アキオを妊娠してた時よりも、マイナートラブルがちょこちょこと多い気がします。
とうとう虫歯にもなっちゃったし……。
ゆうべ、見つけちゃったのよね……。
(舌で触った感覚的には)こんなに大きな穴が空いてたのに、なんで私ってば気がつかなかったの??私のおバカさん!って感じでして、まったくもってトホホな気分ですわ。
年末年始にかけて、歯の治療とお掃除をしてもらったのに、やっぱり悪阻の時期にしっかり歯磨きができてなかったのが大きな原因なんだろうなぁ~、とガッカリしておる母であります。
それでもね、安定期(4~8カ月)で体調が悪くなければ、抜歯とか神経を抜くとかっていうんじゃない、いわゆる削って詰めるっていう普通の治療はできるそうなので良かったです。
安定期の今のうちに見つかって、それも痛くなる前に見つかって良かったと自分に言い聞かせまして、早速予約を入れました。(結構いつも混んでいる歯医者さんなので、行くのは再来週になっちゃうけどね。)
歯医者って、苦手なんだけどね……。
ほんとに超・苦手なんだけどね……。
でも、行かなくちゃね。
こんな感じで、便秘やら足の静脈瘤やら虫歯やらと次々にマイナートラブルが出てくる今回の妊娠ライフですが、そんな妊婦にピッタリの本を見つけました。
コレです。
何度も読み返しております。
東洋医学の視点から、妊婦さんの身体についていろいろ書かれてまして、これがとっても分かり易いのです。
もともと東洋医学って好きなんですが、なるほど~~、ととても勉強になりますし、出産後も役立つ本だなぁ、と思います。
お友達が妊娠したら贈りたい本ですな。
この本によりますと、妊娠すると気と血(けつ)が不足し滞りやすくなり、水は溜まり易くなるんだそうです。
そういう『めぐりが悪い身体』になると、余分に太ったり、マイナートラブルが次々と出てきたりするんだそうです。
んーーー、そもそも妊娠してなくてもベーシックに気虚・気滞な私の身体ですから、『最初っからめぐりが悪い身体』なんですよね…。
ですから、水も溜まりやすいってなもんです。(『血』は当帰芍薬散のおかげで補充されてるって実感できてます。だってお肌の具合が良いんですもん。)
実はですね、調子の良い時と、だるくてダメダメな時とでは、朝の体重が1kg以上違うんですよ……。
それだけ余分な水が溜まってしまうってことなんですね。
(あ、でも血圧は日々めっちゃ低いし蛋白尿も出てないから、妊娠中毒症ではないと思うよ。なにより最近になって妊娠中毒症の定義から浮腫は外されたらしいし。)
昨日の朝と今朝とでは1.5kgも違ってたんですが、昨日は1日中だるだるで、右足の膝の裏の静脈瘤もぼっこぼこでした。30分で歩ける距離を、休憩しつつ1時間かかって歩いたくらいだるだるでした。
浮腫んでるって感覚はそれほど無いんですが、とにかくだるいのです。身体が重い。
でも今朝はスッキリしてまして、静脈瘤も少なくなってました。今日は身体もよく動きます。
気を補給して、気をしっかりめぐらせて、なんとか毎日水はけの良い身体にしたいと思って、いろいろ試してはいるのですが、何が功を奏するのかはよく分かりません。
でも、今日はスッキリしてまして、本当に楽です。ありがたいです。
そいでもって、この本の中に書かれていたものの中から、陳皮と大棗と山査子のお茶と、クコの実と松の実をココで買いました。
これを書きながら、陳皮茶を飲み、クコの実と松の実を少し食べました。
日々、お父ちゃんのお野菜を食べているので、普段はそれだけで十分だと思うんですが、今はちょっとこれらのお茶や実にも手伝ってもらって、少しでも『めぐりの良い身体』になれるといいなぁ、と思っております。
クコの実は、『肝』と『腎』を養うとても良い食材だそうです。
男性でも、妊娠してない女性でも、毎日3粒くらいずつ食するといいですよ。
松の実は鉄分豊富だし、『肺』を潤すので風邪をひきやすいこれからの季節には特に良いですね。
(肝や肺など『五臓』について知識がなくて、「それって臓器のことじゃないの?」ってくらいの人は、コチラなどネットでいろいろ参照してみると面白いですよ。)
女性向けの漢方薬
アキオがお腹にいた時の体調不良には婦宝当帰膠を飲んでまして、産後の頭痛に悩んだ時は中将湯を飲みました。
で、今回もマイナートラブルはちょこちょことあるもんで、当帰芍薬散を飲んでます。
他にも、『生命の母』とか『実母散』とか、女性向けの漢方薬ってありますが、今日の散歩で見つけました。
ドラッグストアの漢方コーナーの隅っこに、中将湯の隣にさふらん圓っていう漢方薬が置いてあったのです。
これは知りませんでしたねぇ~。
なんだかパッケージもそそられます。
なにより、効能効果に『悪阻』と『古血滞り』も入ってるのがビビっときました。
もう悪阻は乗り切りましたが、悪阻がピークの頃なら即買いでしたな。おそらく。
当帰芍薬散をクリニックの先生に処方してもらってるので購入はしませんでしたが、サフランがメイン生薬の漢方薬って、やっぱりなんだかそそられます。
生理不順だったり、冷え性だったり、頭痛に悩んでたりする女性には良さそうですよ。
何を、どう食べてきた?
