というわけで。
昨日の個人懇談で、ですね、
おかげさまで娘も担任の先生に褒められたんですよ。
すごく素直で素敵なお子さんですね、と褒めてもらえました。
ちなみに、お勉強のことは何も言われませんでした~。
まぁねー、めっちゃ問題があるわけでもないけど、飛び抜けてよくデキるわけでもなく、超ふつーだというのは親がよーく分かってますんで。
「ありがとうございますー。でもあの子、少しばかり天然ですよねー。」
と、ゆーたら、先生も笑ってました。
はい。
娘、ちょっとばかし天然入ってます。
というか、「天然温泉が湧いてる」という感じです。
いつもお世話になってる霊能師の先生に娘の名付けで相談した時に、この名前は「おうちのお風呂に天然温泉が湧いてるような感じ」という表現をしてもらったんですが、ほんとにそんな感じです。
癒し系…とも違うんです。
天然温泉が湧いてて、自宅で温泉に毎日入れるねー、って感じなんです。
着眼点は興味深いことが多いし、発想はユニークだし。
それは、もともとの気質がそうである上に、ダウン症の兄との関係性がその気質を上手に引き出しているように見えます。
これが上下反対だったら、うまく行かなかっただろうねー、とおとーちゃんとも話してたのですが、
ほんとにこの組合せの妙といったら、すごいな!と思います。
と、
懇談で娘を褒めてもらったその夜。
湯船につかりながら自分の子供の頃のことをなんとなくあれこれ思い出していました。
小3の時からずっと一番仲良しだった友達のことも思い出していたのですが、
彼女はとても頭が良くて、おそらく学年で一番IQが高かったんじゃないかと思います。
その後の彼女は見事にエリートコースを進んでいます。(←あまりに自分と違い過ぎて素直に凄いな!と思ってます。)
弟2号も学年一番のIQでしたし、おとーちゃんも子供の頃にどうやら弟2号くらいのデキだったようなのです。
なので、おとーちゃんが子供の頃に感じていたことを聞くと、弟もそんなふうに思っていたんだろうな…と感じることがあります。
そして、友人にも多かれ少なかれそういう部分があったんだろうな、と思うことがあります。
科学者になりたかったのに頭のデキが超ふつーだった私にとっては、IQが高いことはとても羨ましいことなのですが、
確かにね、頭がいい子は「他のみんなと同じようにバカになれない」ところがあるんだろうな、と大人になった今なら分かります。
でも頭がいいからバカになれないところを見せないので、子供の頃はちっとも気づきませんでしたが。
ですから、自然にバカになれてた子供の頃というのは、実はとても大事なことだったのかもしれないな、と湯船の中でしみじみ思っていました。
そうだよなー。
実際、友人は勉強はもちろん、なんでもソツなく…というか、高レベルでやってて、同じ美術部だったけど、デザイン画なんてダントツで巧かったもんなー。
……でも、あたしはいつも「なーんかちょっと面白いもの」を作ってたんだよなぁ。
ちっとも巧くはないけど、なーんかちょっと面白いものを。
自然にバカバカしいことを真剣にやってたもんなぁ。
小学校の高学年の時にやった劇のシナリオも私が1人で書いて、それを見た低学年だった弟2号がすげー面白かった……って、大人になってからゆーてたもんなぁ。
そいえば、高校生までの私はめっちゃ面白かった、って弟たちがゆーてたもんなぁ。
何がどう面白かったのかは分からんけど。
でもって、大学生になってから温泉が枯れちゃったけど。
あ、でも、またちょっと温泉が出てきてる気がするなぁ。
子供産んでからだよなー。
あー、てことは、娘の天然温泉湧いてる部分ってのは、私の遺伝もちょっとあるんかなー?
と、つらつら思ってたんです。
私も(娘ほどじゃないにしても)温泉湧いてた子供だったんだ、って、ようやく気付いたんです。
なので、お風呂をあがってから、おとーちゃんにそのことを話したら、
「それをギフトって言うんとちゃうの?だからあんたは絵が描けるんじゃないの?」
と言われました。
おとーちゃんも子供の頃からデザインをしたり造形物を作ったりすることがとても巧かったそうなのですが、
そういう巧さはあっても、天然温泉は湧いてなかったと言うのです。
やっと、腑に落ちました。
私は、巧くないです。ソツなく上手にできません。
でも、私の中に温泉の源泉があって、そのギフトがあるから私は私の絵を描いてもいいんだ!ってようやく思えました。
大学生になった頃から、温泉が枯れた…というか、源泉のところのバルブを閉め過ぎちゃったのだと思います。
でも子供を産んでからまた少しバルブを開けたんですね。多分。
まだバルブは全然全開ではありませんが、自然に少しずつバルブが開いていくといいなぁ、と思います。
自分を信じる、って、こういうことなんだな、とちょっと分かった気がします。
(もちろん精進はするよ!)
