昨日の最終出勤日の話。
午前に自席の後片付けをして、午後からは退職の挨拶周りをしていたらあっと言う間に定時となった。
退職者の恒例ということで部全員の前での最後の挨拶をすることになった。
実は会社を辞めると決めた一年前からここで何を話すかを考えていたんだけど、考えるたびに言いたいことが変わってしまい、最後まで言いたいことがまとまってなかった。そんな訳で、結局勢いにだけに乗って言いたいことを話すとりとめのない挨拶となってしまった。
でも思い出せるだけ言った内容を今のうちに書き留めておこう。
・子供を授かって長男としての今後の生き方について真面目に考えるようになったこと
・その息子がダウン症と診断されてもの凄い不安になって仕事が手につかなくなったこと
・息子の幸せを考えていたうちに最後に行き着いたのはじゃあ自分はどうなんだということ
・自分の本当の幸せとはなんだろうと仕事も手につかずに社外サイトをじゃんじゃん覗いて放浪するうちに、自然農への思いを強くしたこと、さらに師匠との縁ができやりたいことが見つかったこと
・そうなると結局仕事が手につかないのでメンタルクリニックに駆け込み一カ月休みたいのでと頼んで診断書を書いてもらったこと、そのための尻拭いをみんなにおしつけてしまったこと(とにかくみんなに謝る)
・そうして結局は1年以上前にほぼやめる決意を固めていたこと
・復帰したあとも辞める決意をしているからモチベーションもあがるはずもなく、仕事が途中でも定退させてもらっていたこと(ここでも謝る)
・今回、自分のやりたいことをやって生きていく決断をして退職すること
・ありがとうございます
こんな感じだったかな。
その後の部の送別会ではY本課長から、
「会社での挨拶で、あそこまで言っちゃうとはなぁ。」
とか言われたけど、最後だから本当のこと言いたかったんだよね。
僕としては会社の挨拶は、主に僕との面識もあまりない人たち、仕事も忙しいので送別会に来れない人たち、他にも社内でついギスギスした仕事のやり方になっている忙しい人達に伝えたくて話していました。
そういう人たちに、なんだか変なこと言って会社を辞めてった変な奴が居た、という印象を残しておきたかったんです。
そういう意味で「あそこまで言っちゃう」というインパクトが与えられていたということで嬉しいコメントだったりします。
その後は、会社を出ての送別会(宴会)です。
みんなのビデオでも撮っておこうと思って持って行ってたんですけど、それを完全に忘れていた位に話まくりました。
今までゆっくり話せなかった方たちとも話せて楽しかったです。
そんな送別会もあっというまに終盤、こちらでも挨拶させてもらいました。
どうせなのでこっちも内容を今のうちに思い出して書き留めておこう(でも、こっちは記憶がめちゃめちゃ)。
・今まで14年間どうもありがとうございます。
(店の真ん中で話始めたので他の客からも注目されてしまった、、、なので以降は勢いつけて)
・脱サラして僕は百姓になります(他の客に向けても宣言)。
(この後記憶かなりあいまい)
・僕は本気で世界平和を祈ってます(おお~って感じだったので)
・だって、みんな世界が平和になった方がいいと思っているでしょ?当たり前でしょ?(と同意を求める)
みんなも世界平和を願っているじゃないですか。。。(なので世界平和を祈るんですよ)これがよしみ教です。
・僕は妻や息子と一緒に僕たちの農園でみなさんが遊びにきてくれるのをいつも待ってます。
こんな感じだったかなぁ。
そして2次会 … BAR Strega
てきーら君のお店再開ということでみんなで行きました。先客にあわしま氏もいたりして楽しかったです。
部長やH田さんともたくさん話をしたのですが、ここではY本課長とかなり話し込むことになりました。
Y本課長は僕が1カ月病欠するちょっと前から僕のチームを預かった上司です。
Y本課長にしてみたら、新しく預かった途端にリーダーが病欠というとんでもない状態に陥った訳でして、それをどうにかしてしまった素晴らしい方、僕にとったら尻拭いをしてくれた恩人であります。
初めてお酒を一緒に飲むということもあり、僕は病欠時のことなどについて最後に自分で謝ってすっきりしておこうと話をしていたのですが、いつの間にか逆に僕がY本課長の話の聞き役にまわっていました。なんだか泣き上戸なY本課長でした。
「あつき君とはもっと一緒にいろいろやりたかったなぁ」
とまで言ってもらえて本当に嬉しかったです(ちなみにこの言葉を言いながらY本さんが泣いていた訳ではありません)。
そうして最後まで一緒に飲んでいたY本課長も深夜に素敵な家族の待つ家に帰っていきました。
こうして送別会2次会も無事終了しました。
「終わったあぁ。ついに終わったあぁ。俺本当に会社辞めたんだぁ。本当に辞めれたんだァ。」
てきーら君にそう言いながら会社の人がいなくなった店内で退職したことを実感しました。
自分の中では『第一部完』というテロップがドーンと出た感じです。
エピローグ。
てきーら君と二人きりで始発電車が出るまでじっくり話をしていました。
僕は退職するまでの経過をてきーら君に延々と話し、
(このへんの話はこのあと少しずつこのblogにも書いていこうかと思ってます)
てきーら君は店のことや事故のこと心境の変化などを話し、
とても有意義な時間をサラリーマン生活最後の夜に過ごすことができました。
みなさんありがとうございました。
年をとると涙もろくなるのかね
自己都合退職ということもあって、なんだかみんなに辞めることを言いそびれて最終週まできてしまった。
同期入社組のみんなには火曜日にメールを出したところ、大慌てで送別会を開いてくれることになった。
火曜日に出したメールに即反応してくれたのは先に会社をやめ名古屋の別の会社に勤めている親友のH君だった。
その日に待ち合わせ二人きりで5時間近く飲み話をした。二人きりだからこそできた話もあり有意義な送別会第1回目だった。
そして今日(もう昨日か)木曜日に会社の同期が集まってくれて飲み会を開いてくれた。
送別会第2回目。うちの同期はバブル入社組、普通の会社なら大勢の皆ライバルとして競り合っていく位の雰囲気があってもよさそうなところなんだけど、そんな感じをさせない不思議な仲間達。
最初は久しぶりだねという話だったけど、やっぱりどうして自分が脱サラするに至ったかを話さないとこの会の意味が無いと思い、少しずつ話してみた。
内容は、よしみさんのHPの日記に書いてあるような流れをかなりかいつまんで話した。
さすがにびっくりしたみたいだった。
でも、みんなあきれずに聞いてくれて、エールを送ってくれた。ありがたい友達だ。
縁は切れないと思っているから、これからもよろしく。
昼の会社では最後の仕事もせずに、昔の上司やお世話になった人達に退職する旨とお礼と百姓になることについて色々とメールを出しまくっていた。ある上司がそのメールに返事をくれた。
「思い切った判断をしましたね」
その言葉にひっかかって、それが自然な選択であったことを伝えたくて、今までのことを振り返りながらその返信を書いてみた。
それが以下のメールなんだけど、なんだか書いてて涙が出ている自分がいた。
退職届を出した
先週木曜日2/24退職届を出した。
会社が用意してくれた半紙に2/23の夜筆ペンで書いたんだ。
3/20付退職。
大学を卒業してから14年間勤めてきた会社から卒業だ。
3/21からは当分無職ということになる。
経済的自立を超えた生き方をしてみたいと思ったんだ。
非日常生活。
ローリングスタートだ。