神社の本と漢方薬の本

本屋に寄るたびに何かしらの本を買ってしまってます。
このところ。
というわけで、まずはコレ。

平積みになってたので、売れてるんでしょうね。
帯に「科学者 × 霊能者」と著者のことが書かれていたので、興味を持ちました。
プロフィールには富士通研究所にもお勤めしてたと書かれてあったので、さらに興味を持ってしまいました。
理系頭を持っていて霊能があるというのは、説明が分かりやすいんだろうなー、と期待しながら読み始めました。
ええ。
分かりやすいと思います。
しかし当然ですが、おそらくものすごーく「端折って」「近似値のところで丸めて」書くことで、分かりやすくなってるんだろうな、思いました。
そこらへんを分かった上で読むと面白い本だと思いました。
最近ですね、ちょいちょい近くの神社にお参りに行くんです。
今年になってから顕著です。
それまでも、お正月はもちろん「ちのわぐぐり」もしてたんですけど、そんなに日本の神様に対して親近感というかそういうものが深かったというわけじゃないんです。
どっちかというと、キリスト教の神様(というかイエス様)の方がうんと近い感じがしてましたねぇ…。
これは小学生の時にプロテスタントの日曜学校に通ってたからかもしれません。
それが、今年になってから何故か今までよりぐっと距離感が縮まったような感覚がありまして、
お参りにちょいちょい行くようになったから距離感が縮まったように感じるのか、距離感が縮まったような感じがするからお参りにちょいちょ行くようになったのか、は自分でもよく分からんのですがーーー。
というわけで、こんな私には丁度いい本だったと思います。
それからですね、個人的にはですね、『50歳から見えないエネルギーの転換が起こる』という部分が面白かったですねぇ。
あと数年で50ですからね。私も。気になりますわ~。
で。
二冊目はコレです。

子供の本コーナーにありました。
漢方薬初心者向けではありますが、長年漢方薬に親しんでる私でも勉強になりました~。
分かりやすいって大事!

こんな感じなので、娘が喜んで読んでました♪
「あたしが前に飲んでたのって、どれ?」と興味津々の様子でした。

自分に甘くなる

庭で雑草の種をついばんでるスズメちゃんたちをジーーーーーっと見ている2匹。
特におブ子さんは狩りたくて仕方がありません。(←失踪事件後、家から出してもらえない)

で、このおブ子さん。
先週、娘の友達がお泊まりをしていきまして、彼女がおうちに帰っていった途端に頻尿になりまして。
すぐに獣医さんのところに連れていきまして、おそらく膀胱炎だろうということで、抗生剤と炎症を抑える注射をそれぞれ打ってもらいました。
おかげさまで翌日には頻尿も治まり、よかったよかった…と思っていたんですよ。
でもですね。
一週間経って、良くなってても先生に一度診せに来てねと言われてたので、連れていったんですわ。
相変わらず車の中でも待合室でもぎゃーぎゃー鳴いてましたけど。
そんな状態で一時間待たないといけなかったので一旦帰宅したらですよ、頻尿が再発しちゃったんです…。
図々しい黒丸とは違って、とても神経質なブ子さんは(家族以外の)子供ってものが大の苦手です。
なのにおねーちゃんの友達が泊まりに来てたし、大嫌いな獣医さんの待合室とか、かなりストレスだったんでしょうね……。
こんな記事もありますしね……
猫は意外と神経質? 猫のストレスからくる膀胱炎の予防策とは
完治していないところにストレスがかかって、またちょっと膀胱炎をぶりかえしたんだろう、ということで、
再び炎症を抑える注射をしてもらいました。(抗生剤は2週間効くやつだから、今回はナシ。)
今まで毎日お外に散歩に出てたのに、10日間の行方不明事件以降は家から出してもらえないのも、ブ子さんにとっては大きなストレスだと思います……。
でもなぁぁぁ~、この辺りは何匹も野良猫のオスが闊歩してるし、ケンカになって逃げてまた行方不明になったら超イヤなんで、も
う外には出したくないんだよなぁぁぁぁぁ。
人間側のエゴだって分かってますけど……。
★★★
さてさて。
前の記事の続き……なのかな。
書こうとしてたのは、この本のことです。