*************
と、ここまで書いておいたところで、
さきほど、おばーちゃんのところは雪降ってるのかなー?と娘がオカンに電話をしまして、
娘からバトンタッチして私が昨日の懇談会で息子についてはこんなこと言われたよーこんなに成長してたんだよー、とか、娘はこんなふうに言われたよー、とか話したら、
オカンは私がゆうべこんな気づきを得たなんて全く知らないのに、
「あ~、ほんとにあんたの娘やねぇ。小さい頃のあんたにそっくりやん。あんたが(先生や周りの大人から)言われてたことと同じやよ?」
と言い出したので、内心ちょービックリしましたよ~。
まるで追い鰹。
おれも褒めろにゃー。
支援クラスの教室に飾ってあった息子の作品
今日の午後は小学校の個人懇談でした。
息子の交流クラスの先生と15分、娘の先生と15分、
そして、息子の支援クラスの先生と小一時間、懇談してきました。
すると、
支援クラスに、息子が書写の時間に書いたものが貼ってあり、思わず写真を撮ってしまいました。
学校の中をあちこち行って、気に入ったところで写真を撮る…という授業内容の時に、
最後に先生に言った言葉だそうです。
きっといい笑顔で先生に言ったんだと思います。
そして、これは図工の時間に描いた絵だそうです。
今年の交流クラスの先生は、息子のポテンシャルを信じてくれて、交流クラスのみんなといろんなことをさせてくれています。
3年生の時も交流クラスの担任をしてもらっていて、その時のことも以下に書きましたが、
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-636.html
今年は体育や学習発表会のオペレッタだけでなく、図工も一緒にさせてくれています。
そしたらですね、
支援クラスの先生によりますと、5年生のみんなと一緒に図工をやると、みんなが描いているところを観察しながら、上手に絵を描くようになったのだそうです。
この絵も、輪郭を描く時は支援クラスの先生が少しサポートしてくれたそうなんですが、友達がコンテを使って描いてるのを観察しつつ、自分で工夫して描いたのだそうです。
先生にサポートしてもらったとはいえ、こんなに上手に描けるようになったなんて、ほんとうに感動しました。
子供の成長って、すごいものです。
おブ子の手
(いや、足だけど…。)
今日はスゴイことが起きました!
我が家的には、今日はスゴイことが起こったんですよ!
息子、小犬を抱っこしました!
これはすごい。
なぜって、どうも保育園で誰かんちの飼い犬に噛まれた…っても、多分アマガミなんでしょうけど、噛まれたっぽくて、
それからずーーーーーっと「いぬ、こわい。いぬはかむから、きらい。」って言って怖がってたんです。
触るなんてとんでもない、ってくらいで、近くに犬が寄ってくるなら走って逃げてました。
もうそのせいで、他の小動物もダメになってました。
そんな息子が、チワワの小犬を抱っこしたんです!
おブ子を飼い始めてから、少しずつですが他の動物にも心理的に近づけるようになってきまして、
ホームセンターのペットコーナーで、ガラス越しなら小犬を「かわいいねー。」と言うようになったんです。
で、最近はなぜかチワワを特にかわいいかわいいと言うようになりまして、
今日もチワワをずーっと見てたらですね、スタッフのおねーさんが「抱っこしてみます?」と話しかけてくれたんです。
すると、息子はまさかの「だっこしたい。」との返事。
何度も息子に確認しても、やっぱり抱っこしたい、と。
そんなわけで、まず私が椅子に座って抱っこしたところ、やはりちょっと躊躇してたんですが、
次に娘が嬉々として抱っこしていたら、「ぼくも!」と言い出したので、椅子に座らせて抱っこさせてみました。
「チワワ、かわいいねぇぇ~♡」
と、なでなでして、
あちこち舐められても怖がるどころか喜んでまして、
「チワワって、かまないねー♪かわいいねー♪」
と、何度も抱っこしていました。
たみえかーさん、感動しました。
息子が小犬を抱っこして喜んでるなんてぇぇぇぇぇぇぇ。
スタッフのおねーさんにも事情を話して、しこたまお礼を言いました。
おねーさんが声かけてくれて、チワワを抱っこさせてくれたおかげですもん。
しかし。
感動だけで済みませんわよね。
子供たちの「この子、飼いたい~。おかーさん、買ってぇぇぇぇ。」攻撃が始まりました。
材木コーナーで物色しているおとーちゃんのところに言って、話してみないとねー、と子供たちに言って、とりあえずペットコーナーから離脱させましたが、
そんなもん無理っ!
