ミツバチのこと。療育手帳のこと。

昨日の苺つみの途中、苺の葉の上で死んでいるミツバチを見つけました。
身体を丸めて、綺麗な葉っぱの上で死んでいました。
苺の受粉のために師匠がミツバチを使っているのです。
最近の陽気のおかげでミツバチも元気に苺の花から花へと飛び回って、せっせとお仕事をしています。
私は虫が大の苦手なのですが、ミツバチは嫌いじゃありません。
蜂蜜が大好きというのもあるのですが、ミツバチは健気だなぁ、と感じるからだと思います。
そのミツバチが、静かに静かに綺麗な苺の葉っぱの上で死んでいました。
せっせとお仕事をして、そして命を完うした姿でした。
なんだか涙が出そうになりました。
それは、神様に愛された小さな命に思えたからです。
そして、そのミツバチ自身が神様に思えたからです。
金子みすずの詩を思い出しました。

蜂と神様
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神様のなかに、
そうして、そうして、神様は。
小ちゃな蜂のなかに。

上手く言えないけれど、あのミツバチに神様を見たのですよ。そうとしか言えないよーー。
だから、ミツバチはそのままにしておきました。
****
akio62
さて。
今日は朝から東三河障害相談センターに行ってきました。
療育手帳申請のための診断をしてもらってきました。
療育手帳ってーのは、発達障害の度合いにより3ランクに分かれてまして、重度のA、中度のB、軽度のCとなっています。
当然ですが、重度の方が受けられる行政サービスなどが多くなります。
で、息子はと言うと、軽度のCでした。
担当の方も「アキオくんは、(ダウンちゃんとしては)なかなか成長が良いですね~。」と何度も言ってくれました。
んー。そうなのかーー。
って、感じでした。軽度だから嬉しいとかっていう感じでもなく、ただ単に「あー、そうなのー。」ってだけでした。
まだ小さいので、発達の遅延がどれくらいのもんになるのかは本当はよく分からんのですよ。
ということで、来年に更新のための診断をまたするらしいです。
なので、そうですか、って感じなんでしょうな。
実は、昨日の午後に、ダウンちゃん友達であるタァちゃんのママから電話をもらいました。
その電話で、私はタァちゃんママに本音をゲロりました。
「アキオは元気な子だから、歩くようになった羽が生えたようにすっ飛んで行くだろうし、言葉だってシッカリ話すようになったらオシャベリになるだろうから、今から発達の遅れをどーにかしようとかする気にはあまりならんのやけど、それでも、まだ時々『ダウン症じゃなかったら、どんな感じやったやろう。』ってふと思うことがあるんだよねー。」
辛いとか悲しいとかっていう感覚とも違うんですが、もちろん嬉しいとか楽しいって感覚でもありません。
特に、アキオと同じくらいの月齢の子がシッカリ歩いてたりするのを見ると、時々思っちゃうんですよね。
「染色体が1本多くなかったら、今頃この子くらいちゃんと歩いてたんだよなぁー。」って。
比べても仕方がないって分かっていても、そう思っちゃうんのは、母親だからなんでしょうかね。
心のどっかで、自分のせいだって想いがあるんだよね。いつまでも。
(でも、自分を責めたりはしてないよ。)
写真は、ご機嫌ナナメの息子さん。
最近、すぐ怒るんだよーー。もーー

