねぇ。」
「ぱんぱん、ねー。」(お股を叩きながら笑顔で。)
「オムツ、替えようか?」
「かえないっ。」(ムッとした表情で。)
まだ最近まで、なんでも「ない。」しか言えなかった息子くんですが、先月の中頃くらいから「行く?」と聞くと「いく、ない。」と答えるようになり、それから間もなく「いかない。」と答えるようになりました。
五段活用の未然形に『ない』をつけている……!
一番最初に「いかない。」と息子が言った時、母は結構感動しました。
息子の言語野もどんどん育ってるんですねぇ。この子のペースなりに。
やはりデイサービスに通うようになって、いろいろ刺激を受けているんだろうなぁ~、と思ってます。
今月の中旬に実家に帰った時、弟1号も「急にいっぱい言葉が出るようになったねぇ。」とビックリしてましたもん。
まぁ、意味不明の言葉が圧倒的ではありますが、こうやって言葉を獲得してくのかー、と勉強になった母であります。

今年の夏の課題だったけど、来年の夏の宿題ってことで。

昔は紙オムツなんて無かったんで、早くオムツをはずしてしまえ~、というのが当たり前だったのかもしれません。
お義母さんは「この子(旦那さん)はちょうど1歳になった頃にはずれたよ。」と言ってましたし、私自身は冬生まれだったので1歳半の夏の頃にはずれたらしいです。
昔のお母さんたちは根気良かったんだろうなぁ~。偉いなぁ~。
ひるがえって、現代の私。
紙オムツが便利過ぎるせいか、息子のトイレトレーニングは頓挫したままです。
高這いを全くしなくなった春先から、「3歳になる夏の間中にオムツがはずれるように頑張ろう!」なーんてちょっとは思っていたのですが、自分の悪阻のせいでドロップアウト。
とりあえず、こっちが気がついた時はトイレでウンチをさせてますが、自ら申告するなんてことはまだ数回あっただけです。
「ちー、した?」
「した。」(笑顔で。)
「トイレでちーしてみる?トイレ、行く?」
「いかない。」(ムッとした表情で。)
「オムツ、オシッコでパンパンやねぇ。」
「ぱんぱん、ねー。」(お股を叩きながら笑顔で。)
「オムツ、替えようか?」
「かえないっ。」(ムッとした表情で。)
仕方ねーなー、とここで諦める母はダメ母なんでしょうか?
でも、いかないって言うし……。
それで、ですね。
布のパンツに生理ナプキンのようにあてがって使う『濡れた感じが分かる』オシッコ用パッドも購入し、時々使ってみるのですが、最初だけ「なんか変な感じー。」とお股をぎゅっと握ったりしてた息子ですが、そんなもんなんともないわい、といった様子。
今日は朝からパッドの方を使い、ウンチ(と同時にオシッコ)をさせてからお散歩に行きました。
ウンチをしながらオシッコも絞り出していたから、2時間くらいはパッドでも大丈夫かな?と思ってたんですが、甘かったです。
確かに1時間くらいは大丈夫だったのですが、お父ちゃんの畑でお父ちゃんの軽トラの運転席でずーっと遊んでいた息子のお股がどんどん濡れ出してきたのです。シートもべたべた……。ごめん、お父ちゃん。
休み休みではありましたが、1時間近く歩いた息子は喉が乾いたのでしょう。畑に到着してから確かにたくさんお茶を飲みました。
けどなーー、絞り出した後なのに2時間持たずに漏れ漏れか~、とお母ちゃん、ちょっとガッカリです……。
以前から布パンツだけで様子を見てみると、ちびちびとオシッコしてるなぁ、とは思ってたんですがね……。
んーー。
帰宅後、お父ちゃんが言いました。
「アキオってさ、神経系統の発達がやっぱり遅いっていうか、鈍いよね。」
あ、やっぱり?お父ちゃんも気がついてた?