本屋さんでパッと目に入った本でした。
自己啓発本か~……と、スルーしようとしたのですが、何故か気になって手にとり、パラパラとめくってみました。
そして一度は戻したのに、結局気になって購入してしまいました。
めんどくさい、という思いがどうして発生するのか、という説明とその対処法についてたくさん書かれていますが、
人間関係がめんどくさい、ということについて書かれているところの内容に「おおお。」となりました。
人間関係がめんどくさいというのは、「ありのままの自分でいられない時に感じる」ということから、
ありのままの自分でいられる方法について説明されていました。
まず、「自分のルールが少数派の環境だと苦しくて、ありのままの自分でいられない」という説明に「なるほど。」となりました。
『人とはこうあるべきだ』というマイルールを誰でも持っているものですが、自分が少数派の時にはそのルールを他人に破られることが多くなるわけです。
「あの上司、なんでああいうこと言うのかな。信じられない。」などですね。
そこで、どんな状況でもありのままの自分でいられるようなになるにはどうしたらいいか、という話にもなるわけですが、
「自分が幸せな状態でいる」ということの説明の他に、「嫌いな人や苦手な人と上手く対応できるようになる」にはどうしたらいいか、という観点からも説明が続きます。
嫌いな人というのはマイルールを破りまくる人という定義からすると、嫌いな人も自分もどっちも悪くはない、という認識を持つことがまず大切になるのだそうです。
そして、その上で(以前は自分を守るために必要だったけれど今は)自分を苦しめるルールは手放していく、ということが大切になるわけです。
で、ですね。
自分を苦しめるルールを効果的に手放すには、自分に甘くなること、と書いてあったんです。
「自分に甘い考え」と「自分に甘い行動」は違う、と。
自分に厳しい考えをしてる人ほど、自分に甘い行動を取るのだそうです。
自分で自分を責めることは多大なストレスなのだそうですが、自分に厳しい人は多大なストレスを感じるために多くの休息が必要になり、休みの日にダラダラしてしまう等の自分に甘い行動を取らざるを得ないのだそうです。
しかも自分に甘い行動をしている自分に厳しく当たるので、ちっとも休息になっていない、と。
夏休みの宿題をずーっとやらずにダラダラするのは自分に甘い行動なわけですが、
確かにねー、ダラダラしてる自分にダメ出しして毎日イヤな気持ちになって、またダラダラしてましたからねぇぇぇ…。
実は、できる人ほど自分に甘いのだそうです。
なぜなら、自分を一切責めないからです。

自分を一切責めないから、たとえ仕事で失敗しても自分を責めるのではなく、問題解決を迅速にすることにエネルギーを注ぎ込めます。
多くの人にとって、自分の最大の敵は自分自身であり、自分を責めることを止める(自分に甘くなる)ことで、膨大なエネルギーをキープでき、活動的でクリエイティブになれる、ということなのだそうです。
また、自分に甘い人は他人にも甘く、自分に厳しい人は他人にも厳しいのだそうです。
自分には厳しく人には甘い、というのは有り得ないと。
(他人からそう見える場合は、こういうケースだよ、という説明もありました。)
自分を責める人は、(自分のルールを適応して)やっぱり他人も責めることになるわけで、そりゃ~人間関係で問題湧きまくりますよね…。
で、ここで前回の記事是であっても非であっても良いというイメージに繋がるんですが、
是となるルールも非となるルールもたくさんあるけれど、必要最低限の部分以外のところでは自分はそこを抜け出して『是であっても非であっても良いよね~』ってなっていくように、まずは自分に甘くなる(自分を責めなくなる)ことが今の自分には必要なのねぇぇぇぇ、と思ったわけなのです。
だって、変なところで自分に厳しいってのは自覚してますから~。
要らんルールもいっぱい持ってそうだし~。
あー。
なんとか書けた~。
かーさん、今から夕飯作ってきますっ!

国語は得意でしたか?


11日に帰ってきてから、一回もお外に出してもらえていないブ子兄さんです。
イライラした時は黒丸に猫パンチを炸裂させています。
八つ当たりされて黒丸がかわいそうですが、相変わらず黒丸は隙あらばシンク内の三角コーナーのゴミを漁るので、そーゆー時に兄さんの指導を入れてくれたらいいのになぁ~、と思うたみえかーさんです。
リードをつけて外を散歩させようか、という案も出ておりますが、まだ家族内での意見が統一されておりません。
豆苗はわさ~っと伸びてきまして、

わさわさ~っとなってきたので、

昨日の夕飯に使いました。
今日もまた豆苗を買ってきたので、使ったら再び育ててみようと思います。
植物ってすごいですねぇぇぇ。ほんとに。
さてさて。
先週の話なんですが。
詳細は割愛しますけど、PTA絡みでちょっとしたことがありました。
ざっくり言えば、「ちょっとキツく文句言われちゃいました…。」「これとこれの問題提起についてどうしましょう~。」ということを相談された、ってことで、その提起された「問題」は(今年度PTA役員のおとーちゃんの代わりに)私がちゃんと解決できることだったのでいいのですが、
「ちょっとキツく文句言ってきた」方の人というのが、私はほとんど知らない人だったので、信頼できるママさんにちょっと相談してみたのでした。
すると、この件に関しては、相手にしたら「キツく文句言った」のではないんだろうけど、言われた人の状況に変化があったところに、もともとの性格もあって「キツく文句言われた」と解釈しちゃったんだろうなー、という分析で意見が一致しました。

その分析が正しいかどうかは立証しようがありませんが、でも、こういう残念なことってアチコチで起こりやすいことなんだろうなー、と思いました。
視野が狭いとか、他人の感情を過剰に気にしすぎるとか、自分の感情にばかりフォーカスしちゃって論理的に分析できないとか……これらの「性格」は「客観視が苦手」なことで起こりやすいんじゃないかな、と考えているのですが、
こういう回路だと、人とのやりとりの中でどうしても「(自分に対しても人に対しても)好ましくない反応」をしがちだと思うのです。
なんてことを考えていたらですね、
おとーちゃんがアマゾンで購入したこんな本が届いたのでした。

