今日のちー

もう2週間以上、我が家の道具置き場兼通路のところに住み着いてる野良子猫のちー。
こんな感じだったのですが、
ちー
ちょっと大きくなりました。
分かるかなー?
ガリガリだったのに、ふっくらしてきましたよん。
ちー
でもまだ、あたくし、威嚇されまくってます。
毎日3回もごはんあげてるのにー。
ちょっとは愛想良くしてよー。

野良子猫の『ちー』

以下が昨日、mixiに書いた2本の日記なんですけども。

うちの裏の小道を挟んだ隣家の物置の下が、猫の出産に適しているようで、
時期になると、あこそこで野良猫が子供を産んでることが多いんです。
で。
先週のざーざー降りの雨のあたりで、水がついたのかなんなのか、
子猫を連れての引越しがあったんじゃないか、と。
しかし、1匹だけ置いていかれたのか、はぐれたのか…で、我が家の周りでも子猫の鳴き声がすごくしていて、心配してたんですが、
なんと、土曜日の朝に我が家の裏の農機具やら置いてあるところでうずくまって鳴いてまして。
一度捕獲したんですけど、さすが野良の子。
チビのくせにすげぇ威嚇するので、こりゃダメだ、と思い、
そして、オカン猫が迎えに来るかもしれないので、と、放したんです。
逃げるかなーと思ったんですが、そこからずーっとうちの裏におりましてね。
仕方がないので、薄めた牛乳を置いてやったら飲みまして。
ああ、じゃあ子猫用の猫缶も食べるかな、と思いまして、買ってきてやってみたところ、ガツガツ食べましてね。
今朝もペロリと食べました。
でも、懐かないですよ。
すぐ逃げますよ。
あんな小さくても野良の子ですねぇ。
でも、寂しいんでしょうね。
網戸のそばまで来て鳴くんです。
なのに私が行くと逃げるんです。
けど、「あの人は何でか分からんけどごはんをくれる」ってのは、ちょっと分かってきたみたいです。
さて。
オカンを求めてにゃーにゃー鳴きまくってるので、当然ですが、近所にも聞こえてまして、
昨日の寄り合いでおとーちゃんが近所さんとその話をしたそうです。
すると、東隣のお隣さんは、子猫を一度見かけてて、すごく気になってたそうなんですが、
そのうち子猫の鳴き声とともに、うちの娘が猫を呼ぶようになり、
「ちー。ちー。」と呼ぶうちの娘の声(←デカい声)を聞いて、
あ、名前がついた。
とニヤニヤしてたんだそうです。
ええ。
「ちー」と呼んでます。
村上信五の愛猫の「ちーちゃん」からパクってます。
オカン猫が来るかもしれないので、とりあえずこのまま様子を見てますが、
オカンが来なかったら、我が家の「外猫」になるのかなー。
それならそれでいいけどね。
猫がうろうろしてるとネズミが寄ってこないから。
(お米の置いてあった倉庫にもネズミが入ったことあるし、家の中にも小さいやつに入られたことがあって、トラップで捕まえたことがあるんですわ。)
でも外猫だと、そのうちふいっといなくなっちゃう可能性がすごく高いんだよなぁ~…。
おとーちゃんも私も、産後のお腹たぷたぷの茶トラの猫をよくうちの庭を歩いているのを見かけてまして、
あれがオカンじゃないか?と思っているのですが、なかなか現れません。
ちょっと遠くに引っ越したのかなー……。
さて。
ちーの運命やいかに。


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夕方に、お隣の奥さんが、中学生の娘さんを連れてウチに来ましてね。
子猫用のごはんをドラッグストアでちょっと買ってきたから、これ食べさせてやって、って。
娘さんも、「夜もずっと子猫が鳴いてるから気になってて。」って言ってたんですよ。
田舎なので、野良猫にも寛容な人が多くて、ほっこりします。
しかし、当のちーは野良の子らしく警戒心バリバリで、
散らかってる台所で恥ずかしかったけど、でも台所の勝手口からしかちーを見れないので、
隣の奥さんと娘さんも上がってもらって、台所の勝手口からちーを見てもらおうとしたんだけど、隠れちゃって出てこなかったんですよ…。
もー、おいしい餌をもらったんだから、サービスしなさいよぉぉぉー。
もちろん、ちーは私にも懐きませんよ。
ごはんくれる人ってのは分かってきてるみたいだし、
寂しいのか、勝手口の網戸のところまで来て鳴いて呼ぶくせに、
私の姿を見るとサッと逃げますからね。
オカン猫がいないからものすごく心細いだろうし寂しいだろうし怖いだろうし、そのせいでごっつビクビクしてます。
けどねぇ、
こっちからすると、周囲のお家の人たちがみんなちーのことを心配してるし、
「お前はそんなこと分からんだろうけど、すげぇ愛されてんだぞ?怖がる必要なんて全く無いんだぞ?」
って、思うわけですよ。
今のちーにとって世界は寂しく怖いものかもしれないけど、実はものごっつ愛されてるんだぞ、と………と、思ったらですよ、
ああ、こういうのって、天使の立場であたしたちを見てるような感じなのかもなー、と、チラリと思って、苦笑いしちゃいました。


今日のちーです。
籾摺り機の上でくつろいでいました。
ちー
今日もちーに威嚇されました。
いっちょまえに「しゃー」って威嚇するんですもん。かわいいです。
で。
威嚇しながらも、もらったごはんをソワソワしつつ食べているちーを見ていて、
「家猫の子供だったら、生まれた時から人間が近くにいるのが当たり前で、人間をちっとも怖がらないのに、
野良の子に生まれたら、たった2カ月くらいの子猫でもこれだけ警戒心バリバリになるんだから、猫でも親次第で形成される性格が違ってくるってことだよなー。
人間でも同じで、
子供の頃の環境次第では、必要以上に心が固くなったりして生きづらくなっちゃうんだよなー。」

と、しみじみしておりました。
最初から人間なんてチョロイものさ~って思っている子猫はそのままでいいけれど、
もしも人間に飼われるとなったら、野良の子はものすごくキツい思いをした上で、「人間は怖くないんだ。安心していいんだ。」と学んでいくわけですよね。
それと同じで、人間でも何がしかの「生きづらさ」の源となってる心の偏りや固さを持たされてしまった人は、
しんどい思いをしながらその課題をクリアしていかなければならないわけで、そこにものすごいエネルギーを注がなければならないので、パッと見は「思ったように人生を生きられない」…とすら思うことになりかねませんよね。
不公平だとすら思えるかもしれない。
そう思うと、自分が自分の親を選んで生まれてきたというのは、ものすごいことなんですよね。
どんなに嫌いでもどんなに憎くても、今生の人生をデザインするにあたって、この親じゃないとダメだったってことですもんね。
表層の、一番オモテ側の意識である「私」としては、勘弁してくれよーって思っていても、です。
なので。
ちーはちーで、私は私で、1つ1つ学んでいくしかないねー、と、
ごはんを用意した私に対して威嚇してくるちーを見ながら思ったりしました。
さてー。
ちーに夕方のごはんをあげてくるかな。