もちろん、痛みも感じるし、冷たいのも暑いのも分かってます。こちょこちょすると身体をよじって大笑いするし。
でも、この子、蚊に刺されてもかゆがらないんです。オムツかぶれの湿疹もかゆがったり痛がったりしません。
微妙に皮膚感覚が鈍いなぁ~、と思ってました。
だから、オシッコをしたことが分かるパッドを使っても、濡れていることは分かっても、それを不快とは感じてなさそうなのです。
そーゆー神経系統の発達の遅さ・鈍さの原因(ってたって1本多い染色体のことだがな。)が、膀胱の神経系統の発達の遅さともリンクしてるんじゃないかな~?となーんとなくですがニラんでおるのです。専門家じゃないから想像でしかないですが。
息子くん、夜中にオシッコを全然しない時もあるんです。
ウンチの時にいっぱいオシッコをすることもよくあります。
だから、おそらく機能的に膀胱にオシッコを溜めることはできるようになってるハズなんですが、上手にコントロールできるまで神経は発達してないんでしょうな。
うすうすは気づいていましたが、あー、やっぱりなー、といった感じの今日の出来事でありました。
てなわけで。
ダウン症の子でも健常児と同じくらにオムツがはずれる子もいるらしいですが、ウチは無理そうです。
今年の夏中には……というのは、とっくに諦めてましたし、基本的には「いつかとれるもんだしー。」といった(ダメ母かもしれんが)のんびりスタンスなんですが、早くとれてくれりゃそれにこしたことないものですからね。
冬より夏の方が親は断然楽チンだし。
なので、ちょっと残念ではありますが、アキオの成長に付き合っていくしかないですもんね。
おお。
そう思うと、デイサービスで真っ裸でプールで遊んだり、泥んこになったり、家の中を走り回ったりさせてもらってるのは、皮膚感覚をたくさん刺激してることになるから、本当にありがたいことなんだなぁ、とあらためて気がつきました。
いろんな理由から、なかなか家ではあそこまで自由にさせてあげられんもんで…。

潜在意識に書かれた厄介なプログラム

昨日の夜は息子が早く寝てくれたので、のんびりとブログの記事を書いておったのですが、いざ保存…となったらココログがビジーだったのか何かで、うまいこといかず、結果的に記事は飛んでしまいました。
あらら。結構時間かかった記事なのに。
んでも、こーゆー時は載せなくていい、ということなんだろうとスッパリ諦めました。
さてさて。
今朝のことです。
早く寝た息子は当然のようにいつもより早起きしました。
30分くらいは1人で遊んでいたようですが、だんだん腹が立ってきたようで、玄関で寝ころがりながら怒ってました。
そんな息子の手をひいて、居間(寝室)に連れてきたところ、「もう起きようよ。」と起こしてもまだ寝ている旦那さんの姿に、「しょうがないなー。」って感じの気持ちになりまして、丁度息子もお父ちゃんに突進していたので、そのまま突進させてみました。
無防備に寝ているお父ちゃんの上にどかーんと息子が乗り上げたわけです。
ビックリなのと痛いのとで、お父ちゃんは大声を出しました。
結構、この人ね、こーゆー時に(若干オーバー気味に思えるほど)大声を出すんで、息子も私もちょっとビックリしちゃうんです。分かってても。
なんてかね、ちょっと前に下痢気味でもよおした途端にオムツの中でウンチをしてしまうことが続いた息子に対しても、「ちょっとー!なんで言わないのー!」と、見つけた途端に大声で言うもんだから、少々息子が萎縮してしまってたこともあったくらいでして。
本人(お父ちゃん)はそんなつもりはなくて、おそらく自分の中ではナチュラルな反応なんだろうと思うんですが、普段がどっちかって言うと聞き取りにくいくらいの話し方をする人なので、咄嗟の時の大声とかって言うと、なんだかこっちがビックリしてしまうくらいに感じてしまうのです。
それにね、私は旦那さんと19歳の時からの付き合いなんですが、学生のうちは付き合っていても相手のことなんてよく分からんもんでして、時々のことではあるんですが、ちょっとしたことでも威嚇されてるような物言いに、すごーく顔色をうかがうようになってしまったんです。私が。
今では信じられんような話ですが、ほんとにそうでして、付き合っていても実はとっても息苦しかったのを覚えてます。(息苦しかったんだ、というのは、旦那さんが1年先に卒業して身近にいなくなってから気がついた。寂しいくせにいなくなってスッキリした気分になった自分に驚いたのであります。)
それが、なんやかんやとずーっと一緒にいるうちにだんだんいろんなことが分かってきまして、旦那さんは別に威嚇してるわけでもなんでもないことや、たまにちょっとしたことを怒ったような言い方をしてしまうのは、お義父さんに似ちゃったんだな、というのもこちらに引っ越してきて、頻繁にお義父さんに会うようになってかよーく分かるようになりましたし。
仲良し夫婦のお義母さんお義父さんですが、一度だけ、お義母さんがお義父さんのそーゆーところに対して「やんなっちゃう。」と漏らしたのを聞いたことがあります。
ああ、やっぱりお義母さんもイヤなんだけど、仕方がないって諦めてるんだなぁ……、と新しい発見に不思議な気分になったりもしました。
私だって物言いが悪いことが多々あるだろうし、旦那さんも私に対していろいろいろいろ我慢してるんだろうから、と思って普段はあまり指摘しないんですが、時々やっぱりカチンときてしまいます。
(若い頃はそーゆー物言いをされると萎縮してたのが、数年後からはカチンと腹を立てるようになった、というわけです。こうやって女は図々しくなっていくのですな。)
おそらく、旦那さんもお義父さんのそういう物言いは好きじゃないと思うんですが、知らず知らずのうちに取り込んでいるんでしょう。
私がオカンのイヤなところばっかりソックリなのと一緒です。
人間って、どうしてこーゆー取り込み方をしてしまうんでしょうね?