この本の「はじめに」を読んだだけで、「なるほど!」と思ったのでした。
日本の母語教育というのは「非常に奇異」なのだそうです。
他の国々の母語教育は、実社会で必要とされる言語技能に直結していて、社会で働いて生きていくために必要な「言葉の技術の基礎基本」を訓練するのだそうです。
「国語」は「技術教科」なのだそうです。
ですから、たとえばドイツ人に「国語は得意だった?何が得意だった?」と質問すると、「分析は得意だった。特に詩の分析が好きだった。でも要約は苦手だった。なぜなら…。」と具体的な答えが返ってくるのだそうです。
でも日本人の私たちはそんな具体的なこと言えませんよね。
「漢字の書き取りがキライだった。」くらいのことしか出てこないと思います。
この本のたった2ページの「はじめに」を読んだだけで、おとーちゃんと私は、
「論理的に考えることが苦手な人って、もしかして日本語がちゃんと自分の中に入ってないのかも?」
と思ったのでした。
普通に話すことができて、普通に読むことができて、普通に書くことができて……
日本人として母語の日本語を不自由なく使いこなしていると思い込んでいるけれども、
思い込んでるだけなのかもしれないですよね?
たとえば、この本の中に、
「君はおにぎりとサンドイッチではどちらが好き?」
という質問に
「ぼくはおにぎりも好きだけどハンバーガーが好きだな。」
と回答している例があります。
こういう回答をする人って、大人でもいますが、
どららが好きか?という簡単な質問に答える場合でも、論理的に考えないと適切な回答にはならないのです。
思いつきで答えていてはダメなんです。
時々、テレビで俳優さんが映画やドラマの宣伝でインタビューに答えているところを見かけますが、
人によっては「それ、質問の答えになってないよ?」と思っちゃうことが(ちょいちょい)あって、見てるこっちがちょっと恥ずかしい気持ちになっちゃうのですが、それでは伝えたいことを正しく伝えることができませんよね。
あ。
ちょっと思い出したんですが。
高校時代、校内でとある面接を受けたんですけど、
国語教師に「〇〇(←国名)に対してのイメージを答えてください。」と質問されたので、そのとおりに答えたんです。私は。
そしたらですね、後からその先生に「ざっくりしたことしか言えてなかったな。もっと〇〇について勉強しておいた方がいいぞ。」と言われたんです。
『はぁ?先生がイメージを答えろと言ったから、こっちはちゃんとイメージを答えたんやないかい。具体的な知識を答えさせたかったらそういう質問しろよ。国語教師だろうが。』
……と、心の中で毒づいたのを思い出しました。
てなわけで、
(本日は学校代休の)娘が今朝はこの本を4ページほど喜んでやっていたのですが、
ちまちまとやらせてみようかと思っております。

「フラワー・オブ・ライフ」を再読中です。


だいたいこの時期に毎年、大家さんが(どうやらお友達らしい)庭師さんをよこしてくださるんですが、
庭師のおじさんが、
「裏のもみの木、いつ枯れたん?」
と、びっくりしながら尋ねてきました。
そうなんです。
去年、枯れてしまったのです。
「それがですねぇ……新芽が出た頃に、去年はものすごーーーくたくさんの毛虫が出てて、この木とあの木の新芽が全部食べられちゃったんですよ…。あっちの木は復活したんですけど、こっちはダメでした。」
と、おじさんに報告しました。
「そんなこともあるんやなぁ~……。役場の近くの大きなスギの木も去年枯れちゃったしなぁ…。」
と、おじさん。
気持ち悪いほど毛虫が出まして、勝手口のあたりもうにょうにょしていて、どれだけ虫退治のスプレーをかけまくって踏みつぶしたか分かりません。
小道挟んで裏の家の生け垣にもたくさん毛虫が出てたようで、裏のおじいさんがスプレーかけまくってるのをよく見かけました。
数年前の秋口に小さい毛虫が大量発生して梅の木の葉っぱを全部食べつくした、ということもありましたが、春にあんなにも大きな毛虫がうじゃうじゃ発生したのは初めてでした。
こんなに毛虫が出てたら、夏に蛾だらけになるんちゃうか?と蛾が大嫌いな私は戦々恐々でしたが、そんなこともなく、ふつーの夏だったので良かったんですが……。
なんなんでしょうね?
虫の大発生のメカニズムって。
不思議です。
(でも、虫は苦手なので調べようは思わない。)
もしかしたら本当はまだ生きてるのかも……と、ちょっと期待したのですが、庭師のおじさんが「枯れちゃったなぁ…。」と言ったので、やっぱり枯れちゃったのか……、と、ガッカリしました。
大家さんのご両親が住んでいた家で、庭にはいろんな木がいっぱいあって、木が多すぎるよ~、と思ってるくらいなのですが、
表にあるドングリがなる木と共に、この木は好きだったんです。
ほんと、残念です。
ところで。
ちょっとしたキッカケで、数年ぶりにこの本を引っ張りだしてきて読んでいます。
やっと1巻が終わりました。
これから2巻に突入です。

数年前に読んでいるのに、忘れていることがたくさんありました。
読み直しててとても興味深いです。
ただねー。
やっぱりねー、
私の頭って「二次元」なんですよ。
なので、二次元の図を三次元の立体にどうしてもすっと興せなくて、神聖幾何学のキモのところの説明でモタモタしておりました。
ほんっとにダメでしてねぇ……。
お父ちゃんはモノゴトを三次元の立体で考えるのですが、私はどうしても平面でしか扱えません。
そこらへんのオブジェクトをごっそり抜き取って生まれてきたとしか思えません。
それで嫌いじゃないのに数学がどうしても苦手だったわけですが、
そいえばですね、高校生の時に「行列」だけはすいすい理解できまして、期末テストでも満点だったんです。
それをふと思い出しまして、お父ちゃんにそのことを話したら、
「そりゃ行列って二次元だもん。」と、言われました。
なるほどです。
ま、それでですね。
1巻の最後のあたりで、フィボナッチ数列と二進法数列を、極座標に表して説明をしているのですが、
その説明のところに