木曜日は名古屋のNさん夫妻が遊びに来てくれまして、昨日今日とチビタが泊まりで遊びに……いやいや、お手伝いに来てくれてます。
Nさんは、会うたびごとに健康的な感じになっていってる様子なのですが、チビタは久々に会ったら太ってました……。
アカンがね。
ハツラツとしたおデブを目指すってんなら認めるけれど、なんだかボンヤリとしか感じの太り方なのでいけません。
人間って、見た目に『今の自分』がアリアリと出るもんだなぁ~、と教えられました。
ハツラツとしたおデブではなく、ボンヤリと太ってしまったチビタくんは、やはり精神的にボンヤリしてしまっているのです。
仕事は責任感からか一生懸命やってるみたいなんですが、ただそれだけ。
どうやら『気』がダダ漏れにでもなっているかのように、仕事以外の部分では頭をかじられたアンパンマンみたく「力が出ないよぉー……。」ってな感じになるみたいなのです。
だから、ボンヤリとした太り方になるんですよね。
でも、私にも分かるんです。
私もボンヤリした時期が長かったと、今から振り返ると、そう思うからです。
私の場合は太るというより、体調不良という形になってましたが、ボヤ~っとというかモヤ~っというか、そんな靄がかかったような状態が名古屋で仕事している間中、続いてましたもん。
ようやく、ですよ。
本当にここ最近になって、目が醒めてきたって感じなんですもん。
金曜日に検診で吉村医院に行ってきたのですが、体重オーバーでカミナリが落ちるんだろうなぁ……と覚悟してたんですが、ちょっと叱られただけで済んでしまいました。
なぜかというと、妊婦さん用ノートのコメント欄にちょっと書いたことに対して、先生が「あんたはだんだん分かってきたなぁ。」と褒めてくれまして、カミナリを落とすのをやめてくれたのです。
何を書いたかって言うと、今の自分のことを簡潔に書いただけなんです。
お腹の子を妊娠して、縁あって吉村先生のところに来て、先生に「動け働け。」と言われたので、それまではやらなかったお百姓仕事のお手伝いをするようになったら、いろんなことが変わってきた、って。
子どもの頃から食べることが好きではなく、料理も仕方がなくやってて面倒だとしか思えなかったのが、食事が美味しくてありがたいと心から思えるようになってきたし、料理をしていてもほんのりとした喜びを感じるようになった、って。
ぶっちゃけるとですな、体重オーバーの言い訳で書いたことなんですが、「いろんなことをしていても、楽しい…んじゃなくて、なんだか喜びをほんのり感じることが多くなったんですよ。」と私が言ったら、先生が笑って褒めてくれたんです。(もちろん、体重オーバーはアカンので、もっと動くようにとシッカリ釘は刺されましたがね。)
でも確かにね、上の子は、生まれててから『ダウン症』というインパクトでもって私にいろんなことを教えてくれているけれど、お腹の子は、お腹にいるうちから私にいろんな変容を与えてくれているんだと、本当にしみじみ感じるのです。
本来、妊娠とはそういうものらしいです。吉村先生からすると。
そりゃそうですよね。自分とは違う生命がお腹の中でどんどん育っていく過程にあるんですもん。
普段よりずっとずっと宇宙とのつながり、地球とのつながりが強くなっているんですから、それまでに母親側の『垢』が取れていれば取れているだけ、ダイナミックな変容を経験させてもらえるよな~、と、先生のお話を聞きながらあらためて感じたわけです。
残念ながら、アキオの時はまだまだお母ちゃん『垢』まみれでボンヤリと靄がかかっていたから、よく分からなかったんだよ……。ごめんね。息子。
精神は身体に映されるし、身体は精神に影響します。
『気』がダダ漏れでボンヤリ靄がかかっているチビタは、だからボンヤリとした身体になってしまったんだと思います。そしてボンヤリした身体はボンヤリした精神に拍車をかけます。
なので、とりあえず食生活をできる範囲で改善しろ、と口やかましくいろいろ言っておきました。