17万円もする犬なんて飼えるかい!
と、おかーちゃんの心の中では結論が出ておりました。
んでもね。
子供たちの気持ちもすごーく分かるんです。
ほんっとにめっちゃかわいい小犬でしたから。
スタッフのおねーさん曰く
「チワワ好きのスタッフがいるんですが、その人も『この子はすごくかわいい。』って言ってました。」
ってくらいですからね。
ほんとーーーにかわいいチワワの小犬ちゃんでした。
やばいやばい。
チワワだと?
気に入らんな。
そんな小動物。
『お前も小動物やんけ。』
それを「おばけ」にしてしまわないために。
本日2本目。
昨日の午前中。
雨が降ってるので、2階で洗濯物を部屋干ししてるところに子供たちがやってきて、
そこでいろいろ話をしてるうちに、赤ちゃんの頃の子供たちの話になったんですけど、
息子はほんとによく寝るし、あまり泣かないし、そういう意味では楽な子だったんですが、
娘はとにかく泣く!泣く!泣く!し、私から離れられないし、ほんとーに大変でした。
そういう話をしていたら、娘が申し訳なさそうな表情をしたので、ちょっと難しいかも、と思ったんですが、娘に話したんです。
ちょうどつい最近、お月ちゃんともやりとりしたんですが、
うちの娘って、太陽が海王星と土星とハードなアスペクトをとってて、月が冥王星と(これがかなりタイトに)ハードなアスペクトをとってるんです。
……そこそこキツいと思います。これ。
はい。
赤ん坊の頃からものすごく癇の強い子で、小学生になってからやっと落ち着きましたが、それまでは一旦泣くとなかなか自分を収められなくて、パニックになったように暴れて泣くこともあって、
「この子、アスペルガーじゃないか?」と真剣に思うこともあったくらいでした。
おそらく、こういう子は知性と教養が「まっとうに生きていくために」必要になると思うんです。
そういうものが足りないと、自分の中の「おばけ」に振り回される人生になりやすいと思うんです。
(あ、そいえば、ちょうどこんなツイートを見かけたのよね。昨日。 https://twitter.com/getters_iida/status/496240486470795264 )
あんたは、持って生まれたものが大きいんやて。
エネルギーっていうかね、そういうものが、大きいんだと思うんやわ。
だからね、しゃべれない頃は、その自分の中の大きなものがぐおんぐおんと動くたびに、ひどく泣くしか無かったんやろうね。
でさ、今もさ、まだ上手に自分の内側のものを言葉にして言えないないから、もやもやすることが多いんやと思うんよ。
だからね、あんたみたいな大きなものを持ってうまれた子はね、ちゃんと勉強せんとあかんのよ。
勉強して、いろんなことを知って、
その上で、ちゃーんと文章を書ける子にならんとあかんのやて。
自分の中のぐおんぐおんと動くものを、言葉にして捕まえて、人に読んでもらって分かってもらえるくらい上手に文章を書けるようにならんと、ものすごくしんどくなると思うんやて。
こんなことを娘に言いました。
すると娘は、ぽろぽろと泣き始めました。
悲しいとか辛いとかではないようですが、ぽろぽろと泣き始めました。
なので、続けて言いました。
あんたがさ、おとーちゃんとおかーちゃんを選んで生まれてきたってのもさ、おとーちゃんとおかーちゃんなら、あんたにちゃんといろいろ教えてあげられるからなんやないかなー?
おかーちゃんもおとーちゃんも、自分の中のぐおんぐおん動くもやもやしたものを少しずつでも言葉にして捕まえて、文章にして書けるからさ、
あんたが大人になるまでに、そういう力をつけてあげられると思うんやて。
だから、大丈夫やで。
乗り物にたとえるとさ、自転車の人もおれば、大型バスの人もおるんよ。
自転車の人は、ちょっとの力ですいすい裏道も通って気軽に行けるけど、あまり遠くまでは行けんやろ?