極座標グラフは、神聖形状の1つである3次元の球を平面に投影し、2次元の図として表したものです。
つまりそれは影の形なのです。
影を映してみることは、情報を得るための神聖な方法でもあります。
そしてさらに、極座標グラフは直線(男性)と曲線(女性)を合わせ持ち、男性エネルギーと女性エネルギーのりい両方を同時にふくんでいるのです。

(P325下段より引用)
とありました。
これを読んでいたら、プラトンの洞窟の比喩を思い出したのですが、
実際、そうなんだろうなー、と思いました。
私たちのこの世界というのは、上位次元の世界の「影」みたいなものなんだろうな、と。
ホロスコープもそうですよね。
あれも天球を二次元に写し取った「影」と言えると思います。
神聖な方法だからこそ、そこから読み取れるものがあるのでしょう。
そしてさらに、
そういえば私は子供の頃から「自分の影」が好きだったことの意味がちょっと分かったような気がしました。
道路に映る自分自身の影を、私はいつもキレイだと感じていたのです。
さてさて。
2巻の再読に入ります~。

「敏感体質」な自分を認める。

先週後半から、
「やり直し」というか、「取りこぼしたものに目を向ける」というか、「ある程度クリアした課題を次の段階でもやりましょう」というか、
友達も巻き込んでそんな流れになっております。
その流れの真っ只中で、こんな本を買いました。


行く予定が無かったのに本屋に寄ることになり、
息子にドラえもんの26巻を買ってやろうとしたところで、平積みになってたこの本がすぽーーーんと目に入り、
気づいたら手に取って、ドラえもんの26巻と一緒にレジに持っていっていました。
アマゾンの商品紹介の中にもこう書かれてます。

○「人の気分に左右され、人間関係でいつもクヨクヨしている」
○「繊細である」
○「ささいなことでドキッとしてしまう」
○「見られていると普段の実力が出せない」
○「人ごみや大きい音が苦手」
○「スピリチュアルなことが好き」
これらに心あたりがある方はいませんか?このような人たちは、
「Highly Sensitive Persons略してHSP(敏感すぎる人)」といわれています。
研究者によると、5人に1人が敏感すぎて困っていて、生物の約2割には、 生物の生存戦略として敏感な気質が備わっているそうです。
本書は、あるストレスをきっかけに敏感すぎる性質に拍車がかかり、一時は引きこもり状態になった予備校講師の著者が、さまざまな研究論文を調べ敏感な自分と上手に付き合っていく方法をまとめたもの。
瞑想による心と頭の整え方、他人との距離の取り方、自分軸で考える方法など、 役立つメソッドが満載。敏感すぎる人の特性をまとめた4コマ漫画もユニークです。
HSP臨床医・北海道立緑ヶ丘病院精神科 医長 長沼睦雄 推薦。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第1章 他人の影響を受けすぎる人たち
第2章 敏感な人のアタマの中
第3章 敏感すぎる人は他人との境界が薄い
第4章 敏感すぎる人は、厳しい幼少期を送っていた
第5章 現代のヴァンパイアに気をつけろ
第6章 敏感すぎる人がますます増えている
第7章 敏感さは才能


医学的なことと、スピで言われてることがうまーーくミックスされたような内容で、とても読みやすかったです。
体調が悪い人を気づかっていると自分の体調まで悪くなるとか、前触れ無くいきなり体調が悪くなるとか、そういうことがしばしばある人って私だけじゃないですよね?
私もそう!という方は、そんなに少なくないんじゃないかなー、と思います。
特に縁あってこのブログを読んでくださってる方々の中には。
お世話になってるクリニックの先生に、何年も前に
「あなた(の身体)は敏感すぎるからね。仕方がないのよ。」
と言われたことがあります。
そうなのかなーー?と、いまいちピンと来なかったのを覚えているのですが、
この本を読んで、『私は人類の20%の方に入るんだろうな。』と、納得しました。
そして、敏感体質がゆえに、オカンやおばーちゃんとの関係性などが、私の「境界」を薄くしてしまったんだろうな、と思いました。
(今さら親や祖父母を責めようなんて思ってませんけど、客観的に原因を探っていくと、そういうことになるということです。)
だってねー、娘が私にどかーんと甘えてくる姿と比較すると、私はこんなふうじゃなかったんですもん。
どこかオカンに対して緊張感を持ってましたし、それは今もそうです。
もうね、これはね、仕方がないの。
娘が私に甘えまくるみたいに私も甘えることができたら良かったけど、できなかったんだから仕方がないの。
オカンもほんとーに大変な人生だったし、今は孫をめっちゃかわいがってくれるから、それでいいの。
ただ、そこに原因があるんだよ、ということだけを事実として私自身が認めればそれでいいんだと思うんです。
(それすらけっこー難しかったりしたのよね。昔は。)
なので、敏感体質の上に境界が薄くなってしまっている、ということをしっかり自覚して、この本に書いてあるアドバイスを参考にしながら、そんな自分と上手に付き合っていくべきなんだろうな、と思いました。
ほんとうはね、
すごーく元気で丈夫で、いろんなことに影響を受けにくいタフな心と身体になりたいとずーーーっと願ってきたんですが、