精神から変えていくのは難しいので、身体から変えていこう、というわけです。
でもね、本当にそうなんですよ。
私は1年かかったけど、食べ物が変わると人間は本当に本当に変わるんですよ。
そういう下地があったからこそ、妊娠後の精神的変容がおとずれたわけで、名古屋でそれまで通りの食べ物をそれまで通りの食べ方で食べていたら、今の自分には辿り着けなかっただろうな、って分かりますもん。
Nさんにしても、食生活を変えたという下地があったからこそ、ちょっとしたキッカケがいろんな変化につながったんだと思うんです。
何を、どう食べるか。
そんな基本的なことを、私は何十年もないがしろにし過ぎていたなぁ、と反省しきりであります。
だって、何を、どう食べるか、は、私はどう生きるか、に直結しているんですもんね。
だって、この三次元の物質世界で人間として生きるためには、この肉体という入れ物(道具)が必需品なわけで、道具の手入れを怠っていてですよ、いいプレーができるわけないですもん。
イチローだって道具の手入れは大切だって言ってるじゃありませんか。ねぇ?
んでもですね、私がここまで来たのも、ただ流れに乗っかってきただけなんですよねぇ~~。
五井先生のお祈りにご縁をいただいて、アキオが生まれて、お父ちゃんがお百姓になって、自然農のお米やお野菜を毎日食べて、お腹のおチビがやってきて……。
んーー。
私自身が「えいやっ。」と動いたのは、五井先生につながる道に飛び込んだ『最初の一歩』だけで、ほんとに後はただ流れに乗っかっけるだけですなぁ~。
みなさんも、入り口は様々だと思いますが、『最初の一歩』をえいやっと踏み出す勇気さえちょぴっとあれば、あとは守護霊さまが上手に流れに乗せてくださいますよ。
後はどんぶらこ~~、ですわ。
子どもは親をよく見てる。
子どもは親をよーく見てるもんですな。
ちょっと前のことです。
息子が台所の棚に置いてある小さいホウロウのミルクパンを、さも大事そうに抱えて持ってきました。
そして、そのミルクパンを、小さめだけど軽くて重宝している踏み台の上に乗せて、何やらごにょごにょ言いながらミルクパンを動かしているのです。
あ、これはもしや……。
と、思った母は、木製のヘラを渡してあげました。
すると息子はそのヘラでミルクパンの中(に何かがあるかのように)をがちゃがちゃとかき回し、そして、ヘラをパクリを口にして、「んまい。」と言いました。
そしてそして、手を合わせて『ごちそうさま』をすると、床に転がって「ぐーぐー。」と寝たふりをしました。
この一連の動作を、何度も繰り返したのです。
まんまを作って、まんまを食べて、寝る。
その繰り返しです。
そのうち、母にも「まんま。」と言いながらヘラを渡してくれるようになったので、一緒に「うまいねー。」と言いながら笑って遊んであげました。
ごっこ遊びをする息子を初めて目撃した瞬間でした。
母、ちょっと感動。
そして、昨日の夜。
もらいもののお菓子の缶の蓋を使って、突然息子が「まんま。」と言いながら『ごっこ遊び』を始めました。
缶の蓋の上で何やら手をせわしなく動かして、どうやらまんまを作ってるつもりの様子。
そして、続いて蓋はお皿に早変わりし、そのお皿を「えいしえいし。」と私や旦那さんのところまで運んできては、一緒にまんまを食べろ、と催促をしました。
「まんま、うまいねー。」と一緒に笑った後、今度は蓋を縦にしながら、片手を上下に動かしました。
どうやら、お皿を洗ってるつもりのようです。
この一連の動作も数回リピートしてました。
お母ちゃんがまんまを作るところ、お皿を洗ってるところ、そんな日常の動作を見ていないようで見てるんだなぁ、と感心してしまいました。
そいえば、私が洗濯物を干している時、横で洗濯物をパンパンとやってる(つもりでも、ちゃんとはできなないけどね。)しなぁ。
洗濯物を伸ばしてから干す、というのも見てるんですよね。