でも大型バスの人は、ガソリンもいっぱい要るし、大きい道しか走れんけど、たくさんの人を乗せて遠くまで行けるやろ?
多分な、あんたは小回りの効く自転車の人やないんやて。
どっちかってゆーたら、大型バスやと思うんやて。
でね、大人になるまで、満タンにガソリンを給油せんとあかんのよ。
動き出すまで時間がかかるんやて。
けどね、動き出したら遠くまで走れるから、人生はきっとすごく楽しいものになるよ~。
まだ7歳の、小2の娘ですが、ちゃんとこの話を理解したようでした。
泣きながら、笑っていました。
彼女には彼女なりの魂の設計書があって、
そのために、太陽と月があんなハードなアスペクトになってるんだと思うんですね。
お月ちゃんが言ってたんです。
ハードなものはやっぱりハードで、キツいって。
でも、それをバネにして跳躍できるって。
それをバネにして跳躍できるのか、それを「おばけ」にしてしまうのか、は、娘次第ですが、
それが「おばけ」にならないように、できるかぎりの力になってやりたいと思ってます。
多分、きっと、大丈夫。
妹LOVEな「福の神」のおにーちゃんもついてるし!
大丈夫に決まってんだろ?
おねーちゃんにはおれがついてるんだぜぇ。
『顔こわい、顔こわい!』
貴方の友達はどんな人?貴方の好きな人はどんな人?
この記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-920.html
を書いた後もいろいろありまして、
娘にとって一番の懸念事項についてはなんとか先生に自分の言葉で相談することができて、クリアになったんですが、
それでも、娘にしたら悶々とすることが多いようです。
昨日も、またふいに娘が言い出しました。
「なんで、人の悪口を言う子が多いのかなー?」
って。
そこから、いろんな話になりまして、最終的には人種や国籍、同性愛者であることとか、そういうことで人を差別してはいけないという話にもなりました。
もちろん、娘に分かるように話すので、説明するのが大変だったんですけどね、なんだかそんなことまで話しちゃいまして、
娘も真剣に聞いてくれてたので、良かったかなー、と思いました。
娘に言ったんですよ。
人の悪口を言ったりいじわるなことをわざとしたりする子って、大人からすると分かるんだよ、って。
「分かるの???」って娘が驚くので、懇談会の時に先生に言われた言葉を娘に教えてあげました。
ピカピカの小学生!って姿を見せてもらえました、って先生は娘のことを言ってくれたんです。
その言葉を教えてあげました。
「陰で悪口を言ったり、こっそりいじわるをしたりしてきた大人は、目が曇ってるからそーゆーのは分からないんだけどね、○○先生はそんなことないからね、分かるんだよ。そういう大人はね、悪口を言ったりいじわるをする子とそうでない子ってのは、少し見てるだけで分かるんだよ。
お前は悪口も言わないで、人にいじわるもしないで、ニコニコしていたから、先生からしたらピカピカに見えたんだよ。」
と、言ってやったところ、すごく嬉しそうな顔になり、
「私、ずっと悪口も言わないで、いじわるもしない!」と、言いました。
でもね。
学校にいると、そーゆー子たちとも付き合っていかなければならないわけです。
掃除の時間や給食の時間や、グループ活動……と、いろいろあります。
実際、そういう決められたメンバーにいじわるなことをされて娘は悩んでいたので、それは娘もよく分かっています。
「ここの小学校はクラスが1つしかないから、クラス替えってのが無いやんね?だから卒業までずーっと同じ子たちと一緒にいるんだから、どうしたって女同士の難しいことも出てくるんよ。
いじわるしなくて悪口も言わない子たちとばかりと一緒にはいられへんでしょ?当番とかあるもんね。
そういう時に、今よりもっとめんどくさかったり、今よりもっとしんどかったりすると思うよ。
そんな時にね、イヤならイヤだって言わないとアカンし、上手に距離を取らないとアカンのよ。
我慢して一緒にいて、自分は悪口言わないから大丈夫って思ってても、一緒にいるとだんだんとイヤなものが自分の中に混ざってきちゃうから。」
とも教えておきました。
娘は目を丸くして驚いていましたけどね。
けど、「みんなと仲良くしなければならない」というのは保育園・幼稚園までのことで、
小学生になったらだんだんと付き合う人を選ぶ目を養わなければならないし、ネガティブな人とは上手に距離を取って影響されないようにすることも覚えなければならないと思うのです。