農家の嫁バージョン

mom暖かいですねー。春ですねー。
午前中だけなんですけど、それでも苺ハウスは暑いですよー。
んでもって、太陽の光が燦々と入ってくるので、ホームセンターで「日焼け防止グッズ・農家の嫁バージョン」を買ってきましたよ。
写真のような姿で作業してます。おほほほほほほ。
このところの陽気で、苺はものすごく早く赤くなります。
ガンガン赤くなるので、私も頑張ってお手伝いしとります。実質2時間ちょっとだけど。
けどねー、2時間ちょっとでもねー、結構つんどりますよ。ちょっとは師匠のお役に立ってるんじゃないかと自負しとります。
けど、今日はガクがちぎれちゃう苺が何個かありまして、こっそり食べました。5個くらい…。
んまかったー。
苺を黙々とつんでるんですが、これが楽しいんですね。
なんてーのか、お母ちゃん、苺と対話してるって感じなのですわ。
自分でもこーゆー感覚になるとは思っていなかったので、ちょっと不思議で面白いです。
苺のディーバと波長が合ってきてるんやろか??
さて。
師匠の苺ハウスに、うつ病治療中の女性が時々やってきます。
お医者さんの薦めで時々苺つみのお手伝いをしてるのです。
で、今日の作業後、師匠と旦那さんがそのお医者さんの話しをしていたんですが、その会話中に師匠が「ト○タ病」と言ったんですね。
おおおー。さすが愛知県。ト○タ関係で働いてる人が多いですもんね。
ト○タ関係で働いていて心の病気になる人が多いんだろうなぁ~…と、容易に想像できました。
後から旦那さんに聞いてみたら、親がト○タで働いていて、親子で病気になる人たちも多いらしいよ、と教えてくれました。
『カイゼン、カイゼン』って会社でずーーーっと言われてりゃ、思考回路がそーゆーふうになっちゃいますよね。
で、それは家庭にも大きな影響を及ぼすわけですな。
無駄を省くとか効率的に仕事するための工夫ってのは大切だと思うけど、人間は機械じゃないからねぇ~。
会社の中にいると、そーゆー当たり前のことが二の次になったりするんだよなぁ~。