自分自身を振り返ってみても、そういえば知らず知らずのうちにオカン……というか、死んだおばあちゃんの家事仕事の仕方の真似になってるんですよね。
死んだユリエさんは、それは几帳面な人だったので、家事仕事もそれはそれはキチンとしてました。
なので、私の中にもそれらがインプットされてはいるのですが、ユリエさんとは違って根が怠け者の私はなかなかあそこまで日々キチンとできないため、常に『私はダメ主婦だな~。』という感覚があります。
罪悪感とまでは言わないけど、高い理想像ができあがっているので仕方がありません。
それよりも、キチンとする日々見せてもらったことを、今頃になってとても感謝しております。
ユリエさんが生きている時はそーゆーことに感謝する心が持てなかったのよね……。ごめんね。おばあちゃん。
無理は続かないので、できる範囲での話になっちゃうけれど、それでもやっぱりできるだけ丁寧に暮らしていくことって大切なんだろうなぁ、と、ごっこ遊びをしている息子を見ながら、あたらめて思いました。
たとえば、食育って言葉を最近よく耳にするけど、母親に時間的にも精神的(健康面も含む)にも余裕がなかったら難しいことだろうなぁ、と、子どもを持ってみてよく分かるようになりました。
かと言って、子どもの教育のためってだけで無理しても母親にとってはストレスが溜まるだけだし。
手をかけること。
丁寧に暮らすこと。
これらを母親が『楽しめる』ようでなくちゃ、食育もうまくいかないんじゃないかなぁ~、と、息子の姿を見ながら思った次第であります。
美輪さまじゃないけど、『女の仕事って楽しいものなのよ。』です。
『女』として成長してないと、その喜びが分からんのですね。(人格的な成熟という話とはまた別ね。)
そんな私も、37歳にして、ほんとうに最近になってようやく少しずつ楽しめるようになってきたんですよね。
やっと女になってきたのかな?
今までは義務感の方が圧倒的に強くて、楽しいなんて思ったことはあまりありませんでした。
でも、チビすけを妊娠してから、どんどん変わっていってんですよ~。
この子は、アキオとは違った方向で私に変化をもらたしてくれる子なんだなぁ、と、感謝感謝であります。
…とは言うものの、面倒がりであることには変わりはないんだけどね。てへ。
確かに日本は美しくないよな。
ちょいとネットサーフィンをしていたら、数カ所のブログで『週間オルタ』というMLの記事について紹介されてました。
えっと、超有名な『きっこのブログ』のこの日の記事に転記されてます。
ま、読んでみてくださいまし。
(威勢のいいきっこさんの意見は好き嫌いがあると思うので、それはちょっと横に置いておいて、ここで紹介されているMLの記事を読んでみてね、ってことでリンクしました。)
えー。
私にはどこまで事実なのかは分かりませんが、本当に本当にこれが事実なら、気持ち悪いですね。
安倍さんがどうのこうのというだけでなく、こーゆー会が開催されていること自体が気持ち悪いですよ。
んでも、やっぱり次期首相がこーゆー会に出席してたとしたら、ほんとにイヤだわ。イヤイヤ。
戦争は、政治家が始めちゃうもんですが、巻き込まれるのは普通の人々ですからね。
ほんとに勘弁してもらいたいもんです。
「戦争は、外交の延長にあるもの。最終手段だ。」なんてことを現職の国会議員が発言してるのを聞いて、世界中の政治家の多くもこんなふうに考えてるんだろうなぁ~~、って思いましてね、そりゃ戦争がなくならんわけだ、と、トホホな気分になったことがありました。
ま、そんな議員さんたちを選んでるのは市民である私達なんですけどね。
民主主義って『全国民が賢い』ことが前提でないと機能しないと思うんですよ。
てことは、今のままでは地球上から戦争をなくすことは非常に困難だ、ってことだよなぁ~、と、これまたさらにトホホな気分になってしまいます。
……どうしたもんやろうねぇ?