また、うちの娘は何故か人を見る目が(歳の割に親がビックリするほど)長けているので、7歳児であってもこういうことを言っておかないといけないよなー、と思っていたんです。
最近、ほんとーーーによく思うんです。
類は友を呼ぶ…し、朱に交われば赤くなる…って。
私だって貴方だって誰だって、凸凹があって、資質を上手く活かしてる部分もあれば、ダメダメな方向に育てちゃってる部分もありますよね。
気が合う、というのは、そのトータルとしての人としての在り方みたいなものが似てる、ということなのかもなー、と思うんです。
だから、類は友を呼ぶんですよね。
でも、類は友を呼ぶだけじゃなくて、人間は相互に影響し合いますもんね。
そこで、好ましい方向に影響し合えばいいんですが、好ましくない方向にも影響し合うことも多々あるわけで、
それはなかなか本人は気づきにくかったりするよなー、と思うのです。
そして、(好き嫌いじゃなくて)やっぱりどうしても苦手な人は苦手で、
それは、その人がというより、その『類』が苦手なんだよなー、ってすご~く思います。
娘は、一緒にいて楽しい友達というのは「悪口を言わなくて、いじわるもしない子」だと言います。
それが彼女の在り方を示しているんだろうな、と思います。
自分の友達って、自分の好きな人って、どういう『類』の人が多いんだろう?って考えてみると、自分ってものの在り方がよく分かるかもしれませんね。
私は……どうなんでしょうね?
んー……。
けっこー、はちゃめちゃなものを内部に抱えてる人が多いかも。
はちゃめちゃなものを内部に抱えてるんだけど、常にフォーカスしてるところは案外マトモだったりして、
「大事なところは決してハズさない」みたいな、そんな感じの人が多いかも。
……はい。
あたくし、内部にけっこーはちゃめちゃなものを抱えております。
いえーい♪
貴方はどうですか?
おれはトカゲが好きだぞ。
動かなくなるまで遊んでやるぞ。
『…それ、友達と違うし。』
「居場所」って、とても大切。
息子の通ってる小学校は1学年1クラスのこじんまりした学校です。
そして、5年生の息子は知的障害があるために「支援クラス」に属しておりますが、体育や音楽などは5年生のみんなと一緒に授業を受けています。
支援クラスとの区別から、そちらの方は「交流クラス」と呼ばれています。
現在、支援クラス在籍の子は息子を含めて3人で、1人が1年生です。
この1年生の子が、息子になついてくれているようで、息子もすごくかわいがっているらしいのです。
Aくんとしておきましょうか。
さて。
今日は学校のプール開放の日で、私はプール監視当番の日でした。
これは決められた学年の保護者が、決められた日に当番に出なければなりません。
ですから、息子も娘も自動的に今日はプールに行かせたわけですが、息子はあまり乗り気ではありませんでした。
実際、最初はプールサイドでぐずぐずしていました。
なぜなら、彼にとっては「夏休みの学校のプール」は、居場所が無い感覚になるからみたいなのです。
体育は交流クラスで行いますが、プールの授業は安全確保と能力差が大きいために支援クラスだけで行っているそうです。
これは彼にとっては居心地のいい、楽しい時間です。
しかし、夏休みのプールは、全学年が一緒になっていて、学年ごとに集められて体操をしたりシャワーを浴びたり、そしてプールで遊んだりするので、息子は困ってしまうのです。
息子は5年生の輪の中には入れないのです。
なぜなら、深いプールだから。
背の低い息子にとって高学年用のプールは深すぎて怖いのです。
なので支援クラスの先生は、去年は妹の学年と一緒に行動させていたそうなのですが、やはりそれも息子にとっては本来の居場所とは思えなかったようなのです。
もちろん、娘も娘の友達もウェルカムなのですが。
ですから、今年も先生は妹と一緒に泳ごうね、と息子に言っていたのですが、監視している私のところに泣きそうな顔をしながら息子がやってきました。
「ぼく…2年生じゃないよ。ぼく、どこに居ればいいの?」
こういう時、めっちゃ切なくなります。
5年生のみんなも息子のことはウェルカムなのですが、いかんせん深いプールに入れないわけですから、息子も5年生のみんなのところには行こうとしないわけです。
それで意固地になってプールサイドに座り込んでしまいました。
娘が自分の友達にも頼んで一緒に来て、みんなで誘いましたが、なかなか動きませんでした。