続きっす。

昨日の中日-横浜の開幕戦、見ました?
…って、こっちの地方しか地上波では放送してないんだろうな。多分。(スカパーは「ラブ・ベースボール」っつーことで放送してただろうけど。ウチもスカパーは持ってるけど、引越し後まだ繋げてないんだよー。ツールの季節までにはなんとか…。)
お母ちゃん、他ごとをしながら最終回の裏だけ見てたんですよ。息子と旦那さんがお風呂に入ったんで。
ハラハラするのもイヤなので息子妊娠中から、ほとんどTV観戦しなくなっちゃったんですよ。
生まれたら更に見てられんようになりまして、最近はドラゴンズの選手でも若手は顔と名前が一致しない有り様。
そんなわけで、昨日も9回裏だけ他ごとしつつもゆっくり見ることができました。
「んまー。憲伸も番長も頑張ってるやん~。0-0かぁ。」
と、唸った途端、先生(と我が家で呼んでいる立浪)が3ベースヒット。
きゃーーーっっ。
困りました。困りました。
ええ、もちろんドラゴンズには優勝してもらいたいんですが、横浜が負けるのも面白くないんです。
なぜならば、私は牛島のファンだからです。
現役の時から好きだったんですが、解説者としても良かったんですよー。
旦那さんと
「いつ牛島が中日のピッチングコーチになるんかなー?」と楽しみにしてたのに、いきなり監督ですもんね。それも横浜ときたよ。
てことで、オチョア(と我が家で呼んでいるアレックス)が粘りに粘ってる打席を困りながら真剣に見ちゃいました。
「あああ~っ。オチョアにも打ってもらいたいけど、打たれたら番長が可哀相やし~~。うがー。」と、悶絶してました。
ええ、疲れましたよ…。
結局、オチョアのサヨナラ満塁ホームランという劇的な試合となり、「こんな試合見たことないー。」と、某アナ風に言ってみました。
んー。またドラゴンズがセ・リーグ優勝かなー?
牛島監督も頑張ってねん。
田尾監督も頑張ってねん。(田尾も好きだったのさ。)
さて。
先日の話しの続きです。
旦那さんが家の間取りを描いたわけですが、私のイライラ落ち込みの原因が間取りではなく、旦那さん系のご先祖様の障りと分かり、間取り図は不要となってしまいました。
しかし、先生がそれを見て反応するではありませんか。
「これは、玄関が悪いな。」
ええ。それは私もほんのり知ってたんですよ。
真北の玄関は良くない(北-南は神様の通り道なんだそうだ)ってのは知ってたんですけど、それでも借家だからねー。どもならんがね。
ちなみに、ウチは鬼門が台所なので、これは鬼門封じの御札をもらいに行かなきゃね、と前々から先生と話しておりました。これも借家なので仕方がないからね。
「んんー。この東南の部屋が少し出てるのが良いねぇ~。ここを玄関にしちゃえば、とってもいいんだがな~~。ものすごくいいなぁ。運気がどんどん上昇して、お金も入ってくるんだけどなぁ。」と、先生。
えーーー?マジっすかーー?
でも、東南の部屋(今は服部屋にしてる)を玄関に改築なんてできないよぉー。借家だもん~。
すると、旦那さんが言いました。
「僕、実はこっち(南側)の垣根の一部から出入りできないかってずーっと考えてたんですよ。北の出入り口に面してる道路って車の往来が激しいんで、アキオが歩くようになったら怖いな、と思ってて。で、南側には狭い生活道路なんで、近所の人しか使わないんです。こっちから出入りするもんだと教えたいと思ってたんですよ。」
ほんと、しつこく旦那さんは言ってたんですね。
「こっちから出入りできんかな?」って。
しかししかし、借家だよ。大家さんになんて言うのん?
「こーゆー時はハッタリでいいんだよ。『有名な風水師がこう言いましてね。』って。」と先生は笑って言いました。
さらに、
「守護霊さんたちも『そうしろそうしろ。』と言ってるねぇ。守護霊さんたちがそう言うってことは、上手く話しが通じるってことだから大丈夫だよー。もしこれで通じんかったら『あんたたち本当に守護霊?』ってことになっちゃうよね~。」と先生は冗談めかしに言いました。
なるほど。そりゃそうだ。
お母ちゃん、守護霊さまたちが「そうしなよー。」って言ってるんならそうしたいしなぁ。
ここで、「それは本当に守護霊なの?証拠なんてないやん。」と思う人もいると思うんですよ。
それはね、半分正解だと思うんです。実際、私には守護霊さまの声なんて聞こえないしー。
でも、ホンモノの霊能者かどうかってーのは、なーんとなく分かるんです。おかげさまで。
『高級霊からお力をいただいている霊能者』か『幽界の低級霊とつながってる霊能者』かを、五感しか働いていない自分が見分けないとアカンわけですよ。
幽界の低級霊とつながってる霊能者(五井先生風に言えば「低級な行者」)だって、ものすごーくいろんなことが分かるんで厄介なのです。
なぜなら、幽界の霊魂は人間の幽体を見てるからです。
幽体にはその人の経験や想念が全て記録されているからです。
(ここで言う幽体だの幽界だのという言葉そのものにはあまり囚われない方がいいよ。とりあえず名前が無いと記述できんからさ。)
だからね、カルト教団の教祖なんてーのは、だいたいは低級霊とつながっちゃってるんですね。
真面目に修行してたのに、途中で「自分は悟った。」なんて言い出すのが特にヤバいですな。(麻原とかね。)
中途半端は非常に危ないんです。
「なんであんなカルトにはまるの?」って思うでしょ?
だって、お見通しなんですもん。個人的なことを当てられたり、目先の問題をさっと解決してくれたら、そりゃ普通は信じちゃいますよー。
でもね、それでも間違ってるもんは間違ってるんです。
慈愛に満ちた、神に近い高級霊からお力をいただいている霊能者なのか、人を惑わせたいだけの低級霊とつながってる霊能者かを、自分で見分けるには、もうそりゃ『自分の感覚』しかアテになりません。
麻原なんて、教義は既存宗教のパクリだから納得できることが多かったんですよね。
でも、なんか胡散臭いというか、光ってないなぁ、って思ったんですよ。昔っから。
そーゆー感覚がまだ自分には無いなぁ、と思う人は、「守護霊さま、教えてください。」ってお願いするのが一番ですね。
そうすると、なーんとなく気が進まないとか、なーんとなくいいかなー?とか、そーゆー気持ちになると思います。
自分の頭で判別しようとしないのがコツですね。
ちなみに、最近メディアにもよく登場しているスピリチュアルカウンセラーの江原さんはOKなんで、全然そーゆー感覚が分からんと言う人は、江原さんの番組を見ることから始めるのもいいかもしれませんね。
ホンモノの霊能者の話しを聞いたり相談に乗ってもらったりしてると、自分の霊性も少しずつ高まって行くんですよん。ありがたいありがたい。
というわけで、多分、リフォームをすることになるんでしょう。
ただ、今年は旦那さんが「健弱」の年なので、来年になりますな。
あとはですねー。
先生のお友達(?)の息子さんが仏師さんなんですけどね、この息子さんの師匠さんのお子さん(小学生)がダウン症なんだそうです。
で、このお子さんと家族がTV取材を受けたそうで、その番組の話しを先生がしてくれました。私、見てなかったからね。
そしたらですね、そのダウン症の子の周りにはいつもお友達がいるんだそうです。人気者なんだそうです。
「お徳の高い子は、そうやっていつもいつも周囲に助けてもらえるんだよね。すごいよねー。アキオくんもそうなんだよ。」と先生が教えてくれました。
なんとなくね、感じてはいたんです。
アキオは母親の私なんぞより、ずーっとお徳の高い子だろうなぁ、って。
私はアキオにいろんなことを教えてもらうんだろうなぁ、って。
実際、アキオが生まれたおかげで、旦那さんなんて人生の方向転換しちゃったしね。

