これで3枚目かな?
今年の冬至の扉の絵です。
今年は何もイベントをしませんが、やっぱり冬至の扉の絵は描かないとどうにも落ち着かないので描きました。
ちなみに。
これが去年の。
これが一昨年の。
メタトロン & サンダルフォン & ジョフィエル
大天使チャミュエル × 2
お客様が天使の絵を注文してくださる時に、「私はこれこれこういう者です。」なんてお話はもちろん聞いておりません。
せいぜい、「●●さんのブログを見て知りました。」とか、その程度です。
しかし、不思議なもので、ひいたカードがお客様の現状にどんぴしゃ!ということがよくあります。
お客様からの感想メールを読んで、こちらがビックリしてしまいます。
これら大天使チャミュエルのそれぞれの絵も、そんな絵でした。
その方のところに行くべくして行った絵なのだな、と、描いた本人なのにまるで他人事のように「へぇぇ~。」と感心してしまいました。
大天使チャミュエル Career Transition
大天使チャミュエル Beloved One
いっぱい食べるきみが好き~♪
ファンケルのあのCMを見ると、ついこっちも笑顔になってしまいます。
私は、物心ついた頃から、「食べること」が苦手でした。
かるく気持ち悪くなることも多かったし、
食べるとしんどくなることも多かったし、
食が細いから食べることに執着がなかったし…。
じぇいど♪さんに、
「もしかして、自家中毒だったんじゃない?」
って言われて、もしかしたらかるーい自家中毒だったかもしれないなー、と思ったりもしましたが、事実は定かではありません。
20歳直前から自律神経失調がヒドくなった(←当時は病名すら知らなかったし心療内科もなかった頃だったから検査しても異常ナシで自分はどうなっちゃってるのか不安で仕方がなかった)ので、もともと自律神経のバランスが乱れやすい体質で、子供の頃からその傾向が強かったのかもしれません。
なんにせよ、そんな子供ですからね。
食事の時間はけっこー苦痛で、もたもたもたもたとしてるので、
「マズそうに食べとったらアカン。」
ってよーく言われたんです。
そう言われると、子供ですからね。
自分は美味しそうに食べてない→ごはんって美味しくない
っていう認識にすり変わってしまい、
「美味しいって、よく分からない。」
と、なってしまいました。
弟1号が私と正反対で、それはおいしそうにいっぱい食べる子だったので、母親やばーちゃんにしたら、注意したくなるのも今なら分かるんですけどね。
そんな子だったので、中2で成長期が来るまでは、チビのガリガリで、小6で体重が25kgしかありませんでした。
小2の息子が現在22.5kgなんでねぇ。
どんだけガリガリのチビだったんだ、って苦笑してしまいます。
大学生になっても、まだ「美味しい」ってよく分かりませんでした。
でも、そのうちだんだん「美味しいものを食べると嬉しい」という感覚も育ってきてくれましたが、
やはり自分の「舌」は今でも自信がありません。
そんな私が旦那さんに食事を作るというのは、自信もないし好きじゃないし、避けられるものなら避けたい…って思ってましたが、
さすがに子供が生まれて、離乳食を作るようになってからは、少しは意識が前向きにならざるを得ませんでした。
とは言え、やはりそれは「責任感」からの行為であって、料理をすることが楽しいわけではありませんでした。
やっぱり自信が無いし。
そんな私のところに生まれてきてくれたダウン症の坊や。
ダウン症の子は食が細い子も多いというのに、赤ん坊の頃からおっぱいをたくさん飲む子で、
食べることも大好きで、いっぱい食べてくれます。
そして、ぴっかぴかの笑顔で言ってくれるんです。
「おかーしゃん、おいしーね!つくってくれてありがとね!」
って。
ほんとに毎日言ってくれます。
その笑顔と言葉があるから苦手でもまた頑張るかーって思えます。
そして、おいしそうに食べてあげられなかったことに対して、オカンに申し訳なかったなぁ~…と思うようにもなりました。
子供がおいしそうにいっぱい食べてる姿って、母親にとってはどれだけの喜びか、ということがやっと分かったからです。
それでも私は責任感からしか料理できないままではありましたが、おいしそうにいっぱい食べる人っていいなぁ~…って、心底思えるようになりました。
なので。
嵐のバラエティ番組を見てて、松潤たちが「うめぇ!」って美味しそうにぱくぱく食べてる姿を見るのがすごく好きで、私もついニコニコしちゃってたのですが、
関ジャニ∞のおーくらくんが大好きになったら、さらにそれが顕著になりました。