とやかく言っても、次期首相は安倍さんらしいので、ここはひとつ、本当に日本を『美しい国』にしてもらいましょう。
とりあえず、道路のゴミがなくなるように知恵を絞ってください。ほんとマジでお願い。汚いもん。美しくないもん。
あと、東南アジアとかに少女を買いに行ってる日本人男性たちもなんとかして。
最近テレビ番組でチラっと見たけど、ほんと同じ日本国民としてえらいこと恥ずかしいよ。醜いよ。あれは。
それからねぇ……(美しくないことがたくさんありすぎるので省略。)
んー。本気で日本を『美しい国』にしようと思ったら、やることいっぱいで戦争なんかしとる暇ないよね。
ぜひとも頑張ってください。
日本中、ポイ捨てのゴミが1つも見かけなくなってから、改憲の話をしようではありませんか。
潜在意識に書かれた厄介なプログラム
昨日の夜は息子が早く寝てくれたので、のんびりとブログの記事を書いておったのですが、いざ保存…となったらココログがビジーだったのか何かで、うまいこといかず、結果的に記事は飛んでしまいました。
あらら。結構時間かかった記事なのに。
んでも、こーゆー時は載せなくていい、ということなんだろうとスッパリ諦めました。
さてさて。
今朝のことです。
早く寝た息子は当然のようにいつもより早起きしました。
30分くらいは1人で遊んでいたようですが、だんだん腹が立ってきたようで、玄関で寝ころがりながら怒ってました。
そんな息子の手をひいて、居間(寝室)に連れてきたところ、「もう起きようよ。」と起こしてもまだ寝ている旦那さんの姿に、「しょうがないなー。」って感じの気持ちになりまして、丁度息子もお父ちゃんに突進していたので、そのまま突進させてみました。
無防備に寝ているお父ちゃんの上にどかーんと息子が乗り上げたわけです。
ビックリなのと痛いのとで、お父ちゃんは大声を出しました。
結構、この人ね、こーゆー時に(若干オーバー気味に思えるほど)大声を出すんで、息子も私もちょっとビックリしちゃうんです。分かってても。
なんてかね、ちょっと前に下痢気味でもよおした途端にオムツの中でウンチをしてしまうことが続いた息子に対しても、「ちょっとー!なんで言わないのー!」と、見つけた途端に大声で言うもんだから、少々息子が萎縮してしまってたこともあったくらいでして。
本人(お父ちゃん)はそんなつもりはなくて、おそらく自分の中ではナチュラルな反応なんだろうと思うんですが、普段がどっちかって言うと聞き取りにくいくらいの話し方をする人なので、咄嗟の時の大声とかって言うと、なんだかこっちがビックリしてしまうくらいに感じてしまうのです。
それにね、私は旦那さんと19歳の時からの付き合いなんですが、学生のうちは付き合っていても相手のことなんてよく分からんもんでして、時々のことではあるんですが、ちょっとしたことでも威嚇されてるような物言いに、すごーく顔色をうかがうようになってしまったんです。私が。
今では信じられんような話ですが、ほんとにそうでして、付き合っていても実はとっても息苦しかったのを覚えてます。(息苦しかったんだ、というのは、旦那さんが1年先に卒業して身近にいなくなってから気がついた。寂しいくせにいなくなってスッキリした気分になった自分に驚いたのであります。)
それが、なんやかんやとずーっと一緒にいるうちにだんだんいろんなことが分かってきまして、旦那さんは別に威嚇してるわけでもなんでもないことや、たまにちょっとしたことを怒ったような言い方をしてしまうのは、お義父さんに似ちゃったんだな、というのもこちらに引っ越してきて、頻繁にお義父さんに会うようになってかよーく分かるようになりましたし。
仲良し夫婦のお義母さんお義父さんですが、一度だけ、お義母さんがお義父さんのそーゆーところに対して「やんなっちゃう。」と漏らしたのを聞いたことがあります。
ああ、やっぱりお義母さんもイヤなんだけど、仕方がないって諦めてるんだなぁ……、と新しい発見に不思議な気分になったりもしました。
私だって物言いが悪いことが多々あるだろうし、旦那さんも私に対していろいろいろいろ我慢してるんだろうから、と思って普段はあまり指摘しないんですが、時々やっぱりカチンときてしまいます。
(若い頃はそーゆー物言いをされると萎縮してたのが、数年後からはカチンと腹を立てるようになった、というわけです。こうやって女は図々しくなっていくのですな。)
おそらく、旦那さんもお義父さんのそういう物言いは好きじゃないと思うんですが、知らず知らずのうちに取り込んでいるんでしょう。
私がオカンのイヤなところばっかりソックリなのと一緒です。
人間って、どうしてこーゆー取り込み方をしてしまうんでしょうね?
