今日は息子も娘も代休なので、午前中は病院めぐりをしてきました。
娘がお熱で学校を休んだ時に眼科検診と耳鼻科検診があったので、校医の先生の病院に娘を連れて検診をしてもらわないといけなかったのです。
というわけで、写真は眼科の先生のところの鉢植えの草です。
日の当たり具合がとても綺麗で、娘と「綺麗だねぇぇぇ。」と眺めておりました。
代休というのは、息子は土曜日に支援学校の小学部・中学部の運動会で、娘は授業参観だったためなのですが、
娘がお兄ちゃんの運動会…というか、支援学校の運動会をどうしても見たいというので、小学校の担任の先生に事情を話してお休みさせました。
そして、娘は以下のような日記を書きました。
(週末は日記が宿題の1つなのです。)
目で見ないとわからない
「勝ったのは白。」
先生が、大きな木のぼうを天びん計りにして、玉入れでカゴに入った玉をはかっていました。
「あれじゃあ正かくにははかれないよ。先生の手のむきで変わっちゃうよ。」とわたしはお母さんに言いました。
そしたらお母さんは、「数が分かんない子がたくさんいるからね。目で見なきゃ分かんないんだよ。」と言いました。
わたしは〇〇小の運動会ではぜったいにありえないと思いました。
でもあそこの学校は、すごく変わった子ばかりなので、しかたないなぁと思いました。
すると全身タイツの赤と白の先生がやって来てたたかって、白が勝ちました。
わたしはこれで、目で見ないと分からない子がたくさんいることになっとくしました。
急に走り出す子や急に泣きだす子、徒競走の途中で止まっちゃう子やコースアウトする子……。
いろんな「変わった子」たちがいて、それでも先生たちが上手に促したり抱っこしたりして、ちゃんと運動会になっていました。
兄が障害児なので素地はもちろんありますが、娘がお世話になっていた保育園は障害児の受け入れ指定園だったのでクラスに発達障害児やダウン症児が数人いましたし、小学校では兄が在籍していた特別支援クラスがあり、そこに入り浸っていた娘は「障害児」に対してそこそこナチュラルに付き合える子になっています。
それでもやはり支援学校に通う「重度の子」たちを見て、「変わった子がいっぱいだなぁ~。」とあらためて思ったようでした。
玉入れの玉をカウントするのではなく木の棒を使っての天秤で計測するとか、3回戦の結果どちらが勝ったのかを理解させるために全身タイツの先生が戦って見せてあげるとか、娘には少し衝撃的だったようでしたが、娘自身も目で見て分かることがたくさんあったということで、学校を休ませて連れていって正解だったなぁ、と思いました。
しかしですねー
当日ですねー
私がですねー、
久々の体調不良でした……。
や、前日の夜、寝る前にちょっと身体の異変といいますか、しんどいとか痛いとかじゃないんですけど、独特のちょっとしたイヤな感じがあったので、あれー……?やだなぁ~…とは思ったのですが、このことろそこそこ体調をキープできていたのでなんとかなるだろうと思っておりました。
しかし夜中に目が醒めて、またしてもイヤな感じになり、発作になると困るなぁぁぁぁと思った私は漢方薬を飲んで、不安になりつつもセルフヒーリングをがんがんやり続けておりました。
30分ほどで落ち着いてきたので良かったのですが、それから眠りが浅くなり、いつもより早起きしてお弁当を作る時にはかなりしんどくて困りました。
……困っていても運動会のお弁当作らないといけないので、頑張りました。
そしてお父ちゃんの運転で支援学校に着いた頃にはなんとかしんどさも抜けてきたので良かったのですが、今度は頭痛が始まりました。
更年期障害で血圧が上がったり下がったりしてるので、その薬も飲んでますからね、あまり鎮痛剤は飲みたくないわけです。
以前はすぐに鎮痛剤を飲んでましたが、そうやって頭痛を我慢することがこの数年のパターンとなっておるのです。