昨日は濃かったぞ。

otaishiあーー、書かにゃならんことがいっぱいあるぞ。
今夜はどこまで書けるかしら。
えっと。
まず、苺つみのことですが、これは大正解でした。
女性というのは、狩猟採取を人類がしていた頃から「採取」係でしたからね。
本能的に得意なんでしょうな。
もくもくと熟れた苺をつんでいると、えらい充実感が得られます。
これが毎日の仕事になると大変だということは易く想像もできますが、心が弱ってる人、特に女性にはお薦めですわ。
実際、師匠の知り合いであるお医者さん(心療内科もやってる人)の患者さんが来てるしね。
何故か癒される、と彼女も言ってました。
ビバ!苺ハウス。
んでですな。
引越しの挨拶がてら、例の先生のところに行ってきたのです。昨日。
先生は隣の市で、その霊能力でもって人々の相談を受けているので、私はすっかりご近所気分です。
まー、名古屋からだって高速を使えばそんなに遠くは無かったんだけどね。
その先生に、今の家にある「お大師様」はどう扱えばいいのかを聞きたかったんですね。まず。
そしたら、携帯で撮った写真を見て、
「はーー。こんなのが借りた家にあるんだからなぁー。君たちは本当に(守護霊さま守護神さまに素直に導かれて)上手いこと行ってるなぁ。」と感心されました。
ええ、しっかり魂が入ってるそうなんです。
毎日、お水やお花、お供えをするのは私の仕事だと、先生に言われました。
ういっす。了解です。
なので、今日も苺つみが終わってから、師匠に「お大師様にお供えするための苺を3つほどつんで持ってっていいですか?」とお願いしちゃいました。
そしたら、信心深い師匠は
「だったら、大きい赤いのをいっぱい持ってきなさい。」と言ってくれました。
うおー。師匠~~。ありがとうです~~~。
お下がりを食べたんですが、美味かったですよ~~~。
あ。
それでですな。
お大師様の話しの後、先生に旦那さんが言いました。
「最近、嫁さんがイライラしてまして…。」
んま。相談されちゃったよ。私のこと。
「木の芽時はアカンのですわー。毎年。」と、私が言うと、先生は
「うん。僕もねー、木の芽時はアカンよ。木の芽時はずーっと溜めてたストレスも芽吹いちゃうからね。」なんて教えてくれました。
でも、さらに先生は
「あー、でも間取りが障ってるか?ちょっと間取りを描いて。」と言いました。
旦那さんが間取りをせっせと描いてると、先生がまた言いました。
「あ。違う違う。間取りじゃない。ご先祖だ。ご先祖が障ってる。だからそんなに気分が落ち込んだりイライラしたりするんだよ。こういうことはよくあるんだよね。」
あらま。久々ですわよ。
4年ほどかけて自分の家の方のご先祖様をたくさん浄霊させてもらってからは、私に霊障が出てるというのがご無沙汰だったからです。
最近はもっぱら旦那さんの家の方のご先祖様のことばかりだったんで。
先生の霊能力がレーダーとなって障りになってるご先祖様を探し始めました。
すぐに見つかるかと思ったんですが、なかなか見つかりません。
「誰なんだろー?」と、じーっと待ってましたが、見つかりません。
そしたら、急に先生は私と旦那さんをじーっと見始めました。
「おー。分かった分かった。貴女のご先祖様じゃない。旦那さんの方だ。それが貴女に障ってるわ。子どもと母親だなぁ…。お、分かった途端に今度は旦那さんの方に移ったぞ。」
あらま。
実際、その後私は気分がすっかり良くなっちゃったんですが、今度は旦那さんがイライラちっくになっちゃいましたもんね。不思議なもんですね。
てことで、いつものごとく、一畑山薬師寺で御札を出してもらって、49日間の供養をしてねと先生に言われたんですが、そこで「聞きたかったこと・その2」が登場です。
「せんせーー。実はね、旦那さんの叔母さんの○○さん(先生も知ってるんだな)にね、このお水を教えてもらったんですよ。」と、私はあるお水を取り出しました。
このお水、神様のお水だそうで、叔母さんが言うにはものすごーーい威力のあるお水なんだそうです。
49日間の供養をしなくても、御札にお水を噴霧しただけでご先祖様が浄霊されちゃった、と言うのです。
なぜ浄霊されたかが分かったかと言うと、お水のことを言わずに先生に「あのご先祖様は成仏しましたか?」と尋ねて教えてもらったからなんですねぇ。
先生はそのお水を手のひらに噴霧しました。
「うん。確かにいいお水(神様の力が溶け込んだお水)だけど…。そんな簡単に上る(成仏する)なら苦労しないよー。」と、笑いました。
んーー。そうなのかーー。残念だなーーー。
と、思っていたら、先生が
「試しにソレ(先生が供養祈願の言葉を書いてくれた紙)にかけてみて。」と言うので、2回ほど噴霧してみました。
すると、
「おおおー。確かに邪気が消えたぞーー。すごいなぁ。」と先生が驚きました。
実は先生は他の神水を見せてくれてたのですが、先生の霊能によると、それと同じくらいの力があると言うのです。
だけど、タイプが違うそうなんです。
私が持ってきたお水は、霊関係に効くようなのです。
うん。確かにそうかも。このお水を売ってくれてる人も霊能力がある人なんですが、その人のサイトを読んでると、まさにそんな感じですもん。
(ちなみに、私から少し話しを聞いただけで先生は「その人もお力をいただいてる人(本物)だねぇ。」と言いました。)
ま、先生だって万能ではないので、全てがお見通しではないのですよ。
私たちには分からんことまで分かるけど、神様ではないので全てが一瞬で明快に分かるわけではないのです。当然ですね。
ということで、先生に
「こりゃ、いろいろ実験してみたいから、今度注文する時に1本余分に注文しといて。」とお願いされちゃいました。
んんんー。どんな実験するんだろーーー。
とりあえず、今日の午後に御札をもらいに行ったので、10回ほど噴霧しときました。
(でも、ちゃんと49日の供養をするよ。…って、おばあちゃんがやってくれるんだけどね。)
あー。
今日はここまでとしときます。
実は、旦那さんの描いた間取りから、思ってもみない指摘・アドバイスが先生から言われたのです。
もー、どうしましょ。
でも、やることになるんだろうなぁ~。
「守護霊さんたちも『やんなさい。そうしなさい。』って言ってるわ。」って言われちゃったもんね。
実際、旦那さんがしつこく気にしてたもんなぁー。それって守護霊さまからの囁きだったんだね。きっと。
というわけで、続きは明日以降に書きまする。