なんとかプールには入ったのですが、イマイチの表情でした。
すると、そこにAくんが来ました。
Aくんは他の1年生の子たちと一緒にいたようなのですが、息子がプールに入ったのを見つけてそばに来たみたいでした。
Aくんが来てくれた途端に、息子は楽しそうに遊び始めました。
「5年生なんだから、1年生のAくんのことお願いね。お兄さんなんだからね。」と、息子に言うと、
「分かったよ!」と、少しキリっとした顔で答えました。
あの顔なら安心だー、と、私も監視のお仕事に戻りました。
居場所が見つかって良かった、とホッとしました。
いつもの学校で、いつものプールなのに、本来の居場所が無い。
みんなウェルカムなのに、自分で自分本来の居場所だと思えないために、心もとないような、そんな気持ちになってしまって楽しめない……という、そんな息子の姿を見て、
人間にとって「ここが自分の居場所だ」と思えるところがあるというのは、すごく大切なんだなー、とあらためて考えさせられました。
もちろん、どこでも自分の居場所にできちゃうような逞しい人間になれれば良いのですが、なかなかそんなわけにもいきませんからね。
去年は、(兄も一緒にプールに行く時は)兄を1人にはしておけないので兄と一緒にいた娘でしたが、今年は兄がAくんと楽しそうに遊んでいたので、娘は娘で自分の友達と遊べたのがすごく楽しかった、と言っていました。
兄のことは大好きだし、兄の面倒を見なくてはいけない場合もあるというのは自覚していて、自分からそうする娘ですが、
もちろん友達とも遊びたいわけで、そういう意味でもAくんが息子と遊ぶことを楽しいと思ってくれていることが、とてもとてもありがたいなぁぁぁぁ~、と感謝しまくりなのです。
あ。
ちなみに。
妹が1年生になるまでは、息子は夏休みの学校プールには行かなかったんです。
どうしてもイヤだって。
それが、妹が行くというから行ってみようかな~、という気持ちになって、去年は3回ほど行ったんです。
妹のおかげで夏休みの学校プールに行くことができるようになって、
Aくんのおかげで夏休みの学校プールで「友達と遊ぶ」ことができるようになって、
彼にしたらかなりの進歩なんだろうなー、と思います。
障害児の母親にとっては、こんなこともすごく嬉しいものなのです。
おれの居場所はココ。
夏はココが涼しいんだよー。
夏休みになりました。
夏休みに突入ですよ!
子供たちが。
そして。
ほんとにこいつらは私の子なのか?と思うコトが発生するんですが、今年ももう起こってます。
早起きして、夏休みの宿題をがんがん進めてます。
息子は宿題が好きなんですよ。
文字をこつこつこつこつこつこつこつこつ書くのが好きみたいでして。
もう国語の分厚いプリントは終わってしまいましたよ…。先生、どうしましょう?
(算数は苦手なので国語がいつも先。)
そんな兄を見てるので、娘も真似してやるもんですから、算数のプリントが終わってしまいましたよ。
(でも、多分何カ所も間違ってると思うのでやり直しがあるだろうけどね。←親が○をつけるところまでが宿題なので見てやらないといけない。←親も宿題やらされる気分なんですけど!)
でも、一番手がかかるのは、読書感想文or生活作文ですね。
これは娘1人ではできないので、手伝わないといけません。
今年も生活作文にする、とゆーてますが、いつかは読書感想文と向き合わなければならない時が来るんですよ。娘も。
私ね。
小6の時にですね、オカンがつきっきりで読書感想文を書かされたイヤな思い出があるんです。
泣きながらやったんです。
おかげで、市だかなんかの本に載ったんですけどね、あんなもん自力でクリアしたものじゃないし、びみょーな気持ちになったのを覚えています。
読書感想文書きを今やっても私も娘を泣かせそうなので、今年はまだふつーの作文でいいよねー、って思っております。生活作文なら何かちょっとしたイベントをテーマにすれば娘から引き出すのも難しくないので、今年もそうします。
(それでも、これが一番手がかかるー。)
さてさて。
12日の夜に娘が高熱を出してから、熱が上がったり下がったりで、息子にもちょっとうつったりして、登校したのに2人とも時間差でお迎え要請がかかったりして、ほんとーに落ち着かない1週間でありました。
私も疲れました。
そんな状態で、19日の土曜日はPTAのイベントでお祭がありまして、我々PTA学級委員は蒸し暑い家庭科室で朝から昼までひたすらカレーを作りました。約500人分だったかな?