あ、それで、です。
お父ちゃんに息子がダイビングした話の続きです。
お父ちゃんは私が意図的に息子にそうさせた、と思ったようです。
半分はそうなんですが、半分は息子の好きにさせただけなんですがね。
それに、お父ちゃんの大声にちょっとビックリしてたら、怒った旦那さんに先に言われてましいました。
「あんたって、本当に謝らんね。」
ええ、私は旦那さんに謝るのが苦手です。
本当に悪いことやどうでもいいことは謝りますが、その中間のことって謝るのが苦手なのです。
なのに先にそんなこと言われたら余計に謝れんがね。
私が悪いんですけど、なんだかだんだん腹が立ってきましてねぇ。
あんただって物言いがよろしくないこと、多いやん。
自分が不安や心配なことがあると、私に怒ったように言うやん。
自分の不安やイライラを私にぶつけること、結構増えたぞ。あまり言わんようにしとるけど。
なんて、普段はスルーしていることが沸き上がってきてしまい、どんどん腹が立ってきてしまいました。
いけませんね。
自分の悪い部分を指摘されて、素直に聞き入れないばかりか、相手の悪い部分に対する愚痴を心の中で繰り返してるんですから。
もーー、私の周りからイヤ~~な波動がどよーーんと出まくっているな、と自分でも分かってたんですが、こうなるとなかなか止まらんのです。
お祈りをしても続かないし。
あー、そんな自分がやんなちゃう~~、と思ってる反面、怒りがなかなか収まらんのです。
そうしいるうちに、だんだん怒りが自分の中の何かに向かっていこうとするし。
なんだろ?
自分の中の何に向かってんだろ??
で、家事をしながら怒りながら、ふと思い出したのです。
私がなぜ、(家族に対して)謝るのが苦手になったのか、を。
まだ小学校に上るか上らないか、だったと思います。
何かしでかして、オカンが激怒して、私を家から追い出したんです。
私は追い出されるのがイヤで、泣きながら「ごめんなさい。ごめんなさい。」って言ったのに、オカンの怒りは収まらずに追い出されてしまったのです。
一通りわんわん泣いた後、私はすごく怒りを感じました。
私が悪かったのには違いないないけど、私は謝ったやん。
なのに、追い出すなんてヒドい。謝ったってどうせ追い出されるなら、謝っても意味ないやん…ってね。
だから私はひどくスネてしまって、祖母や隣のおばさんがなだめにきてくれても、なかなか家の中に入ろうとはしませんでした。
同じ反応を、下の弟がしたことがありました。
気持ちが分かるから、私がなだめに行きましたが、弟は絶対に家に入ろうとはしませんでした。
その気持ちもよく分かりました。
同じようにされた時、弟1号は追い出されてもぐるりと回って玄関など、違う入り口から入り込んでケロっとしていたので、同じ兄弟でも事柄の受け止め方は全然違うんですね。
今なら、オカンだって未熟な人間だから、子どもに対する躾けと怒りを混同してしまって、泣いて謝ってる子どもに対して『諭す』なんてことができなかったんだろうな、とよーーーく分かるんですが、小さい子どもには分からんわけですよ。
だから、私はオカンの『怒り』に対して自分の中に『怒り』を蓄積させていくしかなかったんでしょう。
こんな昔々の出来事を、突然思い出したのです。
そして、「あー、だから、私はオカンのイヤなところばっかり似ちゃったんだなぁ~……。」と、分かりました。
旦那さんがお義父さんのマイナス面と(無自覚のまま)似てしまったのも、子どもの頃に同じようなメカニズムが働いたんだろうなぁ、と思いました。
みんな、そうやって『厄介な偏り』を潜在意識に植えつけられていくんですね。
斎藤一人さんの言葉を借りれば『劣等感』ってことになりますね。
これは、決して『個性』ではなくて、本当に厄介な偏り、しこりになって、何かの事象に対して自動的に(だいたいは良からぬ方向に)反応してしまう元凶になってしまうわけです。
潜在意識の力はとてつもなく大きいので、いくら顕在意識で「こうなりたい。」と思っても、潜在意識のプログラムを書き換えない限り、思ったような人生には決してならないわけです。