うつチックなお母ちゃん。

前の日記では、たいそうなことを書いたのですが、私自身はどうかというと、これがもーー「木の芽時」バリバリでして、うつチックになりがちであります。
昨日は本当にイライラするわ落ち込むわで、旦那さんともケンカ……というか、私が荒れておりました。
こんなのは五井先生の言うところの「消えていく姿」なんだから、とお祈りをしようとするんですが、こーゆー時は非常に難しいのであります。
うつって、厄介ですよ。苦しいくせに「それ」を手放そうとしないんですもん。
旦那さんは畑仕事もして、嫁の相手もして、本当にお疲れさまなのであります。
で、今朝も起きた時に頭が痛いし気分は落ち込んでるし思考力は低下しまくりだし笑えないし、で思いっきりうつチック。
(午後になると徐々に気分が良くなってくるから、まさにそのもの。)
あまり良くありませんなぁーー。
てなわけで、明日からは、私も師匠の苺畑のお手伝いをすることにしました。
2時間だけだけど、息子をお義母さんに預けて、私はもくもくと苺つみをするのです。
こーゆーうつチックな時は、無心になにかをやってるのが一番いいんですもん。
温かいハウスの中で、苺のいい香りに包まれて、かわいい苺をぷちぷちと収穫していたら、気分は悪くはならんはずです。