それは無理!
と、やっと気がつきました。
そこを目指してても、ゴールにはいつまで経っても辿り着けないし、
自分にガッカリすることが増えるだけだ、と気づいたんです。
生物の2割は敏感な個体、というのは、種の存続にとって有意義なことなのですから、
そういう役目側の気質を持って生まれてきたなら、それを受け入れて上手に付き合う方が健康的ですもんね。
そして、敏感体質の娘を育てる上でも、いろいろ気をつけてあげたいな、少し大きくなったいろいろ教えてあげたいな、と思いました。
というわけで、
この本、ちょーオススメであります。

『知ろうとすること。 (新潮文庫)』という本をいただきました。

前々から、ツイッターの私のタイムラインにチラチラと話題に出てきていた本なので、
そのうち買って読んでみようかなー、と思っていたら、
梅舎茶館さんでの展示会に来てくださったお客様が、私にと、この本をヨーダさんに託してくださっていました。
美味しいお菓子と一緒に。
その方は、福島の方で、民絵屋のお客様でもあります。
ですので、この本を読んでもらいたい、と渡してくださったのでした。

知ろうとすること。 (新潮文庫) 知ろうとすること。 (新潮文庫)
(2014/09/27)
早野 龍五、糸井 重里 他

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まず、第一の感想は、
「読んで良かった。」
というものでした。
糸井さんが早野先生を信用したのと同じような理由で、私もこの本を読み始めてすぐに早野先生は信頼できる科学者だと思いました。
ですので、早野先生の分析は信用できるのだろう、と思いました。
その上で、
福島において、内部被爆は思っていたよりもうんと低そうだということは、単純に「良かったねぇぇぇ。」とホッとしました。
その他いろいろ、納得しながら読んでおりました。
ネットには、いろんな意見や主張が流れていて、目に入ってきますが、あまりに幅がありすぎて、この問題は特にどこらへんが事実に近いんだろう?というのが、見えにくくなってるように感じるのです。
早野先生が
「大切な判断をしなければいけないときは、必ず科学的に正しい側に立ちたい。」
とおっしゃってますが、それは私もそう思っています。
…思っているんですが、
その気持ちさえグラグラするような、そんな状況が、実は今も続いているような気がします。
先生方が正しいデータを出してきても、他のさまざまな(不安や疑念を土台にした)意見のがものすごーく多くて、科学的に正しいデータとその分析がちっとも伝わって来ないのです。
私自身も、「真っ直ぐな目」で見ていないというのも大きいかと思います。
自分の中にあるバイアスは自分では気づかないですもんね。
とにもかくにも、
福島の人たちに原発事故が原因で今後健康被害がわんさか出るというのは無さそう、というのが分かって、ほんとーに良かった~と思いました。
ただ、
それはものすごくラッキーなことだったのではないかな、とも思いました。
もっとヒドい状況になっていてもおかしくはなかったのかも、と。
ラッキーだったからこそ、原発の今後については慎重に慎重に考えるべきなんじゃないか、と思います。
あと、個人的に面白かったのが、文系と理系の違いについて、でした。
糸井さんはがっつり文系の方なので、早野先生の話が時々分からないことがあるんですね。
それで先生が説明するんですが、「イオン」が出てくると、もうダメ分からない、と。
絵が浮かんでこないんだそうです。
これは面白いなー、と思いました。
それで思い出したのですが、
地学は物理も化学も生物も土台になっていますから、それらも勉強します。
その化学の勉強中、化学が比較的得意だった私はいろんな絵(イメージ)が浮かんで、理解が進むのですが、
友達の1人がさっぱり分からない~、と困っていました。
絵(イメージ)が浮かばないらしいのです。
さらに。
会社員時代のことです。
まぁ…いわゆる大企業のソフトウェア開発部門で働いていたので、ガッツリ理系のめっちゃ頭のいい人がゴロゴロ周りにおりました。(そういうところにバブル最後の年に滑り込んで紛れ込んだ、というわけです。ありがたや~。)
そういう人たちが書いたドキュメントを受け取って、理解して、マニュアルを書くということを主にしておったのですが、
これがですねー、彼らがイメージできるのは、私のそれより1つ2つ次元が上だったりするんです。
「すごいなぁぁぁ!」と、よく感心しておりました。
(それを私に分かるように説明するんだから、大変だったろうなー、と今頃思うのであります。うは。)
科学的なことに対して、ざっくりと学ぶことは誰にでもできますが、
しっかり学ぶためには、この「絵が浮かぶかどうか」が大事で、その精度…というか感度…というか、は、これはもう生まれつきのものなのかもな、と思いました。
せっかくなので、娘にはおとーちゃんのソレが遺伝してるといいんだけどなぁぁぁぁ。
私のソレは中途半端だからなぁぁぁぁぁ。
あ、でもね。ソレが中途半端だったからプログラマーから外れて、テクニカルライターになったわけで、そのおかげで技術文章の書き方を教えてもらえて、それがいろんな場面で役に立ってるので、これはこれで良かったとは思ってますけどね。
卑下はもうしてないぞ!
卑下してるヒマがあるなら与えられた資質を伸ばす方が健全やもんね!
あたしはほっとくとめっちゃ不健全になるからヤバいね!(←今日の結論はコレ)

パッと見て、買ってしまいました。

★★ お知らせ ★★
春のプレゼント企画の当選者の方々に、本日発送しました~。
普通郵便ですので、明後日以降届く方もいらっしゃるかと思いますが、お受け取りをよろしくお願いします。
なお、 現在まで、当選者の方からご住所等のメールをいただいたのが6名様で、1名様から未だご連絡がありません。
3月6日までにご連絡が無い場合は、残念ながら当選無効とさせていただきますので、ご連絡お願いします!