健康になりたくても、健康になっちゃダメだと反対方向に無自覚のままひっぱられたり。
お金持になりたくても、自分はそんな能力が無いと潜在意識の中から強く信じきっていたり。
幸せになりたくても、幸せになる価値が自分にはないと知らず知らずのうちにプログラムされていたり。
このようにプログラムは自動的に運用されてしまうのです。(でもね、それを書き換える方法はいろいろあります。その気になれば大丈夫。ただ、そういう仕組みに気がついて、その気になるかどうかが難しいところ。ほんとに難しいですよねぇ……。とほほ。)
てなわけで。
最後にお薦めの本の紹介。
斎藤一人さんの『地球が天国になる話』です。
すぐ読めますし、なんてったってCDがついてますから、通勤時間などを利用して何度も何度も聞くと良い思います。
何度も何度も聞いていると、それこそ潜在意識の偏ったプログラムの書き換えができちゃうんですねぇ。これが。

なかなか昼寝をしてくれない息子。

昨日も今日も、息子が昼寝をしてくれない……。
ブログの更新もできんではないか。
今は、そばで踊りながら「いないいないばぁ」を見てるけれど、すぐにパソコンを触りたがるので困っちゃう。
最近、お昼寝が遅くなる傾向が続いておりまして、午前中にデイサービスで散々遊んでくるのにもかかわらずなかなか寝ない。
そうは言っても、一度寝てしまうとこれが長かったりするもんで、変な時間に寝られるとこれまた困っちゃう。
こうやって昼寝ナシになっていくんですかねぇ。
成長ってもんかな。
けれども、母は午前中に畑仕事を手伝ったり家事をしたりで結構疲れててね、午後はまったりとしたいわけですよ。(もともと働き者タイプではないので、午前中に頑張ると午後は持たないのよ。とほほ。)
ブログ更新だけじゃなく、本も読みたいし、居眠りもしたい。
なんてったって妊婦は眠いもんだし。
ただゴロゴロしてるだけってのもなんだからと、横になりながらのねじり運動(ヨガで教えてもらったやつ)を100回もすると、これはこれで眠くなるんだなぁ。
ここを我慢してスクワットを20回ほどして、ストレッチをすると、もうかなり眠い眠い。
ここをさらに我慢して寝ゆる体操をすると、もうウトウト。
足の裏を軽くもみもみなんざしてごらんなさいな。自分でやっててウットリですわ。
なーのーにーーー、息子は元気なのーーー。
目が離せないのーーー。
(と、言いつつウトウト寝てしまうことも多々アリ。)
てなわけで、ブログの更新が滞っておりますが、なんとかウンチさまも出てくれております。
実は、月曜日の夜からお腹がきゅーっと断続的に痛くなりまして、「こりゃ、漢方薬が効き過ぎになってきたな。明日、先生んとこに行こう。」と密かに思っておったらですね、なんとクリニックの先生の方から電話がかかってきたんですよ。
「なんだか気になってね。」って。
ああ、またチビすけ(胎児)が呼んだな、と思いました。
なんかね、この子、先生を呼んでくれちゃうんです。
それに応えてくれる先生ももちろんスゴいというか、ええ、ありがたいです。ほんと。
「そのうち電話も要らんくなるな。」とお父ちゃんは笑ってました。
やっぱり麻子仁丸と黄連解毒湯はそこで止めになりまして、翌日クリニックに行って診てもらいました。
5日の大便秘に対する処置はそこまでで、今は以前にも処方された当帰芍薬散を飲んでます。
これはずーっと飲めるやつだそうです。昔々毎日飲んでた十全大補湯と同じように長いこと飲めるやつですな。
ちなみに、十全大補湯ですが、これも不味くてねぇ……。
良いお薬で、私にはよく合ってたんですが、不味いって感覚はとうとう払拭できませんでした。残念。(←なんか十全大補湯に負けたような気分。)
当帰芍薬散は軽いもんです。うははは。
今、パソコンを触ろうとしてきたので、「ダメ。」と牽制したら、ウソ大泣きして倒れ込んどります。息子くん。
「ダメ。」「やめて。」「あかんてー。」と言われても言われても、やりたいことを貫徹しようとするその根性はスゴいもんだ、と感心してしまいます。母は。