あ、それで、です。
お父ちゃんに息子がダイビングした話の続きです。
お父ちゃんは私が意図的に息子にそうさせた、と思ったようです。
半分はそうなんですが、半分は息子の好きにさせただけなんですがね。
それに、お父ちゃんの大声にちょっとビックリしてたら、怒った旦那さんに先に言われてましいました。
「あんたって、本当に謝らんね。」
ええ、私は旦那さんに謝るのが苦手です。
本当に悪いことやどうでもいいことは謝りますが、その中間のことって謝るのが苦手なのです。
なのに先にそんなこと言われたら余計に謝れんがね。
私が悪いんですけど、なんだかだんだん腹が立ってきましてねぇ。
あんただって物言いがよろしくないこと、多いやん。
自分が不安や心配なことがあると、私に怒ったように言うやん。
自分の不安やイライラを私にぶつけること、結構増えたぞ。あまり言わんようにしとるけど。
なんて、普段はスルーしていることが沸き上がってきてしまい、どんどん腹が立ってきてしまいました。
いけませんね。
自分の悪い部分を指摘されて、素直に聞き入れないばかりか、相手の悪い部分に対する愚痴を心の中で繰り返してるんですから。
もーー、私の周りからイヤ~~な波動がどよーーんと出まくっているな、と自分でも分かってたんですが、こうなるとなかなか止まらんのです。
お祈りをしても続かないし。
あー、そんな自分がやんなちゃう~~、と思ってる反面、怒りがなかなか収まらんのです。
そうしいるうちに、だんだん怒りが自分の中の何かに向かっていこうとするし。
なんだろ?
自分の中の何に向かってんだろ??
で、家事をしながら怒りながら、ふと思い出したのです。
私がなぜ、(家族に対して)謝るのが苦手になったのか、を。
まだ小学校に上るか上らないか、だったと思います。
何かしでかして、オカンが激怒して、私を家から追い出したんです。
私は追い出されるのがイヤで、泣きながら「ごめんなさい。ごめんなさい。」って言ったのに、オカンの怒りは収まらずに追い出されてしまったのです。
一通りわんわん泣いた後、私はすごく怒りを感じました。
私が悪かったのには違いないないけど、私は謝ったやん。
なのに、追い出すなんてヒドい。謝ったってどうせ追い出されるなら、謝っても意味ないやん…ってね。
だから私はひどくスネてしまって、祖母や隣のおばさんがなだめにきてくれても、なかなか家の中に入ろうとはしませんでした。
同じ反応を、下の弟がしたことがありました。
気持ちが分かるから、私がなだめに行きましたが、弟は絶対に家に入ろうとはしませんでした。
その気持ちもよく分かりました。
同じようにされた時、弟1号は追い出されてもぐるりと回って玄関など、違う入り口から入り込んでケロっとしていたので、同じ兄弟でも事柄の受け止め方は全然違うんですね。
今なら、オカンだって未熟な人間だから、子どもに対する躾けと怒りを混同してしまって、泣いて謝ってる子どもに対して『諭す』なんてことができなかったんだろうな、とよーーーく分かるんですが、小さい子どもには分からんわけですよ。
だから、私はオカンの『怒り』に対して自分の中に『怒り』を蓄積させていくしかなかったんでしょう。
こんな昔々の出来事を、突然思い出したのです。
そして、「あー、だから、私はオカンのイヤなところばっかり似ちゃったんだなぁ~……。」と、分かりました。
旦那さんがお義父さんのマイナス面と(無自覚のまま)似てしまったのも、子どもの頃に同じようなメカニズムが働いたんだろうなぁ、と思いました。
みんな、そうやって『厄介な偏り』を潜在意識に植えつけられていくんですね。
斎藤一人さんの言葉を借りれば『劣等感』ってことになりますね。
これは、決して『個性』ではなくて、本当に厄介な偏り、しこりになって、何かの事象に対して自動的に(だいたいは良からぬ方向に)反応してしまう元凶になってしまうわけです。
潜在意識の力はとてつもなく大きいので、いくら顕在意識で「こうなりたい。」と思っても、潜在意識のプログラムを書き換えない限り、思ったような人生には決してならないわけです。
健康になりたくても、健康になっちゃダメだと反対方向に無自覚のままひっぱられたり。
お金持になりたくても、自分はそんな能力が無いと潜在意識の中から強く信じきっていたり。
幸せになりたくても、幸せになる価値が自分にはないと知らず知らずのうちにプログラムされていたり。