しかしこれがねー、夕方頃が一番しんどくて、またしても「困ったなー。」となっておりました。
夜の19時からPTA地区懇談会があり、司会をしないといけなかったからです。
なんとか懇談会にも行き、あれこれ大事な話し合いもスムーズに進みまして、やっとこさ「やれやれ~。」とホッとしました。
このところ体調がそこそこキープできていたので、もしかしたらこのまま私ってばイケるんじゃね?と期待しておったのですが、すこーんとやられました……。
期待してた分がっかり度も高く、困惑と不安がいつもより多めに出ておりました。
この1カ月ほど、自分の身体への信頼感がちょっとずつちょっとずつ高くなっていたのに、がらがらどしゃーん!と崩れちゃったような、そんな感じになってしまいました。
ずっと右肩上がりで良くなっていくわけじゃなく、それこそ「3歩進んで2歩下がる」みたいな感じで進んでいくんだろう、と頭では分かっているんですけど、心はなかなかついて行けませんねぇぇぇぇぇぇ。
30歩進んで2歩下がる…くらいだったとしても、3歩進んで4歩下がっちゃった!やっぱりダメなんだ!みたいな感覚に(しんどい最中は)陥りやすいです。
てなわけで、自分の身体・自分の心と付き合うってーのは難しいなぁぁぁぁぁ!ちきしょー!と相変わらず思わされた土曜日でありました。
と、そんな感じではあったのですがね、昨日ですね。日曜日ですね。
プレゼントのハガキが届いたよというメールや、前回の日記で紹介したパーソナル・ゲートの絵のご感想メールに返事を書いたんです。
そしたらメールの返事を書いていて、自分で書いた言葉にハッとしたんです。
そうかー。
私は等身大でいいんだなぁ。
って。
『霊的に高いところに辿りついていなくても、スピ的に何かすごいヒーリングやエネルギーを扱えなくても、人間的にまだまだであっても、技術が未熟でも、この等身大の自分をそのまま(ブログにしても絵にしても)表現してることが、逆説的だけども、良いのかも。』
と思えたのです。
違う言い方をすると、
ちっともすごくなくてもOK!こういうのもアリ!
みたいな感じですかね。
詳細は割愛しますが、パーソナル・ゲートの絵の感想をくださったお客様への返事の中で
もしかしたら、ここが大きな人生のターニングポイントかもしれませんね。
「自分の本来の素晴らしさを十分に表現できる人間になる努力をする」か、「今のままの自分で在り続ける」か、の選択とも言えると思います。
と書いたのです。私。
『自分の本来の素晴らしさを十分に表現できる人間になる努力』というのは、人によってその方向性が全く違うんだと思うんです。
課題はそれぞれ。
でも、そういう課題に向き合っていくことを地道に続けていたら、まだまだ未完成でもある程度のあたりから『本来の自分の素晴らしさ』を、その生き方を通して表現し始めることになるんじゃないかと思うんです。
もしかしたら、生まれてもうちょっとで半世紀という今になってようやくそうなってきたから、未完成でちっともすごくなくてもOKと、この拍子に思えたのかもしれないなー、と思ったのです。
それは高慢とは違う感覚です。
まだまだ未完成で本来の自分の素晴らしさをやっと表現し始めたばかりだけど、でもそれでいいよ~そのまま進んでいいよ~、みたいな上からのアドバイスみたいな感じとも言えますね。
残念ながら私の場合は課題から逃げないように「体調不良」という錨……というか、羅針盤とも言えるかもしれんですね、そういうのがあるようなので、3歩進んで2歩下がるというのはまだ続きそうな気もしますが、とほほな気持ちになりながらも進んでいこうと思います。
このままでOKみたいなので、このまま進んでいこうと思います。
自己肯定というのは、もしかしたらこういう感覚のことを言うのかもしれないですね。