だって、あの子、食べることがなにより大好きで、美味しいものをそれはそれはめっちゃ美味しそうに食べるんですもん。
そーゆーシーンを見るたびに、
「いっぱいたべるきみが好き~♪」ってBGMが頭の中に流れます。
幸せな気分になるんです。
そしたらね。
最近、ほんの少しだけど、料理をすることを楽しむ……に近い感情を感じるようになってきました。
ほんとーーーにほんの少しだけど。
相変わらず自分の舌に自信は無いし、責任感がほとんどなんだけど、それでもちょっとだけ嬉しいような楽しいような、そんな気持ちになる時があることに気づきました。
嬉しかったです。
息子にはいつもめっちゃ感謝しているけれど、おーくらくんにも感謝……というか、おーくらくんを大好きになって良かった~!って思います。
私にとっては、それくらいの大きな変化なのです。
生きるってことは、食べることと直結しているのに、
その食べること・料理することに喜びをなかなか感じなかったということは、
人間として生きることにおいて、どこか欠陥があるよな……という感覚すら自分の中にずーーーっとあったのですが、
こうやって少しずつでも意識が変わっていけるというのは、自分が生きてるということを、もっと鮮やかにしてくれるような気がします。
人それぞれ、そういういろんな「欠けた」ところってあるとは思うけれど、
一生かかってでも、それらを埋めて行って、人生の色がどんどん鮮明になっていけたら、それだけでもスゴいことだよな、って思います。
何を伝えようかな。
関ジャニ∞横山くん作詞の、死んだおじーちゃんへの歌に、泣けてしまったです。
歌、うまくないんやけど。
「ぼくにも大切な仲間ができました。」
「こんなぼくにも応援してくれる人がいます。」
って、「ありがとう」だけやなくて、こういうこともおじーちゃんに伝えたいんやな、ってのに、泣けちゃって。
あたしの場合だと、おばーちゃんへ…ってことになるなぁ。
たった一人の孫娘が結婚するところは見せてあげられたけど、曾孫の顔は見せてあげられんかったからなぁ…。
「あたしにも、あたしを大好きやって言って笑ってくれるカワイイ子供たちができました。」
「あたしの話を親身になって聞いてくれる友達がいるよ。」
伝えたら、笑ってくれるかな。
真っ赤な秋
童謡「真っ赤な秋」です。
http://www.youtube.com/watch?v=DbSC-3dq4Q0&feature=related
息子か3歳の時の秋に保育園に入園したので、
初めて覚えたのが秋の歌。
この歌でした。
ダウン症の子は発話が遅く発音は不明瞭で、お歌だって音程が一本調子だけど、
でも、まっかだなー…に近い発音で歌うのを聞いて、
息子の成長にほっこりしたのを忘れられません。
で。
本日の小児科での診察時。
いつもは私が椅子に座り、その上に座って診てもらっていたのに、
自分から椅子に一人で座り、いやいやもせずにちゃんと診察してもらっていました。
「すごいね~。ひとりでちゃんとできたね~。おかーさん、びっくりしたよ~。すごいね~。」
って、診察室を出てたら息子を褒めてあげたら、
「えへへ。」って喜んでました。
お熱でほこほこ、まっかなお顔で、照れ笑いしてました。
久し振りにサビアン占星術の本をひっぱりだしてみた。
もう何年前になるか覚えてませんが、
「サビアン占星術」ってのをたまたま知って、
名古屋のデカい本屋でたまたまサビアン占星術の本を見つけたので買ったんですね。
もちろんちゃんと理解するにはあまりに説明が難しかったので、
ネットで自分の度数だけ出して、その度数のところを読んで「へーぇ。」って思うってだけでした。
ちなみに。
私は太陽が山羊座の30度。
『高度な決定をしなければならない人々の国際的問題に関する秘密の会合』
だそうで、
説明には
『このディグリーの人は、強い社会的なパワーを発揮するようである。重役や経営者になったり、実力のあるキャリアウーマンになったりする。
この人たちは能力を思い切り仕事で表現しようとして生まれてきいているが、自分が技術者になるより総合的マネージャー役を果たそうとしている。
生活は保守的傾向が強く、伝統的な価値観を安定して生きる人が多い。(以下略)』
などとあります。
ほんとはがつんがつん仕事せんとアカンらしい。私は。
実に男性性の強い太陽度数ですな。
(そいえば10室だぞ。あたしの太陽。)
かと思えば、
月は水瓶座の27度『新鮮なスミレで満たされた古代の陶器の器』で、
『このディグリーの人は、高度な感性、繊細さと美を求める指向性を持ってこの人生を生きようとするだろう。
