ご供養やらお参りやら…な春休み前半となっております。


息子が春休みに突入し、
1週間遅れて娘が春休みに突入しました。
なんやかんやあり、ブログに書いておきたいこともイロイロあったのですが、ツイッターでぼそぼそつぶやいて終わりにしておりました。
日曜日から岐阜のオカンが我が家に遊びに来てくれてました。
1年ぶりだったので、子供たちが大喜びでした。
しかし、二泊三日のお泊まりはあっと言う間に過ぎ、オカンがさきほど帰路につきまして、子供たちはションボリしております。
最寄り駅に送っていく前に、喫茶店でケーキを食べて、
さらに一宮にお参りしてきました。オカンと子供たちと一緒に。
実は昨日もオカンと娘と3人でお参りに行ってきました。
その時に、里宮の本殿だけではなく、縁結びの御社と、その隣にある「本宮山参拝所」にも連れていきました。
神社の本宮が「本宮山」にあり、いつもお参りしているのは「里宮」なのですが、その里宮の中に本宮山参拝所があるのです。
鳥居があって、その向こうに若い木があるだけなのですが、この鳥居が次元の扉なのねー、なんていつも思っておりました。
なので、オカンに「これは次元の扉やで~。ここくぐると本宮山なんやで~。本宮をお参りできるんやで~。」と、冗談っぽく説明したところ……霊感の強いオカンが「ひー。ぞみぞみする~。足元からぞそぞぞーっとくる~。」と言い出しました。
何か強く感じてたようです。
すると、いつもなら鳥居をくぐると「ぽやん」とした感じになるだけの私までが足元からぞぞぞーっとしてきまして、「あ~、同調しちゃったな~。」と思いました。
と、まぁ、そんなこともありーので。
実は実は、
オカンが来た前日に、浜松のお寺さんに家族4人で行ってきました。
九州に住む弟1号の代理で、ご先祖様の水子供養をしてきたのです。
今年の2月……我が家ではインフルエンザ騒動真っ只中の頃に、オカンと弟が久々に豊橋の霊能師の先生のところに行きまして、そこで父方の祖父母の水子の存在を発見してもらったのでした。
弟とずーーーーーっとうまいこと共存してたそうなのですが、弟の変化に伴ってその存在が見つけやすい状態になったようで、ようやく見つけ出してもらった……という感じだったようです。
先生とのご縁は20年ほどになりますが、初期の頃は私と旦那さんで紹介してもらった名古屋のお寺に先祖供養をしてもらいに何度か通いました。
中期になりますと、私と旦那さんが直接ご供養をお願いしに行く、という段階から、私の方ではオカンが、旦那の方ではお義母さんが一畑山薬師寺でもらってきた御札を四十九日間お祀りするという方法でご供養をするようになりました。
すると、ある頃から、先生のところに伺っても供養が必要なご先祖様という話にはならず、さまざまな神様話を聞かせてもらう…というステージにランクアップして行きました。
そして最近になり、久々にオカンがご供養せねばならないご先祖様のことを先生に紹介してもらった浜松のお寺で永代供養をしてもらいました。
ここで、「おお、薬師寺さんの方法から変わったのか~。どんなお寺さんなのかな~。でも、もうお願いすることは無いかな~。」と思ったのですが、弟の代理で行くことになり、私もほんとーーーに久々のご供養の場に立ち会うことになった……というわけでした。
……ああ、そいえば、一番最初に先生のところに行ってお話を聞いてた時に、私に寄りかかってたご先祖様の水子ちゃんたちのうち1人が、先生に見つけてもらえただけで私の腕からひゅ~~~っと上がっていった…なーんてこともありましわ。
「あなたの魂はとてもお人好しだねぇ。行き場が無いご先祖様や水子ちゃんたちに『ここにいたらいいよ。』って許可してるんだもんね。」と、初めて会ったときに先生に言われましたからね……。
私が、じゃないですよ?
私・の・魂・が・お・人・好・し・な・ん・で・す!
困ったもんですな~。
で、ですね。
その浜松のお寺さんはお話がとても上手な方で、これまたいろんなお話を聞かせてもらったのですが、水子には2種類ある、というお話がとても興味深かったです。
生まれてくることができなかった赤ちゃんというのは、『受胎したことだけで修行が完了する(ので生まれてこない)子』と『生まれられない業がある子』の2種類いるのだそうで、供養が必要なのはもちろん後者の場合となります。
というわけで、永代供養してもらったわけですが、お寺さんが、
「これで水子ちゃんは往生しましたよ。あ、成仏したわけじゃないんですよ。成仏なんてなかなかできるものじゃないですからね。往生するというのは、あの世の…そうだなぁ、ディズニーランドみたいなところに行って、そこで修行することになった、ということですね。」
と教えてくれました。
こちらを参照してみてくださいね。
http://www.higan.net/somosan/2011/12/post-13.html
あー、まだ書いておきたいことはあるんですけど、今日はここまでといたします~。
夕飯の準備しないと~。

