「このお母さんが大好きなの!」

昨日のことです。
息子を児童デイサービスに送って行ってから、娘と2人でスーパーに行きました。
その帰り道、
娘と同級生である△ちゃんのお母さんの運転する車とすれ違いました。
「△ちゃんのお母さんだったねー。分かった?」
と、運転しながら後部座席に座ってる娘に話しかけました。
「うん。分かったよー。」
と、娘。
そして、こんなことを言い出しました。
「△ちゃんがね、『うちは何でも買ってくれる。』って言ったの。」
……そうかなぁ。
△ちゃんのお母さん、確かに優しそうだけど、何でも買ってあげるとは思えんけどなー。
とは思いましたが、そこはスルーしてみました。
そして、
「そうなんやー。んで、あんたはそれ聞いて、なんてゆーたの?」
と質問してみると、
「いいねー、って言ったよ~。うちのお母さんは『よそはよそ、うちはうち。』って言って、絶対買ってくれないこともいっぱいあるよーって言ったよ~。
でね、一緒におしゃべりしてた☆ちゃんは『いいなー。私も△ちゃんの家の子に生まれたかった。』って言ってたよ~。」
と、娘。
ああ、そうね。
☆ちゃんならそう言うだろうねー。
うちに遊びに来た時も、猫がいるからここの家の子になればよかった、ってゆーてたもんねー。
なので、
「そっかー。んじゃあんたも何でも買ってくれる△ちゃんのおうちの子に生まれたかった~?」
と軽く質問してみると、
「そんなわけないやんっ!私は何でもは買ってくれなくても、このお母さんがいいのっ!このお母さんが大好きなのっ!」
と、若干涙声での力説で答えてきました。
わぁ!
ヤバいヤバいーーー。
うちの息子も娘も家族愛がハンパなかったんやったーーーーーー!
「ごめんごめん。そうだよねー。あんたはこのお母さんが大好きっていつもゆーてくれてるもんねー。ありがとうね~。お母さんもあんたが宝物やから、うちの子に生まれてきてくれて感謝しとるんやよー。」
と、運転しながらフォローしつつ、ちょっとジーンとしておりました。
この子のためにも、元気で長生きしよう、とあらためて思いました。

こんな娘に育ってます。

先日のことです。
何の話からそんな話になったのか忘れてしまいましたが、6歳の娘にこう言いました。
「2人が通ってる小学校は、子供の数が多くないからみんなが仲良しで、みんながお兄ちゃんに優しくしてくれるから、あんたも優しくしてもらえるけど、
小学校によっては、いじわるな子もいっぱいいて、ダウン症の子をからかったり、その兄弟姉妹をからかったりして、いじわるする子もおるんやよ?」
すると、娘は、
「えー……?そんないじわるをするなんて、その子…かわいそう。」
と言いました。
いじわるをされる子ではなくて、いじわるをする子がかわいそうだ、と言ったのです。
いじわるをするような心になってしまったことがかわいそうだ、と言うのです。
幼児の早期教育はまったく施してこなかったので、小学生になってから勉強面で若干もたもたしてる感は否めない娘ですが、
とにもかくにも情緒面の成長を第一に育ててきたので、こんなふうに言える子になってくれて嬉しいねぇ、とおとーちゃんがすごく喜んでおりました。
視野が広く、思慮深く、人の心を慮ることができる人……に、なって欲しいなぁ~と思いながら、娘を育てております。
あ。
あとね、「なんか面白い人」ね。
「なんか面白い人」ってのは、自然と人が集まりますもんね~。

娘が小学生になりました。

娘が小学生になりました。
早いものです。
癇の強い子で、おかーさんに抱っこかおんぶされていないと泣いて泣いてしょうがなくて、
娘を出産してから体調がずっと思わしくなかったのですが、家事の時もずっとおんぶで、
おかげで毎日ヘロヘロで、子供たちを寝かしつけたら一緒に寝てしまうことが多かったです。
手のかかる子で、
その上、おにーちゃんがダウン症だから、まるで双子を育ててるかのような時期が長くて、
娘が保育園に上がった時には、自分一人の時間ができたことに「うれしい」というより、なんともいえない戸惑いを感じたりもしました。
そんな手のかかった娘も、ニコニコしながら小学校に登校しています。
昨日は、休み時間におにーちゃんが1年生の教室に来てくれた、と喜んでいました。
こじんまりした小学校で、和気あいあいと6年間過ごしてくれたらいいなぁ、と思ってます。

息子がお熱。私も微熱と吐き気と腰痛。

腰痛持ちじゃないので、多分これは風邪のせいで腰が痛いです。
ゆうべから吐き気もあって、それは午前中に治まったんですけど、夕方の今もまだ固形物は食べる気になりませーん。
そしたら、おとーちゃんが甘酒買ってきてくれて、超ナイス!であります。
こういう時は甘酒最高ですなー。
そして、息子は39度まで出してました。
でも、インフルエンザは陰性でした。
そんなわけで、ちょっとお仕事のスケジュールが後ろに押しそうです。
ごめんなさいですー。