で、夕方からはカレーの配膳やら片づけやらで、21時までなんだかんだと働いておりまして、ヘトヘトになりました~。
翌日は頭痛で最低限の家事しかできず、ゴロゴロしてましたし、今朝も(息子はとっくに起きて宿題してたけど)8時過ぎまで寝てまして、なんとか家事をこなした…という塩梅です。
やっぱり私にはダメージ大きかったです……。
かなり辛かったです……。
でも、当日は漢方薬をドーピングしつつもなんとかかんとか与えられた仕事は最後までこなすことができまして、ホッとしました。
多分ね、去年までの私なら、午前中にカレーを作ったところでぶっ倒れてたろうなー、と思うので、他の役員さんに迷惑かけずに済んで良かったです。
MAPをコツコツと続けてるのも効いてるのかなー、と思ったりしてます。
とにもかくにも、よくやった!私っ!←自分を褒めてみる。
んー。
でももう来年は無理っ。
私には体力的にキャパオーバーだぁぁぁ。
PTAの役員はめんどうだからやりたくない、ってんじゃなくて、ほんとに体力的に難しいって分かりました。
このイベントがこの小学校で続く限り。
(執行部の人たちは、このイベントのために1学期の間は毎週会議を遅くまでやってて、当日はフル稼働ですからね。ほんとに大変だと思いますよ。でもずーっと続いてるイベントで子供たちが楽しみにしてるから止めるという選択肢が存在しないみたいです。うはーー。)
というわけで、
まだ疲労が残ってて、頭も回らないので、オチが無い日記でごめんなさいねぇぇぇぇ。
とりあえず、バタバタだったけど、たみえかーさんは生きてるよー、というお知らせの日記でございました。
あー。
だるいけど、子供たち連れてスーパー行かなくちゃー。
今夜の晩御飯は何にしよー?
おれも寝てばかりだがな。
夏は暑いから疲れるんだよー。
スーパーマグをいただきました。
先日、この写真
をアップしたところ、
「良かったら、我が家でもう使っていないスーパーマグを譲りますよ。」
という嬉しいお申し出がありました。
あ、そうなんです。
うちのこれも、ジオマグじゃなくて、スーパーマグでした。(←おとーちゃんに確認した)
というわけで、もちろん喜んでもらっちゃいましたよ♡
そして、特に娘が大喜びでした♡
もう入手できないんだよーっておとーちゃんに言われてガッカリしていたので、スーパーマグが増えて大喜び。
おとーちゃんと一緒に球の大きさと磁石棒の長さで分類して、早速作ってました。
これからもっといろんなものを娘が作りそうで、ほんとうに良かったです。
ちまちまとブログやってて良かったぁぁぁ~♡
娘が学校で育てた枝豆。
ピーマンは先生が育てたものらしくて、枝豆1つと交換したそうな。
「先生はお腹に赤ちゃんがいるから、一番大きい枝豆をあげたよ。」とゆーてました。
小学生の低学年のうちから、女子はもうめんどくさいのね。
この日記
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-907.html
で、女子のめんどくさい人間関係について解説してある本を紹介したわけですが。
小2の娘がもうすでに「めんどくさい女子との人間関係」にちょっとめんどくささを感じてるという事実がハッキリました。
今さっき。
私自身は、小2までぼーーーっとしてた……というか、小3の春に「世界がクリアに見えた」瞬間がやってきて、
そこから他人と自分という認識がハッキリしてきたので、
私が「めんどくさい女子との人間関係」というものを経験し、どう対処していくべきかを学び始めたのは小3・小4の時でした。
小5からは「めんどくさい女子」とはそっと距離を置く…という戦略を無意識に選択するようになったので、めんどくさい女子の理不尽な対応に「???」となっていたのは、その小3・小4の時期だけなのですが、
ほんとーに女子ってめんどくさい!男子に生まれたかった!と思うようになったのは、その2年間で時々遭遇しためんどくさい女子数人との関係性があったからでした。
で。
(違う話をしてたのに、なぜかそーゆー話になり)娘の話を小一時間ほど真剣に聞いたところ、
前々から私が「この子はちょっとめんどくさい女子のケがあるなー。」とこっそり感じていた子たちに対して、娘も「めんどくさいなー。」と思っているということが分かり、
そのため、今はメインで遊ぶ女子はいじわるなこともしないし人の悪口も言わない「非めんどくさい女子」の子たちなのだというのも分かりました。
(かといって、めんどくさい女子ちっくなクラスメイトたちのことを嫌ったりしてないし、誘われたら遊ぶし、遊ぶ時は今までどおり遊んでいるらしい。外ではあまり自己主張をしないタイプなので。娘は。家ではすげぇ自己主張しまくるけど!)