このようにプログラムは自動的に運用されてしまうのです。(でもね、それを書き換える方法はいろいろあります。その気になれば大丈夫。ただ、そういう仕組みに気がついて、その気になるかどうかが難しいところ。ほんとに難しいですよねぇ……。とほほ。)
てなわけで。
最後にお薦めの本の紹介。
斎藤一人さんの『地球が天国になる話』です。
すぐ読めますし、なんてったってCDがついてますから、通勤時間などを利用して何度も何度も聞くと良い思います。
何度も何度も聞いていると、それこそ潜在意識の偏ったプログラムの書き換えができちゃうんですねぇ。これが。
ウンともスンとも言わないなんて、困っちゃう。
ウンチさまの話です。
先々週は浄化もあって下痢が続いておりましたが、先週の火曜日からパタっと出なくなりました。
下痢の後に少々便秘気味になるのはよくあることなので、2日目までは気にしてませんでしたが、3日目からちょっとこれはいけませんねぇ……と思うようになりました。
なんだか、ヘンなのです。
お腹は痛くなるのに、ガスしか出ない。
4日目も、それこそウンともスンとも……という感じ。ガスばっか。
急にお腹が大きくなったので、子宮に押されて腸が動きにくくなってるのかな~?と思い、家事や畑仕事だけではアカンかも、と以前ヨガ教室で教えてもらった身体をよじる運動にスクワットに股関節をがーっと開くストレッチをやってみました。
驚きましたねぇ。
もともと固めではあったのですが、急激に股関節が固くなってるではありませんか。
どんどんお腹が大きくなってきて、その重みの負荷だけでなく、どうしても動きがにぶくなってきて股関節をあまり開かずに動き回ってるようなのです。
これはいけません。
便秘にならんかったら気がつかんかったですよ。ほんと。
気がつけて良かったです。
便秘対策とは別に、毎日ヨガとスクワットとストレッチを続けなきゃね。
で、とうとう昨日は5日目。
相変わらず出てくれないので、例のクリニックの先生んとこに行きました。
O-リングで漢方薬を診てくれまして、動きが悪くなっている腸のために麻子仁丸を処方してくれました。
それとはまた別に、身体に熱があるね、と言われました。
ええ。実はですね。
体温計で計っても平熱なのですが、身体が少々熱っぽいのです。
自分でも芯熱がこもってるなぁ、とは思っていたのです。
その前の2日ほど、すごーくダルくて仕方がなかったのですが、木曜日に熱の吹き出がプチっと出て、しんどいのは楽になったんです。
それでも、芯熱がある感じは続いてました。
急に朝晩が涼しくなってきたから、ちょっと身体がついていけんのかな?と思ってました。
お父ちゃんも風邪ひいちゃったみたいで、喉が痛い喉が痛いって言ってるし。
こっちからは何も言ってないのに、先生には分かっちゃうんだなぁ、とあらためて感心しきりでありました。
(後からネットで調べてみたらこーゆーページを見つけました。妊婦の便秘の原因の1つが芯熱とは知らんかったっす。)
てなわけで、黄連解毒湯も処方されました。
……が、この黄連解毒湯はですね、昔飲んだことがありましてね、比較的漢方薬を飲み慣れている私でも「不味い。」と思う独特の味なのです。
実に不味い。不味い不味い不味い。
しかし、不味いからって飲まないわけにはいきません。
毎回、「まずーい。」と言いながら頑張って飲んでます。
そのおかげか、6日目の今朝、出てくれました。ウンチさまと久々の対面であります。感動的であります。
♪ちゃららちゃっちゃら~~。
ありがとうございます。ありがとうございます。みなさん、ありがとうございます。
でもね、予想してたようなお姿ではなかったのですよ。ウンチさま。
ずーっとお腹の中にいたわけですから、きっとコロコロになって出てくるんだろうと思いこんでたんですが、これがなんとバナナに近い形状。
ほんとに腸が動いてないんだなぁ、とウンチさまをまじまじ見ながら思いましたね。
妊婦の身体は不可思議であります。
さてさて。
今回の便秘のおかげで股関節が固くなっている、ということを教えてもらったのですが、それとは別にまたプチお悟り(と呼んでいるが、ちょっとしたスピリチャルな気づき、という意味)をいただきました。
今朝、早起きしてトイレでぼーっとウンチさまが出てくるのを待っていた時にまたまた気づかせてもらいました。
そこで一時休戦しまして、まだ旦那さんと息子は寝ていたので、私一人で窓際の椅子に腰掛けて、気づかせてもらったことをじっくり自分の中で整理してみました。
空を見ながら涙が出てきました。
ほんとにプチな、プチプチな気づきなんですが、それでもそれを説明するとめっちゃ長くなっちゃうので、今回は割愛しますが、地球霊王さま(by五井先生)の大きな愛を想うと、ほんとーに涙がだらだら流れました。