なんか長くなっちゃったな。

トイレ様をピカピカにした、と以前書きましたが、浄化槽に種菌を投入した後もニオってたんです。
なーんかニオう。
ということで、旦那さんにウォシュレットを以前よりさらにさらに分解してもらい、私がスチームクリーナーで残っていた汚れをキレイに落としました。
男性諸君。ウォシュレットのトイレの場合は、立ってオシッコしちゃアカンよ。
思ってるよりも奥の方まで汚れるから。
(名古屋で使ってたウォシュレットはキレイなもんでした。旦那さんが座って使ってくれてたのですよ。)
ここまで分解してキレイにしたから、もう大丈夫だろう…と、張り切って旦那さんに取り付けてもらったんですが……。
なんと、漏電しちゃってるよ……。
とほほほ。こりゃ使えんがね。
ということで、結局、Kホームセンターで安売りしていたウォシュレットを買いました。(名古屋で使ってたのは、旦那さんの実家にあげちゃったんで…。)
寒い中、頑張った私の努力は報われずにションボリ萎んでしまいました。
けどさ、なんかさ、トイレをキレイにしようという自分の努力そのものには満足しておるのですよ。
しかし。
まだニオうんです…。
なんてーのか、変なニオイなんです。
壁の掃除で使った薬剤のニオイなのかなー?と、旦那さんは言うのですが、壁も1度スチームクリーナーかけてるしなー。足りないのかなー。
確かに壁に消毒用アルコールを噴霧するとニオイが緩和されるんだよねぇ。
あああ、まだまだトイレ問題は続くのであります。
さて。
今日は名古屋から友人家族(ユウスケくん、ユウスケ母、ユウスケ父)が遊びに来てくれました。
師匠の苺畑で苺狩をするためです。
苺も採って、野菜も採って、満足な1時間半でありました。
そして、男性諸君(アキオ以外)は畑に種芋の植えつけに行きました。
ユウスケくんは、アキオのミニカーを1台持って畑に行ったのですが、畑にミニカーを植えてたそうです。見たかったなぁ。
ユウスケ母は会社時代の友人であり、お祈り仲間でもあるのですが、ユウスケ父はどっちかって言うと神様を信じてない人なんです。
信じてないというと語弊があるかもな。んー。肌感覚で神様を感じられないので、自分には神様が存在するとは言い切れない、という感じなのかなー。
そんな彼なので、嫁さんの神様話しは聞いていてもピンと来ないので、そうそう聞いてられんわけです。(←嫁はこれがちょっと寂しい。)
それでも、嫁さんの信心や行動を規制することはしないのです。他人を尊重してるんですね。素晴らしいですね。
そーゆースタンスの彼ともいろいろ今日は話しをしたのですが、彼は「自力」の人だということがよく分かりました。
不安を取り除き、安心を得たい。
しかし、その安心を得るためには、自分でできるかぎり努力をしなくてはならない。
もしかしたら、自分もいつかは「他力」になるかもしれないけれど、今は神様に頼ることはしたくない。
そんな感じのことを話してくれました。
おお、と思いました。
それは、彼の考え方そのもののことじゃなくて、今の日本人の多くが、同じように考えているのかもな、と思ったんです。そして、ちょっと前の自分も。
で、おお、と思ったのです。
自分で自分を幸せにする、自分で問題を解決する、自分で困難を乗り越える…。
私たちは子どもの頃からそうやって努力していくことが大切なことだと教えられてきているので、人生は自分で切り拓くものだと思い込んでいるんですね。私もそう思い込んでいました。
確かに、努力は必要です。必須です。
でも、「自分だけ」で人生を切り拓くなんてことは不可能だと、今の私には思えるのです。
いつもいつも、受胎した時からずーっと護ってくれている存在があるからこそ、自分を幸せにすることも、問題を解決することも、困難を乗り越えることもできると、今の私には分かるのです。
私たちは、常に愛され護られ、導かれているんです。
なのに、自分で眼を閉じてしまって見ないだけなのに、闇の中にいると思い込んでしまっているのです。
闇の中にいると思うから、不安になり、安心を得られないのです。
不安な想いは不安な現象を生じさせます。
「神様」は「自然」そのものであり、それは「厳然とした理」です。容赦ありません。
時間を隔てて、想いは現実を生じさせます。それが理だからです。
その時間を隔てて現れた現象が過去世からのものが多いので、理不尽だと思うことが多いのです。全て自分に返ってきているだけなのに、です。
だから、安心立命は、神様への「本当の」帰依しかないのです。(もちろん私にはまだ出来ていない。)
神様は容赦ない理でもあり、無限なる慈愛でもあります。
その慈愛の光は常に降り注いでいることを、眼を開いて思い出せばいいのです。
不安は、神様から離れた心が生み出すものなのですから。
そんなわけで、自分の努力で安心立命を得ることは、非常に難しいのですね。
いわゆる仙人のようになるとか、ある1つの道に精通し「つきぬける」とか、そーゆー並々ならぬ修行が必要で、そんな方法で一般人が普通の生活をしながら到達できるものではないのです。
だから、「自力」の人は山の中でキツい修行をしたりするわけです。
ゆえに、「南無阿弥陀仏」などの「他力」の道が、先達によって開かれたわけです。
近道を教えてもらったようなもんですな。
しかし、だからと言って、私はユウスケ父のような「自力」を否定するつもりはありません。
というか、それも必要だな、と思うのです。
その魂には今生ではそれが必要だから、そうするんですもん。
ただ、「頑張れ。頑張れ。自分の力で人生を切り拓くものだ。不安は克服するんだ。」としか、大人が子どもに教えられないという、今の日本の現状が、ちょっとなぁ~~、と思えるのです。
できれば、もっと霊的に目覚めた人が増えて、みんな神様の慈愛の光に包まれているんだよ、ということが当たり前のように語られるようになったら、人々はもっと楽に楽しく、そして正しい方向に向かって努力できるのになぁ~、と思っちゃうのです。
無限の慈愛が無い(と思い込んでいる)状態で、自分の力だけで人生をなんとかしようとして、何とかなるならいいけれど、何ともならない時が大問題ですもの。
その時の心はまさしく闇の中で、自分を傷つけるか、他人を傷つけるか、のどちらかですから。
マザー・テレサも言ってたでしょ。
「あなたは愛されているのですよ。」