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さて、ほんの数日前のことです。
月子さんから、こんなブログ記事があるよー、と教えてくれたのが、コレとコレ。
豊川稲荷東京別院 ~前編~
豊川稲荷東京別院 ~後編~
旦那の実家は、特に豊川稲荷とご縁が深くてですね、
旦那のおばあちゃんは何十年もずーーーーっと豊川稲荷への一日参りをしていたくらいでして、
おばあちゃんが元気だった頃は、私たちも元日にご祈祷してもらいに行っておったのです。
(今は、元日は地域の神社と地元の一宮にお参りして、お稲荷さんは3日にお参りしておりますが。)
でね。
私自身も、1歳とか2歳の頃に、豊川さんのご祈祷に一緒に連れてきてもらってたらしいんです。
岐阜から豊川まで。
なので、まったくのご縁が無かったわけではないのかもしれません。
祖母と叔母がお店をしてたので、よく商売繁盛のご祈祷をしてもらってたらしいのです。
そうなんですよ~。
お正月の時期は特に県内外から参拝客が多いので、めっちゃ賑わってるんですよ~~。
そんな豊川稲荷。
お稲荷さん、と言われていますが、お寺です。
禅宗のお寺です。
お祀りしているのは、ダキニ天さんです。
http://toyokawainari.jp/inariframe1.html
なんかよく分からんのですが、明治の神仏分離の流れの中をかいくぐって、今に至るらしいです。
毎年お参りに行くので、娘なんぞはご真言を覚えてしまいました。
「おんしらばったにりうんそわか」です。
と、そんなふうに豊川稲荷とご縁が深い我が家ですから、月子さんが教えてくれた記事は実に興味深く読みました。
そうかー。
ダキニ天さんはクールビューティーなのかー。
素敵♡
なんて思っておりました。
で、そのまた数日後。
ちょいと本屋に寄った時に、平積みされいたこの本が何故かとても気になり、ぱっと買ってしまいました。

ひっそりとスピリチュアルしています ―えっ! ?意外! 神仏はこんな人が好き ひっそりとスピリチュアルしています ―えっ! ?意外! 神仏はこんな人が好き
(2014/07/18)
桜井 識子

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こんな本を買ったよー、と、mixiで表紙の写真をアップしたところ、月子さんから
「豊川稲荷のこの前の記事があるの、このブログだよ。」
と、メールがぴろんと届きました。
あらま。
ブログタイトルとかちっとも気にしてなかったので、気がつきませんでした。
そっかー。
あの記事だけでもとても興味深かったから、これは本もきっと興味深く読めるだろうな~、と思いながら読み始めたところ、
ほんとにいろいろ勉強になりました。
ブログはブログの良さがありますけど、1冊にまとまってるのもありがたいですよね。
私は、どうしてか分かりませんが、先にいわゆる一神教の示すところの「神」のことを学んでいた(学ばされていた?)みたいでして、
子供の頃に何故か友達に誘われてキリスト教の日曜学校に2年ほど通ったりしてましたし、
五井先生のおっしゃる「神」もこの「神」であって、法則であり愛であり光でありすべてであり……と、先生の本などから学んでいたので、
シータヒーリングの本を読んでみたら、そこで「創造主」と言われているのが、この「神」だよな、ってスッと分かったりしました。
そのせいか、どうも「めっちゃ格式の高い自然霊」としての「神様」については、あまりよく分かっていないんです。
仏様は………神様よりもちょっとだけ分かっていたかもしれません。
それは、オカンのおかげだと思います。
それでも、やっぱりあまりよく分かっていないです。
「よく分からない」というのは、知識が有る無いというより、感覚的な問題のように思います。
「神」は世界のすべてなので、自分は「神」の一部なんだ、という感覚がずーっとあるんですが、
「神様」とはどうも距離があるんです。感覚的に。
んーーー。
上手く表現できないんですが、
なんていいますかー……
「神様に対してちょっと遠慮しちゃってる」
みたいな感じですかね。
何故か分かりませんけど。
や、これがねー。
天使はまた違うんだよなぁぁぁぁ。
ミカエルなんて、もうほんとにおとーさんというかおじーちゃんというか……だし。
(それは私の魂の天使風味が強いからなのかもですが。)
とにもかくにも。
なんだか分からないけど、「神様」には自分から心理的に距離を少し置いていたのですが、
この本を読んだら、なんとなくそれがちょっと外れたような気がしました。
妙な遠慮はしなくてもいいんだな。
参拝のマナーをちゃんと守っていれば、神様はヨシヨシってしてくれるんだから、それをありがたく素直に受け取ればいいんだな。