あ、でもキーワードだけ自分の覚書のために書いておきましょう。
『地球生命の強烈な自己保存本能』(←坂本さんのこの本にチラっと出てくる)
たまごかけご飯
たまごかけご飯。
いや、私の実家では『たまごご飯』と呼んでました。
なぜなら、うちの実家では、卵の黄身だけを器に入れ、そこに醤油をたらし、それをかき混ぜてから、ご飯を盛って再びかき混ぜる……という手順であったため、決して『たまごかけご飯』ではなかったのです。
大学生の時に、学科の泊まり旅行かなにかの時に、みんなが白身もコミで『たまごかけご飯』を作って食べているのを見て、軽くカルチャーショックを受けたことを今でも覚えています。
もちろん、旦那さんも『たまごかけご飯』派であります。
おそらく、実家での食べ方はマイナーな流派なのでしょう。
とは言え、子どもの頃からの食文化というのはなかなか修正しにくいもののようでして、メジャーな道に軌道修正することなく、今でも私は『たまごご飯』として食べております。
美味いんだよねぇ。
さて。
こんなのを見つけました。
ああ、たまごご飯が食べたくなってきた~~。
食いしん坊
週末の耳ほり、アキオさんは相変わらず大泣きしました。
先生が「はい。終わったよー。」と言うやいなや、お父ちゃんの膝から飛び下り、「おわった。おわった。」とベソをかきながら診察室から足早に逃げ出してしまいました。
母、おかしかったです。
時々、こっちがビックリするような『言葉』を言います。息子くん。
まだ何を言ってるのかよく分からないことがほとんどですが、たまたま上手に真似したりして、グッドタイミングで言葉が出ることがあるのです。
「おわった。おわった。」もそうだし。
週末に実家に帰った時、弟1号が「アキオ、ぐーんと成長したねぇ。」と感心してましたもん。
やはり言葉が増えるというのは、端から見ていても成長してるなぁ、と分かり易い指標ですね。
デイサービスに通うようになってから、身体も締まったし、言葉も増えたし、やはり良い刺激になってるんでしょうね。
さて。
実家に帰る前に名古屋に寄って、久々にタァちゃんとアキくんに会ってきました。
みんなでランチをしてきたのです。
みんな大きくなっていて、おばちゃんは嬉しかったであります。
その中で、実はアキオが一番成長しておりました。
えっと、他の2人はお母さんが大盛りのうどんを注文して、それを分けてもらってたんですが、息子くんは一人前を注文して、食べちゃったんですもん。
言い替えれば、一番の食いしん坊なのであります。
食いしん坊なので、背が一番高いというのも必然かもしれません。
食いしん坊、万歳。
……でも、ダウン症の子は太り易いって言うから、気をつけないとね。
実家では、オカンについて歩いてた息子くん。
ほんとーにおばあちゃん子であります。
私達にとっては怖いオカンも、息子にとっては甘いばあちゃんだもんね。
孫パワー、おそるべし……というのが真実かしら?
さてさて。
昨日は息子を旦那さんの実家に預けて、午後から吉村医院に行ってきました。
前期両親学級に参加してきました。
妊婦さんだけでなく、見学の人もたくさんいて、賑やかでありました。
先生は徹夜明けなのに、何時にも増してパワフルでありました。
実は、その前日、旦那さんの自然農仲間のYさんから電話がありました。
転勤で今は長野県に住んでいる人なのですが、明日はこっちの方に来る用事があるので、お父ちゃんの畑が見たい、という電話でした。
よくよく聞いてみると、なんと奥さんと一緒に吉村医院に見学に行くのが『用事』なのだとか。(ちなみに奥さんは妊婦さんじゃありません。ナチュラルライフ志向が強くて勉強熱心な方のようで、吉村医院を見学したいと電話で申し込んだところ、両親学級に来たらどうですか、と言われたそうなのです。)
「もうさーー。こーゆーのって、ビックリしなくなってきたよねぇ。」と、旦那さん。
あっちゃこっちゃで繋がってしまう、というのが日常的になっているのです。
裏返すと、意識が違ってきちゃった人たちとは自然と縁が切れてしまう、ということにもなるんですが……。
それは距離とは関係なく、ね。
子どもは病院が嫌い。
『うちの3姉妹』が好きで、よくチェックしとるんですが、コレはほんとに何度見ても笑えたっす。
ウチのアキオも病院は大嫌いで、どの病院でも診察室に入ると泣きます。
明日は耳鼻科で耳ほりの予定……。
またおお泣きするんだろうな。