家康公にご挨拶してまいりました。

木曜日に寝込みましたが、
金曜日にはだるいながらも家事ができまして、
土曜日はゴロゴロしていたら楽になりました。
で。
昨日の日曜日です。
娘が朝から夕方まで友達と一緒に遊びに出かけたので、おとーちゃんが息子もどこかに連れてってあげようか、と言い出しました。
あっちこっちの名前が出たのですが、
「岡崎はー?」と思いつきでおとーちゃんが言ったのを聞いて、
「あ、あたし、岡崎ならお参りしたいところがあるから連れてってーーー。」
と、お願いしました。
体調も悪くないので。
…ていうか、どこも痛くないし、どこもしんどくないので、これはお参り日和に違いないと思いました。
ちょっと前に、東海地方のテレビ番組で、照英さんが岡崎市の伊賀八幡宮を尋ねているのを放送していました。
たまたま観たのですが、「伊賀」って三重県にありますよね。
なのに岡崎に伊賀八幡宮があるのです。
1470年、松平四代親忠が松平家の氏神として家運長久、子孫繁栄を祈願する為、三重県の伊賀国から三州額田郡井田村へ社を移したのが始まりなのだそうです。
だから「伊賀八幡宮」なんですね。
サイトはこちらです。
http://www.igahachimanguu.com/index.html
ここも、日光・久能山と並んで「東照宮」なのだそうです。
我が家から岡崎まで車で1時間ほどでして、
娘を岡崎市内の産院で産んでるくらいなので、近いといえば近いのですが、
もともと岐阜の人間で、三河のことはそんなに詳しくないために、このような神社があるなんて知りませんでした。
そもそもインドアな人間なので、旅行にもそんなに行かないのですが、
沼津に住んでた会社員時代に、会社の友達何人かと日光に旅行したことがありまして、日光東照宮も行かせてもらってるんです。
これがですねー、
雪が降った翌日でしてね、
そんな時だったからか、観光客がそもそも少なかったのは少なかったんですが、
奥宮までの行き帰りは私たち以外に誰もいなくて、とても幻想的な時間と空間になっていました。
もちろん奥宮の宝塔(家康のお墓)のところも誰もいなくて、観光で来たと言うより、家康公に会いに来た……または、呼ばれて参上した、みたいな感覚がとても強かったのを覚えています。
うん。あれはほんとうに異次元、異空間でした。
不思議だったなぁぁぁぁ……。
(そういえば、なぜ旅行先を日光にしたのか、は全く覚えてないです。みんなでワイワイ話してて決まったんだと思いますが。)
しつこく言いますが、私は岐阜生まれの岐阜育ちなので、三英傑では信長公贔屓なのです。
岐阜という地名は信長公が付けたくらいですからね。
私の親父さんのお墓があるお寺は、信長公と縁のあるお寺ですしね。
ああ、そうです。
昨日は親父さんの命日でした。
もう20年になります。
そんなわけで、どっちかというと信長公贔屓でしたが、三河に住んでますと家康!家康!という空気にだんだんと馴染んできまして、
あまり旅行もしない人間なのに日光東照宮も行って、特別な空間と時間に身を置いてきたわけですから、家康公に嫌われてはいないのだろうと思いまして、
三河に住んで10年以上経ちますが、ちゃんとご挨拶したいな、と、先日のテレビ番組を観ながら思ったのでした。
というわけで、行ってきました。

伊賀八幡宮の鳥居から社殿を結ぶ参道は正確に南北を指しているそうで、まっすぐ北へ延ばすと大樹寺があるそうです。
ですので、社殿の上には北極星が位置するとのことです。



あちらこちらに葵の御門が。
思っていたよりこじんまりとしてるな、という印象でしたが、
整った空間だなぁ…、という感覚がしました。なんとなくですけどねー。
そして、おみくじをひいてきました。
権現様からのメッセージだと思ってひかせてもらいました。
ありがたいことに大吉でした。
ふる雨は あとなく 晴れて のどかにも ひかげさしそう 山ざくらばな
御祐助(おたすけ)をこうむって、福徳増しなお日に進んで望事は心のままになる
しかしそれについて心驕り身を持ち崩して災い招く恐れあり心正直に行い正しく身を守りなさい

と書かれてありました。
ちょうど前日の土曜日に、月子さんがmixiページ内でカード1枚引きのイベントをしていまして、
そこでの私のメッセージが以下でした。

 【星】道しるべを見つけたようです。目指すべき場所はすでにわかっているはずなのであとはそこへ向けてまっすぐに進んで行ってください。とにかく【楽しむこと】を最優先に。童心を忘れず状況を、環境を、自分自身を楽しむことでさらに目的地への道程は短縮されるでしょう。なにかを求めなくても、もう良いのです。ただひたむきに進んでください。


この言葉と重なるように感じました。
権現様の言葉も、月子さんのメッセージも、
ご加護はあるのだから、驕らず真摯に喜びと共に目指すところに向かえ
と励ましてくれているように思いました。
お参りの後、家康公が生まれた岡崎城にも行ってきました。
先月、息子が社会見学で掛川城に行ってから、お城というものが気に入ったようで、とても喜んでいました。

コンクリートのお城だけどね。

天守の礎石にも息子と一緒に触ってきました。
昨日はゆるキャラいっぱいのイベントもやってまして、人は多いし、七五三のお参り(←お城のすぐ横が龍城神社)に来てる家族もいるし、お城まで歩いていく途中にゆるキャラはいるわ、プロなのかアマチュアなのか分からないけれど武将の格好をした人たちもいるわ、で、カオスでした……。
……と、書いて、ふと思ったんですが。
人がいっぱいなのに、そいえば体調もぜんぜん悪くならなくて、普段だらだらしてる私にしてはたくさん歩いたのですが、そんなに疲れなかったので、
やはり昨日は家康公にご挨拶に行くための日だったのかもしれませんね。
おかげさまです。
あ。
岡崎に行って知ったのですが、今年は徳川家康没後400年なんですね。
節目の年のうちに行けて良かったです。