娘の保育園で生活発表会がありまして。

学校の先生も大変だなぁ~、といつも思いますけど、
保育園の先生も大変ですよねぇ。
子供たちに楽器演奏を教えて、歌も教えて、劇もやらせて、衣装も用意して!!
いろんなことができないと保育園の先生ってできないよな~、と思いますねぇ。
ほんと、すごいっ。
娘はかわいい衣装でとても嬉しそうでした。
生活発表会

子供たちの力をぐ~んと伸ばしてあげられる先生って、すごいと思います。

今日は息子の小学校の学習発表会でした。
3年生の息子たちは童話「てぶくろを買いに」でオペレッタを公演しました。
1年生の時もこの子たちはオペレッタをしたのですが、さすがに3年生になると質がまったく違っていました。
とても素晴らしいものになっていました。
女子はともかく、男子は3年生になると歌って踊るなんて恥ずかしいという気持ちが強くなると思うのですが、
それなのにみんなとても真剣に演じ、そしてとても上手に歌っていたのです!
正直なところ、発表を見るまではここまで素晴らしい声でみんなが歌えるとは思っていませんでした。
3年生の担任の先生は専攻が音楽の先生だそうですが、演じる前に子供たちにやらせていた柔軟体操や発声練習を見ただけで、「ただものじゃない!」と感じました。
音楽の技術的なことは私にはさっぱり分かりませんが、先生の求心力の強さを感じたのです。
うちの息子はダウン症なので、普段は特別支援クラスで勉強してますが、朝・帰りの会と給食と体育と音楽は3年生と一緒です。
ですから、支援クラスの担任の先生とはとても濃くやりとりをさせてもらってますが、「交流学級」の担任の先生とは、1学期の終わりにあった面談の時に10分ほどしかしっかりと話したことは無かったですし、授業参観も支援クラスで行われるために3年になってからの交流学級の授業を見たことが無かったので、どんなふうに子供たちに教える先生なのか知らなかったのです。
ただ、1学期の体育で、プールが始まる前から今日のオペレッタのための訓練は始まっていて、さまざまなステップの練習をしていたのは面談の時に教えてもらい、「お?」とは思っていました。
こんな早くから秋の学習発表会に向けての練習なんて、よほどのことをするのかしら?とチラっと思ったんですが、ほんとーに「よほどのこと」だったなー、と子供たちのオペレッタを見て思いました。
終了後に先生が、
「子供たちはとても辛かったと思います。」とおっしゃってましたし。
すごくすごく子供たちは頑張ったんだろうな、というのは作品を見て分かりました。
そして、先生の芸術に対する豊かな感性や高い技術の上に、ここまで作り上げることができた指導力に感激しました。
……と、そんなオペレッタだったのですが、
うちの息子もしっかりみんなと合わせて演技をしていました。歌っていました。
もちろん、健常児のみんなのレベルには及びませんが、息子なりに…ではありますが、みんなと一緒に作品を作り上げていました。
ここまでしっかりできるなんて、支援クラスの先生のフォローも大変だったと思いますし、本人もすごく頑張ったんだなぁ、と、胸が熱くなりました。
そして、3年生のみんなが息子を仲間として自然と受け入れてくれている雰囲気にも毎年学習発表会の度に泣きそうなくらい嬉しくなります。
そして、他のお母さんたちに「息子くんすごく頑張ってたね。すごく良かったね。」と声をかけてもらって、毎年うるうるしてしまうのですよ。
一学年20~25人ほどの小規模な小学校なので、全校児童がお互いを知ってて、お母さんたちもいろんな学年の子供たちのことをよく知ってる……という環境なので、息子のことをたくさんの人が温かく見守ってくれているんです。
とてもとてもありがたいことです。
ちなみに。
今年の4月に息子の学校に赴任してきた3年担任のこの先生……のご主人に、息子は保育園の時にた~くさんお世話になっていたんです。
ご縁って、面白いものですねぇ~。

小学校の体験学習で息子(とオマケの娘)が生けたお花

今日は朝から授業参観+体験実習でした。
息子は生け花でした。
池坊の先生のご指導……っても、あまりなくて、もう好きに生けていいよ~ってことでしたので、
息子がてきとーに切ったお花をこれまたてきとーに同伴させた娘と一緒にオアシスに刺しこんでました。
迷いもなにも無いダイナミックな作品となりました。
とえあえずおかーちゃんが最後に葉っぱを整えましたが、ほとんど子供たちの作品と言えます。
生け花
というわけで。
月曜日は振替休日です。
でも、天気が良ければ7時~8時に学校のグラウンドで金環日食を観察する会があるのですわ~。
ああ、晴れますように!