とりあえず、娘には
「今のうちから、ちょっとしたいじわるをしたり、いない人の悪口を言う子は、残念だけどもっとめんどくさい女子になる可能性が高いので、もしもその子たちが4年生とか6年生とかになってもっとめんどくさい女子になっちゃったら、その時はどうやって付き合ったらいいか、を考えようねー。」
と、言っておきました。
そーゆー女子同士の人間関係の距離感って、女子に生まれたからにはうまいこと身につけないといけないことなのでね、
娘も悩むこともあるだろうけど、がんばれーって思ったのであります。
小中学生のうちに、この距離感を掴めないと、大人になってからもめんどくさい女子に悩まされることがちょいちょいあるような気がするんですよねぇ。いろんな女子を見てきてそう思うのであります。
小中学生のうちに経験して学ぶことも大事なんでしょうねぇ…。
なので、がんばれ。
おれたち猫はいいぞ。
ちっともめんどくさくないぞ。
好きに生きてるからな!
小学生の子たちに助けてもらいました。
借家なんですがね、
田舎の我が家は庭がそこそこ広くてですね、いろんな木があります。
どんぐりがなる木もあります。
今年も秋になり、どんぐりがいっぱい落ちてきたので、娘と一緒に拾ったら、
「学校に持ってくー。」と、娘が言い出して、たくさん持って行きました。
すると、先生がそれを使って授業をしてくれたそうなのです。
図工なのかなー?
そしたら、先生が、もしもまだあるなら、また拾って持ってきて、と娘にお願いしたようで、
今日の夕方にまた2人で拾いました。
そして、すぐに学校に持っていきたいと言うので、インスタントコーヒーの空き瓶1つと、小さな瓶2つになり、娘がコーヒーの瓶ともう1つを持って歩いて2人で学校に行きました。
6年生~4年生の下校の時間なので、まだ先生もいらっしゃるだろうから、と、行ったのですが……
以前、息子が登校中にすっころんで手当てをしてもらったお家の前で、今度は娘がインスタントコーヒーの瓶をすこーんと落として割ってしまいました……。
どんぐりも盛大に散らばりました。
ひゃー!
困ったなぁぁぁぁー。
と思いながら、とにかく割れたガラスを拾って道の端に集めていたら、上級生の子たちが下校してきました。
「どうしたんですかー?」と、口々に声をかけてくれて、
状況をすぐに飲み込んだみんなは、どんぐりを拾ってくれました。
そして、
「誰か、○○さんのところでビニール袋をもらってきてくれないかな?」とお願いしたところ、
1人の男子がさっと走ってもらってきてくれました。
どんぐりを入れる袋以外にも、割れたガラス瓶を入れる袋ももらってきてくれて、ほんとうに助かりました。
散らばったたくさんのどんぐりを手分けして拾ってくれた子たちにも感謝しまくりなのですが、
ビニール袋をもらいにすっと動いてくれた子にはほんとーーーに感謝感謝だったので、
学校からの帰り道、その子のお母さんに電話しました。
娘の同級生のお兄ちゃんだったんです。
ほんとにほんとにすごーく助かったんだよ~。
お母さんからも褒めてあげてね、と言うと、
教えてくれてありがとう、やだー涙出そうだわ~、と逆に言われちゃいました。
でもね、やっぱりね、子供ってお母さんに褒めてもらえるのが一番だと思うんですよ。
だから(その子のお母さんの携帯電話の番号を知っていたので)すぐに電話させてもらったんです。
きっと彼はお母さんにいっぱい褒められてることだと思います。
娘にも、
「困ってる人がいたら、今日のみんなみたいに、自分のできることをして助けてあげられる人になってね。」
と言っておきました。
やー、しかしねー、
瓶がガッシャーンと割れた時の「うひゃああ感」といったらもぉー。
袋に入れて持たせなかった私の大チョンボですわー。
うひゃああー。