って。
そんなふうに思えました。
近所の神社も、
一宮の神社も、
お稲荷さんも、
次にお参りに行く時は、今までよりも♡オープンハート♡で行けそうです。

運命は変えられる……らしい。

ゲッターズ飯田さんがけっこー好きなんですが、
初めて彼の本を買ってみました。

ゲッターズ飯田の運命の変え方 ゲッターズ飯田の運命の変え方
(2014/10/23)
ゲッターズ飯田

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これがですねー、なかなか興味深かったんです。
私が子供の頃にすでに細木さんの六星占術の本が出てまして、占い好きだった叔母が購入してたので、自分で自分の星回りをその頃から見ておりました。
まぁ、そうは言ってもね、子供といいますか学生のうちはですね、「大殺界の時に新しいことは始めない方がいい」と言われてもですね、進学のタイミングがそうだった、とかありますからね。
あまり活用しようが無かったんですが、それでも六星占術おそるべしー、というのは、自分の親のことを観て思ったのは覚えています。
ですから、
「運勢」というのがあって、その流れに乗って生きる方がモノゴトがうまく進みやすいらしい
というのは、子供の頃からなんとなく思っていました。
そのため、30歳の頃にお世話になり始めた霊能師の先生が、シロウトが自分で運勢の波を知って活かしやすいのは六星占術だねー、と教えてくれた時も、なるほどそうかも、思いました。
シロウトが自分でざっくりと運勢の流れを知って活用しやすい、というのは、すごく納得なのです。
というわけで、そこそこ活用してきました。
引っ越しとかね、お店始めるとかね、そういう時は運勢が良い時の方がいいですもんね。
知らなかったら仕方がないけど、知ってるんなら活用した方がいいですもん。
で。
ゲッターズ飯田さんの占いに戻りますが、
シロウトの私がパッと運勢表を観て、おおもとの占いは六星占術のそれと同じなんだろうなー、と思いました。
六星占術は12年周期で、ゲッターズ飯田さんのは36年周期ですが、運勢が下がる時のタイミングが同じなのです。(あくまで私のおとーちゃんの場合。)
でも、ゲッターズ飯田さんの方がもっと運勢の上下動が細かく記述されています。
そして、彼の説明で興味深いのが、
運勢の良い時に始めたことや決断したことを、運勢の下がっている時に放棄してしまうことが不幸の始まりとなる
というものでした。
運勢の良い時に新しいことを始めた方がいい、決断した方がいい、
運勢の悪い時に新しいことを始めない方がいい、現状維持で力をつけていくべき、
という、説明はおおよその占いで言われることだと思うのですが、
運勢の良い時に決断したことや始めたことを、運勢のよろしく無い時に辞めてしまうことが『不幸の始まり』なのだ、という説明は初めてでした。
でも、なるほど!と光の速さで納得しました。
なぜかすごく納得しちゃったんです。
私の場合で言いますと、
天使の絵を描き始めた&なにみえ遠足に行った年も、松潤を知ってこっそり応援し始めた年も、エイトに興味持ってファンになってライブに初めて行った年も、
『人生の軌道修正最適な年。素敵な出会いや人生を変える体験ができる。』
というタイミングだったのです。
絵を描くのも、松潤を応援するのも、eighterであることも辞めないからねぇぇぇぇ。
や、だからさ、松潤もねエイトもね、あたしにとっては必要不可欠な人生の要素なんですってば!
おとーちゃんの場合なんて、
36年に1~3回しか無い最強の年に、今の仕事に関わり始めましたからね。ほぼ転職したようなもんでした。
だからね、おとーちゃんは今の仕事、知的障害者のサポートというお仕事をずーっと続けた方がいいってことなんですね。
もちろん、おとーちゃんはそのつもりだと思いますけど。
うむうむ。
それで、ですね。
運勢の悪い時期に決断してしまったり、良い時期に決断したことを辞めてしまったり…という場合でも、軌道修正できるんですよ、とゲッターズ飯田さんは言っています。
そこもね、いいなぁ~、と思いました。
運命は良い方向に変えられるんだよ、それはタイミング次第なんだよ、というのが。
というわけで。
自分の運勢表を見ながら、ちょっとばかし人生を振り返って、決断のタイミングは良かったかどうか、せっかく良いタイミングで決断したことを辞めてしまってないか、を確認してみると「はっ!」とすることがあるかもしれませんよ~。

運命が変われば、庭のスズメが捕れるようになるかニャ?
いつもいつも逃げられるんだニャー。
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めっちゃ久々に「夢みる惑星」を読みました。

最近のうちの子供たちのマイブームが、寝る前にお布団の中でマンガ(主にドラえもん)を読むことなのですが、
昨日はおとーちゃんが市の某会議に出席してたので、18時には夕食をとって、さっさとお風呂にもみんなで入って、
20時にはお布団でぬくぬくとマンガタイムとなりました。
(で、読んでる途中で子供たちは21時前に寝てしまったけどね~♪)
ですので、私も何かマンガを読もうかなー、と、昔のマンガを漁ってみたところ、
これが出てきました。