暖かい田舎にはヤンキーが多いらしい。

昨日は午後から豊橋のとろろ屋に、引越しの挨拶がてら行ってきました。
(でも食べたのは、美味しいケーキとぜんざい。これが本当にんまい。)
店のおじさんは少し変わった人でして、元・設計士であり、お義父さんの知り合いであり、自然農の福岡じいさんとも交流があって自然農にも理解が深いし、神様のことが「分かる」人たちが集まってくるような人であり、ホピの人とも交流があって、でもって例の先生とも交流があって……と、実に不思議な人です。
こっちの行く道と同じような道を何十年も前から進んでいるような、そんな人です。
さて、そのとろろ屋に、昨日は地元の人っぽい家族連れのお客さんが来てました。
見た目、元・ヤンキーですね、って感じでした。子ども達も、ヤンキーふうのジャージを着てました。
不思議なんですが、愛知県三河地方というのは、ヤンキーが多いみたいなんです。
旦那さんに言わせると、「子どもはヤンキーかお利口さんかの二極化する。中間が無い。」という土地柄なんですねぇ。
でもって、「ヤンキーの子はヤンキーになる。」らしいのです。
これは、真鍋かおりもブログで書いてたような覚えがあります。(たまたま読んだのだ。別にファンじゃないよ。)
あの人は四国出身ですよね。確か。
三河も四国も暖かい田舎です。暖かい田舎というのは、こーゆーものなのかもしれません。
あ、四国と言えば、サイバラがいるな…。やはりそうなのか…。
「じゃあ、小学生や中学生の頃は、チビ・ヤンキーとも遊んどったん?」と旦那さんに聞いてみたら、
「うん。みんなごちゃまぜやでねぇ。ヤンキーの子たちの方が面白いんよ。ただ、話しは通じにくい。」と旦那さん。
「ほー。」
「だから、大学生になって、話しも通じるし面白いって人たちがたくさんいてビックリしたよーー。さらに会社入って、沼津の○○○部隊なんて、頭はべらぼうにいいしユニークだし…って人たちばっかりで、ほんとーにカルチャーショックやったなぁ~。選抜された人たちって感じで。」
私にしてみたら、実に興味深い話でした。
私は岐阜市出身なんですが、岐阜はやはり三河とは雰囲気が違うんですね。
それに、今から思うと私は頭のいい子たちと仲が良かったので、話しが通じないという感覚があまり無かったんです。
そんな私でも、小・中学より高校、高校より大学、大学より会社と、どんどん周囲が「楽」になっていきました。
話しは通じやすいし、女特有の「イヤな感じ」はどんどん薄まるし。
私も旦那さんも会社を辞めて、名古屋から三河の田舎に引っ越してきて、人間関係も今までとは全然違ったタイプの人たちとの関係が増えていくんでしょう。
もしかしたら、ちょっと「やりにくいなー。」と思うことも多いかもしれません。
それでも、多分これも必要な人生経験なんでしょう。
あまり楽ばかりしてたら、いろんな感覚がニブりそうだしね。

春眠?