おおきいおばあちゃんはさっさとあの世のいいところに行っちゃうと思います。

息子と娘にとって「おおきいおばあちゃん」のお通夜・お葬式に行きました。
骨になっちゃったおおきいおばあちゃんも、しっかり子供たちは見ました。
お棺の中のおおきいおばあちゃんは、ずらりと広げられた御朱印帳に囲まれていました。
90歳を超したらそれだけで「あの世フリーパス」だと昔から聞いてますけど、これだけ御朱印帳があるんですから、「新幹線のグリーン車」どころか、「飛行機のファーストクラス」であの世に行けちゃいますね。
息子がお腹にいた時に、心筋梗塞で死にかけたおばあちゃんでした。
奇跡的に助かり身体は元気になりましたが、その後の人生はだんだんと認知症が進み、陽気で丈夫な働き者で信心深かったおばあちゃんがこの数年は違う世界に生きてるようになってしまいました。
うちの息子が小学生になるまでは生きたい。
そしたら、うちの息子もおおきいおばあちゃんのことを覚えていてくれると思うから。
そう言っていたおばあちゃんでしたが、息子が小学生になった時にはもう息子のことが分からなくなっていました。
おおきいおばあちゃんと息子
そんなおばあちゃんのお世話をしてきたお義母さんはほんとうに大変そうでした。
ですから、もちろんおばあちゃんが亡くなって悲しくないわけはないでしょうけど、大往生のおばあちゃんを送るお義母さんの姿は「やりきって、肩の荷がようやく下りた」という感じでした。
ほんとうにお疲れさま、と事情を知ってる家族・親戚はみんな思ったと思います。
ボケちゃう前は、いつもいつも口癖のように
「私はほんとうに幸せだよぉ。」
と笑って言っていたおばあちゃん。
28年ぶりにあの世でおじいちゃんに会えたかな。
そして、60数年ぶりに4歳で死んだ末娘に会えたかな。

おばあちゃんが亡くなったのです。

旦那のおばあちゃんが、今日の午後に亡くなったんです。
95歳の大往生でした。
私の息子がお腹にいた時に心筋梗塞で一度死にかけたおばあちゃんは、その後びっくりなほどの回復力で元気になりましたが、徐々に認知症がひどくなって行きました。
お世話しているお義母さんがとても大変そうでした。
切ないけど、こうやっていろんなことを教えてくれてるんだなぁ、といつも思っていました。
少し前に脳梗塞で倒れて、入院していたのです。
もう意識はずっとありませんでした。
そして、20日の金曜日に、これは長期戦になりそうだから連休明けに「胃ろう」の手術をしましょう、と主治医が言ったそうで、
お義母さんたちは内心「そんなこと、もうしなくていいのに…。おばあちゃんもかわいそうだし。」と思ったそうなんです。
そしたら、今日になっておばあちゃんの心臓が止まりました。
多分、おばあちゃんは「そんなこともうしなくていいよー。」と逝ったんだろうね、と旦那が言ってました。
私もそうに違いないな~、と思いました。
愛だよなぁ、と思いました。
そんなわけで、
今週は多分、天使の絵を描いていられないと思います。
お待ちいただいてるお客様には申し訳ないですが、ごめんなさい。

お義母さんに感謝

去年の12月24日、クリスマスイヴに、お昼前から1人で名古屋に行き、リアル友人でもある月の娘ちゃんと合流して、ナゴヤドームで関ジャニ∞のライヴを楽しんできたわけですが、
その間、子供たちはお父ちゃんが実家に連れて行き、じじばばからのプレゼントであるレゴでいーっぱい遊んでたそうです。
みんなでクリスマスケーキを食べたりしてね。
なので、
元旦にお父ちゃんの実家に行った際、お義母さんに
「24日はありがとうございました~。」
と、お礼を言ったら、お義母さんは言いました。
「あたしね、たみえさんがようやく1人でそうやって遊びに行けるようになって良かった~、ってほんとに嬉しかったのよ~♪」
って。
息子を3人育てたお義母さんは、何年も何年も『子供がいつもそばにいる』という生活を経験していますから、8年間ぶりに1人で遊びに行けたことの嬉しさを分かってくれて、自分のことのようにすごく喜んでくれたのです。
まだ息子が小さかった時に、着替えやらオムツやらいっぱい入ったママバッグをいつも持って移動してる私に、お義母さんが、
「あたしもねぇ、早く白い服を着て小さなハンドバッグだけ持って1人でおでかけしたい~、ってよーく思ってたのよ~。」
と何度か笑って言ってくれてました。
子供は宝物なのだけど、毎日の生活となると楽しい嬉しいばかりじゃないですからね。
「母親としての自分」だけが続くのは、かなりしんどいものです。
そういうことを分かってくれてて、
嫁がクリスマスイヴに遊びに行っちゃっても「良かったね。」と喜んでくれる姑さんなんて、ほんとにありがたいなぁ~、と深く感謝しました。
……しかし、おかーさんってば、嵐は知ってても、関ジャニ∞は知らんかったよぉぉぉぉ。
おとーさんは知ってたけど。(←これはこれで驚いたが!)