めっちゃ古いマンガです。
文庫本の発行が1996年ですからねぇぇぇ。
高校生の時に、佐藤史生のマンガを友達が1冊貸してくれて読んだことがあり、大人になってからこれを買った……のは覚えてますが、
(私にしては珍しく)1回読んでそのままになってたので、読み始めてもちっともストーリーを思い出すことができませんでした。
なので、新作を読むような感覚でだーーーーーっと読んでしまいました。
とある巨大大陸に住む人たちの物語です。
アスカンタという国の王と結ばれた女性が、実は王と父親が同じだったということが分かって、この女性は身を隠してしまいました。
彼女か死んだことを「谷」(神殿)に赴いた王は知るのですが、そこには彼女が産み育てた「息子」がいました。
銀色の髪と目を持つ彼は強い「幻視者」であるからと、200年不在だった「大神官」になるように「谷」で教育されることになって……
ああ~。
ネタバレなるのでここまでくらいでやめときます。
読みたい人もいるかもなので。
久々に読んで、やっぱり佐藤史生はすごいな!と思いました。
私の中で、少女マンガ系のSF(およびSFファンタジー)を描かせたら、やっぱり萩尾望都がダントツなのですが、
その次が佐藤史生かも。
竹宮恵子より上かも。
ストーリーが「ちゃんとしてる」んです。
この人は、ストーリーテラーなんだな、って思います。
多分なんですけどね、日渡早紀の「ぼくたま」などは、物語がどんどん成長していく…というか、物語任せで紡がれたマンガなんじゃないかなー?と感じるんですが、
佐藤史生さんの作品は、最初から最後までちゃんと見据えて描いてるんだろうな、という安定感を感じます。
そして、深いんだー。
…でも、絵は巧くないんですよねぇぇぇ。
文庫版2巻に載ってる松岡葉子さんのエッセイにこんなことが書かれています。

何年たってもほとんど絵が上達しないのも、佐藤史生の不可思議。
(中略)
まったくのところ、絵が進化せずにひたすら深化していくタイプの作家はこの人と、男性でいえば諸星大二郎くらいのものじゃなかろうか。
そういえば二人とも絵がヘタなところも、そのくせ登場人物に強烈なカリスマ性があるところも、よく似てるわ。


めっちゃ首を縦にぶんぶん振ってしまいました。
絵がめっちゃ巧くて、物語も「ちゃんと最後に閉じている」のが、清水玲子だと思うんです。
彼女はまた違った意味ですごいなーーーといつも思うんですが、
でも、自分のちょっと深めのところの、それも隅っこの掃除しにくそうなところにべちゃーっと「残る」のは佐藤史生の物語の方なんですよね。
絵は巧いに越したことないんですけど、べちゃーっと残るような物語を書けることの方が貴重だと思います。
私の場合は、マンガじゃないので、物語をそこに明に提示しているわけではないのですが、
絵の技巧も大事ですけど、伝えるべきものが伝わる程度に描けていたら、まずはそれでヨシとしてもいいのかも、と思いました。
佐藤史生のマンガを久々に読んで、ちょっとそんな気持ちにもなりました。
じゃあ、さらにうちにある諸星大二郎のマンガも読むか!(あの人はほんっとに絵がヘタですよねぇぇぇ!)
…あ。
でも、佐藤史生の「ワン・ゼロ」を先に読もー。

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「女子の人間関係」

女子の人間関係 女子の人間関係
(2014/04/10)
水島広子

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この本を読みました。
女性なら分かると思いますが、女子のイヤなところって……ありますよね。
そーゆー部分をカギカッコつきの「女」と呼びながら、書かれています。
「女」度が高いか低いか、で、生きにくさって全然違うよなー、って思います。
「女」度がゼロという女性はいないと思うので、高いか低いか、ということになると思うんですが、
自分はそんなに高くならないように心がけてるつもりでも、この本を読んでると、自分の中にもあるあるーって思わされます。
ある……んだけど、なるべく低く抑えてる。
でも、「女」度が高い人の言動を間近で見ると、自分の中の「女」が刺激されて、すげぇぇぇイヤ~な感情になる。
そんな時に、どういう考え方をしてうまく対処したらいいか、なども書かれています。
いろんなケースを取り上げて。
そもそも、
なんで女性には「女」の部分があるのか、ということも、一番最初に書かれています。
考えられる要素はさまざまあるようですが、その中で著者が一番注目しているのが、
「社会的に作られる」というものです。
伝統的に女性が「選ばれる性」であることが、「女」をつくり上げる大きな要因だということです。
そして「女」とは、癒されていない心だと言っています。
そういう観点から論じられています。
もちろん私も、それだけが原因だとは思わないのですが、大きな要因であるのは同意できます。
というか、「なるほどね!」と、納得だったのです。
自分の中の「女」と照らし合わせてみても、認めたくはなくても、あああーそういう反応なのかー、と納得できてしまうのです。
なので、「女」度の高い女性と関わった時に、自分の「女」を低くキープしつつ相手の「女」を刺激せずにどう対応するか、というのをケースごとに書いてあるのもなかなか参考になりました。
(相手の「女」を刺激しない、というのは、自分を守る上ですごく大事!)
女性のみなさんは、小学校の後半くらいから中学生くらいの間で、「女」とどう対応していくべきか、を実地で学んできたと思いますが、
そこで『自分の「女」度を下げて、うまく対応する』ということを身につけられないと、大人になってもずーっと「女」の問題に悩まされることになる……気がします。
周囲の女性たちを見てきて、私はそう思います。
中学生のうちにそれを身につけられなかった人はもちろん、うまいこと身につけることができた人も、理論的な裏付けになるので、読んでみると面白いかと思います。

おれは箱入りお猫。
ベルメゾンの箱がちょうどいいんだ。