アキオさん、昨日はたくさん寝ました。
春眠…ってやつですかねぇ?
んでも、夕方の5時過ぎから10時まで寝てたんで、こりゃ夜は寝ないかも…と戦々恐々だったんですが、お風呂の後も寝てくれました。
ちょっとハッスルちっくになってましたが、電気消してみんなでお布団に入ったら寝ちゃいました。
良かった良かった。
で、朝も7時まで寝て、今(お昼前)も私の隣で寝てます。
春眠貪ってます。暁ってなーに?って感じです。
けど、今朝は下痢してたので、もしかしたら体調が良くないだけかもしれません。
春は花冷えするからね。
今週から旦那さんは師匠のところに苺つみのお手伝いに行っております。午前中だけ。
苺は午前中につむものらしいです。
ハウスの中は暖かくて、苺のいい香りがして、小さいミツバチがぶ~んと飛んでて…。
気持ちがいいらしいです。
そして、苺をつみながら、師匠といろんな話しをしてるそうです。
よろしいですなぁ。

地震センサー?

この数年、私の「地震センサー」がとんと働かなくなってたんですが、一昨日の夜、ちょっと「あれ?」と思いました。
なので、昨日のお昼に「このイヤな感じって、春のモゾモゾのせいかと思ってたけど、もしかしたらどっかでまた地震があるかもしれんねぇ。」と旦那さんに言ったんです。
そしたら、今日、九州で地震があったのでビックリしました。
たまたまでも、ちょっとビックリだよねぇ。

テレビ、やっと映ったよ。

テレビ、やっと見ることができるようになりました。
本当は昨日のうちに見れるハズでしたが、強風のため電器屋さんが屋根に上れなかったんですよ。
なので、今日となりました。
いや~、やっぱりテレビがあると嬉しいっす。
私、テレビっ子なもんで…。
いえね、本当はテレビっ子ではアカンと思ってるんですよ。
シュタイナー教育に興味アリアリの身としては、やはりテレビはアキオにもあまり見せない方がいいなぁ、と思ってるんで…。
しかし、私が我慢できんのですわ。
なんか、寂しいの。テレビがないと。
これでもテレビを見る時間はかなり減ったんですが、それでも「つけてないと寂しい」って時がまだ多くてねぇ。
昼間はいいんですが、夜はアカンですなぁ。
元来、怖がりなもんで、賑やかしいのが嬉しいんですな。
さて。
少しずつ荷ほどき・部屋の整理が進んでますが、なかなか思うように行きません。
前に住んでた所より断然広いし、収納もたくさんあるんですが、収納に関して細部までしっかりイメージしきれてなかったので、現場で右往左往しとります。
ま、春なんで仕方がないけど。(私の場合、春は元々低い思考力が更に低下するため。)
でも、5月までには何とかせねば…。
というのも、5月に外人さんが何日か泊まりそうなんです。
旦那さんの師匠んとこに、WWOOFから外人さん1名の問い合わせが来たそうなんです。
師匠んちは広いですが大家族なんで、ウチで泊まってもらおうかねぇ~、って話しになってるそうなんです。
なので、あまりノンビリとしてられんのですなーー。
ま、どうなるかは分かりませんけど。
さてさて。
SHさんのブログを今日もチェックしたところ、なんとなんと!
私的に大流行中である植芝先生(合気道の創始者)のことが語られてました。
SHさんは『武産合気』を読んで「大感激した。」とおっしゃってますが、私も感激はしとるんですが、いかんせん難しいので、なかなか読み進めません…。
神話や武道や言霊に関する基礎知識が私にあまりにも足りないためです。
もっと勉強せんとなーー。
それでも、五井先生が書かれている部分や、五井先生と植芝先生との関わりについての話しについては、感動やら感激でいっぱいになりました。
でもでも、私もシッカリ理解して、大感激してみたいっす。んはー。
今日もあまり心の調子はヨロシクなく、「あーー。今日もガッツリ消えていく姿が出てるわー。」と、思いつつ、キレイなキレイな青空を眺めてました。
『空の色に似ている』を思い出したよ。(内田善美ってもうマンガ書いてないんだっけ?)
そういえば、お父さんのお葬式の後、骨だけになるまでの間、ずーっと空を見てたんだけど、その時もキレイなキレイな青空だったなぁ。