それでないときは華やかなことを好む生活をする。名声だけを求める人もいるが、本質的にはこの人は輪廻の中で、非常に精妙なアストラル体を育てあげており、それが奥深い芸術や文化への理解、高貴さとなって現れてくる可能性がある。
性別の男女を問わず、この地球の最高度の女性原理に達しているともいわれ、神経質で傷つきやすい面はあるものの、通常ではキャッチし得ない波動をとらえることができる。(以下略)』
と、なんやらめっちゃ女性性が豊かっぽいらしいんですわ。
自分で自分の度数を「おもしれーなー。」と思ったもんです。
たくさんさまざまな人生を生きてきて、男性性も女性性もせっせと育ててきたのかもしれんですね。あたしの魂は。
で。
星読み見習いの友達とのメッセのやりとりにサビアン占星術の記述が出てきたので、
めっちゃ久し振りに本をひっぱりだしてみたんですね。
んで、以前は読みとばしてたところをチラリチラリと読んでいたら、
水星の説明の中に、
『そう考えれば、水星は人格の考えというより、今回のアストラル体が今回の人生をうしようと考えたことに思えてきます。もしそうなら、私たちはアストラル体に考えさせられていることになります。水星にはその最初の考えというところと、半分は無意識というところがあります。』
とあったんですね。
なんとも興味深い説明じゃないか~、と思いまして。
では私の水星はというと、水瓶座の17度『番犬が、彼の主人と財産を見張っている』でして、
『このディグリーの人生は、自由を制限されて辛い義務を果たさなければならない傾向があるだろう。
自分の理想を閉ざされ、人生の一時期は耐えなければならず、アストラル体のレベルから見ればそうすることで著しくエネルギー増量を果たそうとしている。
多くの時間が、仕事などの義務に当てられるとこが多い。自分の人生はこのまま終わるのかと不安に感じるかもしれないが、カルマ的な義務が一時期に集中すると一気に解放されてしまう人をよく見受ける。
そうすることこの人はこれまで夢見ていた価値観を追求するか、新しい価値観を見いだして再生する可能性がある。
その時は理想的なグループや人間関係を持つようになるが、それまではこの人は強く生きなければならない。
なぜならば、この義務の期間には敵意や反感を持つ人々に会ったり、取り込まれることが予想されるからだ。
傷つくこともあろう。これも感情とエゴの脱却のプロセスのことと知っておいて欲しい。その後の人生を輝かしいものにするためには、むしろエゴが傷だらけになったほうがよいとさえいえる。そしてある日エゴの被害者的て妄想がぽろっと抜け落ちて、反転したように安らぎや真実の自分の情熱を知るようになる。
徹底的な自己信頼が鍵になる人生であろう。』
とありまして…。
以前にも読んだハズなんだけど、その時は何を感じたのかすら覚えてませんが、
今あらためて読んで、まったくそのとーり!と、思いました。ええ。ほんと。
20歳になる直前からずーーーっと体調がめっちゃ不安定で、やりたいこともいっぱいあきらめて、
あきらめてばっかりいたら、自分のやりたいことが何なのか分からんくなってきて……ってのも、アストラル体がそうしようとしてたのね、って思えば、まーいいかー、って思っちゃいます。
そして自己信頼が鍵ってのも、よーーーーーく分かります。痛いほど。
でね。
もひとつ。
海王星。これもすっかり忘れてましたが。
『海王星は人生への指針であり人生のアストラルレベルの計画である。従って慎重に調査分析されねばならない。ときとしてアストラル体の弱点となることもあり逆に長所ともなる。意識化がどうしても必要な惑星である。霊的成長はこの星が司る。』
とあり、では私の海王星はというと、
蠍座29度『インディアンの女が自分の子供の命乞いをする』でして、
『このディグリーの人はこの人生で、深い悲しみを味わうことになるだろう。
それはエネルギーとして、この地球での最高度の悲しみであり、究極的な愛のエネルギーの純粋さである。この人生で、その純粋愛に達しようとしているのである。
純粋で高次の愛は、この次元ではこのような深い悲しみとなるのである。
それは文字通り、ハートを揺さぶるであろう。
ヨガでアナハタ・チャクラと呼ばれる通常は閉鎖されている宇宙愛のチャクラがノックされることになる。
この人は、エゴの愛を突き抜けてゆく。
エゴの次元に戻れば、再び耐えがたい悲しみとなるが、エネルギーを絶望の淵から立ち上がるように上昇させれば、至高の空間の愛、愛そのものである想像の源泉に触れることができる。
その意味でこのディグリーは最高のスピリチュアルディグリーで、多くの聖者たちが持つことも頷ける。
アストラル体は成長というより、飛翔するといってよい。
それゆえ、この人たちは悲しみから逃げてはいけない。あらゆる逃避は役に立たないのは明白なことだ。
宇宙はこの人に覚醒するように促しているからである。あらゆる情緒や感情のレベルを超克して、すべてを包み込む巨大な愛に回帰するように語りかけている。それは天へのステップだ。
自己愛が残っていれば、この悲しみをぬぐい去ることは難しいかもしれない。
それでも、この人生は至高の愛と共に歩む人生なのだ。』
と、こんな壮大なことが書かれてました。
覚醒がどーの宇宙の愛がどーの……は壮大すぎるんですけど、
でも、深い悲しみを味わうようにアストラル体が設定してたのかー、と思ったら、これまた、
「んじゃ、しゃなあいねー。ま、いいかー。」
って、思えました。
不自由さや深い悲しみが、今の私を形作り、熟成してくれているのね。
効率化をどんどん追求する働き方では、人間はすぐに疲弊してしまう気がする。
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「それまでの60年の人生より、あんたと出会ってからの毎日の方が人生の中でいちばん楽しかったって。」:喧嘩上等のカメラ店が「ど素人」に教わった商売の極意
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/29764
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効率化って、必要な場合ももちろんあるけど、
なんでもかんでも効率化効率化…ってなってくるとね、何か大切なものがね、するりと逃げていくような感じがしたんだよね。
会社ではうつになる人がすごく増えたよなぁ~。
(私はうつになりかけたりもしたけど、その前に体に出ちゃって1カ月ドクターストップがかかったりした。)
なんのために仕事してるのか、さっぱり分からなくなったりしてね。
お金を稼ぐために働くってのは、当たり前なんだけど、
強くない私はどんどんどんどん息苦しくなってったのも事実で。
働くって、「端が楽になる」だもんね。
会社の利益のためだけじゃなく、誰かのためにお仕事をしてるってのが無いと、虚しくなっちゃうのかもね。
人間って、そーゆーものなのかもしれんね。
そして私は、「非効率の極み」である子育てな毎日。
えへ。
女性が一番キレイな時期
関ジャニの横山くん(ヨコ)と村上くん(ヒナちゃん)が10年近くやってるラジオ「レコメン」での会話でこーゆーのがあったそうです。
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横:でも女性が一番きれいな時、35,6じゃないですか?
村:内面も込みでね?
横:そうそうそうそう!外見も!35,6ですよ。一番!で、そっからどう行くかですよ!でも何や言うても35,6一番キレイなと思うんすよね。女性として。ドキドキする!
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あたし、現在42歳。
とーの昔に過ぎてます。その一番キレイな時期を。
で、その時期はってーと、
34で息子を生んでますからね、がっつり子育て中でした。
(そして38で娘を出産した。)
そして、だ。
これは丁度じぇいど♪さんにちょっと前にメッセしたばっかりの話題なんだけど、
すべてのお母さんがそうだ、とは言わないけれど、
保育園で銀杏をむきむきしながら「どっちかってゆーと若くないママさん」たちと話してた時に、
もう「女」は冬眠に入っちゃって、そのままずーっと熟睡してるー…
って自覚してるお母さんもちょこちょこおったのですよ。
で、私も、小さい子をがっつり育ててた数年間は、「女」がぐーぐー寝てました。
自分の容姿とかちっとも気にならなくて、ある意味めっちゃ楽。
そんなところにエネルギーを注いでられんかったんでしょうね。
しかし。
あたがたいことに私の中の「女」はある日突然目を覚ましたんです。
鏡を見てね、愕然としたんですよ。
「なに?これ?あたし、めっちゃ老けてる!」
って。
洗顔時とかに毎日鏡を見てたのに、何を見てたんでしょう?
ほんとビックリしました。
恐ろしかったです。
なので。
ヨコの言う「女性が一番キレイな時期」に、私の中の「女」はぐーすか寝てたので、ちょっと残念なのですが、
でも、今更取り戻せないので、今から精進するです。
でもでも、精進するっても、目指すのは「美魔女」じゃないよ~。
(素直にスゴイとは思うけど、ああなりたいわけじゃないんだな。)